29 滅刀 鬼凛丸
背中から伝わる雪乃の体温が呼び水になったのだろうか。ぼんやりと、糺華の目が開きかけていた。
朦朧とする意識の中で、大好きなパパが戦っている姿が寝ながら見ていたテレビ画面のように視覚へ飛び込んでくる。
なんとなくだけど、雪乃がお父さんって呼ぶのでちょっと子供ぽいから私もお父さんにしようと、それがきっかけだった。
ただ糺華自身は自分を助けてくれたパパが大好きだったし、いつまでもパパでいてほしかった。
その大好きな人が今、凶悪な巨人の途切れることのな苛烈な攻撃で傷つき追い詰められていた。
巨大化した黒眼は全身から衝撃波を発生させ吹き飛ばし、口から消化液を吐き間断のない攻撃を繰り広げている。
奴は雪乃と氷結結界には見向きもせず、宗像だけをターゲットにしている。
そう、明確な殺意の乗った拳が床を砕き、壁を破壊し、騰蛇を左手で掴み床へ叩きつけていた。
『ぐっ! でかぶつのくせにやりやがる!』
十二天将とは安倍晴明が使役したといわれる鬼神たちであり、その中でも騰蛇は特に武勇に優れる肉弾近接系の天将であった。
その騰蛇でさえ外殻に覆われつつある巨人の俊敏さと凄まじい膂力と能力の前に防戦一方である。
宗像一人であったならば、果たして今まで持ったかどうかも怪しいところだ。
「お、おねえ ちゃん……」
微かに漏れた糺華の声が抱きかかえていた雪乃の耳に届いた。
「れ、糺華!? 無事なのねよかった!」
「こ、これをパパに……ごほっごほっ」
左手を雪乃の胸の前に差し出すと、淡く光輝く一振りの古風な脇差が現れる。
さっと手に取った雪乃は、糺華が阿修羅姫になった際に振り回しているあの刀だと察した。
糺華は意識を取り戻したものの、いまだ起き上がれず雪乃の手に触れる。
「パパを、お願い……」
「わ、分かったわ!」
元気の塊がこんなに弱り、それでも父を助けようとする思いに雪乃の体温が上がったような気がした。
氷結結界を一時的に解き、父の姿を視認するも床を殴りつけた際の破片と衝撃波で負傷し頭部や腕、足が切り傷だらけになっている。
かろうじて直撃は避けているが、間接的な負傷の蓄積に胸が張り裂けそうではあった。
善戦していた騰蛇であったが、剣撃の隙に体当たりを喰らい巨人に踏みつけられ苦しそうにもがいていた。
「お父さん!」
巨人が踏みつけている間が残されたチャンスと確信した雪乃が立ち上がり、糺華の脇差を宗像へと投げた。
雪乃の声に反応できた宗像だったが、黒眼はそのチャンスさえも潰そうと騰蛇を無視して踏み込むと、投げられた脇差を拳で打ち砕いてしまう。
「砕いてやったぞ! 阿修羅の武具など渡してたまるかあ!ってあれ?」
目の前で砕いたはずの脇差が氷の破片になって散乱している。
そう、宗像は別方向へと走っていた。
「ま、まさか貴様らあああああ!」
雪乃は両手で印を結びこうマントラを唱えていた。
「オン マリシエイ ソワカ 摩利支天 幻影術」
雪乃の意図を察して逆方向へ飛び脇差を手に取った宗像が刃を抜いた瞬間、その者の資質や性格に合わせて姿を変える破邪の力を備える退魔刀……
ホツレを切り殺した力を持つ破邪と理の力を持つ救世の刃がここに顕現した。
「これが、滅刀 鬼凛丸きりんまる か。まるで正宗を彷彿とさせる美しさだな」
すらりと抜き放たれた神々しいまでの輝きを持つ刃。糺華が持つ際には5mを超える巨大な剣になってしまったが、熟練した剣技を身に着けた宗像の前では美しい刀となったのだ。
互の目乱れ刃 沸の妙味…… まさに正宗を彷彿とさせる刀の使い手として鬼凛丸が宗像を評価したのだろう。
「おのれえええ! たかが剣一本手にした程度で圧倒的不利が覆せると思うなぁああああ! 我こそは、あのラクシャサの力を取り込んだホツレなるぞ!」
『宗像、俺様はそろそろ限界だ。最後に大技使ってあっちに引っ込むからよ、あれやっちまえよ』
騰蛇からの念話が届く。
さすがにやろうとしたことを察してくれて助かる。これ以上ないほどの感謝の念を送ると、騰蛇は照れながらこう叫ぶ。
『このラクシャサごときが、騰蛇様の力を思い知れ!』
全身の炎を金色に燃え盛らせるとラクシャサとなった黒眼の半身を炎で包んでしまう。
これにはさすがの黒眼も悲鳴を上げながら転げまわっていた。騰蛇最後の大火炎、凄まじい霊力を糧に生み出された圧倒的火力は見事としか言いようがなかった。
『楽しかったぜ、糺華をちゃんと守れよな』
騰蛇が消えていくのと同時に、宗像が鬼凛丸を床に刺し、印を結ぶ。
雪乃は宗像が何をしようとしているのか、察した。
「まさか摩利支天 幻影斬を!?」
だが、宗像の真言は異なった。
「オン イダテイタ モコテイタ ソワカ…… 韋駄天 覇迅脚!」
炎を消して宗像に憎しみをぶつけようとした黒眼ラクシャサの目の前から宗像が消えた。
「ど、どこに行きやがったあああああ! くそがあああっごぎゃあああ!」
奴の背中がざっくりと斬られ黒い血液が噴き出した。鋼鉄のような外殻に覆われているのにもかかわらず。
「くそがああああ! ぼけがああああ!」
手当たり次第に周囲を殴りつける黒眼であったが、殴りつけた右手首が消え切断面で床を殴りつけてしまう。
「うぎゃあああああ! て、手がああ!」そのままじりじりと距離を取った黒眼が咆哮と暴虐の言を吐き続けている。
その間も脛や腕、腰などが切り裂かれ黒い血がいたるところから噴き出し続けていた。
天界一の脚の速さを誇るという韋駄天の力をその身に宿し、人智を超えた速度で駆けるという須弥山でのみ習得可能な神技である。
「ど、どこいったああっぐぎゃあああああ!」 足を止めたその瞬間、黒眼ラクシャサの左足が膝上から切り落とされていた。
思わず尻もちをついたラクシャサの叫びはホール全体を揺らしている。
すっと糺華を抱える雪乃の前に現れた宗像は荒い息をしながら、優し目でこう告げるのだった。
「目覚めたか糺華、はぁはぁはぁ……パパが一つだけ阿修羅の剣技を教えてやる、その目でよく見ておくんだぞ」
「パパ……」消え入りそうな声で糺華が囁く。
黒眼ラクシャサはそのような僅かな親子の会話すら許さなかった。這いずりながらもようやく視認した宗像に向け奴が突進をしかけてきた。
だが既に宗像の姿は空中にあった。黒眼の認識速度を上回る速度を持って凌駕したのだ。
鬼凛丸を最上段に構えながら、宗像が己の魂を燃やし阿修羅王のマントラを唱える。
「ナウマクサンマンダ ボダナン ラタンラタト バラン タン! 阿修羅王 日輪斬!」
最上段から日輪の力を刃に込めた一撃が黒眼ラクシャサを文字通り一刀両断に切り裂いた。
聖なる日輪の力が内部へ浸透し、奴の体を崩壊させていく。悲鳴とも崩壊音とも区別のつかぬ咆哮が響き渡る。
そして少年だった頭部の半分が、再生しようと転がって来た残りの半分とくっつき始めている。
「お、おのれぇえええ ゆるさぬ、ゆるさぬぞ むなかたああああ! あしゅらめえええ!」
しわがれた声で叫ぶラクシャサ黒眼の叫びは小さく虚しいまでに弱々しかった。
「くっくっく……こ、この時を待っていたぜ。てめえら黒眼をこの手で……! 天網恢恢疎にして漏らさず! 破邪顕正! 人は人なり、花は華なり! 結べ因果よ! 理に! 結びの法!」
悲鳴をあげて結ばれることを拒否していた黒眼だったが、いたるところから現れた黒い鎖が奴の頭部をぐるぐる巻きにしてからみ取り、そして結び付けていく。
宗像の執念と決意が結実した結びの鎖は頑強であり、容赦しないという意図が見ている雪乃にまで伝わってくる。
「ぎゃああああああああああ!」
「ちっ意外とあっけねえな。もっと苦しめよおい」
「い、嫌だああああ! 力が力がなくなってるぅ! 嫌だよおおおおお! ぐおおおおいてえええ!」
「へぇ、首だけになっても生きてんのか、つーか結ばれた元ホツレのお前は楽に死ぬことができなくなるらしいな、だったら……おもしれえこと考えたぜ」
ざらりとした邪悪な笑みを浮かべた宗像だが、それを雪乃は諫める気などなかった。自分も同じような笑みを浮かべるだろう、復讐を果たそうと誓った者だがけが理解できる陰の自分だ。
雪乃に奴の頭部を凍らせた宗像は、スーツの上着でぐるぐる巻きにしてその頭部を縛り上げた。
「ふぅ……こんなもんかよ。まったくうれしくもなんともねえ、保育園に現れた奴じゃねえからか。だが小さくても大切な一歩だ、これが奴に繋がる道だ!」
そう言いつつも、宗像は糺華の頭を撫で心配そうに励ましていた。
「パパ、これからどうなるの?」
「瘴気が大分晴れたからな、救出用のヘリが来てくれるだろう。糺華を早く治療してやらないと」
「糺華もうちょっとだからね」
「だが本隊は無事なのか、俺たちも脱出を急がないとだな」





