12 梛良除霊事務所
タイトルの 梛良 除霊事務所 の 梛良 は 「なぎら」 と読むそうです。
僅かな金銭と餞別として渡された黒スーツを着込んだ宗像は、精悍な顔つきと抜き身の刃のような目付きと相まってどこか近寄りがたい雰囲気を発していた。
あの穏やかで好青年な保育士時代の面影は、欠片すら纏っていなかった。
それらの迫力を裏打ちしているのは、もはや人間の枠を超えた霊力によるところも大きいだろう。
しかし小角のサイケデリックスーツを餞別としてやる、着ていけ、と言われた時はさすがに焦ったらしい。
ブラックアイは邪妖や邪鬼 魑魅魍魎など妖怪たちの裏にいるという小角からの助言もあり、退魔師として生きて行くという方針は既に固めていた。
だが手持ちの金は10万程度であり、今後の生活を考えれば無駄遣いはできぬばかりか、早急に働き口を探さねばならない。
そして奴を追い詰めるための準備を徹底的に行ってやるという気概に満ちていた。
とぼとぼと思案しながら歩いていた時分、雑居ビルの二階窓に ” 梛良除霊事務所 相談随時受付中 霊能者募集中 ”の手書き張り紙が目に入った。
霊能者か、たしかに須弥山での血反吐を吐くような修行の末、街中に漂う霊やその声が分かるようにはなっていた。
修行過程で霊能力は身についているが、得意分野は除霊浄霊ではなく妖怪化け物退治の荒事がメインになるだろう。 よし、面接で落とされるのも経験だ。
次に繋がる売り文句を調べるのもいいだろうと、腹をくくり飛び込みで事務所を訪れた。
そこはこじんまりとして整理整頓掃除の行き届いた事務所だった。ドアを入ってすぐ応接用のソファーがあり、古びた水墨画が壁にかけられ奇妙な置物や人形がガラス棚に納められていた。
除霊済の古美術品といったところだろうか? 邪念は感じられない。
「いらっしゃい――おっと依頼ではないようだね」
50代前半の人の好さそうな白髪が目立ち始めた小太りの男性で、この人が所長で間違いないだろう。
「突然お邪魔してすいません、あの霊能者募集中の張り紙を見たので、空きがあれば雇ってもらえないでしょうか?」
「おやおや、いきなり売り込むとは度胸があってよいね。まあかけなさい、少し話を聞きましょう」
須弥山での話は他言無用ということで念を押されている。そこで仇の妖怪を探す旅をしている、という話でごまかしておいた。
いやごまかしじゃない、嘘ではないんだ。
「君の放つ霊力はその、とても鋭利な刀みたいに見えるね。だが別の霊力波はとても悲しみに満ちている」
足掛かりになるのであればという思いと、除霊浄霊系の技術だけは学べなかったので(天上界に迷うような霊はいなかったため)経験を積んでみたかった。
梛良所長は宗像を勢いと思いつきだけという、いかにも霊能者らしい決断で雇い入れてくれた。
実はこの業界ではかなり有名な人物らしい。
古代陰陽寮を起源とし、国家を邪悪な妖怪や鬼たちから守ってきた組織が、明治期そして終戦後の混乱を経て再編されたのが霊異庁である。
内閣府直属の特殊官庁として機密扱いであったが、昨今の悪霊や妖怪魑魅魍魎の類の出現増加と被害拡大に伴い政府が公表したのが5年前。
梛良除霊事務所のような零細霊能事業主でさえ、霊異庁への登録が義務付けられた。
だが梛良は地域では評判の霊能者で、多くの住民たちから慕われる実力者でもあったのだ。
飛び込みとはいえ、宗像は良いところへ来たものだと実感している。
除霊案件には付いていき、霊との対話などについての駆け引きを大いに学んだ。印象としては映画やドラマなどで見かけるネゴシエーターのようだと感心した。
時に優しく語り宥め、時には怒鳴りつけるというタイミングが絶妙で、一気に霊たちは素直になっていく。
これは魔法だとさえ思えるほどだ。
長年蓄積した経験や、梛良の人格などから醸し出される安心感が霊にも伝わるのだろう。
逆に妖怪祓いは、極々簡単な小妖怪を追い払うぐらいしか対応できなかったので、いわゆる荒事を率先して請け負った。
梛良敬一郎という人物の好意によって、宗像は登録退魔師としての評価をあげていくことになる。
家柄と生まれもった霊的資質が全てと言っても良いこの業界において、無名の新人が実力のみで評価を上げるというケースは稀だ。
というより無いに等しい。
霊異庁は外部への透明性を担保するためにという理由で、登録退魔師のランク付けを行っている。
紆余曲折の末に基準の単位は 特等~5等 のランク表記ということが決定。
無名の宗像の場合、この5等ランクへ判定してもらうだけで1年を要した。 それからは数多くの邪妖退治を積み重ね、4等ランクにまで上り詰めることになる。
このランクになってくると、事務所を通してではなく個別に頼みたいと依頼が来たりもしたが、宗像は必ず梛良除霊事務所を通させた。
梛良所長の奥さんがまた人間の出来た人で、事務処理関連を引き受けているが、安アパートで暮らす宗像のために毎日のように旦那である所長の分と一緒に弁当を作って来てくれるのだ。
しかもかなりおいしい。宗像の抱えている何かを察しても決して詮索することなく、息子が独立し出て行ったため替わりという訳ではないがやたら世話を焼いてくれるのがありがたい。
こうして宗像は梛良夫妻のご厚意に助けられながら、もう少しで独立資金がなんとかなりそうという段階になっていた。
「征ちゃん、なんだか霊異庁のふうま局? ってところからお電話よ、頼みたいことがあるんですって」
新たな呪符を墨で書き終えた宗像を梛良所長の奥さんが呼んでいる。
「霊異庁ですか?」
「ですって」
霊異庁封魔局という、邪妖や鬼などの結界拘束や汚染地帯の封印処理、結界構築を担う部署が宗像へ直接連絡とはどういうことだろう。
担当者はどうやら上からの命令を伝えているだけのようでひどく不愛想だった。
『明日10時に18階の封魔局オフィスへ出頭しろ』
「こちらにも用事があるんだが?」
『封魔局 猪鹿倉 副局長からの命令だ。貴様のような退魔師モドキに拒否する権利はない。もし断ればその事務所の認可がどうなるか、足りない脳みそで良く考えろ』
ここで一方的に電話を切られた。
「まったく霊異庁って、昭和の親方日の丸みたいな特権意識の塊で腹立っちゃうわよね」
「いやぁ退魔師登録の時もひどかったです。俺なんて何の修行証明書もないもんですからね、ゴミ扱いでしたよ」
「それでどうなったんだい?」
「明日の10時に封魔局 副局長が待っているから出頭ってことらしいですが」
「ふむふむ、なんとなくだがそれ行くべきだね。仕事入ってるなら断ってでも行くべきだ」
梛良がこう発言する時は大抵、いや必ず幸運もしくは避けられぬ難解な依頼が舞い込んだりする。
予知や予言的センスに恵まれなかった宗像は、素直に出頭することにした。
少々のことでは苛立たないよう奥さんから受けた助言を胸に。