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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
1st Story オルタナティブ・サイボーグ・ウィズ・ヒューマニティ・アンドロイド
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1-5 【喚起(アウェイク)】の魔触獣②

 車の後方で、勢いよく何かが炸裂したかのような爆音が轟いた。次いでゴーッと、風穴を凄まじい速度で駆け抜ける気流を彷彿とさせる地鳴りが、車越しに足元と耳朶(じだ)を刺した。


 助手席のルル・ベルが切迫した調子で怒声を撒き散らした。言葉の意味を理解する間もなく、ラスティの本能が吠えた。


 気づけばギアをトップに入れてアクセルをベタ踏みし、摩擦を勢いよく引き千切るようにして、車を急発進させていた。シートベルトをする暇など当然なかった。


 頭の整理が追いつかない……などと、弱音を吐いている場合ではなかった。


 ラスティは即座に電子チップを介して脳内物質を過剰分泌。暴れ出しそうになる感情を見事に制御した。その眼差しは鋭利さを帯びて、自然とバックミラーへ向けられている。今の事態を正確に把握するべきだと、理性的な信号が金属の肉体へ働きかけたおかげだった。


 そして、彼は目撃してしまったのだ。ミラー一枚を隔てた先に。


 およそ後方の百メートル余りのところに。


「(乱染獣(らんぜんじゅう)……!? いや、それにしては、あまりにも……)」


 海面を突き破り、湾港そばのコンボイやコンテナを飛び散らす。


 それは闇の具現。粘性おびただしい、触腕の嵐であった。


 そうだ。触腕(・・)だ。たしかにその名称は的を射ていた。


 暗黒に染め上げられた触手の先端部位は、どう見ても人間の手の形に酷似しており、巨人のそれかと見まがうほどに猛々(たけだけ)しい。


 蜷局(とぐろ)を巻く蛇のように旋回上昇する触手の群れ。その一本一本が、丸太を四本まとめて束にしたぐらいの太さがある。それが、走り去るオイル・カーへ狙いを定めて襲い掛かってきたものだから、たまったものではなかった。


 道路脇に整列された荷積みを荒らし、蹂躙し、捻り潰して進撃する。暴虐のアプローチ。粘液触腕の破壊的凌辱行為は意志を宿した竜巻めいて、止まることを知らない。


 運転にあくせくするラスティの横で、ルル・ベルが、氷を喉奥に突っ込まれたような声で呻いた。


 疾駆する車体のすぐ脇をとんでもない勢いでコンテナが跳ね飛んできた。まるでピッチングでもするかのように、半トンはあるそれを、触腕が投げ飛ばしてきたのだ。


 路面にぶつかった衝撃で、コンテナの中身が盛大にぶちまけられ、燃料保管用のタンクが路面を転がる。タンクの亀裂から、精製されたての過脊燃料(ギャソリン)が溢れて、暗闇の路面を蛍光色に染めていった。


 その瞬間には、もう一方の触腕の束が倉庫の破孔から飛び出した後だった。左斜め後ろから車をひっくり返そうと、その巨大な掌が下手投げさながらに強襲。


「ちぃっ!」


 咄嗟にハンドルを大きく右へ切る。車体スレスレを鋭く飛んでいく触腕。


 なんとか直撃は免れた。あと少し反応が遅れていたら、どうなっていたか。


「なかなか、気の利いたアトラクションじゃないか」


 戯言を口にするラスティの隣で、ルル・ベルは、その幼顔に(はげ)しい恐慌をこびりつかせていた。最下層域の上空でやり合っていた時と比べて、明らかに追手側の攻撃に容赦がなかったせいだ。最悪、首だけになっても脳内の有機メモリに直接干渉すれば情報は引き出せるから、それでも構わないと開き直っているのだろう。


 のっぴきならない渦中に呑み込まれてしまった――どうしようもない現実の到来が圧し掛かる。ルル・ベルの精神が悲鳴を上げる。だが心の一方では、このまま逃げ回るのは癪に障ると、体の奥でくすぶる炎に薪をくべ続けていた。


 ルル・ベルは震える感情を必死に抑え込みつつ、サイドミラーを確認した。雨に濡れた鏡面が、おぞましいシルエットを映し込む。


 しかし、ルル・ベルは気を張って、怯えを見せなかった。(まなじり)を決し、乱舞する触腕から決して目を逸らさなかった。


 真夜中の半壊した倉庫街。雨雲から差し込む人造の月灯。蠢く触腕の表皮は雨粒に濡れている。


 ルル・ベルは義眼に搭載された望遠機能を起動すると、触腕の根本を目で追っていった。


 そして気づいた。触腕の全てが、海面を突き破るようにして現れて岸壁に堂々と乗り上げた、一つの不気味な塊から生えている事実に。


「ひっ……!」


 思わず小さく息を呑むルル・ベル。同時に確信。


 十の触腕。

 その主たる怪物の名が、脳裡で閃光のように差し込まれる。


 水棲型無脊椎柔粘獣・テンタクラスタ。 


 その本体は、青紫色を練り込ませた、おぞましいほどの肉の巨塊である。


 見る者の心に原初的な恐怖を植え付けるデザインに、規格外な全長。異様な圧迫感。常人が目撃すれば、気をやってしまうのが確定的なほどの異形。


 倉庫よりも一回りは巨大なその柔粘獣は、獲物を捕縛・破壊するための十本の長大な触腕を生やしているだけではない。 


 粘液にまみれた表皮は高感度センサーも同然で、空気の微細な揺れを感じ取るかのように、絶え間なく縦横に大小の突起を生やしている。


 加えて、縦に細い眼球と、金属の乱杭歯が噛み合う口をいくつも宿し、既存のあらゆる生物から逸脱した、怪奇的産物と一目で分からせる。


「ルル・ベル、聞いているのか? 質問に答えろ」


 強張っていた思考を、ラスティの鋭い一声が粉砕する。ハッとしてルル・ベルは運転席を見た。


 雇われハンターの鋼鉄の総身は少しの震えも見せておらず、ただ目の前の障害をどう排除するか考える目をしていた。


「あの怪物はなんだ。あんな巨大な異形生物……乱染獣(らんぜんじゅう)にしては奇妙だ。最下層域どころか、都市のどこを探しても――くっ!」


 質問を途中で打ち切って、ラスティは即座にハンドルを左に小さくきった。その判断は正しかった。直後、触腕が投げ飛ばしたコンボイが路面にぶち当たり、盛大に爆ぜ散った。


 柔粘獣が轟き哭いた。触腕の形態変化。五指を丸めての巨拳が四塊、降り注ぐ。さながら隕石じみた威力と衝撃。(はら)の奥を痛烈に揺さぶられるようなその衝撃に、思わずラスティもルル・ベルも首を竦める。


「さながら、モグラ叩きといったところだな」


 茶化すような言い方。その理由=興奮と恐怖をコントロールして、複雑困難な事態を客観視しようとする態度の現れ。


 爆ぜる衝撃。触腕の巨拳がまたもや飛来。路面に壊滅的なダメージが刻まれていく。


 振動に食われるオイル・カー。前輪も後輪も軽く浮き上がる感覚。 それでも横転しないのは、ひとえにラスティの見事なハンドル捌きのおかげだった。


 落ち着きを取り戻すにはまだ至っていないが、とにかく今は状況の説明が急務と感じたのか。ルル・ベルは揺れる車体の中で、まくし立てるように言った。


「あれは【喚起(アウェイク)】の魔導式で現世に呼び出された、異世界の水棲生物。そうとしか考えられない。使役者はアレトゥサ=エル=アウェイク。わたしを追っている魔導機械人形(マギアロイド)の一人だよ」


「魔導式……ああ、なるほど。今のがそうか」


「知っているの? 驚いた。最下層の人たちの中に、魔導式の存在を把握している人がいるなんて」


「知り合いから教えてもらっただけだ。目にするのは今回が初めてだ。呪術とは別物らしいが、仕組みまでは分からん」


「だったら、運転しながらでいいから聞いて……魔導式って言うのは、わたしたち魔導機械人形(マギアロイド)が操る現象操作術のことだよ。使用者の精神状態で効力が変わる呪術を規格化して、どんな状況下でも一定の出力が発揮されることを期待して開発された戦闘技術とも言える。体内の導脈回路を巡るハイドレーションを専用のデバイスで魔力に変換して、コードの役割を持たせた呪文詠唱によって、デバイスにセットされたプログラムを実行に移す。そうすることで、魔導式を発動できるの」


「それはなんとも、ご大層な話だが―」


 ぎらりと、ラスティのアイス・ブルーの瞳が野犬のような鋭さを帯びた。


「簡潔な説明、助かるぞ。おかげで理解した」


「理解したって、何を?」


 ラスティの目が挑むようにして、サイドミラーへ向けられた。ガラスの鏡越しに、触腕の一本が映り込んでいた。


「目には目を、術には術をぶつけるに限るってことをだ」


 言った拍子だった。ラスティの右目の水晶体が、万華鏡のように色とりどりの火花を散らした。煌びやかな異能の紋様である。それが右方向へ鋭く回転するのに連動して、サイドミラーに映る触腕の一本も急激に右回りに捻じれ、明後日の方向へ千切れ飛んだ。


 オイル・カーの遥か後方。倉庫街の一角を占拠する柔粘獣の本体から、ほとばしる。ドップラー効果で遠ざかる苦悶の雄叫びが。


 触腕の切断面から、真っ白な液体がホースで撒かれた水のように吹き上がったのを見て、ルル・ベルは呆気にとられた表情を浮かべた。


 その一方では、してやったりとばかりに、ラスティの氷のような能面に、ほんの小さく笑みが刻まれる。


「こいつが俺の術だ」


 ラスティの異能――歪視(ワーピング)――鏡越しであろうと関係なく、意識して見つめた物体を、その硬度を無視して問答無用に捩じ切る。いま確かに、その人間離れした魔性の力が発現されたのだ。


 これぞ、更新強化人(エキスパンダー)たるラスティ・アンダーライトの技能にして絶技である。医療技術が再び軍事的側面を取り戻した都市プロメテウスで編み出された破壊的科学の片鱗とも言えるだろう。


 元々は都市上層の限られた機会でのみ有用性を発揮する狙いで考案されたのだが、数十年前に何らかの原因で技術が都市中へ流出したことで、状況は一変した。更新強化人(エキスパンダー)の大量発生を恐れた行政の手で厳しい規制が敷かれても、画期的技術の誘惑を前に、闇社会の医者や研究者たちは抗えなかった。


 人体跳躍手術(ゲノム・ドライブ)――それが、人工的な異能を移植する技術の総称。サイボーグ技術とはまた別種の科学力が被験者へもたらす肉体機能の拡張(エキスパンド)は、この時もしっかりと発動し、未知の怪物を制圧したはずだった。


 しかしながら、未知はラスティの想像を超えていた。


 千切れたはずの触腕。その断面部から肉と神経が気泡のように盛り上がり、瞬く間に元のかたちを取り戻してみせる。


 長期戦の予感。だが長引けば長引くほど、ラスティたちにとって不利になるのは自明である。


「だったら、もっと喰らわせてやるだけだ」


 飽くなき攻撃を続行。能力を発動させながら、これが今の状況で行使できる、唯一の抵抗力だとラスティは感じていた。


 立ち塞がるモノには抗い、できることなら破壊してやりたいという感情に突き動かされた。

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