第一幕 第八場
精神科をあとにしたおれは、暗い面持ちで街中をさまよっていた。行くあてもなく、ただ呆然と歩きつづける。記憶を思い起こす方法がわからず、袋小路に迷い込んだ状態だ。
おれが犯人の顔を知っているのはまちがいない。だがそれを思い出すことは未だにできていない。白石ヒカリが殺されるあの場面を、悪夢として何度も繰り返しみているのに、犯人の顔を確認する前に夢から目覚めてしまう。夢で見たあの場面は、あれは現実であった出来事だ。それだけはおぼえている。
だがそれ以外のことが思い出せない。あの日なぜおれと白石は、あそこにいたのか。そこで何をしていたのかよくわからない。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと雑居ビルにある看板に目が留る。そこには『夢占いの館』と書かれていた。そしてその下には、『あなたが見た夢の解釈をいたします』と付け加えられている。
「……夢占いの館」おれは自然とその文字を口にしていた。
夢占いというのだから、占いの一種だろうな、とおれは思った。そのことばは、よくある占いなどの本や雑誌、ほかにもテレビなどで見たことがある。だがその下に書いてある解釈ということばが、気になった。解釈というからには、解き明かすという意味だ。
おれが知っている夢占いというものは、何々の夢を見たらそれは何々という意味だ、という単純なものだ。だからこそ看板に書かれている、あなたが見た夢の解釈をいたします、ということばが、どうしても引っかかる。
……夢というものに、解釈するほどの意味がこめられているのであろうか?
そんなことを疑問に思いながら、しばし足を止めて看板を見つめていると、だれかが雑居ビルの階段をくだってくる音が聞こえた。するとほどなくして、ひとりの若い女性が歩道へと出てきた。
その女性と目が合った瞬間、おれは思わず目を丸くする。相手も同じくこちらを見て驚いている様子だ。
その女性はボブヘアーをしており、それが柔和な顔によく似合っていた。ブラウスにスカートというカジュアルな格好をしており、親しみやすそうな雰囲気を醸し出している。その女性は大学時代の友人である、黄瀬エミだった。
「……黄瀬」おれは弱々しい声で言った。
「……黒川」黄瀬はぎこちない笑みを浮かべる。「ひさしぶり」
「ああ、ひさしぶりだな」
お互いに何を言えばいいのかわからず、しばし無言の間が訪れる。白石を亡くした事件以来、記憶を思い出せず犯人を捕まえることができない自分に負い目を感じ、友人たちとは疎遠になっていた。だからこうしてばったりと出会ってしまい、何を言えばいいのかわからない。
「元気にしていた?」先に沈黙を破ったのは黄瀬だった。「ずいぶんやせたように見えるけど、ちゃんと食べている?」
「ああ、食べているよ」おれはそこで間を置く。「とはいっても、弁当かレトルト食品、それか外食ばっかだけど」
「だめだよ黒川」黄瀬は心配するような口調だ。「そんな食生活していたら栄養が偏るよ。ちゃんと自炊しなきゃ、体に悪いわよ」
「それはわかっているけれど。けど料理がうまくできなくて」
「うそ言わないでよ。黒川って料理上手だったじゃない。キャンプの時だって、自分から率先して作ってたじゃないのよ」
「ああ、たしかに昔はな……」おれは気まずさからほほを掻いて、相手から視線をそらす。「いまは色がわからなくて、食材がこげているのかどうかわからないくて、そのうち料理するのをやめてしまったんだ」
「……ごめん黒川、そうだったね」黄瀬はすまなさそうな顔つきになる。「わたしそのことを忘れていた」
おれは首を横に振る。「いいんだ気にしないでくれ」
「だったらわたしが作ってあげるよ」黄瀬は気を取り直すかのように明るく言う。「いまからわたしの家に来なよ」
「それは悪いよ黄瀬。そこまでしなくていいから。迷惑だろ」
「だいじょうぶ、迷惑なんかじゃないからさ。それにひさしぶりに会えたんだし、たまには話でもしようよ」
「……悪いけど、やっぱおれ遠慮しておくよ」
おれはそう告げると、背中を向けて立ち去ろうとする。だがすぐに後ろから腕をつかまれたと思うと、それを背中にまわされ拘束されてしまう。
「逃がさないわよ黒川」黄瀬がおれの耳元でささやいた。「わたしは一度やると決めたことは、かならずやる女よ」つかまえた腕をさらにひねりあげる。「それともこのまま腕をはずされたいの?」
「わかった行く!」おれは思わず叫んだ。「行くから放してくれ」
おれがそう言うと、黄瀬は拘束を解いた。
おれは苦笑しながら向き直る。「まったく強引なやつだな」
黄瀬は微笑んだ。「ようやく笑ってくれたね。黒川がずっとつらそうな顔していたら、わたし心配になっちゃうよ」
そのことばを聞いて、おれも微笑んだ。「ありがとうな、黄瀬」
こうしておれは黄瀬の家に行くことになった。