1-20 意識の審問
キュリオスはきっかり一時間で施術を終えると、再び大広間に姿を現した。
呪戒の解呪には、知識や技量や観察力以外にも、それ相応の体力、および術者の体内で錬成される呪力が、何よりも必須となる。それを軽んじた結果、施術中、呪いに『その身を喰われ』て、命を落とす呪学療法士もいる。
ましてや解呪対象がカイメラの呪戒となれば、そこに投じられる諸要素のレベルは桁違いだ。つまり端的に言うと、尋常ではない疲労感に蝕まれるはず。
それなのに、キュリオスは『疲れた』の一言すら漏らさない。体力を消耗しているのは確実だが、弱音を吐く素振りすらない。
呪学療法士としてのプライドがそうさせているというよりかは、他人に弱いところを見せたくないという、生来の性格のせいだった。
はたして、解呪は無事に成功したのか、それとも失敗したのか。目を凝らして心意を見抜こうとするラスティだが、粘獣に釘を打つような感じで、全く手応えがない。
キュリオスの心がまるで見えない。完璧な呪的精神防護ゆえの心意隠し。いつもの事ながら、感心と同時に怖くも思えてくる。
ルル・ベルがどうなったか。激しく気になるラスティだったが、それでも術後経過の状態を直接訊くようなことはしなかった。そんな事をしても、キュリオスが口を割らないのを知っていたからだ。
キュリオスは、当の本人が目覚めぬ限り、結果を教えようとはしない。そういうポリシーの下で仕事をしていた。
それを理解していながらも、やはり気になるのだろう。ラスティの目線が施術室のドアへ泳ぐのも仕方なかった。
「まだ眠っているよ」
一服のためのパイプを一吸いしてから、キュリオスが宥めるように言った。
「あと十五分も経てば目覚める」
「そうか」
「それで」
ぷかり、と煙の輪っかを一つ吐き出しながら、車椅子がカラカラとテーブルへ近づく。オッドアイが、ラスティの左肩付近へ向けられた。
「左腕、どこで落としてきたんだい?」
ラスティは、待っていたとばかりに言葉を紡いだ。これまでの一連の流れを、メリハリをつけて喋りはじめた。
ギルド専用の通信回線で届いた依頼。これまで斃してきた二体の保衛魔導官。ルル・ベルの目的。アンドロイドから人間への変異――全ての事を、包み隠さず伝えた。
「なるほどね」
興味深い物語を耳にした時にそうするように、キュリオスはにやにやと笑った。
「どんな話かと思いきや……なんとも人間臭い話だ」
「自己中心的とも言える。要するに、親に秘密がバレて欲しくないから、一人コソコソと動き回って問題を片付けようとしているだけだ」
「だから、そこが人間臭いんじゃないか」
キュリオスが声を出して笑った。好奇心……名前通り、彼女の興味の矛先は今この時、確かに研ぎ澄まされていた。
「創造主の亡くなった娘の代わりを勤めて、哀しみを癒してあげたい。それを達成するまでは死ねないか。この都市には似つかわしくない美談だねぇ」
「正直言うと心配だ。あの娘の目論見通りに事が運ぶ保証はない。一方的な善意が常に他人から受け入れられるとは限らない」
「そんなつっけんどんな事を言っているわりには、惹かれているようだけど」
「あんたを前に、隠し事は無駄なようだ」
ラスティは全身の力を抜いた。ここで変に気を張ったところで、どうにもならなかった。
「あんたの言う通りだ。俺は……あの娘の生き方に惹かれている。生きる事に対する姿勢が、俺とは根本的に違う」
失ったものを、取り戻してあげたい――ルル・ベルが何気なく口にしたその一言が、楔のようにラスティの精神に食い込んでいた。
「あの娘はとても真摯だ。どうしてそこまで真摯になれるのか理解したい。理解したいはずだ。それなのに、なぜか恐ろしいとすら感じている」
「得体が知れないから、だろ?」
「そんなところだ」
「あんたが困惑するのも無理ないね。人は、己の基準だけで生きている生き物だから。基準から逸脱した存在を価値づけようとする時、そこには必ず『恐怖』めいた感情が生じる。お前さんの抱いている恐怖の正体ってのは、さしずめ――」
「人間に成ろうとするアンドロイド……どうしても不自然さを覚える」
「やれやれ、先に言われちまうとはね」
「教えてくれ、キュリオス。アンドロイドが呪術を駆使して人間へ成ろうだなんて、そんなこと、本当に可能なのか?」
「……ラスティ。あんた、チューリングって人物の名を耳にしたことはあるかい?」
話のレールが切り替わったのを察知しつつ、ラスティは少し考えてから答えた。
「数百年前に実在していた数学者だな。あんたの話の中にも、これまで何度か出てきた名前だから覚えている。たしか……アンドロイドに搭載されているチューリング・システムの語源となった人物だ」
「チューリングは、時代の先を見据えていた学者なのさ。彼の興味はいつだって、ただ一つだけだった。『機械は知性を持てるか』という命題が、彼の永遠のテーマだった」
「知性? それならあるに決まっているだろう。アンドロイドの知識量や思考力は、いまや人間と同等のレベルにまで高まっている」
「結論を急いだって、いいことはないよラスティ。いいから聞いておくれ……さて、チューリングは以上の命題を実証する為に、あるテストをしたんだ。人間の判定者が、一人の人間と一つの機械装置に向けて、遠隔地点から電子メールを送る。メールにはいくつかの質問事項が書かれていて、何回かのやり取りをする。そのやりとりの中で、相手が人間なのか機械であるのかを判断する。そういうテストさ」
「判定者が機械との会話を人間のそれであると判定したなら、その機械は人間であることを意味する。つまりは、知性を宿しているという結論に至るわけか。なるほど、電子メールでのやりとりを『知的振る舞い』と置き換えたわけだ」
「そのつもりだったらしい」
「つもり?」
「テストには致命的な欠陥があったのさ。思考があるか否か。それを確かめるための十分条件はそろっていたが、必要条件が抜け落ちていた。それが何か、分かるかい?」
「…………」
「ヒント。年齢」
「…………そうか、子供だ。子供が相手だった場合、テストは前提から崩れる」
「正解。テストに選ばれた人間が未就学児であった場合、メールを使ったやり取りなんて出来るはずがない。しかしだ、だったら世の中で暮らす三歳程度の子供たちを見て、あたしらが知性の欠片も認識できないなんてことがあるかい? たしかに子供は言語に備わる統語論、意味論、語用論を完全には扱えないし、高度な知識なんて、それこそ持ち合わせちゃいない。けれど、転んで膝を擦りむいて泣いたり、映画に登場するヒーローの姿に感動したり、親に甘えようとする仕草をあたしたちが目にした時、そこに知性が存在しないなんて、言えるわけがない」
「テストで明らかになるのは『論理的な思考の有無』ということだけで、それは必ずしも『知性の確認』には繋がらないということか?」
「思考と知性は違う。あたしはそう考えている。だいたい、思考なんてものはコンピュータにだって再現できるよ。プログラムを組んでやりさえすれば、機械はいかにも『考えて行動していますよ』といった振る舞いを見せるからね」
「だがそれは、あくまで『フリ』に過ぎない……文章をひねり出したり、他人と良い関係を結ぼうと意識する人間の姿勢にこそ、知性の片鱗が顕れている……コンピュータやアンドロイドにその姿勢を求めることはできない。問題の解答方法を見つけ出した者に、悩む『フリ』をしろと言っているようなものだ」
「だいぶ理解しているようじゃないか。あんた、学はないけど地頭はそこそこあるんだね。あたしの思った通りだ。ラスティ、あたしはこう考えているんだよ。知性は姿勢に宿る。もっと言うなら、知性は意識の奥底から湧き上がる気泡のようなものだとね」
「あんたの考え、おそらくは正しい。ルル・ベルも言っていた。魔導機械人形は人間の集合的無意識を観測し、人間の感情を模倣していると。それが魔導機械人形の、ある意味では限界点だ」
「一見して意識がありそうな行動自体も、超高度に設定されたプログラムの結果でしかないってことだね。そこに意識は存在しえない。ただ、そういう風に見えちまうだけだ」
「キュリオス。あんた……とんでもない奴だな」
「ん?」
「意識は最初からあったものじゃなく、何らかの外的要因で発生した事象に過ぎない。そう言いたいんだろう。違うか」
「へぇ。今日はやけに冴えるじゃないか」
「本気で言っているのか?」
「少なくとも、冗談でこんな話はしないさ」
「馬鹿な。いくらなんでも飛躍し過ぎた論理だ。どこにそうだと断定できる証拠がある」
「だったら逆に質問するが、意識や心が人間の身に最初から備わっているなんて、そんなこと、誰が客観的に証明できるってんだい」
「それは」
「無理だろう? なにせあたしらは、意識を自覚した瞬間から『これが意識か』と無意識のうちに納得しちまっているんだから」
「ルル・ベルも、そうだというのか」
「恐らくね……さっき、あんたの話を聞いていて、あたしにはピンと来たよ。あのお嬢さんが実践している類感呪術ってのは、【森羅万転】だね。太古の時代にどこぞのシャーマンたちが編み出した、喪われたはずの【原初呪術】の一つだ」
「類感呪術ではないのか」
「二大呪術たる類感呪術も感染呪術も、もとはと言えば原初呪術から派生したものだよ。その鍵となるのは、被呪術対象者が『何者かに成ろうとする自発的意識』を持つこともそうだが、それ以外にもう一つある。むしろ、そっちのほうが肝要なのさ。あんた、あの娘と初めて出会った時、最初どんな印象を持った?」
「印象……」
深く思い出す。数時間前の出来事を。
倉庫街での一幕。耐環境コートを着た娘。
娘……人間の娘。
「まさか」
ラスティの中で何かが更新された。
今まで見過ごしていた光景が、不意にその姿を一変させたのだ。
視点の変換。逆転の発想。
それらが導き出す一つの仮説にして正しい解答が、脳裡で爆発した。
「森羅万転の要となるのは、いかに『他人から見てもらうか』に尽きる。本人がどれだけ努力しても、他者に抱かれる印象に変化がなければ、呪的効力は得られない」
「俺が、俺があの娘を。ルル・ベルを人間の女の子だと錯覚したから、だから彼女は、人間になりかけているのか?」
「正確に言えば、錯覚ってのも違うね。理解が誤解の総体であるという立場に立って考えてみれば、あんたは無意識のうちに、錯覚を印象へ結び付けて、彼女を人間として扱っていることになる。二度、三度、あの娘がちょっとした人間らしい仕草を見せるたびに、あんたはこう感じたはずだよ。まるで人間のようだなってね。そうあんたが意識すればするほど、森羅万転の呪術は着実に、あの娘の体と心を造り変えていっているのさ」
「…………」
「おそらくだけど、観測者はあんただけじゃない。三統神局に所属している他の魔導機械人形達も、あの娘を見て同じような印象を抱いているはずさ。そして思うに、この森羅万転に秘められた呪的システムにこそ、意識到来の謎を解き明かす秘密があるのさ……つまり」
一呼吸置いてから、彼女は言った。
「すべての意識は観測により生じると言うことだよ」
予想の斜め上の発言。ラスティは絶句し、その鋼鉄めいた顔に驚愕の波紋が広がった。
少しの静寂が大広間に満ちる。
その中で、キュリオスのオッドアイだけが、まるでこの世界の真実を見抜いているかのようだった。
「人間やアンドロイドだけじゃない。カイメラも乱染獣も、この世界に存在するすべての動植物には『意識らしきもの』がある。ただ、あたしらはそれを認識できない。なぜかって、あたしらが人間だからさ。人間だから、人間らしい姿の生命体にしか、意識を見出すことができない。ミミズやカエル相手に言語が通じないのは、つまりそういうことさ。あたしがこうしてあんたと言葉を交わせているのも、あんたがあたしと言葉を交わせているのも、互いに『意識ある存在』という前提を、無条件で、無意識に『理解』しているからこそなのさ」
「あんたの論理が、仮に正しいとしよう。だとしても逃れられない欠点がある。この世界で最初に生まれた人間はどうなる。まさか、そいつには意識が無かったとでも言うのか」
「会った事がないから断定はできないが、意識はあったはずさ。観測によってそれは生じたんだろうよ」
「誰が観測していたというんだ」
「さぁね。もしかしたら、あたし達から一番遠くかけ離れたところに在る、大いなる力のようなものかもしれない」
「……神が人間の意識を生み出したと、そう言いたいのか?」
キュリオスは答えなかった。パイプの煙を吐き出しながら、黄昏れるように彼女は言った。
「人間は、結局のところ主観的にしか事象を観察できない。他人の内面がどうなっているか、外側から正しく理解することなど不可能なのさ……あたしはねぇ、ラスティ。ときどき、おかしなことを考えちまうんだけれど」
宙に向けられたキュリオスの琥珀と青紫の瞳が、呆然としたように物語る。
「もし神のような超常の存在がいるとしたら、きっとソイツの目には、あたしたちの事は『物語の登場人物』のように映っているんだろうなって、そう考えちまうんだよ」
自分はもうすでに、その物語的枠組みに収まってしまっているのだと言わんばかりの主張。
理不尽な流れによって人蟲と化してしまった彼女にしてみれば、きっと世界は灰色のまま、永遠にその色合いを変えないのだろう。
キュリオスの話を耳にして、ラスティはくらくらとめまいがする思いだった。
突拍子もないと感じたせいではない。むしろその逆だった。
心のどこかで『そうかもしれない』と思えてきている別の自分が、ラスティの心の中で輪郭を象っていた。
この、のっぴきならない状況を前にして、全ては神が仕組んだ不出来でおぞましいテクストだと仮定するなら、それこそが運命なのだとすら思える。
「だったら、俺は、俺達は」
その運命とやらに、どうやって立ち向かえば良いと言うのか。
延々と続いていた会話のキャッチボールは、施術室のドアが不意に開けられたことで終わりを告げた。
目覚めたルル・ベルが、三人の呪蘇儡人に連れられる形で、二人の前に姿を見せたからだ。
「目覚めたかい」
「はい……」
「気分は?」
「悪くは、ないです」
「そうかい」
キュリオスはポーカーフェイスのまま、ルル・ベルの周りに立つ三人の呪蘇儡人へ視線を送った。
見えない言葉のナイフが意識の糸を切る。重力に引っ張られる肉人形は、大理石の床に接触する寸前でふわりと宙へ浮かび、元の壁の位置へ収まっていった。建築工具をきちんと整理するかのように。
ラスティは改めてルル・ベルの姿をまじまじと見やった。
十代の女の子らしい顔に、不安げな表情がこびりついている。揺れる睫毛の向こう側で、キュリオスから告げられる結果の是非を、聞きたいような聞きたくないような、微妙な感情を揺らめかせている。
一度固定化されたイメージを拭い去ることは難しい。
やはりどうしたって、ルル・ベルは人間の少女に見える。
いたいけで、健気で、誰かの為に生きる事に悦びを覚える、人間の少女。
もう、そういうことでいいじゃないか――それまでになかった穏やかな納得が心の中へ降りてくるのを、ラスティは自覚した。
自分にできることは、この少女がどのような選択をして道を歩んでいくか。それを見届け、できれば手助けしてやることだ。
「あたしは遠回しな言い方は苦手でね。だから、先に結論だけ言わせてもらうよ」
誰かが、唾を呑み込む音がした。
キュリオスは冷徹な態度を崩さない。まるで神託を告げる神官のように。
「残念だけれど、お嬢さん。あんたの望みを叶えてやることはできない」
稲妻のような切り口だった。
目の前に横たわる事実だけを抽出して、呪学療法士はなりたがり屋の少女へ冷酷に伝えた。
「完治は不可能。カイメラの呪戒を完全に消去することは、あたしにはできない」
無情な事実が、ルル・ベルの鼓膜を強く打った。




