1-3 ハンター・ラスティ②
『つい五分前、ギルドの専用回線を通じて協会から連絡があった。依頼人は誰だと思う?』
「さぁな」
見当などつくはずもない。もったいぶらずに話を続けろと、ラスティは無言で促した。
電話越しにラスティの意図を感じ取ったのか、フェヴがやや早口で告げた。
『今までにない上客だぞ。依頼人は神霊神意神仰局……三統神局所属の魔法少女ときた』
「魔法少女……魔女……魔導機械人形か」
『ああ、お前も名前だけなら知っているだろ? 最上層で何やら後ろ暗い実験を繰り返していると噂されている公的研究機関・三統神局。そこに所属しているアンドロイドからの依頼だ。名前は……ガーラーテイアと言うらしい。ふん。社会的生態がようとして知れない組織の者にしては、ずいぶんと洒落た名前だな』
「当局直々の依頼ではなく、そのガーラーなんとか、という個人の依頼というわけか」
『どうもそうらしいな。任務の内容は、まぁ簡単に言うと護衛だ。受けるか?』
「俺が断ったら、他の者に回すのか?」
『あいにくと、今日は全員出払っている。お前が断ったらこの依頼は流れるだけだ。どこかのギルドが請け負って、この魔女に個人的な恩を売ることになるだろうな』
「失敗するかもしれない」
『まぁそうとも言えるが』
ラスティはしばし沈黙した。しかし頭の奥では電卓を叩いていた。
「報酬金はいくら掲示されている?」
フェヴが、わざとらしく口笛を吹いた。
『署名なしの電子小切手を用意すると、向こうは言ってきている。ほら、よくドラマや映画であるだろ? ここに君の好きな金額を書きたまえ、とかなんとか。あれと同じだな。さすがのご身分だ。きっと、馬鹿でかい金庫を何百台も抱え込んでいるんだろうなぁ』
魔導機械人形がどんな存在であるかも良く分からないのに、フェヴは憧れと嫉妬が混じった嘆息を吐いた。金さえあれば人生を楽しめるだけでなく、身にかかる不幸すらも追い払えると信じ切っている者に特有の態度だった。
その点は、大いにラスティも賛同できた。
金があれば、不幸を追い払える。そう信じている。
「魔導機械人形からの依頼という点が気がかりだが、話を聞く価値はありそうだ」
即答。十分な金が手に入るなら、それで良かった。依頼内容や難易度などは二の次だ。
「すぐに依頼人に会おう。概要を送ってくれ」
『十秒でやるさ。今回の依頼は協会側から流れてきた案件だからな。金に目ざとい他のハンターたちが、すでに情報を掴んで動き出している可能性が高い。遅れを取るなよ。これを機に、魔女に恩を売ってやれ。今後、何らかの手助けを受けられるかもしれない』
「先に唾をつけようということか」
『そんなところだ』
冗談を一つ飛ばして笑ってから、フェヴは念を押すように言った。
『繰り返すが……相談はともかく、連絡と報告だけは忘れるなよ。逐一、状況を報告するようにな』
通話が切れた。それから十秒以内に、電子チップへファイルが送られてきた。
ファイルを解凍してみると、どこかの図面とテキストデータのセットだった。視覚野上に図面を立体表示させつつ、送られてきたテキストデータに、ラスティは電子の眼を走らせる。
「場所は最下層域D区……湾港工業地帯の第三倉庫街か……さて……」
電子チップに干渉し、体内の濾過装置を作動。血中を駆け巡っていたアンフェタミン濃度が急激に低下していくのを、視覚野に投影させた自己診断プログラムで確認。
仕事に支障をきたさないレベルまで濃度が低下したのを見届けると、再び電子チップに干渉。今度はセロトニンを分泌させ、ドーパミンとアドレナリンの作用を阻害。
爽快な気分が脳内を満たし、瞳に怜悧さが宿る。穏やかな吐息が漏れる。
こういう時、鋼の体は便利だとつくづく実感するのは、ラスティだけに限らない。総身を義体化させている者なら当然の反応。都市の常識的感覚と言っても良い。
だが、それが常識的感覚とされるまでには、長い歴史があった。まだナショナリズムが生きていた頃に繰り返された、大陸間同士の戦争の数々。目まぐるしい勢いで進歩する兵器開発に、機械化歩兵部隊のパーソナル・パワーの向上。
軍事行動を円滑に遂行するための科学技術の発展は、多くの死体を量産するに留まらず、地球環境の荒廃を引き起こした。
条約で禁じられたはずの兵器を、いとも簡単に実戦投入する国家群。その当然の報いとして、海は腐り、森は枯れた。それらは全て、偶然の流れが招いた産物なのか。あるいは必然の流れの結果なのか。誰にも明確な線引きはできない。
しかし、もし偶然と言う名の泉があるとして、そこから必然の冠を被った女神が現れ『星がこんなにもひどい状況になったのは、あなた方のせいですか?』と人々に問いかけてきたら、ばつの悪そうな顔で頷く者もいるだろう。
と言うのも、それだけ連中のやり方と言ったら、残忍で虚無の一言に尽きたからだ。だがそれだけの過ちを犯しても、人々は技術を、文明を手放さなかった。
それなしでは、もう人は人として生きることが不可能なまでに、生物学的に退化していた。汚染された大地で生きていくために、軍用技術は医療技術や環境浄化技術に転用された。
機械化歩兵部隊を生み出し続けた技術開発は、変わり果てた自然環境に耐え抜く為の肉体的な内装・外装を生み出す役割を見出した。それが、サイボーグ化手術の始まりだ。
だがそれも、長い年月が経つと同時に、また戦いの為の道具として転用されつつある。
医療技術から軍事技術への転身。その名残は、自己診断プログラムに見出せるだろう。こいつを走らせれば、自身の体調をいともたやすく把握できる。プロメテウスのみならず、世界各地の都市で日常生活を送る上で、それは大きな利点となる。
加えて、ラスティは侵襲型のサイボーグ手術を受けており、その全身の至る箇所に武器を内蔵していた。サイボーグ化手術は、被験者に並外れた強靭さだけでなく、肉体的融通すらも与えるのを可能とする。とりわけ、命のやり取りにおいては、それが顕著に表れる。
どれだけ四肢に深刻なダメージを受けようとも、脳から下る信号をカットすれば痛みを感じなくなる。脳、あるいは脊髄を破壊されない限り、全身義体者は戦闘の継続を可能とする。
動脈一つ切られるだけで生命の危機を迎える生の肉体では、到底成し得ない奇抜な芸当。ここに、サイボーグと生身の人間との、決定的な差異が見て取れる。過去の軍用技術の産物にして、都市の力でリニューアルされた最新医療科学技術の賜物と言えた。
身支度を整える。上半身は剥き身の鋼のまま、ジーパンだけを履く。念のためにハンドガンを一丁、腰に巻いたベルトの間に差しておく。
そして最後に、最も大切な道具を身につける作業にラスティは取り掛かった。
窓際に置かれたタンスの一番上の引き出しを静かに開ける。寂しそうに置かれた銀のペンダントがあった。
指先に絡みつく細い銀の鎖に、やはり銀細工の、十字架を背負って祈りを捧げる女神の像が、窓から差し込む人工の月明かりを受けて、ちらちらと輝いている。
十字架の側面部には、小さく文が彫られていた。元々あったものではなく、購入した後で彫られたものだった。
長いこと身につけているせいで、十字架も女神像も所々が擦り減っている。だがラスティには、何時だってそこに彫られた文を、自然と正確に口にすることができた。
God Bless You―あなたに幸あれ。
劣悪な労働環境で知られていた裁縫工場に勤めていた彼の母親が、なけなしの貯金をはたいて、九才の誕生日に送ったプレゼント。
清貧さを美徳としていた母からのたった一つの贈り物は、彼女が死んだ後になっても、ずっと持ち主を守護し続けている。
しかしながら、今は遠く過ぎ去った悲劇を思い出している場合ではなかった。
傾きかけた心の天秤を平衡に保つよう意識してから、ラスティは逃げるように部屋を飛び出した。