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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
2nd Story フェイト・オブ・ジ・イノセンス・ギア
40/130

2-6 AM:8:45/《凍える脊椎》と《人食い鰐》②

 朝食を食べ終えたメンバーたちは、片付けに取り掛かるアンジーを除いて、指定の時間になるまで好き勝手にそれぞれの時間を消費した。


 パンクとオーウェルは真っ先に自室へ戻った。パンクはお気に入りのVRFPSで自己ベストを更新することに躍起になり、オーウェルは違法ダウンロードした最新のアクション映画(ホロ)を、これまた最新の電子機器の山に埋もれて、とっくりと堪能していた。リガンドは自室には戻らず二階にあつらえたビリヤード部屋で、静かに球を()くことに夢中になっている。


 一方で、キッチンでアンジーが洗い物をしている音を聞きながら、リビングのテーブルに腰かけたままのヴォイドは、ぼぅっとした目つきでテレビを眺めていた。


 テレビでは最下層のニュースが流れていた。A区に新たに建造された階層間エレベーターの落成式。その生中継映像。テープカットのリボンを手に持ち、高価なスーツに身を包んでにこやかに笑みを浮かべるのは、最下層の市層長である。


 報道カメラが切り取る計算された光景。スラムと地続きになっている同じ最下層の一区画とは思えないくらい、市層長の周囲から余計なものはとことん取り除かれていた。


「エレベーター、また建てたんだ」


 濡れた布巾を手にキッチンからリビングへ戻ってきたアンジーが、小さく溜息をついてテレビへ視線を送りながら、テーブルをきびきびと拭き始めた。


「これで何本目だろ」


「三十二本目。再来月にはまた一本建つようだ」


「雨後のタケノコって奴? よくそんなにポンポンポンポン、次から次へと建てられるね。お金あるんだねぇ」


 若干砕けた口調でアンジーが呟いた。他のメンバーを相手にした時と比べて、明らかに距離の詰め方が異なっていた。


「プロメテウスは他都市との貿易で潤っているからな。過脊燃料(ギャソリン)の埋蔵量がずば抜けているんだそうだ。封言呪符(ウエハース)の精度も、よその都市と比べて比較にならないほどの高さを持つことから、取引材料として活用しているらしい。金には困らないだろうさ」


 都市間貿易で稼いだ金はプロメテウスの……つまり都市の年度予算に計上される。


 上層にある造幣局を兼ねた都市中央銀行(シティ・メガバンク)へ一時的に蓄えられたのち、都市公安委員会の中枢メンバーによる討論を経て、その年における各層への配分比率が決議される仕組みだ。年度によってばらつきはあるが、貧民窟で知られる最下層への予算配分比率は、良くても十パーセントに届かないのが毎度のことだ。


 階層間エレベーターは都市共有の財産として規定されているため、建設に掛かる費用の五割が特別研究枠で賄われるとは言っても、インフラを整えて治安を維持していく上では、綱渡りを強いられているような金額である。


 ふと、ヴォイドが何かに気づいたように、あぁ、と小さく声を発した。


機動警察隊(クリミナル)の設立は、もしかしたら最下層への治安維持出動を常態化するための一手なのかもしれないな」


「どういうこと?」


「今のままの分配率だと、いずれ最下層の治安は市警の力だけでは収まらなくなるだろう。新しいインフラ設備にかける金もままならないんだ。街には失業者が溢れかえり、デモは狂暴さを増して、もしかすると階層間エレベーターが占拠される、なんて事態になるかもしれない」


「まさか。考えすぎだよ」


「もしもの話さ。そういう時に、今よりもずっと強大な武力を動員させて、最下層の政治に介入させるのが、上の狙いなんじゃないか。治安維持という大義名分を掲げさえすれば、筋は通るわけだからな」


「最下層の政治なんて、そんな面倒くさそうなことにまで、上の人たちは首を突っ込みたがるものかな?」


「あそこは貧民の巣窟だが、同時に都市の命脈とも言える。重工業地帯が暴徒と化した失業者たちに占拠されるなんて事態になったら、都市経済は成り立たなくなる」


「だったら、根本のところを解決しなきゃどうしようもないよね。失業者を減らすとか、福祉を充実させるとかして、暮らしを良くしてあげないと」


「余計な金をかけたくないのさ。できるだけ金をかけずに、どうやって都市を運営していくか。そこが彼らの焦点なんだろうな」


 アンジーは何かを言いたそうに軽く口を尖らせた。ヴォイドの物言いはこの日もやっぱり、ハンターらしい反骨心に満ちたものではなかった。


 これがパンクだったら『上で贅沢している奴らに一発ぶちかましてやらねぇと気がすまねぇ』と騒ぐだろうし、オーウェルやリガンドだって、皮肉のひとつくらい寄こすだろう。なぜなら、皆が大なり小なり、あの最下層に住んでいる者に勝るとも劣らない、暗く陰惨な過去を背負い込んでいるからだ。


 ヴォイドも、きっとそうだろうとアンジーは思った。他のメンバーたちと同様に、彼の生い立ちを耳にしたことはないが、それでも一緒に生活していく中で次第にそう確信していった。彼の奈落の一部を切り取ったかのような眼差しは、並大抵の労苦や辛酸で身についたものではないはずだと。


 しかしながらヴォイドの精神のかたちは、他のメンバーとは全く違っているようだった。金と権力を握る者から、何かを奪ってやろうというハングリーさや、不運をばねにして這い上がってみせるという熱情が欠片も見当たらなかった。すでに野望の火は燃え尽きて、ドス黒く炭化した薪だけが静かにあるような。


 アンジーはテーブルを拭く手を一旦止めると、ヴォイドの横顔を凝視した。彫りの深い、整った顔立ちだと改めて感じ入る。道を歩いている時に偶然出くわしたら、女性なら思わず振り返ずにはいられないだろう。


「どうした」


 ヴォイドが視線に気づいて、振り返った。


「顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」


「大丈夫。なんでもない」


「そうか? もし不安だったら調整剤を飲んでおけよ。あぁ、そうだ、今また思い付いたんだがな」


「なに?」


「対外的なアピールとしての意味合いも持っているのかもしれないな」


機動警察隊(クリミナル)のこと?」


「俺達のメンテナンスの三倍もの費用がかかるサイボーグたちなんだろ? それだけの武力を擁していれば他都市への牽制にもなる。外敵から脅かされることもなくなるだろうな」


「外敵?」


「数年前までプロメテウスを思うがままに蹂躙していた、鬼血人(ヴァンパイア)たちのことさ」


 突拍子もないヴォイドの物言いを受けて、アンジーは視線を宙へ泳がした。それから、おかしな話をするものだとでも言うように、小さく笑窪をつくった。


「ヴォイドって、たまにおかしなこと言うよねぇ。鬼血人(ヴァンパイア)なんて、あたしたちがこの都市にやってきたころには、もう滅んだって話じゃない」


「大陸間戦争の時代を思い出せよ、アンジー。報道が常に真実であるとは限らないだろ。それにだ。絶滅したと思っていた動物が、じつは人里離れた奥地で生き残っていたなんて話は、戦前は良くあったらしいぞ。それと同じで、彼らの生き残りが今もこの都市のどこかに紛れているかもしれない」


 ヴォイドが失笑混じりに話を続けた。もちろん冗談で言っているのだと、相手に十分意識させるような、すこしおどけた感じの口調で。


「だったら、遭遇しないことに越したことはないよね。話でしか聞いたことないけど、そいつら強いんでしょ?」


「お前がいれば大丈夫だよ、アンジー。お前のサイボーグ能力は桁外れの特別な強さを持つ。俺達が危険に晒されたら、その力で道を切り開いてくれよ」


 穏やかな視線を送るヴォイドに、アンジーも軽く微笑み返した。彼と出会う前までは、その身に宿した力に苛まれる日々を送っていたが、今は明らかに違った。


 ヴォイドに認めてもらった力。そう意識するだけで、かつて味わった苦悩が遠のき、かつてない煌めきが到来したかのような心持ちに浸れる。


 ヴォイドが、ふと壁に掛けられた立体時計(ホロ・クロック)に目を通した。装飾品としての意味合いも持つその調度品の長針と短針が、次なるステージの到来時刻を指そうとしていた。


「アンジー。《噴水》を用意してくれ。そろそろナイル氏からの通信が入るころだ」









 リビングのテーブルに置かれた遠隔映像独立通信機(ファウンテン・ホロ・ディスプレイ)――ハンター業界では《噴水》と呼ばれていることで知られる、その小型の円筒装置が展開・制御する霧状(ミスト)のスクリーンに、何者かの姿が映し出された。


 ヴォイドが装置側面に取り付けられたチャンネル・ダイヤルを弄って周波数を微調整すると、装置頭頂部から展開される映像の解像度が増していき、はっきりと依頼人の上半身を映し出した。


 真っ白な口髭を蓄えた一人の老人――ギュスターヴ・ナイル。齢七十を超えてもピンと背筋を張り、両手は腰の後ろでがっちりと組んでいる。雲の動き一つとして見逃さないかのような鋭い眼光が、リビングのテーブルに円を描くかたちで居座るメンバーたちの顔を、ぐるりと均等に見やった。


 たったそれだけの挙措から、ヴォイドを始めとする五人の腕利きたちは、本能的に二つのことを察知した。角ばった顔に刻まれたカミソリのように深い皺の数々が、都市の経済システムを相手に戦ってきた労苦の証であること。三つ揃えのスーツを着こなす姿が、労苦に見合った莫大なリターンを手に入れてきたのだという、投資家としての絶対的な自信の現れに他ならないことを。


『聞こえるかね?』


 低いが、よく通る声で立体映像の中のギュスターヴが声をかけた。


「問題ありません。初めまして、ミスター・ナイル。私が《凍える脊椎(バック・ボーン)》のリーダーを務めさせていただいています、ヴォイド・クロームと申します。もちろん偽名です。メンバーたちも含めて。こういった世界に身を置く者としての流儀ですよ」


 ヴォイドは親近感を匂わせる笑みをうっすらと口元に浮かべて真摯に応じた。


『ハンターでそのような丁寧な言い回しをする者と会うのは初めてだ。どうやら噂通りの集団のようだな。すでにこちらのエージェントを通じて私の身元に関する情報は得ているだろうが、改めて名乗らせていただく。初めまして、勇敢なるハンターズ・ギルド《凍える脊椎(バック・ボーン)》の諸君。君たちの評判は耳にしている。私がギュスターヴ・ナイルだ』


 そして、都市のエネルギー利権を支配する、かの巨大複合企業。レーヴァトール社の最高顧問。


「都市の経済戦争から一歩も引くことなく、いまなお前線で戦われる古強者とこうして会話できることを光栄に思いますよ、ミスター・ナイル」


 にこやかに、またしてもヴォイドが応じた。パンクを始めとする他のメンバーは、ここに至ってもまだ一言も発していない。なぜなら、必要がないからだ。それが彼らの流儀なのだ。


 チームの代表として、依頼人とやり取りするのはヴォイドであると皆の意見で決まっていた。だからと言って、他のメンバーたちに仕事がないわけではない。


 ヴォイドと依頼人のやり取りに意識を傾ける中で『所感』を得ること。それが、彼らに与えられた役割だった。


 依頼人の中には偽の情報や嘘の依頼内容を寄こすことで、ハンターを罠に嵌めたりギルド同士の抗争へもっていこうと企む者も少なからず存在する。そうすることで得られる利益を、市警や政治家たちから貰おうとする。所感を掴む行為とは、そういった小賢しい手合いを相手にする中で自然と身に着けた、癖と言っていいものだった。


「本題に移る前に、私が率いるチーム・メンバーをご紹介してもよろしいでしょうか」


 手の内の公平さを示すような提案。こちらの手札を依頼人へ一通り見せることで、とりあえずの信用を勝ち得ようという態度。


『かまわんよ。こちらとしても、どういった者達が私の願いのために動くのか、知っておくべきだろうしな』


 ギュスターヴの視界の外で、パンクとオーウェルが思わず互いを見合って、顔をわざとらしく顰めてみせた。彼ら二人が金持ち相手にこんな態度を見せるのは毎回の事なので、ヴォイドも特に視線で彼らを咎めるようなことはせず、淡々とメンバーの紹介に移った。


「まずは、私から見て右隣に座る男からご紹介しましょう。紳士服に身を包んだリガンド・ローレンツ。チーム内では前線を担当していまして、通称『雷撃紳士』と業界では呼ばれています。常に冷静沈着なチームの参謀役です」


 ヴォイドが説明を終えると同時、リガンドは生真面目くさった顔つきで軽く(こうべ)を垂れた。たったそれだけの所作の中に、おどろくほどの整然さが込められていた。折り目の正しさで言えば、ヴォイド以上にさまになっている。


『雷撃紳士か。私のニックネームである《人食い鰐》に勝るとも劣らない獰猛さだな』


「続いて、リガンドの右隣り。チーム紅一点のアンジェリカ・ミキサー。通称・アンジーです。チーム内では前線のサポート役を務めますが、彼女のサイボーグとしての力はチーム内でも随一のものです」


 ヴォイドに恥をかかせたくない。その一念の下に、アンジーは気に食わない権力者相手に猫を被ることを決めた。「よろしくお願いします」と媚びを売るような目つきで挨拶を口にするも、ギュスターヴは眉根一つとして微動だにしなかった。


『美貌だけでなく、サイボーグとしても優秀ということか。ふむふむ、層の厚さが見えてきたな』


「続いて、アンジーの右隣り。電子戦を専門とするオーウェル・パンドラです。彼の得意分野でもあるサイバー・ワームのプログラミング技術は、ハンター業界でも評判でしてね。驚異的スピードで自己増殖し、どんなに強固なセキュリティでも食い破ります」


 ヴォイドに命じられて、こうした場に相応しい整った装いに着替えてきたオーウェルが、ネクタイで絞めた首を引っ込めるようにして「はじめまして」と呟いた。美女と初対面の他人。それが彼の苦手とするところだった。


『プロメテウスにおいて、情報は何にも勝る武器だ。電子戦のプロがいるのは安心できるな』


「続いて、オーウェルの右隣り。最後に紹介するメンバー。パンク・バレルです。遊撃手を務める彼の武器は『銃』という一般的なものですが、その精密さは業界一であると宣言いたしましょう。以前、五百メートル先の瓶に止まったハエを、片目を瞑った状態で撃ち抜いたことがあります」


 スウェットのポケットに両手を突っ込んだまま、パンクは不敵な笑みを浮かべるに留まった。その目はしっかりと画面の中のギュスターヴに向けられていて、チャンスがあったら貴様の喉元を食いちぎってやるという遠慮の無さを主張するかのようだ。


 だが、そのような不遜とも言える態度を向けられても、ギュスターヴはまったく動じなかった。そういった手合いとは、数々のマネー・ゲームを通じて沢山やりあってきたとでも言うように。


『五百メートル先のハエを、片目を閉じた態勢で撃ち抜いただと? とてつもない凄腕(ホット・ドガー)だ。なるほど、良く分かった。依頼達成率九十八パーセント越えという実績に相応しい、少数精鋭のチームというわけだな。ここにいる全員が、君も含めてサイボーグ技術の申し子なのかね?』


「ええ。肉体はもちろんのこと、脳にも電脳化が施されています。加えて全員が、先の戦争を経験済です。泥沼と悪名高い戦争末期に投入され、生き延びた、まさに鋼の兵士たちですよ」


 ギュスターヴの片眉がピクリと動いた。わずかな情報の破片すらも取り零さない投資家性分が、ここにきて頭をもたげた。


『辻褄が合わないんじゃないのか。連邦と大陸国家の戦争が終結してからすでに三十年以上が経過するが、君達の外見はどう高く見ても二十代の前半にしか見えないぞ』


「我々の体に適用された医療技術の賜物と言えるでしょう。肉体と機械的部分を繋げる神経接合部の耐久性を上げる為に、老化遅延薬を打たれているのです。細胞のテロメア数を大幅に増幅させる一級品ですよ。サイボーグの宿命とはいえ、定期的に協会のメンテナンスを受けざるを得ないところは、少々煩わしいですがね」


 納得したと表現したいのか、ギュスターヴが鷹揚に頷いた。


『医療技術と軍事技術の複合技が、その身に凝縮されているのか。先の大戦の経験者としては、完璧に近い経歴だな』


 何気ないギュスターヴの言葉。その裏側から滲み出るものを感じて、ヴォイドは目を細めた。

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