1-13 襲撃の【循環(エンドレス)】①
原色光の帯と化したオイル・ケーブルが、中層以上の岩盤を支える支柱に、頼りなく絡みついている。オイル・カーがまばらに行き交う道路を横目に、大通りの歩道をじっとりと歩くラスティの表情は、いつになく不機嫌そうに強張っていた。
「(自分の選択は、何も間違ってなどいない)」
どこか足を引きずるように歩きながら、ラスティは何度も己に言い聞かせた。
あそこで依頼を拒否したのは、正しい選択だったと。それは間違いないはずだと。
その一方では、自分らしくない振る舞いだという自覚も、彼の中にはあった。
手術を受ける為に、彼はこれまで、ずっと報酬金の値を重視していた。それさえクリアできれば、どんなふざけた内容の依頼だろうと、我慢してこなしてきた。
しかしながら、今回ばかりはそうもいかなかった。どうしてかと考えてみる。
そもそも、ルル・ベルが余計な事を考えずに、事のあらましを素直に保衛魔導官に報告してさえいれば、戦闘は避けられた。無駄な殺しをせずに済んだはずだ。
それに、彼女には明らかな落ち度があるというのに、彼女自身がそれを省みようともしない。そこに腹が立ったから、決別したのか。
歩きながら頭を振る。それだけでは説明しきれない、胸のわだかまりが確かにある。
だが、それが何であるか突き止めようとしても、輪郭はおぼろげに揺らめくだけだ。
ぐるぐると脳裡を巡る思考の渦に揉まれながらほっつき歩いている最中、ふと思い立って、ラスティは足を止めた。
振り返ってみると、赤とオレンジの人工の光が遠くで靄がかかったように揺らめいているだけで、街路のどこにもレストランの姿は見止められなかった。
それどころか、随分とおかしな場所まで来てしまったと、周囲を見回していまさらのように気づいた。
「(どうかしているのは俺も同じだな)」
帰宅するなら、トラックを使えばよかったのに、そんな当たり前の考えにも及ばなかった。得体の知れぬ不快感が体の中心で暴れて続けていたせいだ。
あらめて、ラスティは周りを観察した。いつのまにか人影は皆無。ぽっかりと不自然に開けた裏路地に、彼は突っ立っていた。
経営難に陥って潰れた、ラブホテル街のど真ん中。真っ黒にそびえたつ建物を眺めていると、妙に平衡感覚が消失しそうな危うさを覚える。
ついさっきまで艶やかな歓楽街にいたというのに、一キロと少し歩いたところで、こうもくっきりと明暗が分かれるものかと、不思議な居心地になった。
だが、感傷に浸っている場合ではない。すぐに己のやるべきことを思い出す。
トラックを取りに戻ろうかとも考えたが、途中でルル・ベルと鉢合わせになる可能性がある。気まずさをわざわざ味わいにいくほど、ラスティは酔狂者ではない。
仕方がない、タクシーでも拾おうかと大通りへ足を向けかけるが、先に面倒事を片付けておく必要があると思い直す。
ラスティはジーンズのポケットから携帯端末を取り出し、連絡をかけた。
電話口の相手からどんな嫌味を言われるか。考えるだけで軽く憂鬱になるが、約束は約束だ。連絡を寄こさず、しかも依頼不成立であることが知れたら、向こうの怒りを宥めるのに数日かかるのは目に見ている。
「(……妙だな)」
いつもなら、どんなに忙しくとも五コール以内に出るはずが、十コール目に至っても音沙汰がない。女でも買いに行っているのかと考えた時。十五コール目。ついに相手が出た。
「フェヴか? 俺だ。ラスティだ。あれだけしつこく言っていたから、一応連絡を入れてやったぞ」
しかし、返事はない。不気味なほどの静けさが、電話の向こうに充満していた。
「寝ているのか? すごいな。寝ながら電話に出ると言う芸当を覚えたわけだ。最新式の全身義体者でも出来ないぞ。デスクワークなんかとっとと切り上げて、大道芸人として表に出たらどうだ?」
皮肉交じりの軽口を叩いてみるが、それでも返事はない。
電話口の底から、低い、くぐもった呻き声が聞こえる。
直感――何かが、おかしい。
「おい……フェ」
『ラス、ティ……か……?』
息も絶え絶えな、か細い声が、ラスティの鼓膜を震わせた。
フェヴの声に違いない。違いないが、同時に違っていた。普段の彼の声ではなかった。
それは、命の消えかけている者が、最後に振り絞る吐息に似ていた。
「フェヴ! どうした!?」
思わず大声になる。こちらの声に反応して、向こうも元気を取り戻してくれと、そんな祈りが無心で込められたかのような呼びかけに、しかし応える声は、どこまでも細い。
『ヤバ、いぞ……ラス……そっちに……魔女……が……』
右耳の鼓膜がフェヴの最期の声で揺れた時、ラスティは空いた左耳で、無意識のうちに周囲の異変を感じ取っていた。
フェヴの只ならぬ声色を耳にして、全身の人工神経が一気に張り詰めたが故に感覚できた。それは微細にして、だが確かな『意志』の到来を予感させる、空気の異変だった。
ラスティが咄嗟に携帯電話を放り投げながら後ろに飛び退がったのと、さっきまで立っていたアスファルトの地面にナイフが深く刺さったのは、ほとんど同時だった。
反射的に、ナイフが飛んできた方向を見上げた。奇襲を受けてなお、その面差しに恐怖は見られない。すでに闘う覚悟を整えた者の姿勢と言って、差し支えないだろう。
だがそれでも、視線の先に――廃墟と化したラブホテルの屋上に、確かに人型のシルエットを見止め、そいつが彼我の距離を易々と飛び越えてくるような、ただならない気配を放っていると察知した際には、さすがに人工の胃がせり上がりそうだった。
「流石は全身義体者のハンター。その程度では仕留められないか」
抑揚を極端に抑えた、氷のように冷たい声音が、風に乗ってラスティの鼓膜に響く。
襲撃者は一人。少女の顔。硬質な白い肌。
黄金色に輝く双眸が闇に浮かび、緋色のローブが風になびく。
その右手には、長大にして異形の、漆黒に染まる魔杖――魔導変性増幅杖が、しかと握られていた。
「保衛魔導官……か!」
なぜ――驚愕と同時に湧き上がる疑問。しかし直ぐに自己解決した。ルル・ベルの言葉を思い出した。
正確には、彼女が装備していたチョーカー型の魔導具のことを――能力の効果範囲外。そこに立っている自分の愚かさを嘆いた。
うかつに彼女の側を離れるべきではなかった。その事実に気づいたところで、全てが遅かった。
「貴様は、私に近いな」
近いとは、実力のことを言っているのか、それとも見た目のことを言っているのか。機械の人形が不意に零したその意味深な呟きも、しかしこの距離では聞こえるはずもない。
眼下に見下ろすラスティの気が膨れ上がるのを感知するやいなや、魔導官は魔杖を振りかざしながら声を張り上げた。
「貴様がガーラーテイアと共同戦線を張り、同志アレトゥサを斃したことは、既に視界共有により一部始終を確認済みだ」
同志と言う割には、保衛魔導官の声に恨みや憎しみの念はまるで込められていなかった。エミュレーター受信強度の意図的な低下がそうさせていた。
感情の起伏が極限まで抑えられたその声を聞いていると、さながら人間サイズの昆虫が喋っているかのようだった。
「任務を途中放棄しただけでなく、我々に明確な牙を剥いた段階で、ガーラーテイアには強制拘束の措置が適用される。強制拘束は彼女の個人的な関係者にも……つまりはラスティ・アンダーライト、貴様と、貴様の所属しているハウリング・ギルドの支配人たるフェンディ・ヴェルサーチにも適用される。だが、彼は何も知らないと主張するばかりで、こちらに有益な情報を与えようとはしなかった。愚かすぎる選択だった」
「待て、俺は――」
関係ない。巻き込まれただけだと口にしようとした。
なんなら、得られた答えを暴露するべきだった。
ルル・ベルがなぜ逃げ回っているかの、切実にして愚かな理由を。
それで相手も納得してくれるはずだと思えた。
しかし、どうしたことか。無意識のうちに逡巡していた。
言い澱んでいた。躊躇っていた。
そんな自分の態度に自分で驚いていた。
脳内物質を過剰分泌しようとも、この気持ちは変えられないだろうという予感があった。
そしてまた、なぜそんな感情を抱いたかの原因が分からず、困惑するばかりだった。
「答えよ。ガーラーテイアはどこにいる」
沈黙――ラスティの複雑な反応を見て取ると、保衛魔導官は、何かを確信するように頷いてみせた。
「黙秘か……賢明とは言い難いな。その反応。その表情。知らぬ存ぜぬで立ち回れるほど、保衛魔導官の目は節穴ではない」
「…………」
「見立て通りだ。やはり、貴様からは有益な証言を得られそうだ。力ずくで証言を引き出すとしよう。我々なりのやり方で」
「拷問にでもかけるつもりか?」
「生ぬるい。貴様の首から上を刈り取り、この場で直接情報を吸い出――」
続く言葉が、空間の歪みに呑まれて、消える。
ラスティが先手を打った。話し合いが一方的な決裂を迎え、にっちもさっちもいかなくなったと悟った刹那、限界まで引き絞られた精神の弓から異能の矢を――歪視を放ったのだ。
しかし、ラスティのアイス・ブルーの瞳から放射されたはずのその不可視の万力が、保衛魔導官の顔面を捩じ切ることはなかった。
異能の力は、保衛魔導官へ届く寸前のところで弾け飛んだ。拡散された力の余波が、空間に奇妙な波紋を描いていく。
ぞっとした。
歪視の無効化――初めての経験だった。
夢にも思ったことのない現象だった。
呆然となるラスティをよそに、鉄仮面のまま、異形の少女は呟いた。
「喋っている当人がアンドロイドであろうと人であろうと、話は最後まで聞くべきだと、スクールの教師から教わらなかったのか?」
「あいにくと、無学の徒だ」
「それは失礼したな。しかし社会的生命活動を継続していくうえで、どのような他者の発言であれ、耳にした内容は聞き留めておくべきだ……言ったはずだ。一部始終を確認済みであると」
不気味なほどの機械的声音が、秘密の一端を暴いた。
「世間では知られていないが、人工の異能を植え付ける人体跳躍手術は、我々が所属する三統神局が出資して確立させた技術だ。当然、その基盤には当局が開発した魔導技術が応用されている。対抗策を打ち立てることは容易だ」
「特別な魔導具を装備しているか、それとも、こちらの攻撃を無力化する魔導式でも打っているのか?」
「同志アレトゥサに止めを刺した貴様に、答える筋合いはない」
平坦な調子で告げながら、保衛魔導官は魔杖を握る手に力を込めた。
「報いは受けなければならない。貴様自身の命で釣り合いが取れるほど、冥府に旅立った彼女の魂は安くないが、我々には……このエコー=エル=エンドレスには、仇を成し、目的を達成する義務がある」
新体操選手のパフォーマンスのように、エコーは右手に握る魔杖を華麗に真上へ放り投げ、そして厳かに唱えた。
【黒天より白閃へ】
まさに呪文通りの現象が、魔杖に起こった。黒めく杖の中心から縦に亀裂が入り、内側から外側へ向けて、なめらかにめくれていく。にわかに顕れる純白の力が銀光を放ち、吸い寄せられるようにしてエコーの右手に収まった。
「たいした手品だ」
緊張の面持ちで嘯くラスティの視線は、ただ一点へ縫い留められていた。
生まれ変わった魔杖――杖の先端部であったはずの部分は――薔薇と蔦と髑髏の意匠が施された、銃把にも似た白い柄へ。
かたや杖の持ち手であったはずの部分は――峰に工学的デザインが施された、なだらかな曲線を描く白色に染まる細身の刃へ。
魔杖は、目に見えて凶悪で暴力的な姿を――機械刀とも言うべき形状をとるに至った。




