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阿修羅姫 まかり通る  作者: 鈴片ひかり
第二章 慟哭の日
10/45

10 血の慟哭

 都築先輩がお昼寝部屋の電気を消した征士に声をかけてきた。


「ねえ保育園の周囲にね、ゴミがばらまかれてるって近所の人が心配して連絡してくれたの。悪いんだけど私お昼寝の付き添いなんで、征士君外の清掃お願いできないかしら? 連絡帳3人分引き受けるからさ」


「大丈夫ですよ、すぐに清掃してきますね」


「いつもありがとう」


 都築真由子の木漏れ日のような笑顔が、征士のやる気を背中を押してくれる。


 ゴミ袋とほうき、ちりとり、そして念のために火バサミを用意し、保育園の周囲を調べていると裏庭の金網周辺に犬が食い散らかしたような生ごみが10mに渡ってまき散らされている。


「こりゃひどいな」


 臭気に顔をしかめつつも、近隣の住民にも迷惑がかかると思い、急ぎ清掃作業に取り掛かった。


 赤ちゃんのオムツ替えも行うようになっていたが、さすがにこの暑さで生ごみ清掃は精神にくるものだと、真由子の申し出に甘えてしまおうかという誘惑がよぎってくる。


 何か物音が聞こえたような気がしていたが、臭いが原因でネズミがきたり野良犬が近づいては大変だと徹底的に清掃に取り組んだ征士の生真面目さが……


 運命の分かれ道だとは気づくはずもなかった。



 散乱したゴミの清掃を終え手指の消毒を済ませた所で、征士の首筋を猛烈な悪寒が通り過ぎた。


「!?」


 おかしいのに、何がおかしいのか理解できない。何もないと思える感覚と、すぐに何か行動しなければという焦燥がこみ上げる。


 本能的にお昼寝部屋に戻ろうとして、何かに滑りしたたかに頭を打ってしまう。


「いてぇ……え?」


 頭を打ち何気なく見た手が血にまみれていた。


 猛烈な認識力の波が脳髄をかき回す感覚に吐き気がこみあげてくる。


「くっ! みんな、都築先輩!?」


 拡散する意識を繋ぎ止め、その原因すら分からぬままに征士は子供たちの元へ向かう。


 遮光用のカーテンを捲ったお昼寝部屋は、割れた窓ガラスと破れたカーテンから差し込む午後の日差しと鮮血で染め上げられていた。



 30人以上いた園児たちが、何か得体のしれないモノたちに食い千切られていた。奴らのくちゃくちゃという咀嚼音が征士の精神をも噛み千切っていく。


 蟲の体に無数の目がぎょろぎょろと蠢く大型犬のような頭が、年中さんの女児を丸呑みにしているところだった。


 ムカデの体をした鳥頭が、体が引き裂かれた保育士の内臓をついばんでいる。


「うわああああああ!!!」


 怒りと混乱の整理もつかぬまま近場にあったオルガンの椅子で犬蟲に殴りかかったが、背後からの衝撃で血と臓物がまき散らされた床に叩きつけられてしまう。



『おやおや、我らを認識しているとはこれまた特異な人間もいたものだ』


「ぐっ! れなちゃん! かずくん! まいちゃん! みゆちゃん!? みんなぁ!! どこだよ!? 都築先輩! 先輩!!」


『興味深い。そうそう君が探している先輩とはこの肉塊のことかな?』


 どこにでもいそうなスーツ姿の男だった。何故か存在がぼやけている気がする……


 日本人風の中肉中背の20代前半、そして目が全て黒目の男が口角を引き上げ無機質な笑みを浮かべている。


「? せ、先輩!? 真由子さん?! うそだ、そんな! うああああああああああ!」


 奴の手には上半身だけになり、目をくり抜かれ変わり果てた姿になった都築真由子の食いかけの死体があった。首元を離し、血の海に転がった

 真由子の漆黒の眼窩がまるで征士をにらみつけているかのようであった。


「せ、せん……がっ! くそがああ! よくもよくも子供たちを! 先輩を!!」


『みたか棄獣共、これは我らを認識しただけではなく、敵意を向けるなどという奇跡を演じてみせたぞ。まあ十分に絶望と可能性を回収しただろうから適当に殺しておくか』


 黒目の男が軽く手を払うと、黒い棘が征士の胸や腹へと突き刺さった。


 吹き飛ばされ壁に縫い付けられる形になりながらも征士は手を伸ばし、告白し正式に付き合うのをじれったくも楽しんでいた、愛しき都築真由子の亡骸と、大切な大切な子供たちの変わり果てた姿をその血涙と共に脳裏に刻み付けていた。


 獣に近い咆哮ほうこう足掻あがきで抜け出そうとするも、もがくたびに溢れ出る血と激痛による叫び。爆発する怒りに痛みを感じていたことすら忘れた征士は、傷口が裂け筋繊維がブチブチと断裂しながらも手を伸ばす。


 だが奴らはそんな征士を意に会するでもなく、忽然と姿を消したのだ。


 そこに残されていたのは、壁に縫い付けられ血涙を流しながら絶叫する征士と、血と臓物に満たされたお昼寝布団が散乱するフローリングルームであった。


 ◆


 あれから一週間後、保育園の園児及び保育士が惨殺されるという事件にも関わらず警察は事故として処理し、保護者達が何かを騒ぎ立てることもなかった。


 我が子の死亡届を淡々と提出し、まるで何事もなかったかのように過ごし始める遺族と、疑問に思うこともない周囲の人間たち。


 メディアに取り上げられることもなく、ただ保育園児35名と一人を除いた保育士の死亡がデータとして残っただけである。


 誰も疑問に思わず、近隣住民でさえそのような処理がなされたという関心すらもたず、全てが紙面上のデータとして流れていくのみ。


 一人だけ救急搬送された宗像征士は、己だけが助かってしまったことと、皆を救えなかったという罪の意識もあったのか一週間ほど生死の境をさ迷っていた。


 病院側の記録では、胸部及び腹部へ鉄筋が突き刺さった自損事故の患者として入院していたのだ。


 征士は回復後、すぐ事件の情報を探し始めるが、まったくもって影も形も報道された形跡もない。


 世界が自分一人を除いてあの事件に関心を持つことを放棄したようにしか思えず、しかも記録を見つけることすらできずにいた。


 ようやく辿り着いたのが救急車の搬送記録と、遺族たちが淡々と死亡届を役所に提出した記録を見るのみである。

 誰に聞いてもおかしいとさえ思わない。


 征士は混乱した。


 自分がおかしくなってしまったのか。


 仇を討とうにも、遺族に謝罪しようにも皆悲しみすら感じていない。


 都築真由子への思いも、園児たちの味わった絶望と痛みも全て自分の中の妄想でなかったのか?


 その結論こそが最も合理的であるのではないか。


 約半年が過ぎた頃だ。


「そうか自分は狂っていたのか」


 そう思うことに征士は決めようとした。思い込もうとした。そうであったならどれだけましだろう。


 真由子のの艶のあるぽったりとした唇に思いを馳せ重ねた思い。


 あの腕で抱きしめられたいと、自分に微笑んでくれたら……とあのぬくもりに心が溶けたあの夜。


 子供たちと遊ぶ至福の時間。今まで大人しく距離を取っていた子が徐々に自分に慣れていき、いつの間にか後ろから抱き着いてくれたときの幸福感。


 連絡帳に家では先生のことを一杯話してくれるという書き込みに涙した日。


 絶対にあの子たちを守るんだ。


 池田小のような犯人が来たら自分は盾になって守ろう、その覚悟がなけれいけないと。



 そう思っていたはずなのに、守れなかった。何もできず、こんなのは夢だ。妄想だ!


 狂人と罵ってくれ! それで妄想になるのであれば、何なら代わりに僕を殺してくれ!


 あんなのが、あのような現場が現実なはずがない。


 狂ってしまえたらどれだけ楽なのだろう。


 でも胸の奥で湧き続ける獰猛な復讐の念と、鮮血に恋焦がれる抜き身の魂が震える。


 それがあれを呼び出したのだろうか? 呼びつけたのだろうか?



「お前さんは素質がある。しかも保育園が閉園で天涯孤独ときたもんだ、失踪したところで困る奴はいないだろう。俺と来い」



 黒いコートを着た40代の男が、検査入院をしていた征士の腕を取る。刃物のような鋭い目と雰囲気は、今まで出会ったことのない人種に思えた。


「あんたは……?」


「ブラックアイ」


「……!? え!? なんで…… なんでお前が知っている!」


 乱暴に掴みかかる征士の首を掴むと、そのまま病室の壁へと容赦なく叩きつけた。


「ごはっ!」


「よく聞け小僧。復讐したいか? あの黒目だけの男を八つ裂きにしてやりたいか?」


「あ、あたりまえだ!」




「後悔したければ共に来い、絶望したければついてこい。だが悔恨の念にのたうち回りたかったらここで朽ち果てろ。希望とやらを自己弁護と他者否定に費やしたいのであればここで丸まっていろ」




「連れていけ。復讐をぉ……果たせるのならば!! どんなことだってしてやる!」


 強すぎる復讐の念が、黒い鎖のように宗像征士の全身に絡みついていた。


「いいだろう。せいぜい後悔の炎で己の身を焼くがいい。だが何もせず朽ち果てる苦しみに比べたら数兆倍ましってことだけは保証してやろう」


 さきほどまで死んだ魚の目をした青年の目に復讐の炎が宿っていた。既に冷め切った炉の中で消えずにくすぶっていた火種を見つけたのだ。


「あんたの名は?」


釼康平つるぎ こうへい……これから貴様を連れていくのはこの世ではなくあの世でもない。抵抗するなら最後のチャンスだが」


「ブラックアイ……!この言葉を知っているならば食らいつくまでだ! 引き剥がそうとしても血肉を喰らい噛み千切るつもりだから覚悟しろ!」


「くくくく……せいぜい俺の血肉で食あたりしないようにするんだな」


 釼が征士の体に奇妙な呪符を貼りつけたところ、一瞬で意識が吹き飛んでしまった。




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