2-8 AM:9:20/《凍える脊椎》と《人食い鰐》④
「うろんな話だ。そうは思わねぇか? リガンドよ」
ギュスターヴとの通話を終えて『噴水』のチャンネルを切った途端、パンクがいつもの調子で椅子の背もたれに体重を預け、ちょうど対面に座るリガンドへ言葉を投げた。慣れない沈黙の苦行からようやく解放されたとばかりに、軽く伸びをしながら。
「そうですね。確かにナイル氏の言葉の端々には、何かを隠し通そうとする意志があるのを感じられましたね」
「リガンド、まずは君の意見を聞かせてくれ。先ほどの会話の中で、どんな所感を得た?」
チームリーダーらしいヴォイドの速やかな促し。リガンドは額に垂れた前髪の一部を指でいじりながら答えた。
「ナイル氏の依頼内容を聞いたヴォイドが『それは少女を保護するということで良いのか』と確認を取った際に、彼は『まぁその通りだ』と口にしていましたが、明らかに奥歯に物が挟まったような口ぶりでした。ただ単に保護する以外に、何か人には明かせない目的があるとみるのが妥当でしょうね」
「それなら俺も感じたぜ」
リガンドの意見を引き継ぐかたちで、パンクが続ける。
「あのジジイ。会話のケツの方で、少女を保護するんじゃなくて、確保って言いやがった。思わず本音が漏れたってところだったな。保護って言葉には『善意』の印象しかねぇが、確保って言い換えたら、そうとはならねぇ。つまり『少女を使って何かを実行したがっている』か、あるいは『少女を何らかの取引材料にしたいのか』のどちらかだろうよ」
「結論を出すのはまだ早い。アンジー、君からは何かないか?」
「ある。発信機を取り付けたエージェントの話になった時、あの依頼人はなぜかエージェントに武道の心得があるって言ってた。率直におかしいと思ったよ。なんでそこでいきなり、エージェントに戦闘能力があるという情報を寄こしてきたんだろって」
「まるで、少女を狙う何者かの存在を危惧しているような感じだったよね」
脂肪まみれの首を絞めつけるネクタイをうっとおしそうに外しながら、オーウェルが補足した。だるだるのぜい肉がぷるぷると揺れて静まった。
「オーウェル。君の所感を」
「エージェント。奴はそれを繰り返し使っていた。恐らくナイルの私設兵たちだ。使用人とか、そんなちゃちなもんじゃない。レーヴァトール社の最高顧問ならそれくらい用意していたとしても不思議じゃないよ。最初はそいつらを使って少女を確保しようとしていた。けれども失敗して、それで僕らを頼ってきた。そんな感じじゃないかな」
「もしかすると私たちだけでなく、他のハンターズ・ギルドにも同様の依頼を投げている可能性がありますね」と、視野を広げるリガンド。
「多重契約かよ。禁止されてねぇとは言っても、気持ちのいいもんじゃねぇな」と、金を横取りされる危険性を想像して、焦りをみせるパンク。
「少女がナイルとどういった関係にあるのかも気になりますけど、それよりも不思議なのは、ナイルがなぜ『階層間エレベーターを使って昇ってくる』なんて発想に至ったのか。あまりにも突拍子が過ぎると思いませんか?」と、周囲の反応を伺うように疑問を呈するアンジー。
「少女のパーソナルな部分の情報をあらかじめ持っていないと、飛び出してこない発想だね。ただの少女だって言っていたけど、十中八九嘘だと思う。ナイル氏は少女が『なんらかの秘密』を持っていることを知っていて、それを手にしたがっているんじゃないかな」と、ナイルと少女の結びつきに固執するオーウェル。
「ナイルの私生児、とかでしょうか」と、短く予測を告げるリガンド。
「私生児ねぇ……」と、それもあるかもしれないと頷きかけるパンク。
「ナイルの弱みにはなりますね。スキャンダルに飢えているマスコミにとっては格好の餌になります。餌としての機能を知られる前に、冷凍庫に閉じ込めて蓋をしちゃおうという寸法ですか」と、特徴的な比喩で二人の意見を補強するアンジー。
「それなら、エージェントたちを使って内々に済まそうっていう当初の行動も、つじつまが合うね」と、さっそく結論めいたことを口にするオーウェル。
だが、どれだけ所感を元に意見を交わしてみても、釈然としないものが全員の胸にしこりとして残った。その最大の要因となっているのは、ギュスターヴが最後に残した意味深長な一言に他ならない。
一通りメンバーの意見が出尽くしたところで、ヴォイドは電脳アプリの一つである『ホワイト・ボード』を立ち上げると、視覚野に映し出された仮想の白い板に仮想のペンで文字を走らせていく。
チームを率いる以上、リーダーに求められるスキル。チームの椎間板としての役目。皆の意見を元に自分達の置かれた状況を出来る限り白く照らしていくという行為は、ヴォイドにとっては、ほとんど癖のようなものとなっていた。
事態を整理――依頼の目的=少女の保護と、ナイル氏の自宅への送り届け。
猶予期間=二日間以内。
懸念その一=少女の傍にいると考えられる『護衛者』または『誘拐者』とみられる、排除対象の人物について。仮に『敵性者』と呼称。その人相。その性別。その戦闘能力。いずれも不明。ナイル氏の予測=エレベーターの武装警備員以上の武力保有。
懸念その二=保護対象の少女とは何者か? 名前=不明。ナイル氏と個人的な繋がり?=保留事項。目下の目的はそこではない。
懸念その三=他のハンターズ・ギルドの動き。ナイル氏が多重契約をした可能性=限りなく高い。
そうして『懸念その四』を書き留めようとしたところで、ヴォイドの半有機的に機械化された大脳の襞が、冷え冷えとしたものを感じ取った。今まさにその文言を記そうとした時、経験したことのない寒々しさが全身を襲った。
懸念その四=ナイル氏の不可解な呼びかけ=君たちは奇跡を信じるか。
脳裡で唱えるだけで襲われる、とてつもない居心地の悪さと、ざわめく心臓の音。
奇跡……その現実離れした言葉の威力をまざまざと喰らって、足元の床が傾く感覚と共に、過去の光景が息を吹き返す。
血まみれの戦場。失われた場所。失われた家族。失われた心。失われた自分。回帰すべき道はすべて消滅していた。はるか昔に。
「どうしたの、ヴォイド」
呼びかけに思考を取り戻す。アンジーが、心配げな視線を寄こしている。
「まとめているの? みんなの意見」
「ああ」
「ずいぶんと怖い顔してるけど、大丈夫?」
「なんでもない」
書きかけの『懸念その四』を急いで消し、別の記載を手早く済ます。
備考欄=破格の報酬。
ヴォイドはボードにまとめた情報をファイリングすると、髄網を通じて各メンバーへ共有させた。
「そこにも書かれているように、目下の目標は、少女と共に行動しているとみられる敵性者の排除と、少女の保護だ」
ヴォイドは立ち上がると皆を見下ろした。椅子に座ったままの四人が視線を向ける。
リビングを舞台に渦巻く感情。期待と昂揚と僅かな不安。それらを全て受け止め、一つの『あるべき姿勢』へ整えようと、ヴォイドは落ち着き払った様子で言葉を紡いだ。
「少女が何者であるか。それについて各々が想像を巡らすのは構わない。だが、想像力に足を掬われてはならない。現実の問題を片付けることに、まずは専念しよう。幸いにも、ナイル氏は俺達の活動に対する『保障』を約束してくれた。これは大きなことだ。俺達の持てる力を全て出し切り、敵性者を排除し、少女を保護する……君たちの、教育者としての素晴らしい活動に期待する」
どっと、リビングに笑い声が満ちた。さっきまでの緊張感が、嘘のようにほぐれた。
「どちらかっつったら、福祉職員じゃねーのぉ?」
「まぁ、か弱い娘に引っ付いた悪友にお仕置きをするという点は、たしかに教育者っぽくはありますね」
「パンク、リガンド。いつものように、まずは《震撃速》たるお前たちが先鋒として急行してくれ。どれだけ派手に暴れても、俺達の名前は表には出ない。存分にやるんだ」
「あいよ。すぐに準備するぜ」
「オーウェルは後方支援に当たってくれ。マップの光点から目を離すなよ」
「監視センターへのハッキングもでしょ? オーケー、それほど時間はかからないよ」
「心強いな。電脳世界の道化師の名に懸けて、インフラエンジニアたちの鼻を明かしてやれ。アンジーはここで俺と待機。オーウェルの通信を介して現場の映像をチェックするぞ」
「分かった」
機敏な指示の下に、各々が動き出した。パンクとリガンド、そしてオーウェルの三人が自室へ戻った。広々としたリビングに、ヴォイドとアンジーだけが取り残された。
「そういえばさ、ヴォイド」
「なんだ?」
椅子に座り直し、ふと窓の外へ目をやったヴォイドに、アンジーが秘密基地を発見した子供のようなはしゃぎようで言った。
「あたし気づいちゃったんだけど、ほら、さっきの画像の女の子。なんか服装がサンタクロースっぽくない? 赤い毛皮のコートだけじゃなくて、頭についている髪飾り。あれって多分、ヒイラギだよ。なんだか、季節感バッチリって感じじゃない?」
ヴォイドはしばらくの間黙ってから、なおも目線を窓の外に向けて、軽く頷いた。
「そうか。なるほどな。言われてみれば確かにそうだ」




