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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
2nd Story フェイト・オブ・ジ・イノセンス・ギア
57/130

2-22 PM13:32/それが奴の武器なれば

「凄い。凄いぞこれは……これは、とんでもない大発見じゃないか」


 興奮を隠しきれない様子で呟きながら、脂肪に覆われたうなじのマルチ・スロットから有線ケーブルを引き抜く。

 電脳世界から帰還してきたオーウェル・パンドラは、没入(ジャック・イン)専用のコンソール・チェアの背もたれに全身を預けると、熱い吐息を漏らした。


 いましがた手に入れたばかりの情報――その価値を噛み締める度に自然と笑みがこぼれる。愉悦の笑みだ。都市の金持ち相手から、これだけの情報を抜き取れた事実に気分が浮ついて、呼吸も自然と荒くなる。


 ギュスターヴ・ナイル。上層へ行ける身分でありながら中層に留まる奇特な人物。食えない相手だと思った。同時にひどく気に食わない奴だとも。


 都市随一の大企業・レーヴァトール社の最高顧問としての、あの自信に漲るような態度。自らの振る舞いを全く省みない、生まれながらの成功者であることを見せつけてくる口ぶり。思い出すだけでも腹立たしいことこの上なかった。


 そんな老獪な人物のデータサーバーは、予想通り権力者らしい堅牢なセキュリティに守られていた。どこまでも予想通りで、何一つとしてオーウェルの想定を超えてくるような巧妙な仕掛けは、ひとつも施されていなかった。投資家性分らしい、定石に則った正直すぎるセキュリティ構築と言えた。


 ゆえに、オーウェルからしてみれば児戯に等しい。それゆえにスリルには欠ける。それでも手塩にかけて育ててきたサイバー・ワームたちを駆使してセキュリティを崩す時、いつも背筋が痺れるような快感を味わうのはなぜか? 


 答えは明白だ。呑気に安穏とした日々を送っている奴らの生活基盤を、自分のような人間が脅かしているという、ある種の達成感のせいである。


 オーウェルの仕事に手抜かりはない。IPアドレスの偽装はもちろん、侵入に使用した回線は捻じれに捻じってあるし、痕跡も何一つとして残していない。ギュスターヴは自分が何をどのような手段で盗まれたか、気づけてすらいないのだ。


「くっ……くくくっ!」


 おかしさで笑いがこみあげてくる。滑稽だった。これ以上に無い喜劇だった。その喜劇の主役にして演出家は、他ならぬ自分なのだ。奴隷が王を刺す気分とは、まさにこんな感覚なのだろうか。


 電脳世界で味わった高揚感を現実世界へ持ち帰り、オーウェルはしばし陶然となった。五分だったか、十分だったか。とにかく時が流れたのは確実だった。


 その確実な時の流れの中で、次第に熱狂は冷め、周囲を観察できるだけの余裕を取り戻すにつれ、たまらなく寂しい気分に落ち込んでしまう。


 いつもこうなのだ。ひと仕事終えた後には、いつも言い知れぬ虚無感が彼の心を襲ってくる。今しがた発揮した電脳技術。それを使いこなせるようになったそもそものきっかけに想いを馳せずにはいられないせいだった。


 脳に障害を負って生まれてきた自分。ハンディキャップを与えてくれた神様。それらに感謝しない日はない。そうでなければ、電脳化手術を受ける機会にすら恵まれなかったろう。だが一方では、自分が病気に罹りさえしていなければ、実父が命を削ってまで手術費用を貯めることもなかったのではないか。そんな風に考えない日はなかった。


 落ち往く螺旋の沼に、今の今までずっと縛られていた。『この情報』を手に入れるまでは、ずっと。


 他のメンバーたちがどんな生い立ちを背負っているのか、オーウェルは知らない。そういう過去話を共有する機会というのがなかった。皆、それぞれに訳ありの人生を歩んできたはずだという予感はあっても、わざわざ自分から進んで話す者はいなかったし、そういう話題に触れるのを、意図的に避けているように感じた。


 それでもおそらく、実の父親に関して言えば、自分は幸運な方だと断言できる。


 連邦で生まれ育ったオーウェル・パンドラ。彼の父は、どこにでもいる普通の平民だった。これといった趣味もなく、これといった特技もない。それなのに、一度こうと決めたら決して他人に譲らない頑固さがあった。


 父は、たまたま客として足を運んだバーで水商売をやっていた母と出会い、一目惚れして求婚したのだという話を、その昔に本人の口から聞かされた時があった。こうと決めたら周囲の反対も聞かずに突っ走る、いかにも父らしい馴れ初めだとオーウェルは思った。


 あんたって、つまらない男ね――母はいつもそう言って父を冷たく侮辱していた。そんな母が、オーウェルは嫌いだった。互いに愛し合って結婚したはずなのに、なぜ父を罵るのか、子供の頃は不思議でしょうがなかった。


 大人になったいまでは、母の言っていたことも、ほんの少しは理解できる。けれども、彼の中での父の評価が下がることはなかった。彼にとっては、良い父親だったのだ。


 それを証明する出来事が、今でもオーウェルの脳裡にこびりついている。

 彼が三歳の頃の話だ。体の不調を訴えて病院に連れていってもらい、検診を受けたところ、脳に小指程度の腫瘍が発見された。治療の為に、父はそれまで以上に懸命に働いて金を貯め、息子に電脳手術を受けさせた。


 手術が成功して退院が決まった日、母はつまらなさそうに待合室で爪を弄っていたが、父だけは違った。


――息子よ。君は勝ったんだ。よく頑張った。


 そう言って泣いて喜び、力一杯に抱きしめてくれた。


 そんな父が『つまらない男』だとは決して思いたくなかった。そんな風に感じてしまっては父に対して申し訳ないし、なにより、父が助けようとした自分もまた『つまらない男が助けようとした、つまらない男』になってしまうからだ。


 端的に言って、母は父を恨んでいたと言って良かった。息子ばかりに構って、自分のためにお金を使わなかったことをひどく根に持っているらしかった。母にとって重要なのは、自分をどれだけ楽しませてくれるかという点だけで、それこそが、彼女の人生の基準だったのだろう。


 働きづめだった父が過労死した時、オーウェルはまだ七歳だった。納棺された父の蒼白い顔を見た瞬間、それまでどこか信じられずにいた『父の死』をまざまざと見せつけられて、泣くよりも先にショックでその場で倒れてしまった。


 再び目が覚めた時、オーウェルは吃音症を発症していた。


――きっと、これは罰なんだろう。


 父を追い込んでしまったのは、他ならぬ自分自身の病なのだから、これは神が自らに与えた罰なのだ。だから、受け入れなければならない。一人で勝手にそんな意味付けをして、納得するようになった。


 本人の意志がどうであれ、親ならば、大事なひとり息子の吃音症を治そうと何かしらの手を打つはずである。けれども、オーウェルの母は特にこれといった動きを見せなかった。悲観的になることもなかった。彼女は息子に対して、どこまでも無関心だった。父とは真逆のその態度が、幼いオーウェルにはたまらなく哀しかった。


 喪が明けて早々、母が見知らぬ男を家に連れてきた日のことを、オーウェルは今でもはっきりと覚えている。


――この人、今日からここに住むから。


 そう言って母が紹介したのは、派手な金髪に銀色のチェーンを首から下げた、きつい香水を漂わせている乱暴な言葉使いの男だった。水商売の母が連れてきた、ホストの男。母のために金を使う男。彼がどんな名前だったか、今でもオーウェルは思い出せないでいる。


 男がオーウェルと母の暮らすアパートに転がり込んできたその日から、彼の居場所は完全に消滅した。なぜ父親でもなんでもない赤の他人が、我が物顔で家で胡座をかいているのか、大変に不満だった。

 

 だが、文句を口にすれば母の機嫌が悪くなるのは分かりきっていたから、子供なりに機転を利かせて、男と母が居間にいる時は、物音ひとつ立てずに子供部屋で大人しくしていた。それにも飽きてくると、テレビの音を消した状態で、地上波放送される映画を観て暇を潰した。


 父が生きていた頃は学校に通っていたが、亡くなってからは『学費がもったいない』という理由で、通わせてはもらえなかった。学校はそれほど好きではなかったし、友達もいなかった。別にそのことはどうでも良かった。


 ただ、当時のオーウェルにとって重要なのは、男が見境なく浴びせてくる日常的な暴力からどうやって身を守るか、それだけだった。それだけが重大な事案だった。


 オーウェルにとって、母が夢中になっているその男は獰猛な動物そのものだった。


 これといった理由もなく、殴る蹴るなどの暴行を働いてくる。ときには煙草の火を腕や顔に押しつけられたり、熱湯を浴びせられて火傷を負ったり、革ベルトで滅茶苦茶にぶたれたりもした。


 そういう時、オーウェルにできることと言ったら、謝罪の言葉をひたすら唱え続けることだけであった。それでも、男の怒りがすぐに鎮火することはなかった。意味が分からなかったし、なにより恐ろしかった。


 そしてたまらなく哀しかった。自分が辛い目に遭っている時、決まって母は知らんぷりを決め込むからだ。どれだけ泣き叫んでも無駄だった。他人事のような態度を貫く母の姿を目に焼き付ける度に、オーウェルはますます孤独感を深めていった。


 ある日のことだ。男と母がオーウェル一人を残して、どこかへ遊びに出かけた昼下がりの頃。家に一人残されたオーウェルは、ろくに朝飯も食わせて貰えなかったせいで、お腹を空かせていた。


 何かないかと冷蔵庫を漁っていると、コンビニのプリンが目に入った。そのプリンが、あまりにも美味しそうに見えたせいで、我慢できずに食べてしまったのが、事件の始まりだった。


――プリンが、俺のプリンがない!


 帰宅して冷蔵庫を開けるやいなや、男が激しい癇癪を起した。たかが一個のプリンを子供に食べられたくらいで。たったそれだけのことが、男のみみっちいプライドをいたく傷つけた。


 その日、男の振るう暴力は、まるで嵐のように荒れ狂っていた。


――この盗人! 吃音野郎! 俺の大事にとっておいたプリンを返せ!


 殴打に次ぐ殴打。我慢できずに泣き叫ぶと、比例するようにますます暴力の密度は向上していった。そしてついに、男は近くにあったライターを手に取ると、一切躊躇することなく、オーウェルの髪に火を点けた。


 オーウェルはたまらず転げ回った。弾みでカーテンに火が燃え移った。さすがに狂暴な男もこれには驚いたようで、慌ててベランダへ駆け込んだ。その拍子に、足下に置いてあった石油ストーブを思いがけず蹴り倒した。崩れかけたバランスを支えようと、男は、たまたま目に入ったカーテンの裾を掴もうとした。体重がすべて乗ったせいで、プラスチック製の留め具はあっさりと壊れ、火のついたカーテンが石油ストーブの上に落下した。


 途端に、あたりを分厚く覆う熱波。瞬く間に、子供部屋は炎に包まれた。


 あまりにもお粗末過ぎる経緯だが、現にそうしてマンションの一室は地獄絵図と化した。


 男が火だるまになって阿鼻叫喚に陥るなか、隣の部屋にいた母は、慌てて水をバケツに汲んで、男に向かって浴びせた。しかし、すでに獰猛な領域まで拡大成長した炎の勢いは止められず、ニットのセーターという燃えやすい素材を着ていたことが仇となり、母もまた真っ赤な舌に舐られた。


 炎と煙を着飾って二人が奇妙なダンスを踊っている最中、オーウェルは辛うじて玄関の外へ飛び出していた後だった。自分の身を守る事だけで、精一杯だった。


 近隣住民の通報で救急車、消防車、軍警察が駆け付けた頃には、すでに炎は同じ階の三部屋分を延焼する規模にまで拡大していた。


 無論、男と母は仲良く黒炭と化して、これまた仲良くブルーシートを掛けられて、検死解剖のために救急車へ乗せられていった。


 父の時とは違って、オーウェルが気をやってしまうことはなかった。


 この時、オーウェルはまだ九歳になったばかりで、ちょうど連邦と大陸が戦争を開始した時期でもあった。それは世界にとっての大きな変革を意味していたが、オーウェル個人にも、大きな変化が到来する時節となった。身寄りを失くした幼い彼は、環境上擁護を必要とせざるを得ない存在になり――すなわち、児童養護施設への入所が決まったのである。


 だが、そこもまた、悪徳を煮詰めたような場所だった。


 施設の職員たちから暴力を振るわれるとか、食事にもろくにありつけないとか、そういうことではない。時には親切に接してくれるし、誕生日だって祝ってくれる。


 ただ、道義に反した商売に手を出していたというだけ。


 少年少女たちの違法労働――オーウェルが国の手続きの下で入所することになった施設は、児童買春の温床と化していた。けばけばしい化粧に、派手で淫靡な香りのする衣装。性技の数々を仕込まれて言葉遣いまで調教された少年少女。彼らは高額の金銭を得る代わりに、毎晩秘密裏に客を取り、奉仕させられていた。


 一方でオーウェルに与えられた仕事というのは、キャストではなく裏方としての仕事だった。なぜ裏方に回されたかというと、顔つきがそれほど良くないからという、至極単純な理由のためだ。


 その児童養護施設の地下には、いくつものプレイ・ルームがあった。各部屋には客やキャストに気づかれない絶妙な位置に監視カメラが備え付けられていて、モニター・ルームとあだ名された別室で映像を注視しながら、録画データを記録用のディスクに保存する。それが、彼の仕事となった。


 それがいかに重要なワークであるか、施設長は懇切丁寧にオーウェルに説明した。


 たとえば客がサービス外の要求をキャストに無理強いさせて、キャストが肉体的、精神的な傷を負った時、録画データは強請りに使える。実際に施設は記録ディスクで裏付けされた事実を盾にして顧客を脅し、口止め料金として多額の金銭を裏で得ていたのだ。


 日が経つにつれ、月を重ねるごとに、タワーのように積み上がっていく記録用ディスク。毎晩遅くまで、青白く輝くいくつものモニター越しに少年少女たちの痴態を観察し、違法な動画ファイルを保存していくだけの人生。


 そんな日々を送っているうちに、オーウェルの中で、何かが吹っ切れた。


 道理であるとか、倫理であるとか、人が生きる上で遵守せねばならないと教え込まれている常識という名の観念。そんなものに縋っていても、幸せを勝ち取ることなどできないと、次第に自覚するようになっていった。


 現に、モニターの向こう側で少年少女たちの身体を貪る客たちの素性を名簿帳で確認した時、オーウェルは唖然となったものだ。代議士に医者、軍人、芸能人……それなりの力と金を持つ者ばかり。彼らが道理に反した行為に及んでも、自分達が暴露しない限りは咎められない。世間はルールから逸脱する者を糾弾するくせに、法を平然と踏みにじることを許された者達が少なからず跋扈している。


 家に転がり込んできたあの男だって、そうだ。なんの罪もない自分を殴りつけておきながら、法によって裁かれることは最後までなかった。勝手に丸焼けになって死んだだけだ。社会はあの男に対して、なんの罰則も与えなかった。あの男は最後まで法を無視し続け、それを自然と許されていた。社会の無関心がそうさせたのだと、強く実感した。


 薄暗いモニター・ルームで、次第に膨れ上がっていくオーウェルの昏い意志――矛盾した社会によって歪められた心のベクトル――あの男のように、施設長のように、人目を盗んでプレイ・ルームに足を運ぶ客のように、自らもまた法を平然と逸脱できる存在になりたい。


 そう心に決めた日から、オーウェルは施設長に内緒で、記録ディスクのコピーをフラッシュメモリに取るようになった。容量の関係から、全ての動画を移すことは叶わない。それでも十分だった。どんなかたちであれ、武器を手にしたかったのだ。持たざる者から『何か』を持つ者へ成り上がるための武器を。


 果たしてオーウェルが自力で手に入れたその武器は、本人も想像しなかったかたちで効力を発揮することになる。


 施設に入所してから八年。十七歳になった時、施設が売春防止法違反と児童福祉法違反の容疑で、軍警察による一斉捜査を受けることになったのだ。施設を辞めた元職員の告発によって下賤な商売の中身が明るみになり、施設長をはじめ、何人もの職員が逮捕された。


 ただ、施設長は賢しいことに、逮捕の直前にあの録画データを全て処分していた。最後の悪あがきという奴だ。だがその悪あがきのせいで捜査が難航しているのだと、オーウェルに接触してきた軍部関係者は口にした。


 取り調べ室で、オーウェルは軍部関係者から、ある取引を持ち掛けられた。


――君に正規の仕事をやろう。電脳関係の仕事だ。報酬も弾む。その代わりと言ってはなんだが、施設の記録データのコピーを、こちらに渡してもらいたい。持っているんだろう?


 柔和な笑みを浮かべるその壮年の軍人を前に、オーウェルは当惑した。辛うじて廃棄を免れた記録用ディスクにコピーガードが解除された形跡があり、それで足がついてしまったのだと後で知った時は、自らの爪の甘さに嫌気が差したものだった。


 オーウェルを説得してきた軍部関係者。彼らは戦争の主導権を握っているタカ派とは異なり、最後まで開戦に否定的だったハト派だった。


――我々は未来を見据えている。この大陸間戦争で、連邦はギリギリのところで勝利するだろう。その時に急進派の連中が国のかじ取りを行う羽目になったら、また同じ過ちを犯す危険がある。それだけは、避けなければならないんだ。君も平和を愛する連邦民なら、分かってくれるね?


 相手の弱みを握り、時機を見てマスコミへ暴露する――それがハト派の筋書きだった。その時になってオーウェルは、浅ましい欲望を解消するために施設を利用していた客の中に、急進派の大物政治家がいることを知ったのだ。


 ハト派の連中との取引に、オーウェルは素直に応じた。応じざるを得なかった。自分より立場が上の者に対して、歯向かうような真似をしたらどんな目に遭うか……幼少期の頃に刷り込まれた暴力への恐怖は確実にトラウマとなって、彼の心を蝕んでいた。


 彼らは約束を守ると、オーウェルの電脳にさっそく目をつけた。人手不足というのもあって、彼はただちに連邦軍の諜報部隊に配属され、電脳兵としてのキャリアをスタートさせた。戦争末期のことだった。


 そこはオーウェルにとって、素晴らしいの一言に尽きる環境だった。没入(ジャック・イン)専用のコンソールチェア。実戦投入を想定して試作された数々の軍用のアプリケーション。そして、敵電脳兵の脳内へ忍び込み、人格破壊やセキュリティ破壊に特化したウイルス・プログラム。サイバー・ワームの幾何学的な構造図。どれもこれも興味深くて、それこそ別世界にやってきたような心持ちにさせてくれた。


 初期訓練プログラムを修了したオーウェルは、電脳世界での実地訓練を繰り返していくなかで、その秘められた才覚を開花させていった。他の誰よりも敵地の情報を収集し、わざと誤情報を掴ませ、事態をかく乱する術を学び、それをしっかり自分の技術として吸収していった。


 兵士を駒としてしか見ていなかった上官は、オーウェルを褒めることをしなかったし、同僚もオーウェルの腕前をやっかんできたが、本人にとってはどうでも良いことだった。ようやく『それ』を手に入れたのだという確信を、生まれて初めて掴めたからだ。


 武器――オーウェルの中で、その意味が更新された。半ば脅されるようなかたちで手渡してしまったフラッシュメモリに執着していたのが、馬鹿馬鹿しく思えてきた。あんなものは、武器でもなんでもない。あれはただのゴシップ。ただの猥雑な動画集だ。そんなものに価値を求めていた昔の自分が愚かだったのだと、深く反省した。


 電脳技術。それがオーウェルにとっての新たな武器となった。


 大戦終結後、軍属から放逐された後も、オーウェルはひたすら、自らがようやく獲得した武器を美しく正確に磨き上げることに熱中した。子供が、生まれて初めてのおもちゃを与えられた時のように、彼はそれに夢中になった。電脳IPアドレスの偽装工作や、偽のアクセスログをばら撒く手段を、高いレベルで実行できるように取り組んだ。目標とするサーバーへの割り込み技術が、もっとスムーズにいくよう試行錯誤を繰り返した。電脳技研が企業に提供する炎上防壁(ファイアウォール)の種類と強度とその特徴を、徹底して頭に叩き込んだ。自作ソフトウェアの開発にも取り組み、軍人時代を思い出しながら、オリジナルのサイバー・ワームの作成にも成功した。


 ハードウェアとしての電脳を形成する電脳基盤(サーキット)は、いちど頭蓋内部に埋め込まれると脳神経と完全に結合した状態になるため、不可逆的存在となる。だからせめて、アプリケーションのアップデートだけは徹底してやろうと決め、信頼できる電脳技師とのコネクションを持つように努力もした。人付き合いは元来苦手な方だったが、武器を鍛え上げるためなら――自分でも驚きだったが――そんな障害はやすやすと乗り越えられた。


 そうして研磨していく技術に引っ張られていくかたちで、次第にオーウェルは、自分が本当は何を望んでいるのかを、意識していくようになった。


 この矛盾した社会を良しとする者達へ、罰を与えなくては。

 敵は施設長であり、客であり、あの男だ。

 今も脳裡に棲み付くあいつらに、思い知らせてやらなければ。

 僕は、ここにいるのだということを。


 LOOK AT ME(ぼくをみろ)――自己顕示欲を糧に、オーウェルは大戦後の電脳世界を駆け巡った。社会に対する強烈な復讐心が、男を稀代のサイバー犯罪者へ変貌させていったのだ。企業や政党本部のサーバーへ攻撃を仕掛け、情報を盗み取り、それを餌にあちこちへ取引を持ちかける。大戦後に建造された数々の都市が、いまだ混沌とした社会の様相を呈していたなか、オーウェルは一人で闘い続けた。


 そんなことを続けて十年が経過した頃。


 ある日、一人の女が、電子機器の要塞と化した自宅を訪問してきた。


――あなたが噂に聞く電脳の道化師(サイバークラウン)? 知り合いの電脳技師から居場所を聞いてここにきたんですけど、良かったら私たちのチームに入りませんか? 腕の良い電子戦担当者がいなくて、困っているんです。


 初対面の相手――無論のこと警戒はした。だがしかし、女の美貌に心を奪われたのが先だった。人見知りな性格に加えて相手が美女となったら、稀代の電脳犯罪者たるオーウェルの脳は途端にバグった。女を知らない初心な男が見せる下心を、そうと気づかれぬよう隠しながら、彼は二言目にはオーケーと返していた。それが、はたして『一目惚れ』と呼べるものかどうか、当時の本人には見当もつかなかった。


 女――アンジェラ・ミキサーの誘いに乗って《凍える脊椎(バック・ボーン)》に加入したオーウェルだったが、それはアンジーの美貌に惹かれたからという邪な想いからであって、本人としては、チームの存在自体をそれほど大事には感じていなかった。


 別に、抜けたければいつでも抜けていい――自らにそう言い聞かせて壁をつくり、ヴォイドやパンク、リガンドたちがそれとなく交流を持とうとしてきても、そっけない返事を繰り返した。


 嫌われることは怖くなかった。いつだって他人から嫌われ、無視されてきたのだ。これくらいのことは慣れている。どうってことはない。誰が相手でも決して揺らがない心の壁を造り、孤高を気取り続けて数ヶ月後、とある依頼の遂行中で、オーウェルは死にかけた。


 その依頼は、階層間エレベーターの建設コンペにまつわるものだった。競合先から建築素材の見積表と仕様の一切合切を盗みだしてきて欲しいという、とある企業からの依頼だった。楽勝だと高をくくった。

 

 現実世界ではヴォイドたちが、電脳空間ではオーウェルが攻勢を仕掛ける。現実と非現実を舞台にした電撃作戦。その最中にオーウェルは死にかけた。何のことはない。相手の力量が上だっただけのことだ。


 しかしながら、オーウェルには意地があった。死ぬことは我慢ならなかった。せっかく磨き上げてきた武器を手にしていながら、あっけなく死ぬなど――鋼鉄のような意地だけが、彼を生かした。


 脳死(フラットライン)すれすれのところで、彼は帰還した。しっかりと情報を持ち帰って。


 すでに地上での作戦を終えた仲間たちの姿が目に入った。冷や汗をかき続けるオーウェルを見下ろし、皆口々に安堵の溜息をついた。


 間抜け、もっと要領よくやれ――そんな罵倒を浴びせられるものだと思っていた。しかしながら、オーウェルのネガティブな思考を覆すように、ヴォイドはコンソールチェアの背もたれに手をかけると、汗まみれの電子戦担当へ微笑みかけた。


――オーウェル、君は勝ったんだ。よく頑張った。


 反射的に目を見開いた。


 奇妙な因果のもつれか、あるいはただの偶然か。かつて敬愛していた父と同じ台詞を平然と口にしてみせたヴォイドを前に、オーウェルは石のように固まるしかなかった。


 やがて、意識がしかと現実を捉えた時、オーウェルは、己の瞳が熱い滴に溺れていることに気づいた。それがなぜ湧いてきたのか、源泉が何であるかも、おぼろげだが理解できた。


 吃音は、これを機に完全に治まった。


「早くみんなに、みんなに知らせよう。この情報の価値を」


 だから彼は――暗闇の中で孤独に武器を練り上げ続け、己の生き場所などついぞ知ることなく人生を終えるはずだったオーウェル・パンドラは。


願望授受体(フォークロア)……あの少女を手に入れるのは僕たちだ! ギュスターヴなんかにくれてやるものか! 幸せになるのは僕たちだ!」


 チームのために、生きると決意したのだ。

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