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第二幕 第八場

「アリス先生」おれは言った。「協力してくれてほんとうに、ありがとうございます」


「こうなってしまった以上、わたしも本気で協力してあげる」アリスはそう言って、こちらに鋭い視線を突きつける。「だから黒川さん、わたしのことは先生などと呼ばないで。わたしのことはただのアリスでいいから」


「えっ、どうしてですか?」


「あなたに影響を与えたくないの。わたしの仕事は夢占い師。その仕事はさっき見せたように、相手と対話をしながら夢を解釈することなの。これは精神科医がカウンセリングに来た患者に対して、その症状について会話を交えながら原因を探っていくようなもの」


「そうなんですか」


 アリスはうなずく。「このとき精神科医と患者のあいだでは、ある問題が起こる可能性があるの。それが『転移』と『逆転移』よ」


「転移と逆転移?」おれはおうむ返しする。


「簡単に説明すると、転移とは患者が精神科医に対して特別な感情をいだくこと、逆に精神科医が患者に対して特別な感情をいだくことが逆転移よ。わたしは夢解釈をするにあたって、これが生じることを阻止したい。そうなってしまえば、ただでさえ困難なあなたの夢の解釈が、より困難になる可能性があるからね」


 おれは眉を寄せた。「えーと、つまりはどういうことですか?」


「あなたの夢に影響を与えないよう、わたしに関しての情報は何も教えないってこと。わたしについてはアリスという名前だけ知ってればいい。そして特別な感情を持たないよう、あなたはわたしのことは、しゃべる機械か何かだと思ってほしいの。だからわたしのことはアリスでいい。敬語も使わずふつうにしゃべって」


「そこまでするんですか?」


「いやとは言わせないわよ。あなたが真剣に頼んできたから、わたしは本気で応えているの。できるわね?」


「わかりました」


「ほら敬語!」アリスは声を大にして、たしなめる。


「わかったよアリス」


「それからもうひとつ約束してほしいの。見た夢については嘘偽りなく、きちんと真実を話すように。こちらが質問して連想したり、思い浮かんだことも正直に話してもらうわ。たとえ恥ずかしいことや、やましいことでも包み隠さずにね。それができないというのなら、わたしは協力できないわよ。約束できるわね?」


 おれは力強くうなずいた。「わかった約束する」


「さてそれじゃあ、さっそく質問していくわよ。肝心の悪夢については、いまのところ手がかりはつかめない。ならばほかの夢からその手がかりを探るしかないわ。ほかに事件や亡くなった恋人に関する夢を見たことがあるのなら、教えてちょうだい」


 おれはしばし考える。事件に関する夢はあの悪夢だけだ。白石ヒカリについての夢といえば……。


「最近見た夢で言えば、彼女の夢かな。ふたりでいっしょにキャンプ場に行って、そこにある展望台から景色をながめるんだ。そして虹を見て、世界が色づいていることに気づいて、おれはここが夢だと気づく。そしたら——」


「ちょっと待って」アリスが割ってはいる。「世界が色づいているから、夢だと気づくってどういうこと?」


「あっ、そうだった」おれは言いにくそうな表情になる。「じつはおれ、事件の後遺症で記憶障害だけではなく、色盲も患っているんだ。だから現実世界では色を区別できない。けど夢の世界では色は失われてなくて、世界は色づいている。だからそのことに気づいて、ここが現実ではなく夢だとわかるんだよ」


「それほんとうなの?」アリスはいぶかしげな視線を向ける。「嘘じゃないわよね」


「よくそうやって疑われるよ」おれは苦笑する。「けどほんとうなんだ」


 アリスは右手を掲げると、手の甲をこちらに向ける。「この爪が何色か言ってみて?」


 おれはとまどいながらも、アリスの手の爪に注目する。わかるのは色の濃さぐらいで、何色かは判別できない。

「……赤色かな?」


「ちがうわ。紫色よ」するとアリスは自分の唇を指差す。「だったらこれは何色?」


「えーと……ピンク?」


「紫よ」こんどは自分の目を指差した。「じゃあこれは?」


「目の瞳だから……黒、いや茶色かな」


「これも紫。カラーコンタクトなの」アリスは首元のチョーカーについた宝石をつまんだ。「これは何色。ちなみにヒントよ、これはサファイアなの」


「サファイア?」おれは目を細めて、それを見つめる。「それだったら青色でしょう。サファイアなんだから」


「残念はずれ。これはバイオレットサファイア。つまりは紫色よ。サファイアといっても、いろいろ種類があるの。それも色とりどりにね」


「そうだったんだ。それは知らなかった」


 そこでふたたびその宝石に目を向けたとき、おれは何やら既視感を感じた。その視線に気づいたのか、アリアが怪訝そうにこちらの顔をのぞきこんでくる。


「どうかしたの?」アリスが言った。


「どこかでその宝石を見たような気がする」


「気のせいでしょう。よくある形に加工されたものだから、ほかのものと勘ちがいしてない。それにあなたは色がわからないんでしょう。これまでにこの大きさのバイオレットサファイアを見たことがあるの? 自慢じゃないけど、これ四カラットもするのよ」


「いや、ないけれど……」おれは首をかしげてしまう。


「ならあなたの気のせいね」アリスは宝石から指をはずした。「それにしてもほんとうに色がわからないとは……」


 そう言ってアリスはあごに手を添えると、まじまじとこちらを見つめてくる。そのためまるで値踏みされているかのような気分に陥ってしまい、どこか落ち着かない気分になる。


「……黒川さん」アリスが言った。「あなたは色盲になってしまった。だけどそのおかげで現実世界と夢を区別することができた。だとすると、もしかしてあれができるかもしれない」


「なんのことだ?」


 アリスは何も答えず、ただじっとおれを見つめる。まるでスポーツの試合で控えの選手をスタメンと交代させるべきかどうか、悩んでいる監督のようだ。


「ねえ聞いている?」おれは顔をしかめた。「無視しないでよ」


 アリスははっとする。「ごめんなさい、ちょっと考えごとをしてたから」そこでひと呼吸間を置いた。「黒川さん、現状これまでの事件の情報や悪夢からは到底犯人に結びつくよな、有力な手がかりにはたどり着けない。そうよね?」


「はい」おれはうなずいた。「くやしいけどそれが事実です」


「だとしたら、この状況を変える手段があるとすれば、それはひとつだけ。『明晰夢』よ」


「明晰夢ってなんですか?」


「簡単に説明すると、夢を自由自在に操る方法のことよ」


「そんなことができるのか?」


「ええ、可能よ。ただしそれ相応の努力と、地道なトレーニングが必要になってくるわ。だけどだれでもかならず夢を自由自在に操れるようになるわけではない。個人の資質や才能がかかわってくる。できる人はできるようになるけど、できない人はとことんできない。たとえできたとしても、自由自在にまで夢を操ることはむずかしく、それができるのはごく一部だけなの」


「わかった」おれは言わんとすることを察した。「その明晰夢で夢を操って、事件に関する記憶を探るんだな」


「いまも言ったけど、夢を自由自在に操るのはそうとうむずかしい。そうなるには年単位のトレーニングが必要だし、かならずできるとはかぎらない。それに明晰夢をするにあたってもっともむずかしく、困難な最初の壁は夢を夢だと認識すること。だけど色盲になったあなたなら、それが可能のはずよ」


「たしかにそうかも。そのちがいで夢と現実を区別できたから」


「なら可能性はあるはずよ」


「明晰夢で夢を操ることだな」


「それはむずかしい、と言ったはずよ。それにたとえそれができたとしても、事件に関係する情報を引き出すのは困難のはず。操ろうとすれば、あなた個人の考えや思惑でまちがった情報が形成される可能性がでてくるわ」


 まるで逆行催眠みたいだな、とおれは思った。「だとしたらどうすればいいんだ?」


「あなたはただ夢を夢だと認識し、それに干渉すればいい。たとえるなら精神科医が患者にことばを投げかけ、その反応を見て症状を観察するようにね。つまりあなたは自分を精神科医として、夢のなかで自分自身に問いかけるの。そうやって失われた記憶を刺激すれば、その反応が無意識に夢のなかで表れるはずよ」


「具体的に言えば、どうすればいいんだ?」


「こんど恋人が殺される悪夢を見たら、それを夢だと認識し、彼女を見殺しにしなさい。そして犯人であるキャットマンの顔を見ることだけに意識を集中させるの。そうすれば何かしらの反応が得られるはずよ」


「わかった」おれはうなずいた。「けどうまくいくかな?」


「さあね」アリスは肩をすくめた。「こればっかりはやってみないとどうなるか、わたしにもわからない。けどあなたには、もうやるしか選択肢はないと思うけど」


「たしかにそうだな」おれは深く息をつく。「わかったよアリス。結果はどうなるかわからない。けどやってみるよ」


「それでうまくいったら、わたしのところに報告してちょうだい。その結果から夢を解釈してみるから」


「ああ、わかった。そうするよ」


「ならこれで契約成立ね」アリスがこちらに手を差し出す。


 おれはその手を握った。「アリス、協力してくれてありがとう」


 アリスは微笑んだ。「こんど来るときはちゃんと予約してね」


 こうしておれはアリスと手を組んだ。その後、おれは夢占いの館をあとにし、家路へと着いた。

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