1-22 罪業の呪術vs絶滅の魔導①
番外地に姿を現したオレイアス=エル=オーバーヒートは、その長大にして禍々しく黒光りする魔力変性増幅杖を手に、破壊の限りを尽くしていた。
と言っても、アレトゥサのように異界から怪物を喚び寄せたのでも、エコーのように分子結合を操作してジャンク山の数々を塵に還しているのでもない。保衛魔導官のリーダー格である彼女の攻撃方法は、一見すると把握しにくい。その手に魔杖を携えてこそすれ、見た目にも異様な挙措に没頭しているわけではない。ただ、人間がそうすように、魔杖を突きながら平然と大地を歩いているだけだ。
無防備にも見えるその姿は、番外地の住人たちにしてみれば垂涎の光景に見えたに違いない。だからこそ最下層のごろつき共は、彼女のボディパーツを奪おうとRPG片手に襲いかかった訳であるが、その時点で彼らの死は決定していた。
紅い耐魔ローブに包まれたオレイアスの矮躯が廃棄物まみれの道を通り、その薄い硬質な唇が小声で呪文を唱えるたびに、番外地の住人達は身をよじって悶え、苦しみ、その場で爆発四散。生命の残骸が鉄クズを艶やかに彩るも、血肉を平然と踏みしめて先を行くは、殺人機械たるオレイアス。その目は底冷えするかのような、黄金の光に満ち満ちている。
センサーが感知した目標の下へと急ぐオレイアス。三統神局の兵士にして、僭主・ディエゴの手で造り出された娘の一人たる彼女に自我はない。自我があるように振る舞うようプログラムされているだけだ。
しかし思考はある。ゆえに物事を多方面から考察することは可能だ。頭部に埋め込まれた有機メモリ。その思考演算システムのおかげで。そしてシステムを走らせ続けた結果、彼女はここに来てある一つの仮説を生み出していた。
「(ガーラーテイア。近頃の彼女の振る舞いは明らかに異様だった)」
保衛魔導官という立場上、僭主の世話係を務めていたルル・ベルと、これまでに直接接点があったわけではない。それでも、ときおり耳に入ってくる話があった。
近頃のガーラーテイアの様子を見ていると、なんだか人間の真似事ばかりしているような気がする――
その話を耳にした当初、オレイアスは特に何とも思わなかった。自分たちのような存在とは違って、感情エミュレートの強度をしっかりと上げている彼女の挙動に、理解を示そうとしたことなど無かったし、する必要もなかった。
「(あの時、彼女の身に起こった異変について、詳しく調査しておくべきだった)」
人間の真似事ばかりする魔導機械人形……そのワードを反復させるたびに、逸脱した響きを感じ取らずにはいられなかった。その響きにこそ、ルル・ベルがレーヴァトール社襲撃時の状況を証言したくない理由が隠されているに違いなかった。
しかし、結論を導き出すためのピースが圧倒的に足りない。思考のパルスに雑音が混じり始める。想像で補完しようにも、何がどう結びついているかが不透明過ぎた。
結局のところ真相を暴くには、本人に直接訊くのが手っ取り早い。どんな手段を用いたとしても、あの叛意を示した異様な同胞から、確実な証言を引きずり出してやる。それが保衛魔導官たる者の務めであると、オレイアスは現状認識を更新した。
「(それに、緊急通知はすでに送信済だ)」
アレトゥサとエコー。局内屈指の実力を誇る腕利きの保衛魔導官を二体も破壊されてしまった今となっては、すでに闘争を自分達のレベルで終結させるのは困難を極めていると言っていい。であるからこそ、布石はしっかりと打っておいた。抜かりはない。
「(とは言っても、あのお方の手を煩わせるわけにはいかない)」
プログラムされた闘志に背中を押され、歩みを進めているうちに、廃棄物まみれのごちゃごちゃとした視界が、徐々に開けてきた。それまでの汚らしいジャンクの通りとは異なり、大きく湾曲しながらも綺麗に整えられた幅広い道の先。闇色のカーテンが延々と続く空の下。大洋を望むように鋭くせり出す岸壁に、毒々しいネオンに光るオイル・ケーブルで装飾された一軒の館が建っていた。
位置探査センサーが反応を強める。
「(あそこか。あそこにガーラーテイアが……!)」
アレトゥサ。エコー……敗れ去っていった同胞たちを脳裡に描きながら、全身に力の波動を漲らせて一歩を踏み出しかけた、まさにその時だった。館の煙突から、蜘蛛の子を散らすように大量の呪蘇儡人が降ってきたのは。
十、二十、三十、四十、五十……と、次々に地面に着地していく。腰から下を厚めの白布一枚で覆った上裸姿の彼らを前に、オレイアスの足が止まった。
「(ほう)」
眼球から短波を放射し、走査。ものの数秒と経たぬうちに闖入者らの正体を割り出す。
「(呪的効果が施された屍人形か)」
数的不利に陥りながらも、オレイアスは状況を冷静に分析する。呪蘇儡人の数は五十を超える。さながら、館へ近づけさせまいと君臨する肉の壁である。
どう突破するか。思考を走らせようとしたそのとき、不意に己を観察する視線の数が増したような錯覚にオレイアスは襲われた。事実、それは確かに錯覚だった。数は変わらず、だが向けられる視線の位置だけが滑るように移動していた。
気付けば、いつのまにかオレイアスは屍人形の群れに《《取り囲まれていた》》。
「(これは、縮地法――)」
こちらに悟られることなく、絶妙な足運びで距離感を過たせる呪的歩法。知識にはあるが、これだけ高精度の縮地法を目にするのは彼女も初めてだった。
どうやら、この屍人形の大群を指揮する何者かは、相当な呪術の心得があるらしい。そこまでは把握できたオレイアスだったが、特定には至らなかった。
そうこうしているうちに、呪蘇儡人の一人が地を蹴ってオレイアスへ突進した。やや遅れて、五人が後に続く。
オレイアスは瞠目した。死人のように青白いはずだった屍肉らの肌は躍動に満ちて艶めきを取り戻し、その身には、古代部族の戦闘意匠を彷彿とさせる黒い流線調の模様がはっきりと浮き出ていたからだ。
「(呪身による運動神経および筋骨の圧倒的向上――しかし、防ぐのはたやすい)」
手に持つ魔杖の先を迫りくる六体へ向けてかざし、粛々と魔導式を起動。オレイアスを中心にしてエネルギー障壁が展開した。
これを力づくで破壊しようと試みる呪蘇儡人たち。その全身に刻印された流線調の呪的紋様が、自動的に形状を変化させていく。それに伴い、膂力が向上。ポンプで空気でも注入されたがごとく、両腕と両脚の筋肉が膨張をはじめた。
「(物理的な力だけが全てではない)」
さらに背後から数名の敵が迫るのを察知した時だった。オレイアスの唇が小さく動くのに続いて、魔杖内部から鋭い金属音が響き渡った。
目に見えぬ力の波動が、容赦なく全方位へと魔力の牙を剥いた。
己の身に何が起こったか、呪蘇儡人たちには把握できなかったに違いない。圧倒的な力に《《内側から》》食い破られ、魔導攻撃の射程内にいた者は、すべからく爆散していった。
盛大に降り注ぐ血と肉片のシャワー。理解不能な惨状の正体を、だがしかし、極めて客観的な分析力で見破る者がいた。
【なるほど。電磁波か――対人及び対アンドロイド用としての魔導式ってわけだね】
オレイアスの耳朶を震わせたのは、女の声だった。反射的に周囲を走査。だが闇の中に、声を発したとおぼしき者の姿は認められず。
【とりわけ人体を相手にした場合は、太陽光と同種の電磁波を放出することで、極大の『熱射病』を誘発する類だね。神経器官にダメージを与えるレベルを優に超えているとみた。攻撃に移る予備動作がないっていうのは、大きなメリットだね。まぁ、あたしには通用しないけど】
姿なき声は、ほとんど的確に魔導式の特徴を言い当てていた。
強敵――オレイアスの0と1の思考の狭間に、想定外ともいえる二文字が踊った。だが、未知なる存在を前に敗北を計算に入れるほど、オレイアスは謙虚ではない。
「ずいぶんな歓迎だが、少し大袈裟すぎる嫌いがあるな」
虚空へ向かって声を張り上げる。すると、律儀にも反応が返ってきた。
「なに。こんな僻地にお越し下さった客人をもてなすには、これくらいじゃ足りないぐらいだよ」
空間のある一箇所が、壁紙を剥がすかのように捲れた。いままで呪的に隠されていた空間の向こうから、呪蘇儡人に囲まれるかたちで、車椅子に乗ったキュリオスが姿を見せた。これには、さしものオレイアスも驚愕し、忸怩たる思考のパルスに軽く歯軋りした。空間の位相を呪的に誤魔化していただけで、存在の本質としてはすぐそばにいた。その事に気づいていれば……
「……何者だ?」
「キュリオス・ラーンゲージ・モージョー。ただのしがない『まじない屋』さ」
「戯言をぬかせ。これほどの高密度の呪術力を蓄えた屍人形を大量に操る呪学療法士など、聞いた事もない。上の人間が知れば、喉から手が出るほど欲しがるだろう」
「お褒めの言葉をいくら口にしたところで、望みの品を提供してはやれないね。ホストだからと言って、ゲストの要求に全て応じる謂れはない。そう思わないかい?」
「……だらだらと貴様のお喋りに付き合うつもりはない。要件は一つだけだ。ガーラーテイアを引き渡せ」
「ふむ……」
話の腰を折られながらも、キュリオスは小馬鹿にするように続けた。
「やっぱり、あんたみたいな機械人形よりも、あの娘のほうがずっと愛嬌があっていいね」
「…………最後にもう一度要求する。ガーラーテイアを引き渡せ。そうすればこれ以上の危害は加えない」
マニュアルを事務的に読み上げるような、一切の感情を排したその口ぶりは、ともすれば冷酷無比な殺人鬼のそれに聞こえる。だが、その程度の脅しで狼狽するキュリオスではない。
キュリオスは、しばし考えた――ここでルル・ベルを敵に引き渡した場合どうなるか。
レーヴァトール社襲撃のあらましと、人化の呪術に手を出したことは当局に知られ、ルル・ベルは何らかの処罰を受けるだろうとは予測できた。
ラスティから又聞きした限りでは、彼女は僭主を想う一心で【森羅万転】に手を出し、僭主に驚きと喜びを同時に与えたいという、無垢な子供心溢れる望みを何よりも優先している。
一方的な善意が常に他人から受け入れられるとは限らない――ラスティの見立ては、キュリオスもその通りであると感じていた。それは大人の論理で、都市の社会通念そのものだ。ルル・ベルの子供の論理が立ち入る余地を、この都市は残してなど居ない。彼女の最大の悲劇は、そこに気が付かなかった点であると、この、見た目は若く内面は成熟に成熟を重ねたまじないの達人は結論づけた。
この世が善悪の二項対立で成立している以上、そこに属する人間もまた二種類に大別できると、キュリオスはこれまでの人生から導き出していた。すなわち、異質なものを欲する人間と、異質なものを排除する人間だ。前者はキュリオスの祖父で、
「(あのふざけた老賢人は間違いなく後者だろうね……)」
枠組みから外れた者を毛嫌いする彼のことだ。任務を途中で放棄し、自己防衛のためとはいえ同胞を殺害したルル・ベルを、当局が何のお咎めもなしに再び受け入れるとは考えづらい。それくらい、外部の人間であるキュリオスにも、容易で想像がつく。
だからといってルル・ベルを匿ったところで、彼女の身に迫る危機を排除できるわけではない。カイメラの呪戒は浸食を強め、やがては彼女の命を奪うに終始する。それは変わらないのだ。
どちらを選択しても、未来は閉ざされている。
闘う意義など、どこにも見いだせない。
それでもただ一つ、キュリオスを突き動かすものがあった。
矜持だった。
「あたしを見くびるんじゃないよ人形風情が」
それは、人間としてのプライドだった。
「素直に首を縦に振ると思ったら大間違いだ」
明確な拒否の意思を見せつけられたその瞬間、オレイアスの瞳からハイライトが消えた。
「愚行、ここに極まれりだな」
機械人形には似つかわしくない、獰猛な野獣めいた闘争心が唸りを上げた。




