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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
2nd Story フェイト・オブ・ジ・イノセンス・ギア
71/130

2-36 PM16:05/血臭

「栄養、取らせてもらうぜ」


 自慢の鋭い牙をリガンドの首筋へ突き立てようと、大きく口を開くエヴァ。その動きが不意に止まった。鋭敏な聴覚が、かすかに響く音を拾ったのだ。それはどんどん大きくなって、やがてリガンドの耳にも届くくらいの大きさになった。


 なにか、金属を激しく打ち付けるような音。リズムの間隔は狭く、切迫感が滲み出ている。


 誰かが階段を勢い良く上ってくる。


 はっとなって、エヴァはすぐ行動に移った。リガンドを無理やり立たせると右手で彼の腕を捻り上げ、引きずるようにして出口の扉から離れ、硬化した左手の爪先をリガンドの喉元へ突きつける。


 足音が扉の前で止まった。代わりに、黒板を爪で鋭く引っかくような異音がした。鉄の扉が蝶番ごと容易く切断され、ほとんど蹴破るような勢いで男が飛び込んできた。その人物は右手に銃を持っており、状況を確認するやいなや、引き金に指をかけたまま銃口を撃つべき相手へ向けた。


「リガンド! 無事か!?」


「動くんじゃねぇ! こいつを殺されたくなかったらな!」


 人質の喉元へ軽く爪を食い込ませながら、ありったけの威嚇を込めてエヴァが吼える。前後するかたちで、残り一体の赤影体がすかさず乱入者へ――ヴォイド・クロームへ飛び掛かり、見事に爆発せしめた。


 だがそこで異変が生じた。爆発の直前にヴォイドの足下で旋風が発生し、牙を剥いて襲い来る火炎や爆圧の全てを後方へ受け流したのだった。


 何が起こったのか、エヴァにはまるで見当もつかなかった。唖然としつつも、強く奥歯を噛み締める。攻撃を防がれた原因を突き止めようとするよりも、仕留め損ねた事実に対する苛立ちのほうが強かった。


「《凍える脊髄(バック・ボーン)》を舐めるなよ」


 涼しい顔でヴォイドが言った。


「いいね、いいセンスしてるぜ、キザ野郎」


 負けじとエヴァも言い返す。さらに爪をリガンドの首元へ食い込ませる。仲間の首筋にじわりと血が滲んでいく様が、ヴォイドの瞳に映り込む。思わずハンドガンのグリップを硬く握り直してから、囚われのリガンドを軽く一瞥し、屈辱と怒りを込めた視線をエヴァへ向ける。


「今すぐに仲間を離せ。でないとコイツを貴様の脳天にぶちこむぞ怪物。お前みたいな奴でもあの世へ逝ける弾だ。どこに当たろうが一発で楽になれる」


「輝灼弾がどうしたって? やってみろよ。テメェが引き金を引くより先に、こいつの喉を掻っ捌いてやる」


 拮抗状態。火花を散らして睨み合う人と怪物。


「(バカめ。かかったな)」


 ほくそ笑む。その呪われし両の眼が赤光に輝き出す。


 ほとんど勝った気分だ。血騰呪術(アスペルギルム)は有効打になりえない。だからどうしたと言うのか。この呪いの瞳から逃れた者は、今まで誰一人としていないのだ。


 だが、それが発動しかけた直前。彼女の細い首に素早く『何か』が絡みついた。後ろ髪を無理やり引っ張られたかのように、整った顎が急に上向きになる。


「ぎゃっ!?」


 ぐるりと視界が回る。飛び込んでくるのは雲をまぶした青空だ。


 視線は逸れた――血騰呪術(アスペルギルム)の一撃のみならず、血眼(フレンジィ)までもが不発に終わった。


 焦燥が煮え立つ。何が起こっているか分からない。右手も左手も塞がっている今、この異常状態にどう対処すればいいのか、咄嗟には判断できなかった。


 ヴォイドの、銃を持っていない方の指が、くいっと動いた。連動するかのように、エヴァの喉元に絡み付いた『何か』が、ぎちぎちと締まり始めた。ごぼっと、嫌な咳音が彼女の口から洩れた。


 ミクロン・サイズの幅を持つ、目視不可能なほどの細さを持つワイヤーである。さきほどの赤影体の爆撃から身を守れたのも、これのおかげだ。両手の指先から放たれる十本のワイヤーを高速回転させて旋風を形成し、防護壁としたのだ。


 そして今、機械化した腕に内蔵された液状金属と硬化装置の同時起動により、長さと強度を自在に調節可能な、その必殺の武器が、一匹の怪物を深刻な酸欠状態へ陥らせようとしていた。輝灼弾を込めた銃へ意識をうまく逸らし、隙を作れたのが功を奏した。


「お前に相応しい餌を与えてやる。しっかり味わえ」


 ヴォイドは素早く銃を構え直すと、一切のためらいもなく無慈悲に引き金を引いた。


 バンッと大きな音が一つ、屋上に轟いた。


 赤々とした致死の弾丸/真っ直ぐな軌道/鮮やかなほど正確に/寸分の狂いもなく、


「ギィィィイイイイイイイイ!!?」


 エヴァの右肩に鋭く食い込んだ。


 痛みを感じないはずの怪物が、耳障りな絶叫を上げてその場をのたうち回った。その拍子に、今の今までエヴァの背中にしがみついて事の成り行きを見守っていた奇跡の少女が、とくにこれといった表情も浮かべることなくその場からひょいと離れ、自由の身となったリガンドや、手早くワイヤーを回収するヴォイドらと一緒に、のたうち回る怪物を注視した。


 痛みに声を上げる余裕すら失われていくエヴァ。みるみるうちに、電気椅子処刑される囚人さながらの凄惨な姿へ変わり果てていく。体をくの字に曲げて激しく身もだえし、血の混じった泡を断続的に吐き、白目を剥き続け、耳からどろりと濁った血が流れる。全身からは血の混じった汗が噴き出て、買ったばかりの服を徹底的に汚していった。


 そうして一分ほど経過した頃には、もはやエヴァはぴくりとも動かなくなった。光を喪失した瞳をあらぬ方向へ向けている。だが彼女の肉体が灰化することはなかった。一般的な鬼血人(ヴァンパイア)はみな、死亡すると細胞活動が止まり、肉体が自然に灰化する。ヴォイドもリガンドも、ギュスターヴからそう聞いていた。


「……死んだのか?」


 だから、ヴォイドは早々とは気を抜けなかった。訝し気な眼差しで、生の気配を喪失したエヴァの周囲をゆっくりと歩きながら観察に集中する。必死になって殺した害虫が、また動き出しやしないかという懸念が、彼の中に少しだけ残っていた。


「大丈夫でしょう。灰にならないのは日向を歩く者(デイライト・ウォーカー)だからじゃないですか? 色々と規格外(・・・)の生き物ですからね」


 心配げなヴォイドを安心させるかのように、リガンドがポンと肩を叩く。ひとつ仕事をやりきった。そんな軽やかな笑みを浮かべて。


「助かりました。あのままだと確実にやられてましたよ」


「輝灼弾のおかげだ。わざわざ私財を提供してくれたギュスターヴ氏に感謝しなくては」


「……ヴォイド」


「分かっている。そんな目で見るな。ギュスターヴ(・・・・・・)は始末する(・・・・・)。俺達は羅針盤を捨てた。道先を指示するものは何もない。いまさらどうだこうだと文句を言うつもりはないさ」


 そう言って微笑んでから、ヴォイドはこの場にいない仲間たちへ連絡を寄こした。


〈作戦終了。鬼血人(ヴァンパイア)の駆除に成功した〉


〈マジか!? なんだよオイ! 俺様の出番はなしかよ〉


〈はぁぁ……無事で良かった〉


〈女の子は? 肝心の目的はそっちでしょ〉


〈待て〉と一旦会話を切ってから「リガンド、その、少女は……」


了解(コピー・ザット)


 言わんとしていることは分かった。リガンドは落下防止用の手すり近くに佇む少女へ、落ち着いた足取りで近づいていった。


 相手がパニックを起こすんじゃないか、あるいは逃げられるんじゃないか、といった危惧はほとんど抱かなかった。というのも、少女はさっきからこちらの様子を物珍しそうに注視しているだけだったからだ。


 敵意や悪意や憤怒といった感情の一切が、少女の表情には全く浮かんでいない。だからと言って、銀行強盗に遭って長時間人質にされた者が無事に救出された際に開放感を噛み締めるような、そんな素振りも皆無だった。


 何を考えているのか分からない。端的に言えばそんなところだ。しかしこちらに危害を加えようとする意思が見えないのなら、下手に恐れる必要はない。


「(本当にこの少女が、奇跡を叶える……?)」


 ただ、疑問だけが湧いた。服装は奇抜だが、近づいてみればみるほど、ごく普通の少女に見える。しかし、あのレール・ガンの一撃を食らってもピンピンしているどころか、服の一切が汚れていないのを確認すると、そんな疑問もすぐに吹き飛んだ。鬼血人(ヴァンパイア)が規格外であるのと同様に、この少女もまた規格外であるのだと、妙に納得した。


「奇跡を叶える超常の存在と聞きましたが」


 何から切り出して良いか悩んだ挙句、口から出たのは質問とも感想ともつかぬ微妙な台詞。だが少女は臆することなく、ごく平然と頷いた。


「仰る通り。でもちゃんと名前があります。ニコラです。あなたの名前は?」


「後で教えます……それより、私たちを攻撃しないんですか?」


「どうして?」


「どうして、とは?」


「勘違いしているようですが、私は別に誰の味方でもないですよ。エヴァさんと一緒にいたのは、私の願いを一番叶えてくれそうだったからです。あ、先に言っておきますけど、私の願いを叶えてくれないと、あなたたちの願いも叶えられません。ギブ・アンド・テイクって奴ですね」


「奇跡の少女と呼ばれているのに、対価を要求するのですか?」


「努力をないがしろにする人に奇跡はやってきませんよ。ただ口を開けていれば、ごちそうが飛び込んでくるわけでもないでしょう」


 挑発するようなリガンドの問いにも、ニコラは淡々と返事を寄こすだけだ。こちらの言葉をさらりと吸収するようなスポンジめいた姿勢でいながら、あらゆるものを引き寄せる見えざる力が少女にはあると、リガンドは感じた。銀河をたゆたう天体を制御する太陽のような存在感とでも言おうか。あらゆる感情をエネルギーへ変換して、どれだけの言葉をぶつけても、この少女は当然のようにいなすだけだろうとすら思えた。


「君の詳細については、仲間と合流してからじっくりと聞かせてもらいますよ」


 リガンドがおもむろに手を差し出す。それを所有の意思表示と受け取ったのか、ニコラはすんなりと応じると、彼に導かれるがままに、出口付近で待機していたヴォイドの下へ近づいていった。


「行きましょう。目的は済みました」


「ああ」


 リガンドの呼びかけを受けてヴォイドは曖昧に頷くと、鉄扉の残骸を踏みしめて先へ急ごうと歩み出した。


――なにか、変だ。


 これまでチームを牽引してきたリーダーの背中。それを見つめるリガンドの脳裡に「よもや」と推量が浮かぶ。


「ヴォイド、ちょっとおかしなことを聞きますが」


「なんだ」


 今まさに階下へ降りようとしていたところで、ヴォイドは足を止めて振り返った。リガンドはじっと見つめた。彼の、奈落を切り取ったかのような黒目がちの瞳を。そこに映るものを、すぐにこの場で確かめるべきだった。


 そのことで露呈する真実が、仲間内に致命的な歪みを生むきっかけにはなるまいと思いたかった。もし、いま己の頭に浮かんでいる推測が仮に的中したからと言って、だからどうしたというのだ? そう自らに言い聞かせる。


 何があろうとも《凍える脊髄(バック・ボーン)》に歪みは生じない。自分達は大丈夫だ。確証はなかったが、これまで共に苦難を乗り越え、喜びを分かち合ってきた仲だ。繋がりがあるはずだ。もしその通り(・・・・)だとして、亀裂が生じるか?


「もしかしてあなたは――」


 しかしながら、続く言葉は不意に宙ぶらりんになった。


 急に電源を落とされたように、頭の中が真っ暗になった。



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