第一幕 第九場
黄瀬エミが住んでいるマンションへとやってきた。そしていま、おれは黄瀬が台所で料理を作っているのを、居間ですわりながら、それができあがるのを待っている状態だ。
おれは落ち着かない気分で部屋を見まわす。するとある物に目が留った。それは写真立てで、中に飾られているのはおれたちの大学時代のもので、サークルとして活動していたキャンプ部の集合写真だ。そこにはおれや白石ヒカリの姿もある。
しばしその写真に目を向けていると、黄瀬が料理を手にやってきた。それをテーブルに並べていく。おれは写真から視線をそらすと、居住まいを正した。
「おまたせ」黄瀬が言った。「さあ、食べて食べて。遠慮はいらないから。もちろんおかわりも自由だよ」
こうしておれたちは、ふたりそろって食事をはじめた。料理はご飯にみそ汁、それにピーマンの炒め物、やっこ豆腐に焼け鮭だ。とても健康によさそうなメニューだな、とおれは思った。
「味のほうはどうかな?」黄瀬が訊いてきた。「濃かったりしない、だいじょうぶ」
「だいじょうぶだよ黄瀬。とてもおいしいよ。特にこのピーマンなんて最高だ。いまの食生活だと野菜なんてほとんど食べないから、ありがたいよ」
おれの褒めことばに対して、黄瀬はきまり悪そうな表情を浮かべている。何かまずいことでも言ったのだろうか?
「どうしたんだ?」おれは眉根を寄せる。「おれが何か変なことでも言ったのか」
「えーとね……」黄瀬はことばを濁す。「実はそれはピーマンじゃなくてパプリカなの」
そう言われ、おれははっとすると、料理に視線を向ける。そしてふたたび顔をあげると、苦笑いしてしまう。
「ごめん、味が似ているからまちがえてしまった」
黄瀬の表情が曇る。「ほんとうに色が見えなくなったんだね」
「ああ……」おれは小さくうなずく。「あの日からずっとこうなんだよ、おれは。それだけじゃない、記憶障害で事件のことを思い出せないんだ。だからみんなと顔を会わせづらかったんだ」
「どうして?」
「だっておれが記憶障害のせいで、犯人につながる記憶を思い出せずにいる。みんなからすれば、大学のサークル仲間が殺されたのに、おれのせいで事件が解決できない。それは許せないことだろ」
「だれもそんなこと思っていないよ、黒川」黄瀬は悲しげな顔つきになる。「たしかに白石が殺されたことは悲しいことよ。その犯人が未だに捕まっていないのも許せないとも思っている。だけどね、だからといってわたしは黒川を恨んだりはしない。黒川だって死にかけたんでしょう。そのせいでいまはこんなことになっている。そんなあなたを、わたしは非難したりしないよ。もちろんみんなも」
「そう思ってくれるかな……」
おれの視線は自然と写真立てへと向かう。それに倣うようにして、黄瀬も顔を向けた。
「もう卒業して一年も経ったんだよね」黄瀬が言った。「あのころは楽しかったよね。キャンプ部として、いろんなところでキャンプしたりしたよね」
「ああ、そうだな……」
「またいつかみんなで——」黄瀬はそこではっとすると、ことばを押しとどめる。「ごめん、白石がもういないのに、こんなこと言っちゃって。わたし無神経すぎだね」
「いいよ。気にしないで。悪気があったわけじゃないんだから」
その後食事を再開するも、先ほどのことが尾を引いたのか、会話らしい会話はなかった。そして食事を終え帰る時間がやってきた。
「きょうは誘ってくれてありがとう」おれは玄関口で言う。「ご飯おいしかった。ひさしぶりに手料理を食べた気がするよ」
「そう言ってもらえてうれしい」黄瀬はにっこりと笑う。「きょうは話せてよかった」
「おれもだよ」
「あまり思い詰めないでね黒川、心配になるからさ。それに白石が亡くなってつらいのはあなただけじゃないのよ。わたしだってつらいんだから」
「……そうだよな」おれはそこでしばし間を置く。「みんなだってつらいよな。自分のことばかり考えて、そのことを忘れていたよ。ごめん」
「いいの。黒川はつらい立場にいるから仕方がないよ」
「これからは気をつけるよ。それじゃあ」
おれは背を向けて玄関のドアに手を伸ばす。だが後ろからその腕をつかまれて阻止された。すると黄瀬がおれの背中に、自分の体を重ねてくる。
「もしつらくてさみしいのなら、きょうは泊まっていいよ黒川」
おれはしばしためらったのち、口を開いた。「……ごめん、今夜は自分の家で眠ることにするよ」
おれはそのまま後ろを振り向かずに、黄瀬の部屋から出て行った。