第3話:最強魔王、治療する
森を抜けると、目指していた村――ピリーラ村に到着した。
村は木製の塀で囲まれているが、入り口に門番らしい影はなかった。
「この世界の村は不用心なのか?」
「そういうわけではないはずなんですが……どうしたんでしょうか」
リーシアは教会から近いこの村には何度も出入りしていた。
勇者パーティは世界を転々としていて、数か月はこの森の中にある教会を拠点にしている。食料の調達や情報の取得のために、リーシアはお使いを担当していた。……回復の勇者だから誰でもできる仕事を任されたという側面もあったのだが、彼女も村へのお使いを嫌っていなかった。
何度も訪れていただけに、少し違和感を覚えたのだ。
二人は無人の門をくぐり、村の中に入っていく。村の中はさらに様子がおかしかった。
「人がいない……だと?」
ギルスは人を求めて村を目指していたのだ。村に入ればたくさんの人がいて賑わっているだろうと期待していた。
「こ、こんなはずありません……!」
リーシアは震えていた。
何度も訪れたことのあるこの村は、彼女の記憶にある景色と大きく違っていた。
小さな子どもがたくさん遊んでいて、商店もそれなりに賑わっているような暖かい村だったと記憶してる。
しかし、商店の建物自体はそのままに、そこは閑散としていた。
村が――まだ入り口しか見ていないが――生気を失っている。
「リーシアが最後にここに来たのはいつだ?」
「十日前です……」
「そうか」
十日の間にこの村に何かがあった、ということしかわからない。
「と、とにかく役場に向かいましょう!」
リーシアはそう言うと、役場の方に駆け出す。
急ぐ彼女の肩を、ギルスの手が引いた。
「落ち着け、一人もいないわけではない」
「え……?」
「よく目を凝らしてみろ、井戸の方に子どもがいる。まずは話を聞いてみようではないか」
リーシアが井戸の方向を確認すると、確かに少女が水を汲んでいた。
栄養上状態が悪そうで、頬はこけ、痩せている。
歳は十二くらいで、ショートヘアーの気の弱そうな女の子だ。
「貴様……そこの水を汲んでいる貴様だ。尋ねたいことがあるのだが」
「……ひ、ひっ!」
ギルスの呼びかけに、少女は恐怖を露わにする。脅かしたつもりはなかったのだが、畏怖させてしまったようだ。ガチムチというほどではないが、鍛えられた肉体に、百八十はある高身長の男性に話しかけられれば相手が魔王でなくても怖がらせてしまうのは仕方がないことだろう。
「ギルス様、私が代わってお尋ねします。……初めまして、私は旅の者なんだけど、この村に何かあったのかな?」
リーシアはギルスに代わって少女に優しい口調で問いかける。
元勇者であることは隠すことにした。
「みんな病気になってしまって……。それで家で寝ています。何日経っても治りません……」
必死に少女は説明する。少し涙ぐんでいた。
「そうなの。病気の原因はわかるかな……?」
「わからないです。お医者様もわからないって……」
リーシアは途方に暮れた。
原因が分からない病気で村人が外を歩けないほどに衰弱している。……回復魔法が使える彼女であっても、医療技能は専門家に及ばない。
「原因はこの水だな」
リーシアの後ろから少女の汲み上げた水。バケツいっぱいに溜まった水を眺めながらギルスは指摘する。
「ギルス様、原因が水とは……どういうことでしょうか?」
「この水には魔素が含まれている。……魔力の原料となる成分だ。魔素は普通、体内で合成されてできるものだが、自然界にも存在する。魔素は魔法師(=魔法使い)が取り入れる分には問題ないが、魔法を使えない者にとっては有害でしかない」
「で、でも……じゃあこの子はどうして……」
混乱していたリーシアは意味不明な質問をしてしまう。
「その子が潜在的に魔法を使える可能性――才能を秘めているという事だ。魔法師というのは常に魔力を発散させながら生きている。水に魔素が含まれていたとしても排出できれば何の問題もない」
リーシアはギルスの説明を聞くことで、やっと冷静さを取り戻した。
「魔法を使えない人が魔素を取り込んだ場合……治療する方法はあるのでしょうか?」
「もちろんある。いたって単純なことだがな」
◇
ギルスとリーシア、少女の三人は村長宅に向かった。
治療に関しては優先順位というものがある。まず始めに村長を治療することで指揮系統を復活させることが最重要だ。
……という事情も少なからずあるが、少女が村長の娘だからというのがその理由だ。いきなり見ず知らずの村人の家に押し掛けることはさすがに躊躇した。
「エリカです。お父さん、入ります」
少女の名前はエリカというらしい。
エリカが村長である父の寝室に入る。その後にギルスとリーシアが続いた。
「お父さん、旅人の方がお薬を持ってきてくれました。飲んでください」
「薬……?」
エリカはコップに入った水を村長に手渡す。
「これは本当に効くのですか?」
村長は怪しんでいるようだった。無理もない。旅人が無償で提供するなどという虫の良い話を信じてしまう方が長として問題がある。
「すぐに効くということはないが、一日も経てば楽になるはずだ。心配しなくても毒は入っていない。むし毒を取り除いているのだからな」
「ふむ……」
「お父さん、お願い。このままじゃ良くならないと思うし……」
「私からもお願いします。村長様」
エリカとリーシアが説得に加わる。
「あなたは確か勇者パーティの……」
「『回復の勇者』リーシア・シュディットです。……元ですが」
「そうか……リーシア様か……それならば信じてみよう」
村長はエリカとリーシアの説得の甲斐があり、薬を飲み干した。
「お父さん、ここに薬を置いておくので、喉が渇いたらこの薬を飲んでくださいね」
エリカは村長の隣にバケツいっぱいの薬を置いた。
◇
「し、信じられない……本当に元気になってしまった」
村長は次の日にはすっかり回復していた。
エリカの申し出により村長宅でギルスとリーシアは一泊していた。
すっかり回復した様子を確認したギルスは無表情で、リーシアはほっと胸を撫でおろした。
「ギルス殿、リーシア様……本当にありがとうございました。いやはやもう生きるのは無理だと諦めていましたから……」
「元気になられて本当に良かったです」
リーシアが答えた。
「お願いばかりで恐縮なのですが、もしよろしければあの薬の作り方を教えていただけませんでしょうか……他の村人も元気にしてやりたいのです」
「『作り方』……と言われてもな。そんなものはない。あれはただの水だ」
「み、水!? ……それはどういうことでしょうか?」
「井戸水には魔素が含まれていた。火魔法で井戸水を蒸留し、水と魔素とを分離したにすぎない。今後は川から水を引っ張ってくると良いだろう。少しずつ尿とともに魔素は排出され、体調はいずれ良くなる」
「そうですか……しかしなぜ井戸水に魔素が……」
「さあな。ただ井戸水が魔素水化してしまったケースを俺は他に見たことがある。その時は……新しいダンジョンができる兆候だったと記憶している」
この場のギルス以外の三人が凍り付いた。
ダンジョンというのは、魔力の集まる場所に自然発生的にできる魔物の巣窟である。ギルスは知らないが、ダンジョンのもたらした人類への被害は大きい。
そんなものが新しく発生するとなれば、大変なことである。
「ギルス様……それは確かなのですか?」
リーシアは確かめられずにはいられなかった。
「そんなものは知らん。たまたまかもしれないし、必然だったのかもしれない。俺が知っているのはそれだけだ」