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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
2nd Story フェイト・オブ・ジ・イノセンス・ギア
41/130

2-7 AM:9:15/《凍える脊椎》と《人食い鰐》③

「では、こちらの紹介も済んだことですし、そろそろ本題に入っていただいてもよろしいですか?」


『うむ。いいだろう』


 促されつつも、あくまでも会話の主導権はこちらにあると示すように、ギュスターヴが迷いない素振りで手を軽く振った。映像の中に浮かぶその痩身を覆うように、とある一人の少女の高画質画像がスクリーン一杯に表示された。


 パンク、オーウェル、アンジーの三人が、思わず軽く身を乗り出して画像を注視した。それまで氷のような冷静さを保っていたリガンドまでもが、少女の異様な服装に気を取られ、目を見開いて釘付けになっている有様だった。


『依頼内容は至極単純だ。この少女を探し出し、私の下へ送り届けてもらいたい』


 高台と思しき場所から隠れて撮影したのだろう。スクリーンに浮かぶ少女の目線はどこか別の方向を向いており、どのような顔つきなのかまでは判然としがたい。それでも目立つ服装であるのは、一目で理解できる。


 画像の中の少女は、赤い毛皮製のコートとブーツといった出で立ちをしていた。頭部には、刺々しい緑の髪飾りが引っ付いている。まるで、宗教における儀式的な礼装を彷彿とさせる衣装であった。


『妙な恰好をしているが、中身は何の変哲もないただの(・・・)少女だ。理由についての詳細は伏せるが、私は何としても彼女を保護したいと思っている。どうか協力してくれないだろうか』


 画面いっぱいに映る少女の画像に隠れたギュスターヴが、意気込むような早口で言い切った。


「それはつまり、少女を保護してほしい、ということですか?」


『まぁ、そのようなところだ』


 歯切れの悪い回答。チームの参謀役を務めるリガンド・ローレンツが、まず最初の『所感』を掴んだ。


 会話の中に生じた些細なさざ波。詰まりかけたギュスターヴの声。それを、チームの参謀役たる彼が察知しないはずがなかった。


「ご依頼の件は承知しました。是非とも我々の手で、その少女を保護いたしましょう。ですが……今のままではこちらもどう動いて良いか分からない。情報が少なすぎます」


 ヴォイドは優秀な弁護士か検事を彷彿とさせるような笑みを浮かべ、歩み寄るように水を差し向けた。決して無理矢理な距離の詰め方ではなかった。貴方の心の中に入り込むつもりはないと、端的に告げるような。猛獣の世話をする飼育員のような繊細さと慎重さの現れ、とでも言おうか。


 しかし、だからと言って、仕事を遂行する上で必要な情報を提供してもらわないことにはどうしようもない。こちらも礼節を弁えたのだから、そちらもそれに見合った振る舞いをしてほしい――控えめながらも、ヴォイドの言葉の裏にはそのような要求の匂いがあった。


『そう焦らないでくれ』


 もとから君の要求には応えるつもりだったと言い訳をする代わりに、画面が切り替わった。


 ビルと、中層を支える支柱と、階層間エレベーターが複雑に入り乱れた様が、メンバーの視界に飛び込んできた。最下層のマップである。その中で一か所、ルート検索時に表示される赤い光点が、ゆっくりと現在進行形で動いていた。


『私は彼女を保護するために、エージェントたちを使って徹底的に足取りを調査していた。企業連合体に属する者としての権限も存分に活用してな。そしてとうとう数時間前に、彼女が最下層のB区にいるところを突き止めたのだ』


「発見したのでしたら、そのまま保護してしまえば良かったのでは?」


 ヴォイドが、相手が息を吐き出し終えた瞬間を狙って疑問を挿入した。話の道筋がわき道にそれないように調整した、核心に寄り添った質問。会話の交通整理。メンバーに更なる『所感』を抱かせるのに欠かせない手法。


『私もそのつもりだったさ。エージェントたち全員に、あらかじめ通達していたのだ。発見次第、少女をただちに保護するようにと』


 慣れないスーツ姿に身を包んだオーウェル・パンドラが、陰険な表情を見せた。彼が捉えた所感。エージェントというワード――先ほどから何回か会話の端々に顔を覗かせる用語。組織されたチームを彷彿とさせるニュアンス。


『だが連絡を寄こしてきたエージェントの一人から、その後なんの音沙汰もない。音信不通になってから、すでに二時間近く経過している。少女と接触した直後に何かが彼の身に起こったのだ。それは間違いない』


 口を動かせば動かすほど、焦りの色が濃くなっていく。定石を重んじ、勝利へのルートを手早く模索するギュスターヴにしてみれば、それだけ現状が度し難い事態であるということだ。そのことを理解できたからこそ、ヴォイドは己のリズムを崩さず、会話の交通整理に専念した。


「どういった方です? そのエージェントというのは。念のために耳にしておく必要がありますね」


 ヴォイドの質問に、ギュスターヴはマップ画像に重ねるかたちで別の画像をスクリーンに展開した。青いジャンパーを着た、樽のような体型をした中年男性の画像だ。


『ジュラス・オグラン。見て分かる通り、ハゲで太っちょで汗っかきの男だ。しかし、ただのデブではない。サイボーグ非施術者の、いわゆる生身ではあるが、市警に何年も在籍していたやり手の現場経験者だ。当然、格闘術の覚えもある』


 ヴォイドの表情を伺いながら話を聞いていたアンジェラ・ミキサーが、じろっとギュスターヴへ視線を送った。リガンド、オーウェルに続いて三度目の『所感』を得たのだ。


「端的に言うと、その方は有能な人物であるということですね?」


 ヴォイドは黒い眼差しを画面の中のギュスターヴへ向けたまま、さらなる交通整理に勤めた。


『君の言う通り、彼は実に有能な部下だ。その証拠に、仕事の一つはしっかりやり遂げている。私はエージェントたちにこうも伝えていたのだ。何かしらのトラブルの結果、少女の確保(・・)が難しい場合は、気取られぬように発信機をつけるようにと』


 パンク・バレルが、ギュスターヴに気づかれないくらいの小さな音で鼻を鳴らした。四度目の『所感』。なぜ保護ではなく『確保』と言い換えたのか。


『発信機はメタマテリアル製の非対称性透過シールドが搭載された逸品だ。目視でも電磁波でも補足できないが、逐一、私の敷地内にある通信傍受システムへ位置を送る仕組みになっている。オグランの身に何があったか、現時点では何とも説明がつかない。ただ彼は、この発信機を少女の体に取り付けることには成功したらしい』


「先ほどのマップに映っていた赤い光点はそれですか。エージェントとの連絡がつかなくなったということは、何かのっぴきならない事情に巻き込まれたと見るのが妥当でしょうな」


『オグランのことに関してはこちらで調査を行う。君たちは少女を連れてくることだけに全力を注ぎたまえ。今も私の部下が発信機を追跡しているが、今のところ少女は最下層D区へ向かっているようだ』


「最下層D区というと、たしか湾港工業地帯(ベイ・ファクトリー)で知られている土地ですが」


『その通り。ただ、妙なのだ。彼女が乗っているバスの経路について部下に調べさせたが、このバスは階層間エレベーター《第十二番》の停留所で折り返すことになっている。もう残っている停留所も少ない。つまり、少女はそこで降りる可能性が高い』


「ほう、湾港工場ではなく、エレベーター方面へ向かっていると」


 口調は穏やかだが、流石にヴォイドも、その少女が何を目的にそんな場所を目指しているのか、判然とつかなかった。つまりそれだけ、情報提供側のギュスターヴも、少女の動向の根源を掴めていないということだ。


 それでもなお、ギュスターヴは思考を絞り出した。おおよそ、都市の常識からは外れた思考を。


『もしかすると、少女は階層間エレベーターへ乗り込もうとしているのやもしれん。厳重なる警備を欺く必要があるが……』


 ヴォイドの交通整理が止まった。止まらざるを得なかった。話に出ている少女が何者かということ以前に、まずあり得るのかという疑問が強烈に湧いた。

 最下層から中層へ上がるという、そんな非常識なことが。

 またなぜ、ギュスターヴがそのような発想に至ったか、皆目見当すらつかなかった。


 中層と上層、上層と最上層を繋ぐ階層間エレベーターは、役所からしかるべき手続きを以て発行される通行許可証があれば、誰でも自由に行き来できる。


 しかしながら、最下層はそうではない。


 プロメテウスにおける『層』とはつまり、そこに住む人間の存在価値を一方的に規定するための土台に過ぎないのだ。


 富める者は更に富み、貧する者は更に貧する。弱肉強食を体現したかのような箱庭的価値観の下に、最下層の都民たちは息苦しい生活から這い上がるという行為を、社会的に禁じられていた。暗い穴倉で働き続け、そこで一生を終えることが当然の人生であると決めつけられ、多くの下級都民がその酷なルールを受け入れざるを得なかった。


 最下層と中層間の人的移動は法律によって固く禁じられている。エレベーター施設のエントランス・ゲートには多数の優秀な警備員たちが配置されていて、彼らに危害を加えてエレベーターへ乗り込むような真似をした時点で、セキュリティが働き、侵入者は裁判を待たずに死刑が確定する。


 エレベーターで上がれるのは、湾港工業地帯(ベイ・ファクトリー)で採掘される過脊燃料(ギャソリン)と、E区の《農場》で栽培される遺伝子組み換え食物。そして下れるのは、貯蔵庫に保管された二次エネルギー資源のみ。それが都市の常識のはずだ。多くの者にとっての規則でもある。ヴォイドだけではない。他のメンバーも、それを当然のものとして強く感じていた。


 それはギュスターヴも同じであろう。なにせ彼は、都市の支配者層の一端に……それもレーヴァトール社という強力な組織の中枢にいるのだから。にも関わらず、彼は突拍子もない考えを口にしたのだ。その真意をメンバーたちは探った。


 つまるところ、この老人が保護したがっている少女とは何者なのか――リビングに、見えざる思考の炎が巻き上がった。


 さらにそこへ、大量の火種を投下する者がいた。そもそもの流れを引き起こした、ギュスターヴだった。会話の交通整理が止まった隙を突くかのように、彼はメンバーたちでさえ追いつけないくらいのスピードで爆走しだした。


『新たなる事実を掴んだかもしれないぞ。諸君らとの会話は私にとっても(・・・・・・)有益なものとなったようだ。つまりこうだ。少女のそばには何者かが護衛についている可能性が高い。あるいは、少女を利用する何者かが。それもエレベーターの警備を無力化できるほどの何者かだ。その者と協力し、少女は中層へ上がろうとしていると推測できるな』


 言い切りに近い発言。更に加速するギュスターヴのスピード。


「その何者かを排除して少女を保護するにあたって、我々の姿を社会的に隠蔽することは可能ですか?」


 ヴォイドが、務めて冷静な口ぶりでギュスターヴのスピードに食らいついた。言葉の裏には、保証を求める気持ちが隠されていた。だがそれすらもギュスターヴにはお見通しだったようで、彼は自身の立場を改めて伝えるかのように声を張った。とても七十の老人とは思えぬほどに、闊達な声で。


『もし階層間エレベーターを舞台に事を起こすことになっても、心配することは何一つとしてない。私はレーヴァトール社の最高顧問だ。マスコミの口を黙らせることなど造作もない。君たちは何も心配することなく、十分にパフォーマンスを発揮することだけに集中してくれさえすればいい』


「承知しました。こちらとしても、そのつもりです」


 そこで一旦、ヴォイドは口を閉ざした。相手の出方を待つように。まだ重要な情報を聞き出していないと目で告げた。


 少女の名前である。


 しかし、ギュスターヴがそれを口にするようなことはなかった。それでヴォイドは悟った。それすらも言えないくらいに、この依頼はデリケート且つ複雑なのだと。


『どうかしたかね? 何かほかに聞きたいことが?』


 もうこちらの手の内はすべて曝け出したぞ、と言わんばかりの口調。『人食い鰐』らしい、人を食ったような姿勢。


 交通整理の潮時であると悟ると、ヴォイドはそれ以上食い下がることはせず、素直に引っ込んだ。


「いえ、特には。それでは、ミスター・ナイル。マップデータと少女の画像を私のメーラーに送っていただけませんか。アドレスは協会から通達されていますね? 情報を受け取り次第、さっそくチーム内で共有して、少女の保護に乗り出しましょう」


『頼むぞ。優秀なるハンターズ・ギルドの諸君。それで金の話だが……』


 メールサーバーと都市中に張り巡らされたネットワークを経由して、ヴォイドの電脳上に設定されたメーラーへ圧縮したデータを届けると同時、ギュスターヴはハンターたちにとって、一番の気がかりな点について言及した。


『前金で一千万。成功報酬で二千万払おう。合計三千万。期限は二日以内だ。二日以内に中層にある私の自宅へ少女を届けてくれ。もちろん失敗した時は、この話は無かったことになる』


「ええ、もちろんです」


 万に一つも失敗はないと宣言するように平然と応えつつ、ヴォイドは受け取ったデータをチーム共有の電脳ネットワーク・髄網(ネスト)を通じて、各メンバーへ迅速に送り届けた。


『ああ、そうだ。最後に一つ』


 一方的に会話の交通整理を拒否しておきながら、他に何があるというのか。チャンネルを切ろうとしていたヴォイドに向かって、ギュスターヴは簡潔に語り掛けた。


 その雲の動きの一つすら見逃さない、決定的に鋭い眼差しで。


『君は、奇跡を信じるかね』


「……何ですって?」


 思わぬ言葉の槍が、意識の隙間に深く突き刺さった。


 ヴォイドは怪訝な表情を浮かべると、言葉の真意を読み取ろうとした。だが、ギュスターヴの皺だらけの表情は彫像のように硬いままだった。


『他のメンバーはどうかね。君たちは奇跡を信じるかね』


 言われている事の意味が分からない、といった風な表情をメンバーたちが浮かべるのは当然のことだ。


 返答に窮する質問だった。なによりも、常に地に足のついた勝負をすることに拘るディーラー気質な投資家の口にする台詞にしては、あまりにも夢見がち過ぎるのではないのか。そう疑念を抱き、だからこそ、この場にいる全員が口を噤まざるを得なかった。


 それでも、ギュスターヴは何かを得心したようで、数回軽く頷いて見せると、


『何でもない。ただの世迷言だ。それでは諸君、結果を楽しみにしているよ』


 字面に起こせば激励ともとれる言葉を残して、チャンネルを切った。









 切り出した大理石を組み合わせることで完成した、豪奢にして広々とした執務室。持ち主が最もリラックスできる室温に調整された快適なその部屋の一画。


 パーテーションで仕切られた遠隔通話専用のスペースから、《凍える脊椎(バック・ボーン)》への依頼を完了したギュスターヴ・ナイルが姿を現した。


「お疲れ様でした。いかがでしたでしょうか?」


 主人の遠隔通話が終わるまで何かあってはいけないと、ずっとそばで待機していたガードマンが、濾過された水が注がれたコップを手渡しながら尋ねた。


「おおむね期待できる連中、といった感じだ。出来れば内々に済ませたかったが、こうなった以上、彼らを利用して願望授受体(フォークロア)を誘導するしかない」


「相手が奇跡の体現者とあれば、なおのことです。少女の身元について、なにかご鞭撻を?」


「話すわけないだろう。もし知られでもしたら、まず真っ先に事態は複雑さを増していく。それは私の望むところではない。物事を単純化し、あのお方(・・・・)のために勝利の道筋をつくる。余分な要素はできるだけ排除するに限るよ」


「お言葉ですが、彼らは非常に優秀であると耳にしています。金には困っていないようですし、事実を知ったところで、あなたを裏切るとはとても思えません。特にリーダーの男は、依頼人に対して誠実な姿勢を崩さない人物だと聞いていますが」


「まだまだ甘いな、ロウウェル。全ての者が金で安心を担保できるわけではない」


 大企業の中心に身を置き、投資家として莫大な財を成してきたからこそ見えてきた金の本質を短く説くと、ギュスターヴはコップの中の水を一息に飲み干した。

 いつの間にか、彼の眼差しから峻厳さは消え去り、一人の、悩める人間がときおり見せる憂いさを帯びていた。


「どんなに豊かな暮らしを送っていたとしても、人は青い鳥を求め続けるものだ。心はパズルではないからな。金という名のピースで欠けたものを埋めようとしたところで、結局のところは、目に見えぬものに価値を見出せるかどうかが大事なんだ。私もこの年になって、ようやくそのことが理解できたよ。だからこそ、なんとしても願望授受体(フォークロア)には、私の元に来てもらわねば困るのだ」

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