3 迫りくる海妖
杏色の空は黒紫の帳に背中を押されるように沈んでいき、東京湾の夜景が星空のように広がってきた。星闇の饗宴が浸食してきたかのような速度にいつもながら驚かされるものだ。
霊異庁から借りてきた投光器を用意させているが、奴らは機動退魔中隊との交戦に入ったようだった。
「隊長、こちらから援軍を送らなくて大丈夫でしょうか?」
「機動退魔中隊は霊異庁の精鋭で人数も多い。そこに俺たちが顔を出しても邪魔者扱いされるのがオチだろう。ここで待つ」
「了解です」
頭の良い雪乃のことである、もちろんそのことは理解している。
まだ実戦経験の浅い隊員に伝えるためだ。こういう機微に飛んだ配慮を出来るのが雪乃の長所であり、参謀にふさわしい。
宗像の脳裏には未だに違和感がこびりついている。濡れ女は確かに凶悪でその戦闘力も驚異ではあるが、北村たちが追い詰められるほどの強さには疑問が残る。
長距離射撃による牽制や、車両に乗り込み移動防御に専念するという戦術も取り得たはずなのだ。
考えられる事態は、濡れ女が使役する邪妖の群れが大量で共同歩調を取っている可能性である。
緊張をほぐすために会話をしていた隊員たちだったが、通信担当が皆に注意を促した。
「機動退魔中隊は不意打ちを受けて壊滅状態のようです。隊長の危惧していた通り、奴が大量の邪妖や海妖を使役している模様」
「聞いたなお前たち、北村も機動隊魔中隊も戦線離脱となれば後は俺たちが最後の砦だろう。これ以上ないシチュエーションだ、特記契約の報酬上乗せでがっぽり稼ぐぞ!」
『おおおお!』
「無事終えたら打ち上げで焼肉食い放題だ、気合入れろぉ!」
『おおおお!』
「誰一人怪我すんなよ、入院代バカにならねんだからな!」
『おおおお!』
糺華は白銀のロングツインテールを揺らしながら女性隊員や雪乃とお肉! と叫んでいるから士気、気合ともに大丈夫そうだ。
各隊員も恐怖より焼肉に思考が埋められているから問題ないだろう。
「あと数分でこちらの射程に入る可能性が高い……まずは遠距離戦になる。各員は銃器を装備、暗いからもう人目は気にしなくて構わん」
雪乃が銃器の収納されたペリカンボックスから各員に配布していく。
サイドアームとして用意されたのが、ラボ特注仕様の Five-seveN だ。ベルギーFN社製の優秀なハンドガンをMg弾仕様に耐えうる霊力処理をしている。
主力火器として今回用意されたのは ブッシュマスター ACR というアサルトライフルだ。これも同様にMg弾使用の特殊処理がなされており、主だった隊員が手に取り迎撃準備に入っていた。
最期に取り出したのが 別のケースに収納されていた大型銃器だ。
「隊長しか扱える代物じゃありませんぜこりゃ」
ケースから取り出したそれを宗像は受け取ると、手慣れた手つきで組み上げていく。
僅か10数秒で組み上がったその長大な銃身は、アキュラシーインターナショナル製の AS50 という海兵隊使用のセミオート型 アンチマテリアルライフルだ。
これはラボの主任が、直接企業と連絡を取り開発したオンリーワンの一品であり、 12、7×99mm NATO弾ではなく、12,7×99mmの専用Mg弾を扱うことになっている。
「あの雪乃先輩、前から疑問に思ってたんですけど < Mg弾 > て何なんですか? 霊異庁が使う呪紋弾と一緒じゃないんですか?」
「新人は知らなかったわね、古代遺跡の壁によく魔除けの絵が描かれることが多いのだけど、その染料として使われるのが朱、つまり硫化水銀なのよ」
「硫化水銀!?」
「そう、特殊処理した硫化水銀を弾頭へ封入することに成功したのがMg弾。霊異庁の使用する呪紋弾よりも43%の威力向上が確認されているわ」
「すごいんですね!」
「Mg弾は霊力資質がそのまま威力に乗るから、ちゃんと念じてから撃たないとだめよ」
「だが高い! 今回は特別だが無駄撃ちしたら覚悟しとけ、撃つなら一発で仕留めろ!」
その時だった、伏せ撃ち姿勢をとりAS50を構えた宗像が、地面を揺らすような発射音をかましながら暗黒の海めがけて発砲したのだ。
遠くで何かが弾けるような手応えがあり、各員が一斉に射撃態勢へ移行していく。
波をかき分けるように西なぎさへ迫ってきたのは、頑強な殻を持つ大型の貝に手足の生えた奇怪な化け物、サザエ鬼であった。
さきほどの宗像の一撃でサザエの殻が大きく砕け、中から緑色の体液を海へまき散らしながら、自らを傷つけた者への恨みの叫びを発し海面を走ってくる。
他にも巨大な蟹の妖怪である、カニ入道や尻コボシという海河童、海蜘蛛、さらには無数の海魍魎が群れを成して西なぎさへ迫って来た。
宗像の射撃命令を合図に各員が、ブッシュマスターから激しいマズルフラッシュを上げつつ迎撃行動が開始される。
Mg弾で撃たれた化け物共は体内で弾けた硫化水銀が作用し、内部から爆発するように弾け飛ぶ。大型のカニ入道は宗像のアンチマテリアルライフルの特殊Mg弾により鋏ごと打ち砕かれ苦悶の叫びを発している。
遠距離射撃だけで片が付く相手ではないのは承知していたが、すり抜けた海妖共が次々と浜へ上陸を開始した。
「射撃止め! これより中距離退魔戦闘に移行する。普段のシフト通りに蹴散らせ!」
『了解!』
すーっと息を吐いた宗像は、胸元で指と指を組合すようにある形を結ぶのだった。
伸ばした両の人差し指の先を触れさせ、他の指は絡め合う輪のように印が結ばれていた。
「ナウマクサンマンダ バザラダンカン! 不動明王火炎呪!」
印から発した炎は迫りくる邪妖の群れを一気に焼き払った。邪悪なモノを不動明王の降魔の火炎で焼き尽くす力を、真言によって引き出す退魔法である。
続けて雪乃がブッシュマスターACRで撃ち漏らした邪妖を精確な射撃で撃退していく。
皮の剥がれたウツボのような海妖が内部から弾け飛び、奴らの発する呻きや悲鳴の中に含まれる人を恨む念が強くなってきた。
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