第四幕 第九場
いまおれとアリスのふたりは、深夜の緑山ドリームワールドへとやってきていた。壊れたフェンスの隙間を抜けて、駐車場へと足を踏み入れる。
夜のため寒いのか、アリスは羽織っているパーカーのチャックを閉めはじめた。おれは懐中電灯を手にして、廃墟になった遊園地へと先導する。
「……きょうはありがとう、アリス」おれは言った。「あのときはああ言ったけど、やっぱりきみがついてきてくれて心強いよ。ほんとうに感謝している」
「感謝しないでと言ったはずよ」アリスは冷淡な口調だ。「わたしのことはしゃべる機械とでも思っておいてちょうだい」
「……まだそんなことを言うのか」おれは表情を曇らせた。「きみがこうして協力してくれるのは、おれの身を案じてのことだろ。そんなきみに対して、そんなふうにはもう思えないよ。それにこの前のこともあるし」
「あのことは忘れてちょうだい」アリスは語気を強めた。「あなたの前で感情的になって泣いてしまうなんて、あれはわたしの失態だから。だから気にしないで」
それは無理な話だな、とおれは思った。アリスは自分の胸の内を明かし、そのトラウマを語った。あの出来事は、おれのなかで強く印象づいている。いまアリスは冷静に大人びた人間を演じているが、あのとき見せた姿こそ、アリスのほんとうの姿なのだろう。いや、アリスではなく灰田アカリというべきか。
そんなことを考えながら歩いていると、入り口ゲートへとたどり着いた。するとそこには、明らかに煤こけたラビットくんの置物があった。色の判断はできないとはいえ、その色の濃さのちがいはわかる。だから識別できる、いま目の前にしているラビットくんは、もはや白色をしていないことが。
「何よ真っ黒じゃない」アリスが言った。「これってもしかして、燃えたあとかしら」
「……ここにあったのはラビットくんだ。それが燃えた?」おれはそこで長々と間を置いた。「そうだ思い出した」
「何か心あたりがあるようね」
「ああ、そうだよ」おれはうなずいた。「おれたちがここで襲われたあと、ぼや騒ぎが起こった、と聞いている。展望台で夜景観察をしていた人が、それに気づいて通報したんだ。そのおかげでおれは発見されて一命を取り留めたんだよ」
「するとあなたは救出される際に、その現場を見ていたのかもね。だから夢のなかでラビットくんが燃えていたのは、それが理由だと考えられる。というか、そうとしか考えられない」
「そうだな」
「……だけど不思議ね」アリスは怪訝そうに、ラビットくんを見つめる。「事件とぼや騒ぎが、同時に同じ場所で起きるなんて、偶然とは思えない。これはキャットマンが放火したと見なしたほうが、いいかもね」
「やつが放火を?」おれは眉をひそめる。「なんのために」
「考えられる理由は、金を奪ったがルビーがないことに気づき、その隠し場所を知っているあなたたちを助けようとした、と考えられるけど……。でもそれだとおかしいわよね」
「おかしいって、それはどういうことだ? ルビーが手に入れたいから生かしたんだろ。それのどこかおかしいんだ?」
「よく考えてみて、黒川さん。犯人はあなたに顔を見られたはずなのに、助けようとしたことになる。結果的にあなたが記憶障害になったからいいようなものの、もしもその顔をおぼえていたままなら、犯人は捕まっていたはずよ」
「たしかにそうだ」おれはその事実に目を丸くしてしまう。「いったいどういうことだ?」
「わたしにも犯人の思惑が、いまいちよくわからない。もしかすると、ルビーが狙いじゃないのかもしれない」
「ちょっと待ってくれ。もしそうならいま現在、犯人がおれを生かしている理由はなんだ?」
「わからない……」アリスはあごに手を添えた。「もしかすると、この事件、何か根本的な勘ちがいをしている可能性があるのかもしれない」
「勘ちがいって?」
「さあ、わからない」アリスは肩をすくめた。「それにここであれこれ考えていても、らちがあかないわ。とにかく行きましょう」
「ああ、そうだな」
おれとアリスは入り口ゲートをくぐると、緑山ドリームワールドへと足を踏み入れた。緊張感が高まるのをおれは感じた。アリスの表情も緊迫したものになっている。
「だれかいると思う?」アリスは不安げな口調だ。「懐中電灯らしき光は見えないけど」
「それはわからない。けどもしもキャットマンが隠れひそんでいたとしたら、暗視ゴーグルを使用しているはずだ。懐中電灯は使わないはずだよ」
「暗視ゴーグル?」
「やつはマスクの下に暗視ゴーグルをつけて、それで暗闇を自由に動いている可能性があるだ」
「暗視ゴーグルというと、ちょうどこのあいだのキャンプであなたからビデオカメラを借りて、暗視モードで夜景を見ていたあの状況と同じということかしら?」
「そういうことになるな」
おれたちはそのまま会話をしながら歩きつづけ、やがてミラーハウスへと着いた。そして中へと侵入する。夢で見たときと同じで、中はがらんどうとしている。白黒の床タイルがかつての名残だ。
「はじめるよ」おれはそう言って懐中電灯を消した。
するとアリスは持っていたブラックライトを点灯させ、紫色の光をあたりに走らせた。すると床タイルのひとつが反応を示した。そこには蛍光塗料で丸印が書かれている。
「ここね」アリスはそう言って、ブラックライトを消した。
おれは懐中電灯をつけると、床パネルを調べはじめる。するとその床パネルがはずれることに気づいた。なのでそれをはずしてみると、そこには深さは十五センチ程度の空間があり、その片隅には、小袋ひとつ置いてある。
それを見た瞬間、心臓が高鳴った。おれは緊張した面持ちでそれを拾いあげると、中身をたしかめる。するとひとつの宝石らしき形をした鉱石が出てきた。だが自分にはそれがなんなのかわからない。なのでその鉱石をアリスに向け、懐中電灯で照らす。
「……これはルビーね」アリスはまじまじと見つめている。「おそらくはわたしが持っていたバイオレットサファイアと同等……、いえそれ以上の大きさだわ」
「これは本物だと思う?」
「専門家ではないので、たしかなことは言えないけど、もしこれが本物で最高品質のものなら一千万は超えると思うわ」
それを聞いて緊張が増すのを感じた。おれはすぐにスマートフォンを手にすると、ルビーを写真に撮る。それがすむとルビーを小袋にもどして、それをアリスに差し出した。
「おれはいま撮影した画像で、犯人をあぶりだすつもりだ。だからもしものことに備えて、このルビーをきみが預かってくれないか」
「わたしに預けるの?」アリスは驚き、とまどっている。「わたしがそれを持ち逃げしたら、どうするつもりなのよ」
おれは決然とした口調で言う。「おれはきみを信じるよ」
「……ほんとお人好しね」アリスはそう言って小袋を受けとった。
「それじゃあアリス、何かが起きる前にここを退散しよう」
「ええ、そうしましょう」
こうしてルビーを手に入れたおれたちは、廃墟をあとにした。