サティ「ジム・ノ・ペディ第一番」
こんにちは、葵枝燕です。
久しぶりに、「やまおと」を書きました。だいぶ前からカタチはできていたのですが、なかなか投稿する勇気がわかず、今頃になってようやく投稿する気になりました。
そんなわけで、始めていきましょうか。
耶麻緒はどこか苛々しながら、その曲を弾いていた。いや、それは“弾いている”とは言い難く、どちらかといえば“辛うじて楽譜を追っている”といった方が正しかった。
エリック・サティ作曲「ジム・ノ・ペディ第一番」。繰り返し部分を抜かせば、全四十六小節からなる。演奏時間は約四分ほどの曲だ。
耶麻緒は、この曲のどこかが気に入らなかった。
どちらかというと暗めな曲調は好きだし、美しいメロディーだとも思うのだが、それでも何かが気に入らなかった。
(そもそも、まともに楽譜を憶えてないのに、ペダルに強弱って……絶対無理)
ここ最近の耶麻緒は、自分の楽譜の読めなさに愕然としていた。以前からヘ音記号の音階を読むのは苦手だったが、五年ほど前からト音記号の音階さえまともに読めないことが多くなったのだ。ピアノを習い始めて十五年余、それほど経つというのに、まともに譜面を読めないなど、自分で自分に呆れてしまう。何年やっているのかと、そう思わずにはいられないのだ。
(ペダルなんか、まともに使ったこともないってのに)
楽譜が読めなくなっていることも、ペダルが使えないことも——その全てが、この曲を弾けないことへの言い訳なのだとわかっている。それでも、耶麻緒はそれを重ねずにはいられない。
苛立ちの理由が、自分自身にあることを知っていても、どうしても自己弁護せずにはいられないのだ。
(自分で自分を庇ってるだけ——わかってる、そんなこと)
練習を幾度も重ねれば、楽譜など読めずとも弾けるようになるかもしれない。ペダルだって、練習すればタイミングを摑めるようになるかもしれない。それさえもしない自分自身に非があることは、誰よりも耶麻緒自身が知っていた。
それでも、やりたくないものはやりたくないし、やる気もしないのだから、どうにもならない。
思うように動かない指や脚も、楽譜に並ぶ音符や記号も、全てが憎い。こんな曲を作った者に、こんな曲を弾かせようとする担当教官に、嫌気がさすし腹も立つ。
(ま、選んだのは自分なんだけどさ)
弾く楽曲の最終決定権は、耶麻緒にあった。担当教官が候補を出してはくるが、それでも最後に弾きたい曲を選ぶのは、耶麻緒自身だった。だからこそ、自分が弾けない言い訳を、そこからくる苛立ちを、作曲者や担当教官にぶつけることは間違っている。耶麻緒には、それがわかっていた。本当に憎いのは、上手く弾けないのに練習もしない自分自身だ。
(なんで、こんな短い曲をまともに弾けないのさ)
悔しい。教本二ページ分の曲を、上手く奏でられない自分が悔しい。それは、苛立ちよりもはっきりと、耶麻緒の中にあった。
楽譜の音階をなぞるように、耶麻緒は指を動かす。どこかたどたどしく鍵盤を叩き動き回るその指を、耶麻緒は苛立ちと悔しさをもって見つめていた。
『サティ「ジム・ノ・ペディ第一番」』、読んでいただきありがとうございます。
「ジム・ノ・ペディ第一番」作曲者であるエリック・サティは、フランスの作曲家です。一八六六年にフランスで生まれ、一九二五年にフランスで亡くなりました。ちなみに私がサティの名を知ったのは、森絵都さんの短編集『アーモンド入りチョコレートのワルツ』がきっかけでした。そこに登場する「アーモンド入りチョコレートのワルツ」も、サティの作品です。
さて、今回題材にした「ジム・ノ・ペディ第一番」は、サティが一八八八年に作曲したピアノ曲です。第一番から第三番まで、全三曲で構成されています。それぞれに、曲に対する指示があって、第一番に与えられているのが「ゆっくりと苦しみをもって」らしいです。確かに、どちらかといえば暗い曲調だとは思いますが、“苦しみをもって”弾く曲だったとは思いませんでした。苦しめられはしましたけれど(私の場合、それはこの曲に限ったことではありませんが)。
私がこの作品を書き始めたのは、二〇一七年四月二十五日――多分、六月くらいには一応この曲を終わらせたと思うので、本当にだいぶ前なんですよね。やっぱり、現在進行形で書かないといけないところはあるなぁと思います。
気が向いたら、第四弾も書くかもしれません。気が向いたら、ですが。
読んでいただき、ありがとうございました!