第二幕 第九場
いまおれは電車に乗って家に向かっている。窓の外に目を向けながら、夢占いの館での出来事を思い返していた。アリスのことばを信じるのならば、事件に関する手がかりがつかめるかもしれない。
すべては自分次第だ。この色を失った灰色の世界で、おれはいつも憂鬱だった。何もかもが色あせて見えた。だがいまはそのおかげで、夢を夢だと認識することができる。
そんなことを考えていると、電車が駅に差しかかり、やがて停車する。すると見覚えのある男性が乗り込んできた。相手もこちらに気づいたようで、おれに視線を向ける。
「黒川か」男性が言った。落ち着きのある低い声だ。「ずいぶんと雰囲気変わったな」
「金森先輩」おれは軽く頭をさげる。「おひさしぶりです」
おれは頭をあげると自分の目の前にいる男性に、あらためて目を向ける。あごひげを蓄えた人のよさそうな顔つきの短髪の男性で、ジーンズにポロシャツというラフな格好だ。その男性は大学時代の先輩である金森ヒデノリだった。
金森はおれのとなりに腰掛ける。「おまえとは何年ぶりだ?」
「金森先輩が大学を卒業してから、三年も経ってますからね。だから三年ぶりですかね」
「三年も経っているのか」金森はあごひげをなでる。「時間が流れるのは早いもんだな。どうだ元気していたか?」
「ええ、まあ……」おれはうそをついた。「それなりに」
「どうした元気がないぞ。何かあったのか——」金森はそこではっとしたように目を見開くと、気まずそうな表情になる。「悪い黒川。おまえのことはエミから聞いていたのに……」
「えっ、黄瀬から?」おれはそこで間を置く。「あっ、そういえば黄瀬と金森先輩はいとこ同士でしたね」
「ああ、だから話は聞いている。白石が殺されたのも。ほんとうに残念な出来事だよ。サークルの後輩がこんな目に遭うなんて」
「はい」おれは小さくうなずく。
「つらかっただろ」そう言った金森の声には哀悼の響きがある。
「ええ……」
「おまえの気持ちはよくわかる。おれにも親しい人をある日突然に亡くす経験をしたからな。だからその理不尽な死に対する、憤りや悲しみを味わった。あの気分は最悪だろ」
「はい、最悪の気分です」おれは同意する。「おれなら白石を助けられたはずなのに、助けることができなかった。後悔してます」
「おまえも死にかけたそうだな?」
「はい。だけどおれだけひとり、おめおめと生き残ってしまいました。白石を助けることができなかったくせに……」
「黒川、あまり自分を責めすぎるな」金森がおれの肩に手を置く。
「おれが白石を助けられなかったのは事実です。それにおれが記憶障害のせいで、事件についての大部分の記憶を失った。そのせいで事件が難航しているんです」
「それはおまえの責任じゃない。自分につらくあたり過ぎだぞ黒川。エミが心配していた。このあいだ会ったとき、見ててとてもつらそうだった、と言っていたよ。だからいつまでも辛気くさい顔してないで、笑ったらどうだ。少しは気がまぎれるぞ」
「笑えませんよ。たとえできたとしても、心の底から笑える日は、おれにはもう来ないでしょうね」
「卑屈になるな」金森の口調がきびしくなる。「そうやって悲観的になって、現実から目をそらすのはやめろ。おまえは生きているんだぞ。いつまでも死んだ人間に縛られていてはだめだ」
「そんなことできません!」
おれは自分が意図したよりも、大きな声で言ってしまう。そのためまわりの乗客たちが、こちらに視線を向ける。そのため居心地の悪さを感じた。
「落ち着け黒川」金森はなだめるような口調だ。「おまえのそのやるせない気持ちはわかる。だがな世のなかには、おまえと似た状況の人や、それよりもひどい経験をした人たちもいる。おれもそうだ。だから自分ひとりだけがつらいと思って悲観的になり、自分の人生を無駄にするな。割り切れよ」
「……金森先輩、言いましたよね」おれは声を落とした。「自分も親しい人をある日突然に亡くす経験をした、と。それなのにどうして、そうやって割り切れるんですか。おれには理解できません」
「おれだって完璧に割り切っているわけじゃない。おまえと同じで思い出して後悔している。だけどな、いつまでも過去に縛られていたら、自分が不幸になるだけだ。だから無理矢理にでも割り切って生きていかないと、自分がだめになるだけだぞ」
金森が言い終えると同時に、電車は駅へと到着する。
「強いんですね金森先輩は」おれは立ちあがる。「おれはまだそんなふうに前向きに生きることはできない。白石を殺した犯人を捕まえるまでは、割り切ることなんてできませんから」
おれはそう告げると金森に背を向け、電車をおりるべく歩き出す。金森は何か言いたげな様子だったが、そのことばを飲み込んだようで、おれを呼び止めるような声は聞こえてこない。
おれは振り返ることなく、家へと向かった。