第五幕 第七場
「それで検査の結果はどうだったんだ?」青木ソウスケが訊いた。
「脳には何も問題ないんだって」おれは肩をすくめる。「そもそもの話、おれがどうして色盲だったのか、そのくわしい原因が不明だった。だからどうしてもとにもどったのかも、くわしい理由がわからないってさ。まったくいい加減な話だよ」
いまおれは病院のロビーで青木とふたりで話をしていた。
「おまえ前に言っていたじゃなか」青木が言った。「頭を怪我したせいで文字が反転して見えるようになった患者の話を。あの患者もふたたび頭を怪我して、その症状が治ったんだろ。おまえにも同じことが起きたんじゃないのか」
「そうかもな」おれはため息をつく。「いまのところはそうとしか、言いようがないな」
「なら素直によろこべよ、黒川」青木はそう言うと腕時計に視線を向ける。「それじゃあ、ぼくはもう仕事にもどるよ」
「そうか。それじゃあな」
「ああ、お大事にな」
青木と別れたおれは、自分が使用している個室へ向かう。すると部屋の中にはアリスが椅子に腰掛けていた。
「どこ行っていたの黒川さん」アリスが言った。「待ちくたびれたわよ。せっかく朗報を伝えようと思ったのに、いないんだもの」
「せっかく来てくれたのに、待たせたみたいですまないな」おれはそう言ってベッドに腰をおろした。「外で友人と話をしてたんだよ。それで朗報って何?」
「一度は警察に押収されちゃったけど、いろいろあって、こうしてもどってきたわよ」
アリスは懐から小さな袋を取り出すと、それをおれに差し出した。おれはそれを受け取ると中をたしかめる。そこには深紅に染まった真っ赤なルビーがはいっていた。
「アリス!」おれは驚愕する。「これはどういうことだ?」
「警察の調べで、例の不法投棄された車の最初の持ち主が判明したのよ。その人物は白石ヒカリさんの父親だったわ」
「……えっ?」おれはその事実に目を見開く。「白石の父親?」
「そうよ」アリスはうなずいた。「だからその所有権は母親に相続された。そして母親はこれまでの話を聞いた結果、それをあなたに託すそうよ」
「おれたちがあの日、たまたま見つけた物が、白石の父親のものだったなんて。そんなの偶然にしてはできすぎている」
「偶然じゃないわ。これは必然ね」アリスは言い切った。「あなたの赤いバラといっしょで、無意識の行動と言えるわ」
「どういうことだアリス?」
「あなたが恋人の墓に手向ける花を、忘れていたレッドローズという記憶から、無意識に赤いバラを選んだように、白石さんも同じように行動したのよ。つまりは彼女は小さいころに、父親が車に現金と宝石を隠しているのを目撃したんでしょうね。けれど成長するにつれてそれを忘れてしまったが、たまたまその車を見つけたことで、無意識にそこに隠されていると直感したはずよ」
おれは当時の記憶を思い出す。たしかに白石は何か確信があるかのように行動していた。あれはアリスの言うとおり、無意識にそこに隠されているのを知っていたからなのだろう。そうでなければ、車のドアを破壊してまで、探そうとはしないはずだ。
「たしかにそうかもしれない」おれは言った。「いや、そうなんだろう。白石は知ってたんだよ。あそこにこれがあるって」
「よかったじゃない。これで彼女の夢が叶うんでしょう」
おれはうなずいた。「それにしても、あのときはよくすり替えていたな。おかげで驚いたよ。でもどうしてばれなかったんだ」
「暗視ゴールグなんかつけていたら、色なんてわからないでしょう。それにつけていなくても、あそこは薄暗いしだませると思ったの。だからだますには、敵からではなく味方からと思って、あなたには内緒にしていたの」
「やられたよ」おれはまじまじとルビーを見つめる。「でもおかげでこうして無事にもどってきた」
「無事じゃないわよ」アリスが急に声を尖らせる。
「えっ?」おれは眉をひそめる。「何を言っているんだ。こうして無事にルビーがあるじゃないか」
「たしかにそのルビーは無事ね。けれど思い出してよ。あなたは何を破壊したのかしら」
「……そう言えばそうだよな。たしか紫色だったんだよな」おれはそこではっと気がつく。「まさかあれってアリスがつけていたやつなのか?」
「ええ、そうよ」アリスは顔をしかめた。「わたしのお気に入りのバイオレットサファイアよ。言っておくけどね、あれはそのルビーよりは価値は低いかもしれないけど、百万近くもしたんだからね。ちゃんと弁償してよ」
それを聞いておれはきびしい顔つきになる。「……弁償ですか」
「当然でしょう。あなたが壊したんだから、あなたが責任を持って弁償するべきでしょう。まさか目の前でお気に入りの宝石を壊されるとは思わなかったわ」
「……わかったよ」おれはつぶやくようにして言う。
「えっ、何?」アリスは耳に手をあてる。「もっと大きな声で言わないと、よく聞こえないんだけど」
「ちゃんと弁償しますよ!」おれは声を大にする。「責任を持って弁償します。だから……分割でいいですか?」
「分割?」アリスは不満げに言った。「まったくこれなら、最初の計画どおり、すり替えたまま持ち逃げするべきだったわね」
「えっ!」おれは素っ頓狂な声をあげる。「そんなことを計画していたの?」
アリスはしたり顔になる。「だってあなたのことは、むかついていたし、それにこんなお宝見逃すなんて馬鹿じゃない」
「でもきみは持ち逃げしなかった。それどころか自分の大事な宝石を犠牲にしてまで、守ってくれた。それはどうしてだ?」
アリスはあきれたかのようため息をつく。「まったくあなたって馬鹿なの。そのくらい言わなくてもわかってよね」
「冗談だよ」おれは含み笑いする。「そのくらいわかっているさ」
おれとアリスは見つめ合うと、お互いに笑い声を漏らしはじめる。それはやがて大きな声になって部屋に響きわたる。
「ひさびさに笑った気がするよ」おれは言った。「こんなに笑ったのはいつ以来かな」
「奇遇ね」アリスは腹を抱えている。「わたしもこんなに笑ったのはひさびさだわ」
そうやってふたりで和んでいると、赤松コウキが部屋へとやってきた。その姿を見たアリスは椅子から立ちあがる。
「それじゃあ、わたしはお邪魔になりそうだから行くわね」
アリスはそう告げると部屋を出て行く。すると赤松はそれに代わるかのように、先ほどまでアリスがすわっていた椅子へと腰掛けるとおれと向き合う。
「わかっているよ」おれは持っていたルビーを掲げる。「おまえがきょうここに、来た理由ぐらい察しているさ。このルビーだろ」
「ああ、そうだ」赤松は神妙な面持ちでうなずく。
「話を聞いたか。これがじつは白石の父親の物だってことをさ」
「もちろん聞いたさ」
「ならびっくりしただろう?」
「いや、驚いてはいない」
「えっ?」おれは眉を寄せた。「驚いていないだって」
「これは運命だよ黒川」赤松は真剣な表情で言う。「あの日、おれたちは捨てられた車から金と宝石を見つけた。それは白石の父親のものだった。そんな偶然あると思うか?」
おれはしたり顔になる。「ただの偶然かもよ」
「いや、これは偶然じゃない」赤松は言い切る。「見つかった宝石は真っ赤なルビー。そして白石の父親が最後までやりとげようとした作品はレッドローズだ。そしてそのレッドローズを完成させるには、そのルビーがぴったり合うはずだ」
「たしかにそうかも。白石の父親がレッドローズを完成させるまでのあいだ、このルビーを盗まれないようにお金といっしょに隠していたのかもしれないな」
「だからあの日、白石がそのルビーを見つけたのは運命だったんだ。運命がそれでレッドローズを完成させろと告げていたんだ。だから白石はそれを見つけてしまった。これは偶然や奇跡なんかじゃない、運命としか言いようがない」
「運命か……」おれはまじまじとルビーを見つめる。「偶然や奇跡、必然でもなく、おまえはこれを運命と解釈するんだな」
「そうだ。だからその運命をまっとうして、白石の夢を叶えてあげたい。それが残された者に課された義務だ」
「そしてそれを叶えるのは、自分だって言いたいんだろう?」
赤松はばつが悪そうに視線をそらす。「……おまえにはいろいろと迷惑をかけたし、精神的にもつらくあたって追い込んでしまった。ほんとうにすまないと思っている」
「いまさらあやまられても、おれを困らせるだけだ」おれはさみしげに微笑む。「おれはあいつに振られたし、おまえに恋で負けたよ。それでも彼女の夢は、叶ってほしいと思っている。だったらその夢はおまえが叶えるべきだろ」
「いいのか黒川?」赤松はおれの顔を見つめる。
「ああ」おれはうなずいた。「おれはもう吹っ切れた。だからこれをおまえに頼めるか。おまえになら信用してこいつを任せられる」
「まかせてくれ黒川」
おれがルビーを差し出し、赤松はそれを受けとった。すると赤松はズボンのポケットから小袋を取り出す。
「そいつはレッドローズか?」おれは訊いた。
「そうだ。持ってきたんだ」
赤松は小袋からレックレスを取り出すと、それの手のひらに置く。そしてダイヤで縁取られた隙間に、ルビーをそっと置いた。するとルビーはぴったりとそこにはまる。
「完成したな」おれは感慨深い思いになる。「よかったじゃないか」
「そうだな」赤松は感極まったのか涙を流しはじめる。「ほんとうに……よかったよ」
こうして白石の夢は、赤松によって叶えられた。おれは少しだけくやしい気もしたが、これでいいんだ、と思った。そのほうが白石もよろこぶだろう。これでようやく、おれも前に進める。




