2-24 PM14:00/天嵐【テンペスト】①
三十年前。大陸に都市が建設された当時から現在に至るまで、常に上層に住まう者たちの口の端に上るものがあった。
造園――戦争で破壊され、汚染された自然への贖罪の念がかたちとなったもの。
決して後戻りできない恐るべき蛮行に手を出したことに対する人類規模の激しい後悔。そのような「まっとうな動機」の下で自然回帰主義運動は都市のあちこちへ飛び火した。運動はやがて人類にとって最も身近な自然――すなわち「肉体」へのさらなる関心と飛躍のためのエネルギーとなり、遺伝子工学が隆盛。人体拡張技術は、自然回帰主義と自然保護精神の下で目覚ましい飛躍を見せていった。
自然保護精神の世界的な醸成に一役買ったのが、スヴァールバル世界種子貯蔵庫の存在である。かつて、とある北欧の国が地下に保有していた世界最大規模の種子銀行。大陸間戦争時に自国が核の炎に焼かれる中、その偉大な鉄の要塞は、マイナス二十度の冷気の中で、数百万種の種子を守護しつづけた。大戦が終結し、爆撃機が雲間を切り裂くことが遂になくなると、待ってましたとばかりに世界中の都市へ種子がばら撒かれていった。各都市の研究機関は、時間をかけて遺伝子を抽出、複製、改良し、汚染された土壌に植えても、重金属酸性雨に晒されようとも、強く生きていける品種を開発していった。全ての種が改良に成功したわけではなかったが、それでも研究者たちは努力し、一定の成果を得た。一般都民向けに開放されているヤーパーグリーン都立自然公園は、そうした品種の見本市としての側面もある。
一方で、上層都民の多くが自宅に構えているプライベートな自然空間とは、少々おもむきを異にする。ここで必要とされているのは、単純な自然への憧憬や慈愛ではない。力と権利の香り豊かな空間。すなわち、富の象徴としての造園である。それは、自然と人工の調和によって完成する美術品と言えた。平面的あるいは立体的な造りになるよう軸線を設定し、花壇を設け、絵画の分割主義よろしく、色相学に基づいて選りすぐりの花々を植栽していくことで完成する……象徴。
評判の良い造園を持つ者ほど、感性の高い、すなわち上層都民に相応しい、優れた人間性を持つ者であると評価される。金のかかる娯楽だ。敷地の立地条件から見定めなければならない。土地を買う金が準備出来たら、今度は腕の良い庭師を雇わなければならない。だからこそ、造園は自らが裕福であることを誇示する、一つのパラメーターとして機能していた。都市が生まれてから現在に至るまで、あるいはこの先も、それは変わらないのだろう。
都市公安委員会の円卓に名を連ねる医療局長のイーライ・サンドリアも、そのパラメーターに固執する一人だった。
「もののあはれ……枯山水と呼ばれる庭園様式だ」
はるか昔に滅んだ東洋の伝統文化の再現。俗に『居間』と呼ばれる空間設計に基づいて建てられた広大な平屋の一画で、イーライは自慢の庭園を突然の訪問者に披露した。
開け放たれた障子の向こうに広がるのは、その名前通り、枯れた山や池を表現した庭園だった。池と言っても、本当に池があるわけではない。水路もない。庭一面に敷かれた、自然の太陽光を浴びて燃えるように輝く白砂をそれと見立てているらしい。白砂の池には、奇妙な波紋が刻まれていた。
「砂紋、あるいは箒目とも言ってな。水や空気の流れを演出するために、波のような起伏をあえて作らせている」
山の役割を果たしているのは、洗練からはほど遠い苔むした岩である。それがいくつか、不規則な間隔で、違和感を覚えるくらいの距離感で互い互いに配置されていた。
龍虎の掛け軸を背に胡坐をかいて座布団に座るイーライは、電析眼鏡の鼻当ての位置を整え、自慢の庭園を眺めて言った。
「豪華な噴水も、華美な花々もいらない。世を表現するのに必要なものだけを、必要なだけ用意し、最適なかたちに配置する。そこに顕れるのは、幽玄の世界。今生の者たちが懼れ、朽ち果て、還り往く道の途上に垣間見える残日だ」
イーライ・サンドリアは庭園から視線を外し、不躾な来訪者へそっと語り掛けた。
「いかにプロメテウスの階層を駆け抜けようと、いずれすべてが無に帰すものだ。この立場になったからこそわかる。都市も、人々も、私も、お前も、己の知らぬところで幽玄の岸に足をかけている」
言葉の途中で、不意にイーライがしかめっ面になった。耳元に不快な音――蚊だ。どうにか手で払いのけようとするが、逃げ足の早いことに、すでにその場を離れたらしい。すぐに静寂が舞い戻る。
「すでにこの世を去った者たちの戯言にしがみついたところで、お前の悪行が白紙に返るわけではない」
来訪者は突っ立ったまま、庭園には目もくれずぞんざいに言い放った。
「悪行か。自分の行動を棚に上げて、よくぞぬけぬけと言えたものだな」
「違うのか? 貴様らは都市の活性を建前に政治をゲームにしてきた。都市を自在に操作できる立場にあるのは自分たちだという意識を肥大化させてきた。そこで暮らす人々の立場すらも、操り人形のように使い倒す。これが悪行でなくてなんなのだ」
作務衣姿のイーライが、その枯木のようなほっそりとした喉の奥から、嗜めるように言葉を紡ぐ。
「いいかね。物事を進めるには、何事も順序というものがあるのだよ……まぁ、お前のような礼儀知らずになにを言ったところで無駄であろうが」
「これは失敬した。私なりに順序を踏んで、ここに来たところなんだが」
「お前の言う順序というのは、流れる必要のない血を流すことに重きを置いているのか?……わざわざ殺す必要もない私のガードマンたちを……手にかけるとは……」
文机の前に腰をおろしたまま、イーライは今しがた屋敷にやってきた、この招かれざる客人の長駆を見上げた。侮蔑と、しかしそれに勝る哀れみと憐憫が込められた目で、彼の者の両手を見やる。
「血に汚れたその薄汚い手を直視せずとも、お前がすでに、人の心を失った野獣であることはわかる。ボルケイノ……きわめて残念なことだ」
微笑みを浮かべる狂猛の狩人。だらりと下げた両手はもちろん、部隊専用の燃えるような赤ジャケットの裾にも、黒く濁り固まった血糊が、べったりと付着している。
この屋敷の敷地内に足を踏み入れて、十五人。実地訓練を積んだ市警上がりの優秀なガードマン。イーライお抱えの警護たちを無力化させるのに、およそ五分とかからなかった。屋敷の手伝いに来ていた婦女子達は恐怖に震え上がり、イーライの居室を無理やり聞き出されると、用済みとばかりに殺されていった。どさくさに紛れて偶然にも逃げ出せた者がいたが、ボルケイノは構わず、その手を血に染めていった。たとえこの状況を市警に通報されたところで、どうということはない。さっさと目的を達成さえすれば良いだけのこと……そう心に決めている。
「さきほど委員会から連絡があった。グルストフが死体で発見されたそうだ」
「ほぉ、どこで?」
どこか他人事のように聞き返すボルケイノの態度に不快感を滲ませつつ、イーライは答えた。
「ここより南方に十キロ。タルト通りのゴミ捨て場の中で遺体が見つかった。眼球を抉られ、耳を削がれ、舌を根本から切り取られた状態でな。死因は大量失血死。匿名の通報者からの通報で判明したとのことだ」
イーライは、ボルケイノが礼儀知らずにも畳の縁を平然と踏みつけている様をそれとなく確認すると、小さく頷き、少しも怖気づくことなく話を続けた。
「検死報告によると、グルストフは別の場所で殺害されてから、死体をタルト通りに遺棄された疑いが高いようだ。死亡推定時刻は午後一時前後。委員会で君達の再運用が決定した直後の出来事だ。分かるかね? つまり奴は博物館へ向かっていたところを、何者かに襲われて殺されたということだよ」
言わんとしていることが分かるな? とでも告げるように、イーライの眼光が鋭くなった。
状況からして、ボルケイノが何かしらの物騒な目的を抱えてやってきたのは、その獰悪な手段からも明白だ。肉体的にも精神的にも追い詰められているのはイーライの側であるはずが、しかし肝心の本人は怖気づくような素振りを全く見せないでいる。都市の政治家どもを相手に立ち回ってきた自信がそうさせるのか。あるいは研究者として培ってきた観察眼が、この一見して窮状とも取れる状態を冷静に捉えているのか。あるいは、いよいよ幽玄への岸に足をかけていることを自覚した故の諦観がそうさせるのか。あるいは……
「ボルケイノ。訊こう。何が目的だ。金か? それとも往都許可証か?」
沈黙――感情の動きがまるで見られなかった。微笑みこそつくってはいるが、唇は死んだ貝のように閉ざされている。じっとこちらを見下ろしてくる荒涼とした瞳。閑寂という点だけで見れば、庭に広がる枯山水と同じものがあった。
「内容によっては法務局長にかけあってやってもいい。金が欲しいのなら、好きなだけやろう。《ヘパイストス》なり《アポロン》なり、他の都市へ行きたいと願うなら、往都許可証の発行手続きも早急に済ませてやろう。ただし……仕事はしろ。いま再びこの都市に舞い戻ってきた厄災を討ち払え。そのうえで、私の監督下において治療を受けるという契約を受諾するのであれば、お前と部下の処遇について、考えてやらんこともない」
「治療だと?」
不敵な笑みを張りつかせたまま、ボルケイノが鼻で笑った。
「ほざけよ痴れ者が。我々の生体データを企業連合体に売り渡し、私腹を肥やし続けてきた者が、よく平然と口にできたものだな」
「……ふむ」
ボルケイノ発言から、彼のバックに誰がついているか。イーライにはおおよそ察しがついた。
「データの件について、なぜ貴様が知っているのか……諜報局のルドフルだな。なるほど、あのモグラが、いまのお前の飼い主というわけか」
イーライの推測にイエス・ノーと答える代わりに、ボルケイノが右手をさっと振るった。指先についた血滴が飛沫となって畳を汚し、彼の掌から、銀色に染まった一本の杭が鋭く出現した。改造によりその身に宿した能力の一端が、その銀色の杭だけが、この静けさ満ちる空間にあって、無音の圧を放ち続けている。
「記憶抹消手術のデータ。それが我々の求めるものだ」
顔は笑っていても、声には有無を言わせぬ迫力があった。返答次第によっては、いつでも杭を打ち込んでやると、暗に告げているようだった。
「ほぅ、それも知っているのか」
杭を警戒しつつ、イーライはとぼけるような口調で言った。だが、彼の頬の筋肉が緊張でわずかに強張るのを、ボルケイノは見逃さなかった。
「博物館のデータサーバーを検索してみたが、どこにも見当たらなかった。あるとするならここだろう。どうなんだ?」
「……貴様が、なぜあの手術に固執するのか、おおよそ察しはつく。だがな、それこそお前の嫌う、順序の問題なのだよ」
イーライが、物覚えの悪い学生に教えるような態度で続ける。
「確かに理論上、記憶抹消手術を適用すれば、被験者の心理的瑕疵を選択的除去できる。だが、臨床試験にもっていくには、まだあと数年はかかると見ている。実用化するにあたってクリアしなければならないテストはいくつもあるんだ。電気痙攣療法に意識場のマッピング技術を応用するというのは、それくらいデリケートなことなのだよ。マッピングの精度を現状より数段上げなければ、他の精神病を発症してしまうリスクも考えられるからな。それに、これは精神医療業界の既得権益を崩す技術でもある。奴らの口を札束や銃口で塞がない限り、実現するのは困難だろう。戦時中のトラウマをすぐに消して、悪夢から解放されたいと願うお前の気持ちはわかるが、だからと言って、これはやりすぎだ。勝手な暴走は許さんぞ」
長々とした講釈の最後に、叱りをひとつまみ。イーライとしては、これでさすがのボルケイノも納得してくれるものと思った。
だが。
「人の気持ちを勝手に推し量ろうとするのが、貴様の悪い癖だな」
狩人が、薄氷のような笑みを貼り付かせて言った。
「……なんだと?」
噛み合わない会話に違和感を覚えるイーライをよそに、ボルケイノはジャケットのポケットからある物を取り出して、目の前に放り投げた。それは文机の上で一、二度、小さく跳ねて、からからと転がり、史机の上に置かれたイーライの手元にぶつかり、ピタリと止まった。
割れたアンプル瓶――底に、ほんのわずかだが薬液の残渣がこびりついている。グルストフに持たせておいた、記憶抹消手術の試験品として開発された精神安定剤。その残骸だ。
思わず、イーライは目を白黒させた。
「これが答えだ。そして、我々の導き出した結論でもある」
霧の中を彷徨っているような表情のイーライに向かって、ボルケイノは傲然と要求を告げる。
「記憶抹消手術の技術データを渡せ。プロトタイプの設計から実験結果、ひとつ残らずこちらに渡せ。すべて私の手で破壊してやる。二度と我々の身体を勝手に弄らせないために」
「お前……何を言っているんだ」
「わからないのか? 我々は記憶抹消手術による治療を必要としていないと言っているのだ」
「バカな」
「我々はこのままでいい。このまま、お前たちが口にするところの『狂人』のままでいい。これは小隊長である私の独断ではない。我々の総意だ」
「なぜだ」
呻くように口にするのが精いっぱいだった。
激しい困惑と緊張感。口の中がみるみる乾いていくのがわかった。
「なぜだ。ボルケイノ。なぜなんだ。健康な肉体と健全な精神を取り戻そうとは思わないのか」
「自分の言う通りにしていれば幸せになれるのに、と言いたげな口ぶりだな。宗教勧誘にしては、やり方が古臭いぞ。どれほど高度な治療を受けようとも、心の渇きを埋めぬ限り、我々が生の実感を得ることはない。だから活動するのだ。鬼血人を復活させ、生きる意味を再び学ぶためにな」
「妄想症でも併発したのか……お前、正気か?」
「我々は、あの強大なる生物と相対している時のみ、生を実感できた。貴様は『トラウマ』と言ったが、それは大きな間違いさ。あの偉大なる怪物たちは、我々に生きる意味を教えてくれたのだ。あの戦場こそが、我々にとって、世界でたった一つの楽土だった。だからこそ、平和に胡座をかくこのプロメテウスで、誰にも承認されず、使い勝手の良い駒として潰されることを拒否した我々には、愚かにも自らの手で葬り去ってしまった楽土を再建する責務と権利があるのだよ」
「なんということだ」
事態が思わぬ方向へ転がり始めたことで、イーライの口調は先ほどまでとは打って変わって精彩さを欠いていた。
「ここまで病状が進行しているとは……もう取り返しがつかない。あの地獄を……多くの都民が犠牲になったあの地獄を、楽土と発言するなど……言語道断だ! 都市に再び悪夢を到来させる気か!?」
イーライは思わず感情を爆発させたが、ボルケイノが相も変わらず氷のような笑みを浮かべ続けているのにぞっとした。まるで死人のような表情に見えたからだ。
「ボルケイノ……お前……」
彼の荒涼とした灰色の瞳に見つめられているうちに、イーライは心が凍てつくような感覚に陥っていった。と同時に、その灰色の瞳の奥底からは、命の炎に燃ゆる都市の時間を、過去という平面に繋ぎ止め、永遠に凍結してやろうという覚悟すら感じ取れた。
いったい、どこからそのような覚悟が湧いてくるのか。これは、本当に唯の狂人の戯言なのか。
ただならぬ予感を覚えて、イーライは思わず尋ねていた。
「鬼血人の復活など、どうやって……現実的な話ではない。いま都市を駆け回っているあの二体を、お前がどうにかするつもりなのか?」
「貴様に全てを話す気はない。だがこれだけは伝えておこう」
右手の人差し指と親指で小さく輪っかをつくると、ボルケイノはイーライを見下ろしたままの姿勢で言った。
「貴様の見ている現実と、私の見ている現実は違う。見ているものが違えば、価値観も自ずと異なってくる。大衆にとっての悪夢、それすなわち我々にとっての瑞夢だ。吉良なる夢なのだよ」
「……何事においても、順序というものは大切なのだよ、ボルケイノ」
イーライが、己の置かれた現状を嘆くように呻いた。生命の危機に怯えているのとは、また違うニュアンスが込められていた。
「平和を取り戻した都市で、お前たちを鬼血人討伐の後遺症から立ち直らせなければ、本当の意味で鬼禍殲滅作戦が成功したとは言えない。私はそう委員会に訴え続け、お前たちの治療に励んでいたというのに……なぜその時が待てなんだか」
「愚かだな、イーライ・サンドリア。すでに己が何者であるかを知った人間を再教育することが、無駄な行為であるとなぜ気づかない?」
ボルケイノは輪っかを作った指をほどくと、イーライとの相手に越境不可能な境界線を引くように口にした。
「斧は、それ自身が誰に向かって振り下ろされるかを知らない。銃は、それ自身がどんな弾薬を詰め込まれているかを知らない。だが、我々は知っているのだ。自分達に備わった力が、何を成すべきためにあるのか。自己存在の意義が、何によって成り立つのか。答えは鬼血人だ。我々は、彼の者らと死ぬまで戦い続けなければならない。それが我々の生きる意味だ。我々から生存権利を奪い去ることは、誰にもできない」
「……それが、貴様ら狩人の決断か」
返事がないのを同意と見てとると、イーライが、その瘤のように盛り上がった喉仏をゆっくり上下させ、皴だらけの顔を緊張で硬くさせながら言った。
「ならば私としても、お前たちの暴走を、見過ごすわけにはいかんな。お前たちには、お前たち本来の務めを果たしてもらわねば困る」
「委員会が束になって我々の前に立ちはだかるか」
「そんな悠長な時間などない。いま、この場で、お前の腐った性根を叩きなおす」
憤怒の形相で見つめ返すイーライだが、その姿は丸腰の初老の男に過ぎない。
ボルケイノが鼻で笑う。
「強がりはよせ。死にゆく老人が無理をすることはない」
「マナーのなってない奴に、そんなことを言われる筋合いはないな」
「マナー?」
「畳の縁を踏んでいるぞ」
言われて初めて気づいたというように、足下を見る。土足の右足が、見事に踏んでいた。藍色に染色された麻糸のラインを。
「これは失礼」と、おどけるように言って、右足を持ち上げようとする。
動かない。
右足だけではない。左足までも。
いや――首から下の肉体が、意識を離れて、岩のように固まっていた。
「ボルケイノ。だから言ったろう」
イーライの眼が鋭く光る。
「順序は大事なのだと」




