1-8 なりたがり屋のルル・ベル①
歓楽街にある二十四時間経営のファミリー・レストランは、夜中の一時を越えても客足が途絶えない。
疲労の念を絶えず放射しながら、死んだ表情で飯を頬張る作業着姿の労働者が多いせいか、ふとした拍子に、すえた汗の匂いが鼻をつく。アフターを利用して店の隅っこでお喋りに花を咲かせているのは、厚化粧の中年女と、銀や金の派手な装身具をこびりつかせた若いホストだ。そうした中で、ホームレスかと見まがうほどに、身なりの汚い者もいた。不平等な境遇に甘んじる彼らの顔を、店内に設置された大量のオイルランプだけが、平等に照り返していた。
客の大部分が――無論のこと、ラスティも含めて――アンフェタミン・シガーの常連。そのうち半分以上が、依存症から逃れるために肉体の一部を義体に挿げ替えていた。当然ながら、そんなことを理由にサイボーグ化を施すのは違法だが、プロメテウス最下層域では、こういった手合いが後を絶たなかった。法も道徳も平気で踏みにじる者が、この都市には多すぎる。
「言っとくけど、奢らないからね」
窓を背にしてテーブルに運ばれてきた合成肉のステーキを頬張るラスティを警戒するように、対面に座るルル・ベルがしかめ面でそう口にした。食事はコミュニケーションを取るのに最も適した状況のはずだが、二人のやりとりは、どこかぎこちなかった。
「心配するな。これぐらい自分で払う」
ステンレスのフォークとナイフでステーキを切り分けながら、ラスティの目線はルル・ベルが注文したパンケーキ・セットへ向けられていた。カフェオレとパンケーキ。十代の女子が好みそうな組み合わせ。だが、注文を受けた店側はルル・ベルの顔立ちと振る舞いを見て、アンドロイドだとはこれっぽっちも疑わなかったようだ。むしろ奇異な目線を向けられたのは、全身義体者であるラスティの方だった。
「それ、食べるつもりなのか?」
顎で目の前の品を指しながら、ラスティが訊く。
「でなきゃ注文しないよ。予め断っておくけど、食べたくなってもあげないからね」
「別に奪おうと思って訊いた訳じゃない」
「じゃあ、なんで?」
「君はアンドロイドだろう。こんなものを食べたら、腹でも壊しそうだが」
機械部品で全身を構成されているアンドロイドに、経口摂取でのエネルギー補充は意味がない。彼らの稼働力となるのは全身を循環しているハイドレーションであり、人間の食べ物など受け付けないはず。普通に、異物混入案件である。
それなのにルル・ベルは、まるで人間の真似事のように食事をすると言うから、ラスティが疑問に思うのも当然だった。と同時に危うさも感じた。彼の中で、ルル・ベルはとっくに『普通のアンドロイド』の範疇を越えていた。
「理由が、あるんだよ」
「理由か」
「うん。それについてもおいおい話さなきゃいけないんだろうけど……それより、表にあんな乱雑にトラック着けて、大丈夫なの?」
そう尋ねながらパンケーキの山を丁寧に崩すルル・ベルの食事作法は、誰がどう見ても完璧なものだった。
「大丈夫とはどういう意味だ。何を心配する必要がある」
「盗難に遭う可能性についてだよ。トラック、あの倉庫街からかっぱらってきたけど、盗んできたのがバレるなんてこともないよね?」
「気にし過ぎだ」
「普通の反応だよ。あなたがズボラなだけなんじゃない?」
こげ茶色のブーツに包まれた両脚を、イライラしたように擦り合わせながら訊く。
ラスティはわざとらしく溜息をつくと、肉を口に運びながら考えた。この心配性の少女をなだめるには、しっかりとした納得のいく説明が必要であるらしいと。
「経験から言うが、木を隠すには森の中だ。俺達が乗ってきたやつ以外にも、沢山のトラックが駐車されている。それらをしらみつぶしに調査して、盗難されているかどうかを確かめるほど、機動警察隊は殊勝じゃない」
「通りすがりの強盗集団に狙われるなんてことは?」
「可能性は低い。電子ロックされたトラックを盗むなら相応の違法プログラムが必要になるが、そんな苦労を要してまでアレを自分のものにしたがる酔狂者なんて、この辺りにはいない。もう少し外れのほうに行ったらその危険性もあるが、その時はトラックだけじゃなくて身ぐるみ全てを剥がされて、無残に殺されてお終いだな」
「その酔狂者ってのが、人間だけならいいけど」
「君がそんな言い方をするのは、ちょっと反則なんじゃないか?」
フォークを動かす手を止めずに、ラスティは抗議の目線を送った。ルル・ベルの顔ではなく、正確には彼女の首へ。
チョーカーのかたちをしたその魔導具は、黒と白のマーブル模様で彩られていて、どういう原理か水中を泳ぐ金魚のように、模様が常に揺らめいている。
「そのチョーカーが、魔導機械人形に対して結界の役割を果たすと君が口にするから、安心して飯が食えると思ったのに」
「あくまで、私を中心にして半径一キロメートル以内の生物の生命反応を『希薄化』させているだけ。事象の存在確率を低下させているに過ぎない。完全に姿形を消しているわけじゃないの。探査精度を極限まで上昇させれば発見されちゃうけど、そんなことしたら、魔力が臨界点を越えて暴走するから、向こうも探索のしようがない。そういう理屈なわけ。とにかく、あまり拡大解釈はしないでよね」
「拡大解釈ではなく、俺は君の力に期待したんだ」
「君の力、じゃなくて魔導具の力ね」
「いちいちつっかかるな」
「いいから聞いてよ」
ルル・ベルはパンケーキをモサモサと咀嚼しながら、左手で紫灰色のロングヘアを掻き上げつつ、空いた右手でチョーカーに触れる。
「これだって万能じゃないんだから。効果はもって五時間。あの倉庫街で発動させてから一時間経過しているから、あと四時間は持つ。問題はその後だよ」
「効果が切れたら、また同じものを使えばいい」
「あのねぇ。あなたが思っている以上に魔導具は貴重品なの。それに、このチョーカーはわたしのオリジナルだから、これひとつしか持ち合わせがない」
「ということは、そいつの効果が切れたらお終いか」
「そうならない為にも、あなたには知恵を絞ってもらわないと」
「ふむ……一つだけ、分かった事がある」
ステーキ・セットについてきた、どぎつい色のサラダを咀嚼しながら、続けて言った。
「魔導機械人形の力を、俺は完全に見誤っていた。奴らは手強いだけじゃなく、何かしらの情報操作を行っていると思うが、当たっているか?」
「あれだけ騒動を起こしたのに、どうしてニュースサイトに載っていないかってことでしょ? それなら別に、情報操作以外でも説明がつくよ」
パンケーキをカフェオレで流し込んでから、続けて口にする。
「認識錯誤の応用。人は見たいものしか見ない。その無意識下における社会的習性を魔導式による干渉で操作している。それで、自分達の存在や、存在の運動で生じる状況変化を認識させていないってからくり。まぁ、認識錯誤と言っても限度があるけれど、あの程度じゃ気づかれないね」
ずいぶんと都合の良い話だと感じたが、きわめてナチュラルに話すルル・ベルを見ていると、疑心や不満よりも、障害の大きさを一層感じてしまうのも仕方なかった。
「奴らは相当なモノだよ。同じ組織に属しているわたしでさえ、彼女たちが保衛魔導官であることを忘れて、ただの殺戮マシーンに思えてきちゃう時があるくらいだから」
「保衛魔導官?」
「局内の規律や風紀を取り締まる魔導機械人形のことだよ。組織内で問題を起こした当事者を拘束する他、作戦行動でヘマをやらかした人物を尋問・矯正して、再発防止に努めるの。それが保衛魔導官の仕事で、わたしはそいつらに追われているの」
つまりは、軍隊で言うところの憲兵隊と言ったところかと、ラスティは一人納得した。
「捕まっちゃったら最後、頭の中を電熱メスでこじ開けられて、ぬるぬるした有機メモリを取り出されてさ、ケーブルを介してワケの分からない装置に繋がれて記憶を徹底的にほじくり返されるの。吸い上げられた記憶は検証材料として文書化されて、局内裁判時に提出。内容を吟味した結果、廃棄処分にするかどうかが判断されるってわけ」
廃棄処分。それはすなわち、アンドロイドにとっての『死』を意味する。人間の姿形をしていながら、まるで家電を捨てるかのような無機質な物言いだ。
「記憶をほじくり返すか。なんともいやらしい覗き魔だな」
「悪趣味だけど合理的なやり方だと思う。自己の記憶や精神状態をごまかす魔導式なんて打てないからね。それに、組織の秘匿性を保つ上で一番効果的なやり口であるのには間違いない。奴らがやけに強力な魔導式を打てるよう調整されているのも、そういった事情が含まれているからなの」
そこまで聞いて、ラスティは話がようやく本題に差し掛かれるとばかりに、食事の手を止めてやや乗り出し気味に聞いた。
「で、君もまた例に漏れずに、取り返しのつかないヘマをやらかして、奴らに追われる羽目になったということか。それで、何をやらかしたんだ? まずはそこから話してくれないと、本筋が見えない」
「ヘマなんて――」
反論の続きを言いかけた時だった。
二人が座るテーブルからやや離れたところ。
店の入口付近のテーブルから、急に怒声が上がった。
ルル・ベルは、素早く瞬きをしながら振り返った。
ホームレスらしき老人と、細身の肉体労働者が、おおよそ口にすべきではない言葉の数々を浴びせ合っていた。酒を飲んでいるのか、どちらも顔が赤らんでいる。
殺伐とした雰囲気に呑まれかけ、ルル・ベルは緊張からか、思わず両手を擦り合わせた。
争いの最中、皿が派手な音を立てて床に転がった。ロック・ミュージックに不釣り合いなくらいの罵声の数々が、どんどん混じり始めた。
「気にするな」
ラスティがコップの水を一口飲んでから、慣れ切った声で言った。
拳と拳の喧嘩に発展した両者を、屈強なアルバイターが仲裁し始めたのを、横目で冷ややかに眺めるに終始する。
「この辺りではよくある光景だ。じきに収まる」
「そ、そう……」
「話を続けてくれ」
「う、うん」
ルル・ベルは我に返ると、コーヒーを一口啜ってから唇を舐め、それから、できるだけ周囲の喧騒を意識しないよう努めてから、改めてラスティへ向き直った。




