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南天の実

作者: 新辺カコ

 おやおや、お前さん、誰かを恨んじょるね。酷い目に合わせてやりたい、不幸になればいい……そう思っちょるじゃろ? みなまで言わなくていい。わかっちょるさ。そういった人は、たくさんみてきたからねえ。

 でもね、よーくお聞き。お前さんの憎んでるそいつが、どんなに嫌なやつか、この婆は知らん。どんな非道をされたのか、それは知らん。

 じゃけんどね。呪いをかけごつなんて、思っちゃいけん。


 隠すこっはないさ。こん婆にはわかるけん。だからこそ、わらに声をかけたのさ。……まあまあ、まだ夜は長い。ちょいと話をしごつかね。

 呪いに呑まれた、あわれな女ごの話ちゃが……。




 昔、ある女ごがいた。

 その女ごは、ちっと気の強いところはあるけんど、なかなかの器量良しでな、年頃になれば縁談の話が掃いてうっさける程に舞い込んだげな。その中から女ごは、いちばん男ぶりがいいとを選んで、嫁じょに行ったんだと。

 最初の二、三年は、そりゃもう仲睦まじかったさ。じゃけんどな、その女ご、ちっと気の強いところあるって、さっき言ったろ? 人の嫁御になってから、それに悋気が加わったんだな。凄まじかったと。もう、亭主が他所の娘誉めるってなると、まなじりつり上げて怒鳴るし、あっちの嬶さと二言、三言話をすれば、そっぽ向いて口きかねってくらいに凄まじかったと。

 最初のうちは亭主もな、

『それも、あれのもぞらしィところだから』

って、苦笑いしとったんだと。まあ、そうなるだろさ。惚れて一緒になったんだからね。

 けどな、あんまり悋気がひどい嫁御に、亭主はだんだんと煩わしくなったんだな。何かと理由つけて、ひどく遅く帰ってきたり、何日も家を空けたりしだした。外に、女が出来たのさ。

 妾の女は器量はそこそこ、良く言って十人並だったが、おっとりとした優しげな女だった。亭主が他所に女つくったことを知った嫁御は、気も狂わんばかりになったと。なぜって、その女は、嫁御も親しくしちょった女じゃったからさ。おっとりとした地味な女、自分が負ける訳がないと思っちょったのじゃろ。悔しくて、悔しくて、とうとう一つの考えに辿り着いてしまったんだ。


 亭主寝取った女に、呪いをかけてやろうとな。


 つれあいが他所に想い人つくったとき、男は浮気した自分のつれあいを憎むが、女は浮気相手の方を尚更憎いって思じゃっとよ。なぜかねえ。ま、仕方ないさ。それが女だからね。

 さあ、それからさ。亭主の裏切りを知った嫁御は、昼んときは何食わぬ顔で過ごしちょったさ。ところが夜遅くになると、決まってどっかに出かけて行くごつなった。

 亭主はな、最初のうちは気づかんかった。元々よく家を空けちょったし、嫁御も亭主が寝入ってしもちょってから出かけたもんだからな。


 あん日の、真夜中じゃった。その日は近所の寄合いがあって亭主は出かけちょったき、嫁御はいつもの通りに、ある場所に向かったのさ。

 ある場所とは、神社じゃった。

 裏手にまわり、袂から五寸の釘を出すと、いつもん儀式を始めた。亡霊んごつ、恨みがましい顔で。

 釘を打つ音がカツーン、カツーンと夜のしじまに響いた。

 そん日は、この地にしては珍しく雪が降ってなあ、嫁御の、ざんばらに乱した黒髪に雪がうっすら積もって、釘を打つ手は冷たさで青黒くなった。それでも嫁御は止めんじゃった。冷たいとか、寒いとかが、もうわからんごとなっちょたんかもしれん。


 さて、そん頃亭主は寄合いも終わり、帰るところだった。

 だが酒も飲んじょるし、嫁御と顔あわせたらまた何が悋気の種になるかわからん。酔いざましも兼ねて、遠回りして帰ることにしたんさ。

 あの神社の近くを通ったときさ、何か音が聴こえる。固いものを打ち付けるような乾いた音じゃった。普通なら気味悪がって、さっさと逃げ出すとこだが、酒も入っちょったし、気が大きくなっちょったんじゃろな。

(誰か、悪りこっしちょんは)

音のする方にまわってみたんさ。そして音の正体を突き止めた。


(ああっ……あれは……!)


 そこで見たものは、女が呪いをかけているところだった。

 嫁御だとわかるのに、暫くかかった。見慣れた姿と違ごちょったからな。

 普段はきっちりと結われている髪はざんばらに乱れ、夜叉のような狂気じみた蒼白い顔に、唇にひかれた紅だけが雪明かりを受け、玉虫色に光っている。不気味に光る唇は、時折笑みをつくるように奇妙に歪んだ。

 五寸の釘で打ち付けているのは長い黒髪をぞろりと巻き付けた女物の草履じゃった。

 どこで手に入れたか、それは己が妾のものじゃと知ったとき、亭主は水をぶっかけられたように震えた。なぜって、つい昨日も嫁御はその女と仲良く喋ってたからねえ。

 もう酔いも何もありゃせん。亭主は転がるように、そこを離れた。

 雪はまだ、ちらちら舞っちょった。


 それから、亭主は夜に出歩く事がなくなった。妾とも、きっぱり縁を切ったげな。恐ろしかったのもあっけども、それ以上に嫁御が可哀想に思えたんだな。

 亭主が戻ってきたから、嫁御ももう神社に行くことをやめた。全て丸く収まったかにみえた。

 ところが、なあ。これで終わらなかった。


 ある朝、差し向かいで飯を食っちょったときだ。

「お前、首をどげェかしたんか?」

嫁御の首筋に、赤い痣んごつ斑点ができていた。嫁御は気づいちょらんらしく、すずしい顔で飯を食っている。何かの見間違いかと思い、ごしごしと目を擦った。もう一度よう見てみると、それは痣でん斑点なんかでんなかった。もっと恐ろしい事実に、亭主は気付いたのさ。

 嫁御の後ろの壁に、掛け軸が下がっちょってな、雪を根にした南天の枝が描かれてあったんだと。その南天の赤い実が首筋に透けて見えていたんだ。

 透けるような肌っていったら、おなごに対する誉め言葉じゃけんど、本当に透けてしもたら化け物だがね。亭主は、あの夜のときみてえに、水ぶっかけられたような戦慄を覚えたそうな。

「あんた、どげんしたっと?」

嫁御はそんな亭主を不思議そうに、ただ眺めちょったと。

 亭主はその後、嫁御に別れを切り出したそうな。暫くは我慢して暮らしていたが、やっぱり薄気味悪くなったんだな。きっと。




 わらも聞いたことがあるじゃろ。人を呪わば穴ふたつ。呪いをかけちょるところを人に見られれば、呪いは己に返る。どげん憎くても、呪いをかけるなんてことをしたらいけん。さあ、もう帰り。

 え? 何な、まだ聞きて事がある? その嫁御は、それからどげんしたかって。ああ……。その嫁御はなぁ。

 呪いが返ってしまった嫁御はな、生きながら死んだんさ。

 飯を食うことも、自分の足で立つこともできる。歳もちゃんととってゆく。普通の人間と変わらん。体が透けとることを除けばな。次第に怖がられて、疎まれて、いつしか何処へともなく行方をくらませた。

 それからは、あの世にいく事もできず、この世にとどまる事もできず、ふらふらとさまよっているそうだよ。そうして、同じ過ちをする者が出ないように、時々姿をみせるそうだ。


 昔犯した罪の、償いをするためにな。





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