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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
2nd Story フェイト・オブ・ジ・イノセンス・ギア
95/130

2-59 PM19:31/簒奪の勝機①

 本当に、多くの犠牲を払い続けてしまった。


 いまや、ただ一つの骨片と成り果てた女サイボーグは、奇跡の少女の手を引いて、ギュスターヴ邸の裏手へ向けて走り続けていた。パンクの状況が気がかりなのは確かだったが、ヴォイドが末期の際に放った一言が、女の背中を押していた。


 アトラスとの苛烈な戦闘に終止符が打たれてから、ものの数分と経過していない。その間に何度、後ろを振り返りたい思いに駆られたことか。それでもアンジーは走り続け、敷地境界線を意味するフェンスの向こう側に佇むそれを、ついに目線の先に捉えた。


「あった……!」


 熾烈な競争の末に、ようやくゴールテープを視界に収めたマラソン選手のような気分で、アンジーは口にした。


 巨大なHマークが刻まれたコンクリートの地面。その周囲を、結界のように真四角に取り囲む夜間標識灯の煌々とした赤に照らされて、青と白を基調とする民間用のヘリコプターが一機、眠れる飛竜の如く佇んでいる。尾翼の部分には「M-23」と黒字で刻印されている。市警や一部の民間人へ向けての航空機チャーター事業を展開している、ナインズクラフト社の旧式モデルであることの証だ。


「(武装の類はゼロ……か)」


 思わず舌打ち。目視で確認する限りでは市警のそれと異なり、機銃は積んでいないようだった。仮に地上からの遠距離攻撃でも食らった日にはパイロットごとオシャカになる可能性は極めて高いが、背に腹は代えられない。


 離着陸時の障害になるのを防ぐためか、林立する木々の密度は庭園側の景観と比較すると幾分か薄い。おかげでフェンス越しとはいえ、ヘリポートの全景を把握するのに時間はかからなかった。


 中央に臥竜の如く佇むヘリコプター。その左手、かなり離れた所には、三角屋根の横長な格納庫がある。オーウェルが掴んだ情報によれば三機のヘリコプターがあるという話だったから、残りの二機はあの格納庫の中なのだろう。


「私が先に行くから、あなたはここで待っていてちょうだい」


 娘に言いつける母親のような態度でニコラにそう言い残すと、アンジーは汗で滲んだ手でフェンスを掴み、足をかけ、ひょいひょいと登って、さっさと向こう側へ飛び降りた。そうして改めて、五十メートルほど先にあるヘリの姿を確認しているとき、急にめまいのような感覚に襲われた。


 異質な雰囲気を肌で感じ取ったのは、屋敷と同等かそれ以上の敷地面積を誇っているにも関わらず、ヘリポート内に満ちる濃密な息苦しさのせいだった。


 まるで、異界に一歩、足を踏み入れたような違和感。


 警戒心を剥き出しに、標識灯が放つ赤光を頼りに周囲を観察する。だが心配とは裏腹に、どこにも人の影らしきものは見当たらない。


「……いいわよ。早くこっちに」


 視線を前方へ投げたまま、後ろに組んだ手のジェスチャーでニコラへ合図を送る。


 いい、とは口にしたものの、気を緩めたわけではない。重苦しい空気感は払拭されることなく、そこらじゅうに滞留している。


 息を潜める。聞こえるのは、ささくれ立つ心を嘲笑うかのように吹き付ける冷え切った風と、フェンスを鳴らすニコラの足音のみだ。


 嫌な緊張感。額に汗が滲む。


 アンジーは、ごくりと唾を飲み込んだ。それから、敵の残存勢力について考え始めた。


 鉄橋での一件を回想する。あのペストマスクを被っていた気狂い女を仕留めた感覚はある。髄網(ネスト)を汚染したくそったれの電脳小娘も、この手で止めを刺した。そして、あの巨漢の鎧武者すらも倒した。


 鉄橋での襲撃に参加していた敵の総数は、記憶にある限り八人。つまり残り五人が、このヘリポートに結集しつつあるというのなら、ぐずぐずなどしていられない。この世の者とは思えないあの怪人たちを、五人も相手取れるだけの力があると自惚れるだけの鈍感さは、アンジーには備わっていなかった。


 だが、注意すべきは奴らだけではない。あの諜報局の人間と話していた際に、屋敷の真上で奇怪な雄叫びを上げていた謎の存在。パンクの話によればリガンドを殺した下手人だというが、それが鬼血人(ヴァンパイア)なのかどうかも、今は判別がつかない。


 不確定要素はできる限り取り除かなければならない。だが辺りを確認している限りでは、それらしい姿はどこにも見当たらない……心臓が早鐘を打ち始めるのを、いやでも自覚せざるを得なかった。


 鉛のような不安感が、つま先からじわじわとせり上がってくるかのようだった。それでもアンジーは気を張って被りを振ると、気持ちを前へ前へと切り替えようと務めた。


 ゴールは目の前だ。ここまで来たら、あとはヘリを奪って、少女を連れて……


「ちょっと! いつまで手間取っているのよ」


 振り返って眉根を寄せ、苛立ちを隠そうともせず二コラを詰る。


「だ、だってこれ、登りにくいんですもん」


 靴のつま先が、フェンスの穴になかなか引っかからないのか。ニコラは、ちょうど大人の平均身長と同じくらいの高さがあるフェンスの真ん中あたりで、ばたばた足を動かして悪戦苦闘していた。


「そんな分厚い冬靴を履いているからでしょ……」


 状況が状況なだけに、アンジーの口調には刺々しさがあった。だが苛立ちをぶつけられても、この異様な戦渦を生み出した張本人たる奇跡の少女の口ぶりには、緊張感というものがどこか欠けていた。


「うー、本当に登りにくいなぁ。それに服のあちこちに針金が引っかかるし……」


「あなたがそんなモコモコした服着ているからでしょう!」


「そ、そんな怒鳴らないでください……って! あ、やめて! 引っ張らないで!」


 二コラが心底迷惑そうに反抗した。業を煮やしたアンジーが反対側からフェンスをよじ登ってニコラの手を掴み、力任せに引き上げようとしたからだった。


「あー服が! 服が引っかかってビリって! ビリってなるから! あ、いまビリっていった! 脇の下らへんがビリってっ!」


「ぐずぐずしないで!」


 焦りながら声をかけた時だった。ヘリポートに漂う空気の温度が、急激に下がったような感覚に襲われたのは。


 背筋に悪寒が走る。アンジーの表情がさっと青褪め、切れ長の目が、不吉な気配のした方角へ向けられる。


「轢き殺しぢゃるううううううう!! 轢き殺しぢゃるううううううう!!」


「ヴィィイイイイイイイイイイン!! ヴィィイイイイイイイイイイン!!」


 赤光が仄かに照らす闇の先。館の壁の向こう側から不意に現れたのは、異形の出で立ちが二つに、不気味に泳ぐ眼が四つ。


「まず――ッ!」


「轢き殺しぢゃるううううううう!!」


 アンジーの肌を戦慄が電流の如く駆け巡った。オクトパシー・ザ・ベイビーシェイカー。その恐るべき人間戦車の背負いしグレネードランチャーの硬質な口の縁が、月光にきらりと照らされたかと思いきや、一切の躊躇なく火を噴いた。


 闇夜に吹き荒れる轟音と爆圧――見事なる榴弾の炸裂。フェンスが、熱せられた飴細工のように溶解し、襲い掛かる爆風が、コンクリートの地面を粉微塵に抉り飛ばした。


 猛烈な爆撃を食らって、濃靄のように広がる硝煙。その向こう。赤光の透過で浮かび上がる二つの影。アンジーとニコラだ。榴弾が直撃する寸前にアンジーがニコラの手を無理やり引っ張り上げ、どうにか間一髪退避に成功したのだ。


「げほっ! げほげほっ! うー臭い! 臭い!」


「(狙ってきた!? 私たちを直接!? 何のためらいもなく!?)」


 驚くべきことだった。ニコラが不死の存在であると知っていなければできない行動。もしやパンクを拷問にでもかけて、情報を聞き出したとでもいうのか。だが、あの傲慢なガン・ファイターが易々と敵に屈するなど、アンジーには信じられなかった。


 頭の中で雑念がぐるぐると回り続ける。それでも足は動く。一直線に。迷いなく。大きく腕を振り、地面を踏み鳴らし、機械化された肺機能を活性化させて駆ける。


 アンジーの目指すべき場所は決まっていた。ニコラの手をしっかりと握り締め、ヘリコプターへ向けて駆け出す。ちらりと横目で伺うと、オクトパシーは第二撃のグレネードランチャーの照準をこちらに合わせているようで、しかし、撃ってはこない。


「(やっぱり、向こうもコイツ(・・・)を狙っている……! 条件を知っているんだ。奇跡を叶える条件を……!)」


 狙い通りの反応を相手が見せたことに、疑念よりも快感が勝り、内心で軽くほくそ笑む。サイボーグ強化された脚力を以てすれば、五十メートルの距離を縮めるのにそう苦労しない。ヘリコプターを盾にすることで敵の動きを牽制するというアンジーの策略は、見事にはまったかのように見えた。


 だが、ようやくHマークの円形内に足を踏み入れ、ヘリのドア付近へ辿り着かんとしたその時、突如として足が止まった。次の瞬間、アンジーは全身を震わせながら頭を掻き毟るように抱えると、その場に膝をつき、げえげえと吐瀉物を足下にまき散らしはじめた。


「う……げぇっ……ぷ……! い、痛い……うぐぅ!……あ、頭……」


 制御の効かないジェットコースターに乗らされ、視界が滅茶苦茶に揺れているかのような感覚。鋭くも重い振動が、頭蓋の裏側で響き渡っている。鉄橋で、パンクが苦しめられたのと同じ症状。皮膚感覚に依存する旧型サイボーグご自慢の痛覚遮蔽システムは、神経に直接作用する音波攻撃の前では無力だった。


「ヴィィイイイイイイイイイイン!! ヴィィイイイイイイイイイイン!! ヴィ! ヴィ! ヴィ!」


 オクトパシーを脇にどけて、首元から足先までを、真紅のロングジャケットですっぽりと隠した長身痩躯のムルシエラ・ザ・スクリームが、ひた、ひたと、静かにコンクリートを踏みしめて接近。鼻から下を覆い隠す赤色のフェイス・プロテクター。その隙間から伸びる三本の口吻めいた突起を震わせながら、背に装備された長大な四枚の翅を稼働し続ける。


 翅の内部に敷き詰められた網目模様のパイプ。その中を流れる有機溶媒の方向や速度を微細に調整し続け、人体に有害な超高周波音を発生/増幅。《人体跳躍技術(ゲノム・ドライブ)》で賜った重力操作で、振動方向をアンジーの鼓膜のみに届くように調整されたそれは、ピンポイントで対象の動きを封じ込めるのに絶大な効果があった。現に、アンジーは完全に方向感覚と集中力を奪われ、反撃のための毒霧を体内で生成する余裕を奪われてしまっている。


「うぅぅうぅうううううううう……!!」


 苦痛に歪む生理反応を、どうしても抑え込めない。汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったひどい顔で、迫りくる怪人の姿をただ見守ることしか許されない。


「ヴィィイイイイイイイイイイン!! ヴィィイイイイイイイイイイン!!」


 歯痒い口惜しさに苛まれながら、超高周波のせいで、ただでさえ奇々怪々な声にノイズがはしり、アンジーは更なる怖気を覚えた。


「ヴィ! ヴィ! ヴィ!」


 骸骨のように細い両腕を、ジャケットからおもむろに出し、宙で鍵盤でも弾くかのように指の関節をかちゃかちゃと鳴らしてみせる。細い、とは言っても強化筋骨の腕だ。鉄製のフライパンをいともたやすく折り曲げるほどの力を誇る。そんな怪腕に喉元を掴まれたら、惨憺たる結果になるのは目に見えている。


「く、くぅううううぐぐぐぐ……!」


「ヴィ! ヴィ! ヴィ!」


 彼我の距離が縮まる。完全に無力化されたアンジーなどいつでも調理できると踏んだのか。ムルシエラは人間離れした巨大な義眼をくりくりと動かすと、まるで微動だにしないニコラの容姿を、まじまじと観察しはじめた。


「ヴィ! ヴィ! ヴィ!」


 かつて怪人と渡り合い、そうして自らも怪人に身を堕としたムルシエラとはいえ、人間性を捨てきるには至っていないのか。どうやら『奇跡』の二文字は、彼の中で絶対不変の信条として掲げられているらしい。


 しかしながら、その信条をようやく現実のものとして手に入れる歓喜に酔いしれ過ぎたのか。あるいは勝利を確信したことで、ほんの一瞬、心に埋めようのない隙間が生じたのか。音撃使いのムルシエラは、空気を鋭く切り裂くようなその音・・・の気配に、どうやら気づけなかったらしい。


「ひぎぃいいいいいいいい!!!」


 後方より、前触れもなしに響き渡る鋭い叫び。オクトパシーの危機に満ちた絶叫。


 悠長さをかなぐり捨て、驚き振り返ったムルシエラ。その目に映ったのは、黒いコートを羽織った何者かが、荒馬を乗りこなさんとするカウボーイの如く、オクトパシーの背へ颯爽と飛び乗り、首に腕をかけて絞め殺そうとしている姿だった。


「ヴィ!? ヴィ!? ヴィ!?」


 不確定要素の乱入。それがムルシエラの戦闘思考を鈍らせた。


 オクトパシーの助力に入るべきか。それとも、今ここでニコラを確保するのを優先すべきか。どちらを為すべきか決断するのに要した時間は、瞬きよりも短かったが、それだけで、もう一人の(・・・・・)乱入者(・・・)が行動を起こすには、十分な時間だった。


 頭上を飛び越える何者かの姿を、標識灯が赤く照らす。


「しっ――っっ!」


 研ぎ澄まされた呼気。急襲の気配。


「ヴィッ!?」


 オクトパシーの救助へ駆け出そうとしたムルシエラが、異変に気付いて振り仰いだ。


 その拍子に。


 痛烈な風切り音がしたかと思いきや、鋭利に光る刃の一閃が振り下ろされた。


「ヴィィィィイイイイイイン!?」


 フェイス・プロテクターにひびが入り、破片が飛び散る。禿げ上がった頭部にも裂傷を負い、濁った油と血がだらだらと流れて視界を奪う。


「ぎゃ!?」


 間を置かずして、今度はアンジーが悲鳴を上げる番だった。ムルシエラに一撃を食らわせた何者かが、上空を飛ぶ勢いそのままに、うずくまるアンジー目掛けて飛び蹴りを食らわせたのだ。音響攻撃に虐げられていたところに駄目押しの蹴撃を食らって、アンジーは背中を強くコンクリートの地面に打ち付けるに至った。


「~~~~~っっっ! 痛ってぇ~~~~~ッ!」


 乱入者はどうにか着地を決めるると、たたらを踏み、全身に力を入れて奥歯を食いしばった。サイボーグ・ボディのアンジーを思い切り蹴飛ばした右足が相当に痛むのか。右膝を抱え込むように腰を屈めると、痛みを消そうと右足の筋肉を揉みしだきはじめた。


「う~~~~くっそ! 人間ってのは、なんでこんなに不便な体してんだよ!」


 生まれて初めて感じる、これまでとは別種の痛みに耐えかねて、とうとう本能のままに叫んだ。その、どこか粗野な口調と声に、ニコラは聞き覚えがあった。


「あ!」


 痛みからそれなりに回復した乱入者の顔が、標識灯の赤光に照らされた瞬間。剣呑さを孕む戦場には全く相応しくない、ニコラの素っ頓狂な声が響き渡った。心なしか、若干の嬉しさを頬に浮かべて。


「え! どういうこと!? 生きてる! えーすごい! てっきり死んじゃったのかと!」


「アタシもそう思ったさ! でも、どうにもしぶとく生きなくちゃならないらしいんでな!」


 およそ三時間ぶりの再会の挨拶もそこそこに、ちらりと、オクトパシーと格闘している連れの様子を伺う。だが、すぐに己の置かれた状況のみに意識を集中させる。


「というか、そのクッソダサイ服、どうしたんですか?」


「好きで着ているわけじゃねぇよ。とにかく説明は後だ。さっさとこの場を切り抜けて……」


 鈍色の作業服を着こんだ彼女――黒き冠のエヴァンジェリンは、夕焼け色の手斧を地面と水平に構えると、ムルシエラとアンジーを同時に視界に捉えつつ、少女を庇う様に毅然と立ち塞がった。


「必ずお前の願いを叶えてやるからな、ニコラ!」


 覚悟を決めた宣誓だった。

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