第1話:最強魔王、追放少女を助ける
教会の外に出ると、森の中だった。深い森というわけではなく、近くには木製の塀で囲まれた村も見える。
空には厚い雲がかかっていて、天気はあまり良くない。もう少ししたら雨でも降りそうな空模様だ。
教会は森の中に存在していたらしい。それほど大きくない建物の前には半裸の女神の石造が構えている。
ギルスは教会を一瞥してから歩き始める。
まず目指すべきは周辺の村と決めていた。なにも知らない場所では情報収集が大事なのだと決めていたからだ。しかしなぜ情報収集が大事なのかについての明確な根拠を自覚しているわけではない。
無意識、あるいは直感での判断だった。
「キーキーキーキー!」
ギルスの目の前からなにかの鳴き声がした。
その正体は青いスライムだった。
「そこをどけ」
「キーキーキーキ!」
「まさか……喋れないのか……?」
このスライムにギルスの言葉を理解している様子はなかった。ただギルスを敵と認識し、攻撃しようとしていた。
ギルスの統治していた世界では、言葉を話せないような低級の魔物はとうの昔に自然淘汰されていた。それだけにあまりにも知能の低い魔物を目の前にして面食らってしまう。
「……愚かな貴様に力の差というものを教えてやろう」
ギルスはその場から動かず、ただ両目を閉じる。
それから左目だけを開け、スライムに睨みを効かせる。
【眼力】という能力だ。【眼力】の能力の一つである【威圧】、これを受けた対象は本能的恐怖を覚え、たちまちに逃げ出してしまう。
たとえ理性の無い低級の魔物でも【威圧】から逃れることはできない。
「……キーキキ!」
スライムはギルスの視線を浴びると、たちまち震え上がり、逃げ出した。
ギルスは無礼を働こうとも、無用に同胞を殺す趣味はない。愚か者がいれば力の差を見せつけてやれば良いのだ。
魔物が現れるたびに睨みを効かせながら追い払い、村を目指して森を移動していく。
またスライムが現れたので少し脅かしてやると、逃げ出した。
逃げ出した後には奇妙なアイテムが落ちていた。
杖である。杖と言っても腰の曲がった老人のためのものではなく、人間の魔法使いが持つ種類のものだ。
その先には人間の少女がお腹を押さえて倒れている。この杖の持ち主はこの少女に違いないとギルスは推理した。
歳はおそらく十五歳くらい。長い金髪が泥にまみれてしまっている。華奢な肢体だが、少し痩せすぎている。
脈拍と呼吸を確かめると、死んではいないようだった。
怪我をしたような様子はなく、あえて言えば足に少し異常があるくらいのものだ。
「貴様、なぜそこに倒れている」
ギルスは少女を起こすことにした。
放っておいても良かったのだが、何か情報を得られるかもしれないと判断したのだ。
少女は目を覚ますと、ぼうっとした蒼い瞳をギルスに向ける。
「あれ……えっと、旅人様ですか……?」
「少し惜しいが違うな。俺は魔王だ」
「冗談がお上手ですね……」
冗談ではないのだが、否定するのも面倒なのでギルスはスルーを選択する。
「そんなことよりもどうしてこんなところに倒れているのか答えよ」
「お腹が減って……力が出ないんです」
――ふむ、それは見ればわかるのだがな。どうしてこんなところに行き倒れているのか聞きたかったのだが、後にするか。
ギルスは【異空間収納庫】からパンと水の入った瓶を取り出す。
【異空間収納庫】は自身の魔力限界値が減ってしまう代わりに、どんな形状、性質のものでも物体として存在する限り収納が可能な魔法である。
この中に入れたアイテムは劣化することがない。ギルスは常時一年分の食糧を持ち歩いていた。
「まずはこれを食べろ。話はそれからだ」
少女は目をパアっと輝かせ、
「あ、ありがとうございます!」
少女はパクパクとパンをかじる。かなり衰弱していたようで水がないと喉に通すのも苦労しているようだ。
「こんなに美味しいパンを食べたのは初めてです……行き倒れの私なんかのためにこんなに高価なものを……良かったのですか?」
「これが……高価なものだと?」
ギルスが持ってきたパンは専属の料理人が作るような高品質のものではない。とにかく大量に買い込むため庶民魔族が食べるようなパンを揃えていた。ごく一般的な金額のものだし、これ以上品質の悪いものを探す方が難しい。
「白パンはやわらかくてとても美味しいのですが、庶民にはなかなか手が出ません。……私も白パンを食べたのは久しぶりで……普段は安い黒パンを食べていたんです」
「黒パンもなかなか良いのだがな。……気に入ったのならなによりだ」
ギルスの統治していた世界では、むしろ黒パンの方が値段が高かった。
白パンは小麦を原材料に使うのに対し、黒パンはライ麦を使う。白パンが主流なので、ライ麦の生産量が少なくなり、逆転現象が起こっていた。
黒パンも食べ方によっては美味しく食べられるので、それなりに愛好家もいたものだった。
「ご馳走様でした!」
少女は食後に両手を合わせて唱えた。
「奇妙な儀式をするのだな」
「あ……なんか癖なんです。変だって言われるんですけどなんか直らなくって」
「気にする必要はない。誰にも癖の一つや二つはあるからな」
ギルスは気を悪くすることなく答えた。
むしろ、この儀式にどこか懐かしさを覚えた。なんとなく心地よいフレーズだった。
「あ、申し遅れました! 私はリーシア・シュディットといいます。助けていただき、ありがとうございます!」
「気にすることはない。たまたま通りかかっただけだからな。……俺はギルス・アイズベル。異世界の魔王である」
「ハハ……やっぱりギルス様は冗談がお上手ですね」
リーシアは苦笑いを浮かべた。
「あ、そういえば杖は……」
「これか?」
ギルスはさっき回収した杖を突き出す。
「それです! ずっと手に持っていたはずなのに……」
「さっきスライムを脅かしたら落としていったからな。持ち去ろうとしていたのだろう」
「そうでしたか……良かった」
「そんなに大事なものなのか?」
「私、これがないと歩けないんです」
リーシアは杖を地面に突き刺すと、よろよろと立ち上がった。
魔法の杖本来の使い方ではない。これでは腰を悪くした老人の使い方だ。
「ちょっと足を悪くしちゃって……これがないと歩けないんですよ」
「見たところ足に異常はないように見えるがな」
「凄いですね……そこまでわかるんですか」
「さっき少し見させてもらったが、呪いがかかっているようだな」
ギルスの【眼力】の二つ目の能力【情報走査】。身体内部の情報を目視できる。病気や怪我があれば隠すことは不可能だ。
「私、一週間まで勇者パーティに所属していたんです。『回復の勇者』だったんですけど、魔族との戦いで呪いがかかってしまって、それで追い出されてしまったんです」
ギルスは勇者と聞いて三人の顔を思い出す。
「教会から杖をついてここまで来たということか」
「教会をご存じなんですか!?」
「ご存じもなにも、俺はなぜか知らぬが勇者として召喚されたのだからな」
「……そうだったんですか。で、でもどうして今ここに!?」
「常識試験とやらに不合格になってしまったのだ。だから俺も追い出された身だな」
リーシアは口をぽかーんと開けてギルスを二度見する。
「しかしリーシアよ、勇者パーティとは酷いものだな。足を満足に使えない者を森の中に放り出すとは」
「もともと私は足手纏いでしたから……」
「足手纏い? なぜだ?」
回復魔法の使い手はそう多くない。魔王を相手にするのが冗談でなければ、大事にすべき存在である。
「回復はポーションを使うことでも代替できるんです。勇者は八人と人数が決まっています。私を追い出して他の……もっと強い勇者が欲しかったのだと思います」
「ふむ、しかしそれなら森に追い出すなど回りくどいことをしなくても殺せば良かったのではないか? 勇者はなぜそうしなかった?」
「多分……三人ほどの勇者が反対したんです。ミケルとフェデリカ……それとアムニスの三人だと思います。召喚班はあの三人なのでお会いしたことはあるのではないかと」
ギルスもミケルという名前には聞き覚えがあった。黒髪の優男である。
「他の四人は?」
「なんとしても私にいなくなってほしいというのがヒシヒシと伝わってきました。……最終的に双方が譲歩して追放という形になったんだと思います」
『追放』と言っても足が悪い少女を一人で森の中に追い出すなど、殺すのと同義である。ギルスがたまたま来なければこのまま死んでいただろう。
「貴様……リーシア、勇者たちを恨んではいないのか?」
リーシアは諦めたように溜息をついて、
「恨んでいないと言えば嘘になります。……でも、どうにもなりません」
「勇者を殺したいとは思わないのか?」
「……勇者が死ねば大変なことになります。魔王と対抗できるのは勇者しかいませんから……」
――ふむ、勇者は殺してはいけないのか。
「では、死ぬほど苦しい思いをさせるというのはどうだ?」
リーシアは首を傾げる。
「どうしてそんなこと聞くのですか?」
「俺は正直な気持ちを聞きたいだけだ」
ギルスに答えになっていない答えを返す。
「……私は聖人君子ではありません。それが可能なら……一矢報いたい……です」
リーシアは拳を握りしめて震える。己の無力さを嘆くように。
「リーシアの気持ちはわかった。……俺が貴様に変わって恨みを晴らしてやろう」