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胡蝶の夢

作者: 想田 紡

今日も自作の小説を書き進めながらつくづく思う。人生って、単純だ。しっかりと将来の事を考えて、計画して、気に入らない人とは付き合わずに、好きな人とだけ一緒にいる。それだけの事だと思う。少なからず、僕はそういう人間だ。いい大学に入って、いい会社に入って、25歳くらいで結婚して、30歳くらいまでに子供が生まれて。平凡な人生とかそうじゃないとか結局決めるのは自分なのだから。



”今日も人気(ひとけ)が少ない。立原秋仁(たちはらあきひと)は大学の裏庭でいつものように昼食を摂ろうとしていた。いつもこの時間は課題の事を考える。将来の夢なんてない。大きい企業に就職する事しか考えていなかった。その時、ふと目に入った。いつものベンチに人がいる。この大学に入り、2年間。この場所が取られた事はない。どうやら女性みたいだ。しかもロングヘアの明るい金髪。苦手なタイプだ。秋仁は舌打ちをした。舌打ちと同時に女性が振り返った。聞こえたのかと思い、咄嗟に目を逸らした。女性は僕と目が合い、ため息をついた。漫画で見るような大きな瞳だった。

「もう、遅いよ。待ちくたびれた」

ん?何言ってるんだこいつ。

「立原秋仁」

待ってくれ。怖い。何で名前知ってる?

「ねぇ、私の人生買ってくれない?」

何を言っているのか、わからなかった。



[1]


人生の局面とはこの状況の事なのか。ターニングポイント?いやいやそんな事はどうでもいい。何故こいつは僕の名前を知っている?まず誰?ギャルという括りにしては清純派のような顔立ちをしている。ただ金髪なだけ。そんな気がした。

「あのー、僕の名前知ってるって事は知り合いなのかもしれないけど、失礼を承知で聞くよ。誰?」

女性は髪をかきあげ、耳にかけた。

「あー、そっか。秋仁は知らないんだったね。私は宮前奈津(みやまえなつ)同い歳だよ」

いや、誰だよ。つーか呼び捨てかよ。

「悪いけど全く思い当たる節がないんだ。僕とはどういう関係?どこかで会った事がある?」

「今日も暑いね、よくいつもこんな所で食べるねえ」

いや、質問に答えてくれよ。

はぁ。もう何だか面倒くさくなってきた。別にこいつが僕と関係があったって知らないものは知らない。まあ、仕方がない話だと割り切ろう。

「じゃあ、僕はこれで」

爽やかに笑ってみたが、恐らく顔にはこれ以上面倒事に巻き込むなと書いてあっただろう。

「えっ、いやいやちょっと待ってよ。さっきの答えは?」

僕の質問に答えないくせに、自分の質問の答えはしっかり求めるらしい。本当に何なんだこいつ。

「あぁー、人生買ってくれないとか言うやつか。答えは、いいえ。理由は嫌だから、以上。じゃあ」

秋仁は右手で敬礼のポーズをつくり、振り返った。

「なんだ、やっぱり計画通りに行かない事からは逃げるのかあ。男らしくないなあ」

秋仁の眉がピクリと動く。

「やっぱりって何だよ、本当に誰なんだあんた。僕の何を知ってる」

「ぜーんぶ知ってるよ。秋仁が計画通りに人生を進めていけば幸せになれるって綺麗事ほざきながら生きてるって事もね」

また、眉がピクリと動く。おい、取れるんじゃないかこれ眉毛。

「悪いけど、まあまあ頭にきたよ。何でどこの誰かもわかんないあんたにそんな事言われなきゃいけないんだ」

「あ、あと童貞って事とか」

「しね」

あはははっと彼女は笑った。何て言ったか、あれだ。宮前奈津だ。

「そろそろ、簡潔に言うね。私は5日後に死ぬの。だから私が死ぬまでの5日間、私の彼氏になって欲しいの。

人生を買ってって言い方はちょっとわかりづらかったね」

一度、整理しよう。こいつ多分バカだ。何故自分が死ぬ事を知っていて、しかも何故こんなに笑える?ましてや何故僕にその5日間を預けようとする?

「いや、だから何で僕なんだよ。答えはノーだって言っただろ」

「あ、ちなみに5日間ってのは明日からの事だから。今日はファーストコンタクトだから入んないよ」

「いやそんな設定の事は知らないけれども」

「明日の朝9時またここでね。それじゃあ私はこれで」

「は?待てって、僕の返事聞いただろ?」

「まあまあ、答えは明日来るか来ないかということでっ」

7月なのに、何故か冷たい風が2人の間を通り抜けた。宮前奈津はまた明日ねと言い、くるっと振り返り歩いていった。何故か反論も出来ず、後ろ姿に見とれてしまった。綺麗だった。そして、いつの間にか名前を覚えてしまっていた自分が馬鹿だと思った。


[2]


ー1日目ー


「お、早いね優秀優秀」

奈津が言った。時刻は9時を少し回った所だった。

「何でお前が遅刻してるんだよ」

「今日も暑いね。ーーーあっ蝉がいる!きもーい」

相変わらず会話は噛み合わない。

「ちゃんと来てくれたんだね、流石だね」

奈津が秋仁を見つめた。不覚にも照れてしまった自分を心の中で殴った。

「僕が来たのは、真意を確かめるためだよ。決して人生を買ったわけでも、君と付き合うと決めたわけでもない」

「じゃあ、早速いこっか」

いや、だから話を聞けよ。

「行くってどこにだよ?」

「せっかくカップルになったんだから、初デートって大事でしょ?私行ってみたいお店があるんだ~」

「いやだから、話を聞けって」

今度は声に出した。

「僕はそういうつもりで来たわけじゃないから」

少し口調が強くなった。奈津の顔色を伺う。

「うんうん。わかったから、早くいこっ」

何もわかってない。奈津が笑いながら手を伸ばす。今日の講義の事を考えた。嫌いな教授の厳しい科目がある。でも、気づけば僕は奈津の手をとっていた。予定外の出来事を経験するのは初めてだ。僕は奈津と共に走り始めた。もう、嫌いな教授の顔など全く浮かんでこなかった。



奈津と共に電車に乗り込んだ。どうやら少し距離があるらしい。

「どこに行くつもり?」

「まあまあ、それは着いてからのお楽しみっ」

改めて近くで見ると本当に綺麗だ。乗客の視線も少し感じる。僕と奈津は身長がそんなに変わらない。何故かその事が今になって恥ずかしくなってきた。

僕は少し背伸びをした。その姿を奈津が見て笑った。笑うと、余計に可愛い。

「君に聞きたい事がある」

「君じゃなくて、奈津だよ」

こういう面倒くさいところはまだ慣れない。

「じゃあ、奈津。君は何故自分が死ぬ事を知ってる?そして、何故それなのにそんなに笑っていられる?」

カタンコトンと古い列車から音がする。

「うわあっ、いきなりの質問だねぇ。積極的な男は嫌いじゃないけど??」

おどけてみせた奈津から、秋仁は目をそらさない。

「はぁ。まだ初日だよ?折々話していくから、その時まで待ってて欲しいんだけど」

奈津の笑いが苦笑に変わった。

「そうか。じゃあ僕の名前を知ってたってのも、まだ言えないって訳か」

「うん、申し訳ないけど」

「わかった。君は謎に包まれてるな」

窓の外を見る。

「でも、ちゃんと秋仁を見つけたよ」

少し上目遣いで僕を見る。馬鹿か、可愛すぎるわ。

「まあ、とにかくやると決めたからには5日間、全うしてやるよ」

急いで目を逸らし、吐き捨てるようにそう言った。

「あれ?やると決めたわけじゃないってさっき言ってなかったっけ?うわーちょこちょこ意見変える男って、ないわ~」

奈津はやれやれと、降参のポーズをとった。

うん。さっきの可愛いは取り消そう。

そんな事を言っている間に目的地の駅に着いたらしい。恵比寿動物園はこちら、と書かれた看板が目が入った。奈津が降りるよっ!と勢いよく言う。何だろう、凄く嫌な予感がした。



「着いたね~~!恵比寿動物園!」

安いローカル番組のロケみたいになってる。お察しの通り、僕はこの訳のわからない女に訳のわからない動物園に連れて来られていた。初デートで動物園って、お前も女子力ないじゃないか、僕はムツゴロウか。

「秋仁、大人1人800円だって!」

テンションの上がるポイントを教えて欲しい。僕はさらっと2人分のお金を払い、ゲートをくぐった。

「秋仁、そういう事できるんだ…」

「なめてんのかお前は」

「だって私が初めてのかのじーーー

「わー!言うな言うな死にたくなるから!」

「どういう意味」

「いや何もないです、すみません」

まるで夫婦漫才をやっているみたいだ。

「そういえば、秋仁が曖昧なままだったから言うの忘れてたね」

秋仁が目で訊き返した。

「これから5日間、こんな私をよろしくお願いします」

奈津はぺこりと頭をさげ、えへへと笑った。

神様、僕が馬鹿でしたこの子は天使です。

たった今僕の前に天使が舞い降りました。

「うん、こちらこそよろしくっ」

精一杯気取ったつもりだったが、声が裏返った。

「うっわ、だっさ」

奈津が目を細めた。こいつの情緒はどうなってるんだと思った。


動物園に来て、最初に見る動物って何が相場なのかがわからない。園内に入りしばらく歩いたけど、奈津がやけに大人しい。

「ねぇ、動物園ってすごいねぇ」

キラキラと目を輝かせて言った。まさかと思った。

「奈津、まさか動物園初めて?」

「うん!すごいね動物園って!すごい臭いね!」

いや、そこかよ。その瞬間、奈津に何かのスイッチが入った。まるで100メートル走のスタートの笛が吹かれたみたいに、走り出した。勘弁してくれ。

7月5日。今日も外は暑い。立原秋仁。全力疾走します。


「これで一通りまわったな。何か質問は?」

僕も数回来た程度だけど、始めた来た奈津にとっては優秀なナビゲーターだったようだ。

「うーん。すごい。やっぱりすごい。これだけの数の動物がいるのに飼育員さんはそんなにいっぱいいないんだねぇ。人件費削減かな?」

「目の付け所が渋すぎるよ、君は議員か何かか」

「いや、でも本当に楽しかった。暑さなんて忘れて走り回ったね」

いつの間にかポニーテールになっていた奈津を見つめた。やっぱり可愛い。

「走り回ったのは君のせいだよ。本来、動物園は歩いてゆっくり見て楽しむもんだよ」

奈津がええっ!?っと驚いた声を上げた。本当に馬鹿だなと思った。


「ねぇ、そーいえばさ」

帰りの電車に乗っていた。疲れ果ててうたた寝をかましていた僕に、奈津が喋りかけてきた。

「今日の動物園って、人生の計画にあったの?」

どんな質問だよ。何て返しても馬鹿にされるのがオチだ。

「はいはい、予定外でしたよ」

「ふーん、そうなんだ~」

勝ち誇った顔をされた。いつもの倍、ニヤニヤしてくる。腹が立つ。今のは誘導尋問だろ。

「でもまあ、そんなもんだと思うよ。人生なんて。

計画通りに生きて行ったらつまんないよ」

「つまんないとは心外だな。少なくとも僕はこれまで無難にこなしてきた」

むっとなり反論した。僕の20年間を馬鹿にしてきたからだ。

「ほら、もうそれがおかしいじゃん。人生をこなすっていう言い方がさ。人生は生きるって事なんだからさ」

盲点だった。そんな考え方をした事がなかった。

「それに、計画通りだったら絶対に経験できない事があるよ、何かわかる?」

「さあ」

奈津が人差し指を立てる。

「例えば、一目惚れ」

うん、そっちか。

「何その馬鹿にしたような目は?秋仁がつまんない人生ゲーム男だから言ってるんじゃん!」

「人生ゲーム男って何だよ!そうだよ僕はどうせ人生ゲームする時銀行の係進んでやるけどさ!」

「いやそんな事言ってるんじゃなくて」

「ごめん僕も話が逸れて行くのを肌で感じてた」

「あのー」

横から声がした。

「「何っ!」」

声が揃った。

「車内ではお静かに願えますか」

声をかけてきたのは駅員だった。電車に乗っている事を忘れてた。2人で謝り、席に座った。奈津と目があった。そして、2人して笑った。


[3]


ー2日目ー


今日も1番乗りだ。時間通りに来るっていう習慣がないのかあいつは。例によって僕は大学のいつもの場所で待ち合わせをしていた。いつもの場所とは無論、裏庭のことだ。15分をまわった。イライラしてきた。

「ごめーん、遅れちゃった!」

文句を言おうと思った。振り返り奈津を見る。

ダメだ怒れない。いつもより多く巻いてある髪。白いワンピースに白い靴。ん?スニーカー?少し嫌な予感がした。

「遅いよ何でいつも遅いんだよたまには早くこいよ」

「2日目張り切ってゆこう~!」

彼女は僕の話など微塵も聞くつもりはないのだろう。

「はぁ。それで、今日は何処へ。ってか昨日行ってみたいお店があるって言ってたよな?動物園の何処がお店なんだよ。まさか動物でも買う気だった?やばいなそれはかなりやばいなお前」

溜まってた鬱憤が一気に出た感じだった。何も言わない奈津を見て、少し勝気になった。

「うざい、うるさい」

たった二言で僕の議論は論破されてしまった。何の為に文法があると思ってんだ。

「今日は普通のデートということで、映画を観に行きますっ!」

奈津が声を張り上げた。どうやら機嫌はなおったらしい。

「映画?いいね、何を観る?」

奈津が待ってましたと言わんばかりに何やら冊子を渡してきた。広げて見てみる。

「信長の野望か、最期の恐竜のどっちかにしようと思ってるんだけど」

「待って」

これはボケなのか?信長?え?武将?いやいや仮にも彼女は大学2年生の女性。いわゆる女子大生って括りだろ。そんな子が信長?しかももう1つは何、ジュラ紀?恐竜?

「ねぇ、どっちがいいと思う?」

「それ以外の選択肢はないんですか」

「この2つしか時間が合わないの」

「嘘つけ」

何県の映画館まで行くつもりだよ。

「じゃあとりあえず行ってみよう。それで時間見て決めよう、な?」

「うーん。そうだね」

初めて僕の意見が通った。何だか違和感がある。

そして、授業をサボることに良心が痛まない自分にため息をついた。


電車に揺られ、僕たちは移動した。何としてもあの2つの映画だけは阻止しないといけない。

「秋仁ってさ、二重なんだね」

突然、奈津が言った。車内は混んでいて、奈津は僕の前に立っていた。距離が少しいつもと近いせいか何故かドキドキする。

「ん?あぁ、親も二重だし、それでじゃないかな」

「ふーん、可愛いじゃん」

そう言うと奈津は窓の外に目を移した。騙されないぞ、こんな事を素直に言う時は何かを企んでる時だと学んでいる。

「奈津の今日の髪型も、すごく可愛いよ」

仕掛けてみた。

「えっ、そんな普通だよ。あんまり見ないで」

奈津が目を逸らした。

あぁ、世の中の男子よ。ごめん。幸せだわ。


昨日よりは早く目的地の駅に着いた。降りるとすぐにデパートがあり、そこの3階が映画館になっているようだった。普段あまり出かけない僕はこの辺りの事はよくわからない。


「エスカレーター考えた人って本当天才だわ」

相変わらず何の予兆もなく訳のわからない事を話すな、と秋仁は思った。

「どうしたの、急に」

「いやだってさ、動くんだよ?勝手に地面がさ?こう、ぐわって上がっていくんだよ。凄くない?普通に考えて凄くない?」

本当によく喋るな。

「まあ、便利だとは思うけれど。でもそんな事言いだしたら世の中にあるもの全部に着目してみると、もっと便利なもので溢れてると思うけどな」

「例えば?」

2階に着いた。歩いてエスカレーターの間を移動して、再び乗る。

「例えば、それこそエレベーターであるとか。あれなんて垂直に建物を登って行くんだから、物理的に考えたら、それが一番早いってことに最初に気がついた人がいるって事だからね」

「ふーん、まあそうだね。さすが根暗の文系だね」

「褒めてんのかけなしてんのかどっちだよ。誰が根暗だ」

「あ、3階着いたよ!」

だから話を聞けって。


奈津に何を飲むか尋ねてから、早いもので5分ほど経っている。時間を無駄にするとはこの事だ。

「僕はコーラで」

痺れを切らして頼んだ。奈津が慌てている。

「わ、私もコーラで」

「いいの?あれだけ悩んでたのに」

「秋仁が急かすからでしょ。ーーーあ、あとこれ!チュロス!」

こういうところはやっぱり女の子だなと思った。

「ごめん、お手洗い行ってくるからこれ持って待ってて」

はいはい、と言い、奈津を見送った。そこで僕は重大な事に気付いた。チケット買ってないじゃん。

はっとした。奈津の姿を探す。トイレの近くまで戻ろうとした時、奈津が帰ってきた。手にはさっきまで持っていなかった紙切れを2枚持っているように見えた。やられた。あいつ騙しやがった。

「お待たせ。じゃあいくよもうすぐ始まっちゃう」

案の定渡されたチケットには、1人も知らないキャストの、信長の野望と書かれていた。



案外、悪くないなと思った。映画館を出て、残ったコーラを飲み干した所だった。信長の野望。普通に面白かった事が何故かすごく悔しい。

「面白かったね!やっぱりこれで間違いなかったね~」

奈津もご満悦のようだし、これはこれでよかったのかもしれない。

そのままデパートで少し買い物をしていこうって話になった。

「秋仁、何か欲しいものとかないの?」

「ん~。今は特にないかな」

「なんだ、つまんないね」

「強いて言うなら」

「うんうん」

「新しいパソコンかな」

「パソコン?どうして?」

「いや、別に新しいのが欲しいってだけだよ。それだけの理由」

「ふーん、本当に文系なんだね」

別に授業で使うわけじゃないけど。言葉には出さなかった。


奈津の買い物は果てしなく長かった。僕の生涯の買い物の時間よりも今日の方が多分長かった。

その後、2人で喫茶店に入った。コーヒーを注文し、しばらく沈黙が続いた。いつもはこんなに黙ることがない奈津が、やけに静かだった。さすがに疲れたのだろうか。僕は1つ、投げかけてみることにした。

「なぁ、奈津。お前って何者なんだ?」

突発的に訊いた。奈津が目を丸くした。

「急に何?」

少しムッとした顔で返してきた。

「そろそろ話してくれよ。まだ2日目だからとか言うなよ」

「だからそれは私のタイミングでって」

「何だよ私のタイミングって。僕の気持ちはどうなんだよ。正直もう、うんざりなんだよ」

言葉がエスカレートする。ここまで言うつもりじゃない。

「うんざりって何?最後までやり遂げるって言ってくれたじゃん」

「僕としては真相を知りたい。そうじゃないと、君を愛せない」

ちゃんと愛せない。でも、そうだ。その通りだ。

「なら、もういい。私が悪かったね」

奈津が目を逸らした。違う。僕が言いたいのはそうじゃない。

「じゃあ、もう私が、あなたの前から消えるから」

奈津は振り返り歩き出した。その背中には引き止めて欲しいと書いてあるように見えた。でも、僕は追いかけなかった。そうだ。こんな体験。僕の人生には必要なかったんだ。その程度のことだったんだ。すくむ足がその理由の全てだ。僕も振り返り、奈津とは逆方向に歩き出した。彼女が抱えているものが知りたかったけど、こんなひょんな事だけど。これが僕らの別れなんだと思った。



[4]


ー3日目ー


奈津はいつもの場所に来なかった。

僕はこんな時相談できる相手がいない事に気付いた。こんな時じゃなくても、どの局面でもそうだ。信頼できる友達が僕にはいない。奈津は何をしているだろうか。どこにいるのだろうか。こんな事になるなら、携帯の番号や家を聞いておけばよかった。気づけば奈津の事ばかりを考えている。僕は苦笑した。自分がおかしくなったようだ。笑えてくる。今日も学校をさぼり、家に帰った。一人暮らしを始めて2年目。1人には慣れている。

家に帰り、座った。座ったというよりしゃがみこんだ。だめだ。奈津の事ばかりを考えてしまう。今日は7月7日。七夕か。馬鹿らしい。

僕はパソコンを開き電源をつけた。相変わらず起動音がうるさい。そのくせに開くのが遅い。

やっと開いた。僕は検索エンジンに7月9日 死

と打ち込んだ。こんな事をして何になるんだろうか。7月9日は明後日、奈津が死ぬ日の事だ。

案の定何も出てこない。出てくるのは怪しい掲示板だけだった。がっかりしたわけじゃないけど、少し肩を落として画面を消した。あいつが明後日に死ぬ事を知っている理由を突き止めたい。それでいて、謝りたい。そう思っていた。出会ってたった2日でこの有様だ。もっと早く出会っていたら僕らは違っていただろうか。真実を知りたいのも、奈津の正体を突き止めたいからじゃない。全てを知った上で、もう一度奈津に出会いたい。奈津に恋をしたいからだ。考えれば少し照れる。だめだ自分がきもい。

奈津なら、いやらしい顔しないできもいってきっと言うだろう。


ーーー奈津に会いに行こうーーー


会って、ちゃんと目を見て伝えよう。あいつが何者でもそんなの関係ない。僕は、奈津が好きだ。



もう一度学校に戻った。行き先はもちろんいつもの場所だ。そこにはいつもの光景があった。

見慣れた金色の長い髪。白いワンピース。今日も外は暑いな。奈津がそこにいた。

「奈津っ!」

僕は声を限りに叫んだ。奈津が振り返る。そして、笑った。

「あははっ、何その声量っ。おかしいっ」

僕は駆け寄り、奈津を抱きしめた。こんな事をしたのは生まれて初めてだ。いつもの時間と違うから、周りには人がいた。でも僕には奈津以外野菜に見える。

「えっ!?なに!?こんなドラマみたいな展開どこで学んだの」

奈津はそう言った。少し照れていた。

「奈津、僕が悪かった。もう何も話してくれなくていい。そばにいてくれればそれでいい」

「昨日とは別人だね、何があったの。とりあえず、場所変えよう」

奈津が目配せをした。そして、僕たちは歩き出した。手を繋いでいた。


ん?待ってくれ。この状況は何だ。いきなり過ぎてついていけない。ドラクエを始めたばかりで、最初の装備のままラスボスの前に来たみたいだ。

なぜか僕らは僕の部屋にいた。このシチュエーションは噂で聞いたことがあるが、僕にはもちろん皆無だった。

「ひとまず、落ち着こう」

「いや、私は落ち着いてるけど」

心で思ったつもりが声に出てた。

「どうして、戻ってきたの?」

奈津が訊いてきた。こいつはエスパーか。僕が一番言いたくない部分だ。

「朝行ったけど、奈津がいなかったから一度帰った。それでも、奈津に謝りたかった。だからもう一度来た」

お前こそ何で?と聞いた。

「私も同じだよ。朝行かなかったのは会いたくなかったから。お昼頃に行ったのはやっぱり会いたくなったから」

まるで機械のようにスラスラと照れるセリフが出てくる。例え機械だったとしても嬉しかった。

「昨日はごめん。少し言い過ぎた」

「いや、私こそ。ごめんね」

変な空気になった。あれだけいつも言い合いをしてた僕らが互いに謝ったのだから当然か。

「ちゃんと話すよ。私のこと」

「無理してないか?もう、無理してまで聞きたくない」

「大丈夫、昨日の秋仁とは違うもん。ちゃんと、聞いてくれると思うから」

僕はゆっくり頷いた。唾を飲んだ。思ったよりゴクリと音がした。少し後味が悪い。


「私は、一度死んでるの。薄々気づいてたでしょ?」

んなもん誰が気付くか。目が上手く開かない。

「私は違う時代での暦の上での7月9日に死んだの。でもなぜか成仏せずにこの世界に帰ってきたの」

話が追いつかない。どこから突っ込めばいいのか。

「じゃあなに、つまり、君は幽霊なわけ?」

自分でも馬鹿な質問をしたと思った。でも、この話だけじゃ誰だってそう思うだろ。

「うーん、まあだいぶ掻い摘んでるけど要約したらそうかな。幽霊だよ幽霊。ふふっ可愛いでしょ」

やっぱりこいつは馬鹿だと思った。

「笑えないよ」

また声に出してしまっていた。

「つまり、わかったでしょ。私は死んだけど死にきれなくて、死ぬ5日前に戻ってきたの。何かをやり残したんだと思うけど、それはわかんないや」

奈津はケラケラと笑った。そして、遠くを見た。その表情が何かを物語っていた。

「本当なのか?」

「それは、何に対する質問?」

「本当に、何をやり残したかわからないのか?」

「うん」

即答だった。

「わかった、話してくれてありがとうな」

奈津は微笑んだ。何だか、いつもとは違う感じがした。

「それで、明日は何処に行くんだ?」

「あれ、続行してくれるんだ。一度逃げたくせに」

いつもの嫌味だった。でも僕は言い返さない。

「うん。僕は奈津の彼氏でいたい。その気持ちはもう嘘じゃない」

「あれ、いつものように怒ると思ったのに」

「大人になったってことだよ」

「たった1日で?」

「うるさいよ」

いつもの、この感じだ。この幸せな感じだ。僕は思った。


それから僕たちは夕食を食べに行くことにした。近所の居酒屋だ。2人とも今年20歳になったばかりだからあんまり飲むほうじゃない。

「よく来るの?ここ」

「いや、初めてだ。こんなに僕の家から近いのにな」

実際、近かった。

「この、タコと胡瓜の和え物すっごく美味しい!」

相変わらず奈津はうるさい。

「実は酒飲みなんじゃないの奈津。それで歳も実はもっと上だったりして」

「さーあね。それはどうだろう」

僕を見て少し笑った。この違和感は何だろう。いつもの奈津の笑顔じゃないみたいだ。胸の奥がキリキリと痛んだ。

「明後日…お前死ぬんだよな」

「うん、そうみたい」

「このまま、お前がやり残したことが何かわからなかったら、また別の世界の俺に会いにくるのか?」

「うーんどうだろう。何しろ私だってこんなの初めてだからわからない」

それもそうかと思った。そして、ふと疑問に思った。

「そういえば、僕に会いにきた理由や、僕の名前を知ってた理由…その事聞いてないよな」

奈津がビールを飲んだ。おいおい、いい飲みっぷりだな。ぷはぁと息を漏らしてから、僕を見た。

「私にもわからないの。私がこの世界にきた時に、立原秋仁って名前だけを知ってた。そして、あの場所に行けばあなたに会えるって事も」

「それだけか?」

「うん」

明らかに奈津は嘘をついてる。初めて会った日のことを少し思い出す。確か奈津は僕が計画通りにいかないとイライラする事とかも知っていた。何故その事を隠すのか。隠さないといけない理由があるのか。考えていても仕方がない。この件には触れないでおこう。まだ時間はある。奈津が死ぬX-DAYは明後日だ。

「そっか、なら仕方ないな」

奈津が頷き、ビールを2つ頼んだ。気づけば僕もグラスを空けていた。げっぷが出た。普段あまり飲んでいない酒なのに何故か今日は苦じゃない。

恐ろしい女だな、このままだと酔わされて奢らされるぞ。何て事も考えた。心の中で笑った。


「だいたいね、秋仁はもっと友達つくんなきゃダメだよもっと。本当にね、友達ってのは生涯の宝なんだから。私が死んだ時もね、友達すっごい泣いてたんだから、空の上から見てたんだから、そうしてたらこの世界に帰ってきちゃったんだから笑えるよねほんと」

ふぅ。御察しの通り奈津は酔っている。かなりめんどくさいぞこれ。自分の身に起きた怪奇現象とも呼べるものをネタにして笑っている。僕の心境も考えてくれよ全く。

「わかったから、ほら水飲め」

「焼酎頼んでいい?」

「話聞いてる?お前絶対20歳なんかじゃねぇだろ」

「失礼なぁ、これでもピチピチの新成人ですぅ」

おじさーん焼酎適当にくださーい、と奈津が叫んだ。僕は顔を両手で覆い隠した。まじか。

その後も奈津は飲んでは喋って、食べては喋ってそして泣いていた。飲むとよく泣くんだろうか。

僕はお会計を済ませ、奈津を担ぐ形で店を後にした。そこで最大の事件と直面した。

僕、こいつの家知らないぞ。

ため息をついたあと、とりあえず家に連れて帰る事にした。学生らしい事してるなあと思った。

奈津の寝顔を見た。笑いながら寝てやがる。鼻をつまんだ。少しくすぐったそうに笑い、また寝た。

おもしろいなこいつ。サラサラな髪からはとてもいい匂いがする。って変態か僕は。


家に着き、奈津をベッドに寝かし僕はソファで横になった。明日で奈津と過ごす1日は最後か。ふとそう考えた。明後日のいつ奈津がどんな形で死ぬのかはわからない。朝早くなのかも、夜遅くなのかもわからない。恐らく、奈津もわからないんじゃないのか。それか覚えていないかだ。

気づけば僕は眠っていた。近くで奈津の寝息が一定のリズムで聞こえる。どんな子守唄よりも、幸せな気持ちに包まれて眠れる気がした。


[5]


ーーー4日目ーーー


頭が痛い。不覚にも人生で初めての二日酔いだった。時刻は11時をまわっていた。当たり前のように今週学校をサボっているが、誰からも心配して連絡がないのが、僕の人望なのだろう。少し笑える。

奈津はまだ寝ていた。恐ろしいくらいに寝相が悪い。面白くなって、写真を撮った。

肩を揺すり、奈津を起こした。なにっだれっと細い声で言った。いつもの覇気はない。

「あー、私酔っ払ってた?ごめんねーなんかいろいろとーーーうわっこんな時間じゃんっお昼ご飯食べないと」

相変わらず忙しい人だ。

「簡単なものでいいなら作るけど」

「えぇーランチくらい外で食べにいこうよ~」

「誰かさんのせいで、お金がないんだよ誰とは言わないけどね」

「あははっ、ならつくってよ秋仁」

「はいよ、ちょっと待ってな」

僕はキッチンに向かった。いや待て普通逆だろ。こっちだって二日酔いなんだ。

冷凍していたご飯を温めている間に、卵スープを作った。奈津のリアクションが薄い。

「これだけ…?」

「何か文句でも?ーーーいただきますっ」

みるみる不機嫌になってゆく。

「もうわかった私が作るよ、冷蔵庫に何があるか見してね」

最初からそうしてくれよと、言葉をつぐんだ。

やがて、トントンと何かを切る音が聞こえてきた。

これドラマで見たことあるぞ。あとはエプロンをしてくれたら100点だな。そんなことを考えながら頷いた。だから変態かって僕は。

「はい、出来たよ」

え?もう完成?火を使う感じがなかったんだが。

「なにこれ」

心から声が出た。

「野菜サラダ」

「いやこれのどこが野菜サラダなの」

レタスを下に挽き、胡瓜をバラバラの大きさに切ってあるのを上に乗せてあった。上からマヨネーズをかけてある。

「これじゃ野菜サラダじゃなくて切った野菜だろ。いや、切られた野菜だよこんなの」

「なに切られた野菜ってそんなネーミングないよ」

「僕ん家のキッチンがこんな現場になるなんて衝撃でしかないよ」

「現場って何?私何かした?料理しただけじゃん」

「これのどこが料理なんだよ!こんなの見たら3分クッキングスタッフ一同が泣くわ!」

そこまで言い合ってお互い息が切れた。

「懐かしいね」

奈津が言った。

「何がだよ」

「動物園の帰り、こうやって騒いでたら怒られたよね」

あぁ、その事か。遠い昔のように感じる。

「懐かしいっておとといの事だよ」

「いや、本当に懐かしい」

奈津の目に涙が溜まった。溢れ出す前に僕は奈津を抱きしめた。

「秋仁、私死にたくないよお」

奈津が泣き出した。

「あぁ。誰だってそうだよそんなの。僕が守ってやるから。心配すんな」

こんなセリフどこで覚えたんだろうと思ったけど、今はどうでもいい。

「どうやって死ぬか、わからないのか?」

「わからない、覚えてない」

まただ、違和感をおぼえる。

X-DAYは明日だ。家から出なければ大丈夫。そう考えていた。

「今日と明日は家に居よう。明日さえ超えれば、君はもう死なない。僕が死なせない」

「急にかっこいいじゃん、どーしたの?」

「うるさいな、黙って言うこと聞いてくれ」

頼むから。と、付け加えた。

「うん、わかったよ。その前にご飯買ってきて」

緊張感が無さすぎる。まあ、逆に奈津らしい。

僕はコンビニに行って弁当を買うことにした。少しでも奈津から離れてしまうのが怖かった。ベタ惚れじゃないかと自分に突っ込んだ。いつもとは違う、笑えたとは少し違った。そう、にやけた。


弁当を食べ終えると奈津はまた寝た。どうやら相当二日酔いらしい。僕も二日酔いだったことを思い出した。でも、今はあんまり頭も痛くない。この馬鹿の看病をして、それどころじゃなくなったからだろうな。奈津の寝顔に目を向けた。可愛い。冗談じゃなく、可愛い。僕はたまらなくなっておでこにキスをした。その瞬間、奈津が目覚めた。

「秋仁、やらしっ」

頭が真っ白になった、突発的に奈津の頭をはたいた。やかましいっと突っ込んだ。奈津はいった~と言いながら笑っていた。つられて、僕も笑った。


それから僕も眠ってしまっていた。僕は夢を見ていた。黒い服を着た死神が、奈津を迎えに来ている。奈津は僕の名前を呼びながら、死神に連れて行かれる。僕も追いかけようとするけど体が動かない。自分の無力さに腹が立った。やがて、奈津は黒い霧の向こうに連れて行かれて、見えなくなった。

そこで目が覚めた。変に汗をかいていた。嫌な夢だ。やけにリアルだ。勘弁してくれよと呟いた。時計を見ると夜中の0時をまわっていた。さすがに寝すぎたと思い、布団から飛び起きた。

ふと、ベッドに目をやる。全身の血の気が引いていくのを覚えた。


奈津の姿はそこにはなかった。


[6]


ーーーX-DAYーーー


自分なりに落ち着いて、状況を整理した。時刻は0時をまわっている。となると、今日はX-DAYの5日目。奈津が死ぬ日。奈津がやり残した事が何かはまだ定かではないが、奈津が消えた事を考えると、暦通りX-DAYを迎えてしまったということになる。

僕は焦っていた。何かしないと、探しにいかないと。焦燥感だけが僕を襲った。奈津が寝ていたベッドはまだ少し暖かい。まだ遠くに行ってない、そう思った。こんな時でも、僕の頭は冴えていた。子供の頃からコナンを見ていたからだろう。そんな事を考えた。ありがとうコナン。

そんなことはどうでもいい。とにかく探しに行かないと。こんな形での別れなんて、死んでも嫌だ。奈津だって死んでも死にきれない。そう考えていて欲しかった。


僕は家を飛び出し、走り出した。目的地はわからない。何処かで奈津が待っている。そう信じていた。

僕の矛先は自然とあの場所へ向かっていた。

初めて出会った、あの場所だ。


大学に着いたが、門は当然閉まっていた。僕は迷わず門をよじ登り、飛び越えた。うちの大学のセキュリティが甘いことに感謝した。本当に感謝した。

走って裏庭にいく。夜中なのに涼しさより蒸し暑さが勝っていた。裏庭に着いた。暗くてよく見えないが、人影はないように見えた。僕は再び考えを巡らせた。落ち込んでる暇なんてない。一刻も早く奈津を見つけないと。再び門を超えて外に出た。奈津とよく歩いた駅までの大通りに出た。ここは道が入り組んでいて遠くまではよく見えない。ふと、後ろを振り返った。僕は頬が緩んだ。同時に身体から力が抜けた。いつもの白いワンピースを見に纏った、奈津が立っていた。

「こんばんわ」

奈津はそう言った。返す言葉が見つからない。そばに駆け寄りたいけど、駆け寄れない。

「秋仁、やっぱりあなたでよかった。あの時、あなたを助けてよかった」

奈津が口を開いた。でも言葉の意味がわからない。

奈津の目に涙が浮かんでいた。暗くて見えないはずなのに。はっきりと見えた。

「わがままばっかり言ってごめんね。いっぱい馬鹿にしてごめんね。いっぱい走らせてごめんね。いっぱいお金使わせて、ごめんね」

やめろよ。最後の挨拶みたいじゃないか。何でだよ。いつもなら必要以上に、声に出てるのにこんな時に限って声にならない。

「私は帰るよ。空の上に」

待ってくれよ。せっかく出会えたんじゃんか。僕を見つけてくれただろ。お前は。

「奈津っ」

ようやく声になった。

「秋仁」

奈津も名前を呼んでくれた。

「僕を助けてよかったって…どういうことなんだよ」

スラスラと声になった。少し安心した。何より奈津と会話できることが嬉しかった。

「言いたくなかったんだけど、私が生きてた世界で、秋仁は車に轢かれそうになったの。そこを反射的に私が助けたの」

理解するのに時間がかかった。僕を助けてよかったって。つまり。僕を助けたから奈津は死んだのか?

考えたくない考えられない。僕が殺したようなもんじゃないか。

「黙っててごめんね。覚えてないなんて、全部嘘だよ。私は死んでからも、秋仁の事を見てたの。それで、いつしか本当にあの人を助けてよかったのかなって思うようになって。空の上から秋仁を見てた。私のイメージでは秋仁は、計画通りにいかないとイライラするし、彼女出来たことないし、童貞だし」

あれ?感動シーンなのに何で悪口言われてんの僕?

「正直言って印象は最悪だった」

奈津がにこっと笑った。いや、笑えないわ。

「だから私は、生き返ったんだと思う。本当に秋仁を助けてよかったのかを確かめるために」

胸の奥が痛くなった。縄のようなもので締め付けられてるような気がした。キリキリと痛い。

「私が死んだ時間は2時15分。だから多分その時間になれば、私は消える」

「待てよ、消えるとかそんなこと言ったって、僕は奈津にどんな顔をすればいい。奈津に何て言って謝ればいい」

「そんなこと求めてないよ。私は秋仁を助けてよかったって思ってる。秋仁と過ごしたこの5日間。まあ、4日間だけど。本当に私に良くしてくれた。何より、秋仁は変わってくれた。私のために。だから私はよかったって思うんだ」

「お前がよくても僕がよくないんだよ!勝手に現れて、勝手に僕を助けておいて、勝手に好きにさせといてさ。僕は奈津に何にも出来ないじゃないか…!何をしてやればいい。僕が奈津からもらったこれだけの気持ちを僕はどうやって返せばいい」

奈津が駆け寄ってきた。そして、僕を抱きしめた。

「もうこの世に未練はない。私が助けることができた命が秋仁で、立原秋仁で本当によかった私の分まで精一杯生きてね」

奈津はそう言い、僕に優しくキスをした。そして、抱きしめた。僕も強く抱きしめた。でも、僕の手は宙を掻いた。

「奈津っ!」

僕は力の限り叫んだ。

そして、奈津は消えた。携帯で時計を見る。2時15分を指していた。携帯の画面には昨日の昼に撮った、寝相の悪い奈津が写っていた。僕は泣いた。心の底から初めて泣いた。うわぁぁぁぁと叫びながら泣いた。奈津の柔らかい笑顔が目に焼き付いて消えない。


僕は、奈津に生かされていた。


[終]


あれから1日が経った。早く過ぎていった5日間を思い出す。初めから奈津は死ぬとわかっていて、僕に近づいたんだ。

そして、僕を試したんだ。僕が渋々付き合っていた最初の頃は、奈津からすると大事な命の結晶だったんだ。頭を掻いた。僕は馬鹿だ。

最初の頃は早く5日間が経てばいいと思っていた。でも、段々奈津に惹かれていった。彼女が5日後に死ぬことなんて忘れて。信じたくなくて。奈津が助けてくれたから、僕は今ここに生きている。そう考えると胸が痛い。気が気じゃなくなる。でも、僕が悔やんだら奈津は死にきれない。何の為に、僕に何を伝えるためにやってきたのか、その意味がなくなる。奈津が教えてくれた命の尊さを、日々の生きる意味を。僕は昨日の大通りに行くことにした。奈津に言いたいことがあるからだ。


大通りに着き、僕は息を大きく吸った。そして、口を開いた。

「君に出会わなければ、こんな想いをすることもなかった。君に出会わなければ、君を好きになる事もなかった。君に出会わなければ、僕は生きていられなかった。君に出会わなければ、君に出会えてよかったなんて、思わなかった」

声が震える。奈津の声が聞こえる。

わがままな所も、人の話を聞かない所も、よくご飯を食べる所も、お酒が弱いくせに飲みたがる所も、声が大きい所も。全部が君だ。僕の景色全てが、宮前奈津だ。


そして、最後の力を振り絞るように、僕は言った。


「君に出会えてよかった、ありがとう」”








秋仁は最後の文を書き終え、ペンを置いた。


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