2-29 PM14:10/VS.ピアフ・ザ・ディーヴァ
接敵――窓の外を有人式重警備ドローンが飛行している。
切り刻む勢いでプロペラを回転させ、大気を割るような轟音を平然と奏でて、ガラス窓ぎりぎりのところまで接近している。階層間エレベーター《十二番》で目撃したのと同型のドローンだが、驚くべきことにコックピットには誰も乗っていなかったし、武装も明らかに異なっていた。
機体下部に取り付けられたガンポッドのサイズが、通常のそれと比べて一回りは大きかった。れっきとした三砲身の高性能航空重機関砲である。この手のドローンに装備可能な代物としては、最大の重量と威力を誇る外付けの重火器。
幸運は、ベルハザードの手からあっけなく消え去った。いや、あるいはそもそも勘違いであったのかもしれない。
ガンポッドに搭載された電子デバイスが、討伐すべき人外の姿を認証。束ねられた砲身が一斉に回転し、雨あられと銃撃を撒き散らした。
盛大な銃火に押されて、脱出どころの話ではなくなった。たまらず、ベルハザードは突き当りの角を右に曲がった拍子に身を転がし、銃撃をぎりぎりのところで躱しつつ、すぐさま起き上がって低姿勢を維持したまま、死に物狂いで廊下を走った。
追いすがるように次から次へと容赦なく、秒間何十発という恐るべき速度で発射される砲弾という砲弾。まばゆい火線が嵐となって、何枠もの分厚い強化ガラスをダイヤモンドダストかと見紛うほどに木っ端微塵に粉砕し、壁という壁を穿ち、盛大に蜂の巣を描いていく。
フロア全体が衝撃に揺さぶられる。最悪、ビルが崩れるようなことになっても構わないという、なりふり構わない勢いがあった。だが、常人なら一呼吸する間に肉塊へ果ててしまうほどの猛射撃に晒されても、ベルハザードはまだ人の姿を保っていた。
貫通した砲弾によって崩れた壁を、足場代わりに使い、宙で身を捻らせ、床に着地するやいなや、全身の筋肉を最大限に稼働させて加速する。
そこに、どこからか調達してきたもう一機のドローンが忽然と飛来してきて、ベルハザード目掛けてガトリングの猛撃をお見舞いしてきた。
単純計算で二倍の猛火、二倍の砲撃量だ。さすがのベルハザードも、脇腹に一発、左肩に二発直撃を食らった。
それでも、足が止まることはない。千切れた血管から漏れだす血液を自動的に回収し、爆ぜ飛んだ肉や骨を再生しながら、わき目も振らずに駆けていく。
砲撃を受けながらも、行動を継続しながら自らの肉体を再生する――痛みを感覚しないからこそできる鬼血人ならではの芸当だ。
痛覚の機能を維持しつつ、それを体感することなく、『痛み』という現象だけを拾う。混じり物の体となっても、この特異な身体機能が働いているのは、不幸中の幸いと言えた。
『天国だよ! 天国だよ! キヒヒヒヒィイイイイイイ!!』
フロアの天井の隅に設置されたスピーカーから、轟音に混じって狂った声が響いた。このビルへ追突する少し前、ドローンのコックピットへ流れてきたのと同じトーンの声だった。
ここに至ってベルハザードは、あれが電子的手段によってもたらされた攻撃であったのだと確信し、今のこの状況もまた、同一の仕手によってもたらされているのだと悟った。
三人目の、姿なき襲撃者――ピアフ・ザ・ディーヴァ。
《天嵐》唯一の電子戦担当者にして、ネットの海で天国を垣間見たと噂された、知的障害を患って生まれた少女。鬼血人討伐に大きく貢献した功績から、歌姫の二つ名を冠する情報工学世界のシャーマン。
その研ぎ澄まされた『歌声』という名の電子的工作は、強固なセキュリティを陶酔させ、電子機器と名の付くものなら簡単に意のままとする。対象が電動カーであろうと、ドローンであろうと、サイズは問題ではない。システムの中枢を抑えて制御下に置いてしまえば、遠隔操作でどうとでもなる。
どのような殺戮の旋律を刻むかは、ピアフの気分次第だ。その凄惨にして病的とすら言える気分に、今、ベルハザードは酩酊とさせられている。
ドローンの自動装填機能のおかげで、まったく銃撃が止む様子は見られない。廊下を曲がろうとするよりも先に、ドローンがビルとビルの隙間を巧みに掻い潜って先回り。とにかく思考の上澄みを掬う余地をこちらに与えようとしない。
「(まずいな)」
一筋の冷や汗が頬を伝う。肚を揺さぶるほどの轟音に今まで耐えてきたベルハザードだが、ここに至ってデフォルト・モード・ネットワークを解かざるを得なかった。鋭敏化された感覚を維持し続けるには、敵方の発する音圧が強すぎるのだ。感知能力に誤差が生じるくらいなら、いっそのこと全て切ってしまう方が良いと判断した。
だがそれこそが、これまで最善手とは言えないまでも、それなりに無難な手を打ってきたベルハザードが放ってしまった、最大の悪手であった。
感知域が狭まったせいで、襲撃の予兆に気づくのに一瞬の遅れがあった。その時とも呼べない刹那の最中、足元の床から一条の白濁液が鋭く吹き上がり、ウォータージェットのごとき勢いで、ベルハザードの左足のつま先を履いているブーツごと切断した。
あっと思った矢先には、床を囲むように四方で液体が吹き上がり、魔法のごとき速度で床を綺麗に寸断。
直後に、頭上を砲弾が掠めた。遠ざかる轟音を耳に感じ、重力に引かれるがままにベルハザードは落下していく。階下の天井パネルと照明が盛大に砕け散り、這い回る排気ダクトすらもへし曲がった。
摩訶不思議な攻撃を足下に食らった際に抱いた違和感。そこに気を取られたせいで、体勢を整える暇もなかった。そのまま、背中を強く階下の床へ打ち付ける。
転がって起き上がりつつ、機敏に周囲を確認。パーテーションで仕切られたフロアの狭い一画。整然と並ぶコピー機の数からして、印刷作業のために設けられたスペースらしい。ゆらりと顔を出す。左前方に窓ガラスの位置を確認するが、ここからは遠すぎる。
あたりは薄暗く、不気味なほどひっそりとしていた。
負傷箇所を確認する。痛みは毛ほども感じない。だが、すっぱりと切断された左足のつま先からは、真っ赤な血がいたずらに撒き散らされたままで、再生する気配がまるでない。
「(くそ。毒か)」
自身の肉体に何が起こっているか、瞬時の判断でベルハザードは悟った。その悟りが、次に自身が取らざるを得ない行動を、自然と選択させていた。
床に腰を下ろし、愛用の手斧を腰元のチェーンから外す。その鋭利な切っ先を、まっすぐに伸ばした左足の膝関節部分にあてがうと、ためらうことなく、骨ごと切断しにかかる。
自らの手で自らの肉体に傷をつける。他者から与えられる痛みとは、また少し感覚の違う痛みを拾って、心が波立った。
それもこれも、混じり物の肉体となったがゆえの弊害の現れだ。禁忌の術に手を染めて、後天的に太陽を克服した者が被るデメリットのひとつ。すなわち、内臓の毒素排出機能の喪失である。
ノーマルな鬼血人は人類をはるかにしのぐ高度の恒常性を宿すため、生まれつき毒素排出機能を臓器に備えている――それが判明してからは、毒物兵器が実戦で活躍を見せる機会は、限りなく少なくなっていった。
だが完全に廃棄されることはなく、代わりに、戦闘における補助としての役割を与えられた。どれだけ敵が優秀な濾過機能と排出機能を備えていようと、異物の侵襲を知覚させ、ほんのわずかでも乱れを生じさせるのであれば、それを戦闘に活かさないわけにはいかなかった。その勝利に固執する泥臭い執念が、毒物兵器と人体とを融合させるという狂気的な選択を導き出したのである。
その体現者とでも言うべき一人の戦士が、毒素の詰まった左足を置き去りに、今また新しい左足の再生に取り掛かっているベルハザードの前に、忽然と姿を見せている。
いや――そう認識したのはベルハザードの錯覚に過ぎない。
最初から、戦士はそこにぶら下がっていた。
天井から垂れ下がる、一本の細く白い糸。
その先端に目をやると、ぴったりと閉じられた足がある。
視線を下ろしていくと、次に胴体が目に入った。
ハンドガンを持つ両手を、だらりとぶら下げている。
紋章が刻印された真っ赤なペストマスクで顔を覆い、ブロンドの長髪は無造作に垂れ下がり、毛先が床にべったりと触れている。
逆しまに吊るされた怪人――ぞっとするほどの異形だった。特に胴体が異常だった。
乳房の山――それ以外に、この奇怪な戦士を正しく形容すべき言葉が見当たらない。とにかくそれくらい、何十という大きめの乳房が、怪人の腰から鳩尾にかけてを、余すところなくびっしりと覆い尽くしていた。
逆さまにぶら下がっているにも関わらず、乳房は垂れ下がることなく、それどころか全て山なりの形状を維持している。クーパー靭帯が強化されていることの証である。
まるでブドウの房も同然の姿だ。それも、ひどく高級なたぐいの。なぜなら、乳房の一つ一つが、シミやくすみとは無縁の、『完璧な白』とでもいうべき一色を体現していたからだ。そのせいで、薄暗い室内にあって、まるで乳房自体が仄かな白光を放っているようにすら感じられた。
よくよく観察してみると、乳頭に鎮座する鮮やかなピンク色の乳首が、まるで生き物のように先端角度を微妙に変えつつ、小刻みに震動している。サイボーグ化手術を受けてセンサー化されているのだろう。周囲の熱分布や光のゆらめき、空気の流れを感じ取り、標的の位置を割り出しているに違いなかった。
「アタシを捨てないでエエエエエエッッ! アタシを捨てないでエエエエエエッッ!」
突然にブドウの房が――さかしまにぶら下がる異形の戦士が大声を放った。興奮や発奮とは一切無縁の、恐怖と怯えを凝縮させたような叫び声だった。
接敵。




