第二幕 第三場
アリスが席を立って十分ほど時間が経っている。いまおれはひとりでソファーに腰掛けながら、その帰りを待っている状態だ。
これまでの説明から、夢を解釈することは可能だ、と言っていた。だが自分にはそれがまだ信用できていない状況、半信半疑といったところだろうか。アリスを信じたいけれども、どうしても夢という存在に意味があるのだろうか、と懐疑的になってしまう。
そんなことを考えていると、アリスがトレイにティーポットとカップを持ってやってきた。
「遅れてごめんなさい」アリスが言った。「あらかじめお茶の準備をしておけば、こんな待たせることもなかったのに」
「いえ、気にしないでください。こっちが予約もなしで急に押しかけたせいです」
アリスはティーポットを手にすると、カップに何かの液体を注ぐ。そしてそれをおれに差し出してきた。
「砂糖とミルクはどうする?」アリスが尋ねてきた。
「えーと、ちょっと待ってください」おれはカップを手にすると、それを鼻先に近づけてにおいを嗅ぐ。「これコーヒーですよね?」
アリスが不思議そうに首をかしげる。「ええ、そうよ。見ればわかるでしょう」
「……そうですよね」おれは気まずさからほほを掻いた。「砂糖とミルク、両方お願いします」
お茶の準備がすむと、アリスはソファーにすわり、ふたたびおれと向き合う。そしてコーヒーに口を付けると、こちらに微笑んだ。
「それでは黒川さん、話のつづきにしましょうか」
「お願いします」
「さっきまではどうして人が夢を見るのか、その源泉となるものの説明をし、それが解釈可能だということを話したわね」
「はい」おれはうなずいた。
「ならつぎは、夢の役割について説明しましょうか」
「夢の役割ですか?」
「ええ、そうよ。夢というものは、基本的には睡眠を守護しているの。だから夢を見ているときに、それを妨げるような外的要因による刺激を受けたとする。そうたとえるのなら、眠っているときに、電話や目覚まし時計のベルが鳴ったとする。するとその音は夢のなかでは、別の似た存在へと変化して伝えられる。この場合はサイレンの音などに変化し、眠りをできるだけ妨げないようにするの。そんな夢を見た経験ないかしら?」
そう言われ、つい先日見た夢のことを思い出した。おれと白石ヒカリが展望台で虹をながめる。やがてサイレンの音が鳴り響き、そして目覚めると、スマートフォンの目覚ましの音が鳴っていた。
「はい、そんな感じの夢を見たことがあります」
「なら理解できるはずよ。夏の暑苦しい日に、砂漠にいる夢を見たり、冬の寒い日に南極にいたりする夢を見る。ほかにもピアノの音が聞こえてくれば、音楽のコンサートホールにいる夢を見たりする。これらは外的要因による刺激で、夢を見ている人が目覚めてしまわないよう、その状況を夢にうまく取り入れて、実際のその刺激から意識をそらそうとさせる夢の働きなの」
「なるほど」
「外的要因とは逆に、内的要因でも同じことが起きるわ。たとえば尿意をもよおせば、夢のなかでトイレに行く夢を見る。お腹が痛くなれば、そこを殴られる夢を見たりするの。いま説明したこれらのような現象は、『夢の錯覚形成』と呼ばれているわ」
「夢の錯覚形成ですか」
「外的および内的要因による刺激から睡眠を守るため、その刺激を夢のなかで別の似たようなものやシチュエーションに錯覚させるから、そう呼ばれているの」
自分の人生を振り返ってみて、いま説明されたような夢を見たことがあることに気づいた。
「たしかにそういう経験はあります」おれは言った。「特にトイレに行きたくて、夢のなかでトイレに行くなんてこと、よくありましたから」
「なら夢が刺激から目覚めないよう、夢を錯覚することは理解してもらえたはずよ」
おれは納得してうなずいく。「はい」
「ではそれなら、こんどは外的おやび内的要因による刺激がなかった場合の夢について説明するわね」
「お願いします」
「錯覚形成されていない状況で見る夢のことを『表現夢』と言い、その表現夢の裏に隠された内容のことを『潜在夢』と言うの」
「表現夢に潜在夢?」おれは眉を寄せる。「それはどういう意味なんですか?」
「表現夢は文字通り夢として、表現された内容そのものを表すことばよ。そしてさっきも説明したけれど、成長するにつれて夢は複雑になる。夢というのは日頃の抑圧された思いが夢へと変貌するの。その際に夢の源泉というべき抑圧された思いは潜在夢と呼ばれる。それが『夢の検閲』を受けて変化し、表現夢という形で夢に表れる。だからわたしたちの見る夢が、おかしなものになってしまうの」
「なんとなく言わんとすることは理解できますけど、その夢の検閲ってなんですか?」おれは訊いた。「それが夢をおかしくしているってことですよね」
「ええ、そうよ。抑圧された思いや感情を源泉とし、それをそのまま夢として表現することを、夢自体はそれをよしとしないの。だからそれらを似たようなものに置き換えたり、あるいはどこか共通点のある一見無関係な事柄へと夢を歪めてしまう。これらの働きを夢の検閲と言うのよ」
「なるほど。そうやって夢が検閲をおこなうから、夢がおかしなものになってしまうんですね」
「そのとおり」アリスは満足げにうなずいた。「夢占い師であるわたしは、そうやって検閲を受けて表された表現夢を解釈し、その裏に隠された検閲を受ける前の潜在的な内容である潜在夢をあばき、その意味を見いだすのよ」
「アリスさん。つまりは夢は解釈可能で、その意味がわかるということですよね」
「そうよ黒川さん」アリスはくすっと笑う。「だから最初からそう言っているじゃないの。ようやく信用してもらえたかしら」
「最初は疑っていましたけど、話を聞いてみて、信用できるように思えてきました」
「そう、それはよかった。けど気をつけてほしいの。夢は解釈可能だと説明したけれど、巷であふれているような夢占いなどの本はあてにならないわよ。そういった本には夢に動物が出てくれば、それは兄弟を表しているだとか、テレビを見る夢を見れば、それは未来について悩んでいるだとか、そういった解釈の仕方が載っているけど、わたしに言わせればそれはまちがいだわ」
「そうなんですか?」
「夢の要素について一連のものに対し、いつも一定の解釈ができるわけではないの。人それぞれということばがあるように、夢も人それぞれなの。その人が見た夢の要素の解釈の仕方は、人によってそれぞれ変わってくるわ」
おれは感心したようにうなずく。「なるほど」
「だから個人個人の夢に対応するために、夢占い師であるこのわたしがここにいるのよ」
アリスはそう言って、誇らしげに自分の胸に右手を添えた。そのときになって、おれはようやく気づいた。アリスは首にチョーカーを巻いており、そこに宝石らしきものがついていることに。
アリスはティーカップを持ちあげてコーヒーを飲み干すと、ひと息ついた。そしてこちらに微笑みを向ける。
「ところで黒川さん、おかわりはいかがかしら?」