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第3話 被 虐 (ⅲ)

 彼女の乳房を掴んだ悪漢の指先は、次第にきつく締まっていき、ついに声を上げざるを得ないほどとなっていた。


「や、やめてえ……あぁっ!」

「やめるわけねーだろ、おい」


 フォルトナは、それを捻ったり、揺らしたりして愉しんだ。アストラエアの目元に、さらなる涙の粒が溜まっていく。


「お前が支払えるものを持ってなかったんだろ。賭けに負けた分際でよ」

「ちゃんと、払えるからっ」

「いつだッ!!」


 そこまで大声ではなかったが、それでもアストラエアの可憐な心を押し留めるには十分すぎた。萎縮しきってしまい、声もまともに出せなくなる。そして、ついに彼は――彼女の腕を強引に奪った。


「いや、いやぁ!」

「さっさと来いよ」


 下卑た笑いを浮かべる衆だった。彼女の足先は、一歩、また一歩と――


「おら、とっとと歩――ぐべばえあああああああああさぁッ!!」

「おまえら、わたしの友だちになにやってる!」


 アストラエアは、幸運だった。

 走りつつ現れるとともに、ロスヴァイセが悪漢に短剣(グラディウス)の鞘を投げ付けたのだった。それは、ちょうど相手の顔面にヒットしていた。


「なんだよ、特等兵団(カリウス)さま?」

「わたしの友だちに、なにしてるの!」

「賭けに勝ったんだよ、俺たち。でも、こいつが何も持ってないっていうから。払ってもらおうとしてたんだよ」

「……お前ら。わかってるのか」

「ん~、なにが?」


 余裕の笑みを湛えるフォルトナだった。

 売春など、軍団(レギオン)においては厳禁であった。特に、シグルドが総督(デュクス)となってからは。だが、因縁の代償に身体を差し出したという恥を軍団(レギオン)の中で晒せる者などいるはずもない。悪漢らの企みが成功を重ねている理由のひとつである。


「エア、ごめんね。わたしたち話し込んじゃってて。ステファっていう娘から、あなたが連れて行かれたって聞いたの。それで」


 アストラエアに視線を合わせると、にっこりと笑ってみせる。あなたを助けてあげるから、という満面の笑気を込めた面差しだった。それを見ると、アストラエアの頬を歓喜の涙が伝った。なにも喋れなくなるほどの。


「ペテンを使ったでしょ!? 噂には聞いてたけど、百使隊長(ケントゥリア)になってからは特に素行が悪くなったわね、フォルトナ」

「なんだよ、ロスヴァイセ。エリート様でもそういうゴシップは聞いてるんだなあ?」

「……前は同じ隊だったでしょ?」


 フォルトナは頭に血が上っていた。自分より年齢もキャリアも下であるにも関わらず、高い階級を得ている彼女が憎らしくて仕方がなかった。

 まだ、彼が彼女の上としての存在だった頃。親しげにタメ口を利いてくるロスヴァイセを集団で鞭打った経験がある。それは、お互いの信頼が切れた日でもあった。


「なにがペテンだ、証拠でもあるのか。公正な賭けさ」

「そうか、ならばわたしも賭けを提案しよう。アストラエアの代わりに、お前に賭け勝負を申し込む」

「ふうん?」


 取り巻き衆とともに、ニタリとした下品な笑みを浮かべる。さきほど、ロスヴァイセがアストラエアに対して行ったそれとは比べ物にならないほどの醜悪な笑みであった。


「お前がアストラエアに行った賭けは、ペテンである。これが賭けの内容だ。私が勝てば……さっき、まわりから聞き込んだぞ。パイのことはもういいな。だが、私が負ければ……わたしをアストラエアの代わりにしていい」

「ふざけんな」

「ブス、引っ込め!!」

「お前だけじゃねえか。アストラエアも連れてこなきゃ計算が合わんぞ」


 すぐさま取り巻き数名からクレームが入るも、彼女がそいつらを睨んだなら、またすぐに声は止んだ。実際、ロスヴァイセも相応に美しかった。彫刻のような肢体に、くっきりとした凛々しい顔立ちは、軍団兵(ミリテム)の中でも注目を集めるほどである。


「……心配するな、アストラエアが応えられないコト(・ ・)でも、応えてやるぞ」


 そう言って、肢体をくねらせるロスヴァイセ。胸の肉は極端に薄かったものの、悪漢どもの表情が急に真剣なものへと変わる様子は容易に認識できた。


「そんな乳で何ができるってんだっ!」


 フォルトナのすぐ隣にいる、取り巻きのひとりであった。


「顔が見えなきゃ男じゃねえか、グリア山脈の絶壁よりも掴みにくい……マイナスBカップの分際でっ!」

「ビキビキ……ああ、そうだ言い忘れていたぞフォルトナ。わたしが勝った暁には、今回のことを上に報告する。分かってるな、フォルトナ。陰徳罪の罰則については」

「……チッ」

「乳房の神に謝れっ!!」


 ロスヴァイセが、その男を半殺しにしている間に――少しだけ、迷った表情になるフォルトナ。

 相手に賭け金を釣り上げられているのだと理解するのに、さほど時間はかからなかった。それにペテンは事実である。彼が仲間たちに得意げに話してしまったので、ここにいる悪漢らは皆知っている。

 シグルドが持ち込んだ科学的知識の一片を、学者連中に負けじと勉強していたのだった。なにか、悪事に使えるものはないかと。

 

「じゃあいいな、エアは連れて帰る」

「待て」

「なんだ? もういいだろ、お前らのことは言わない」

「ペテンはない(・ ・)。公正な勝負だ。だから、アストラエアは俺たちが好きにする。いいか、公正なんだからな。その証明ができないんなら、さっさと出て行け」

「……チッ」


 思わず、舌打ちという下品な行為を行ってしまう。貴族出身の彼女にしては珍しいことだった。

 たしかに、痛いところを突かれてしまった。それがペテンであるという確信はあるのだが、証明することができない。いわば、これは概念上の勝利に過ぎなかった。勝敗を判定しうる装置なくして、事実上の勝利は有り得ないのだった。


「ちなみに、俺はお前みたいな胸なし女は嫌だね。アストラエアみたいな、女の子って感じの性格のやつが断然いい。戦の時とは大違いだよ。その時は、まるで英雄みたいに雄々しいのにな」


 ロスヴァイセは、はらわたが煮えくり返りそうだった。自分を馬鹿にされたことではなく、アストラエアのことを知っているかのように話されたのが、その怒りの種であった。

 だが、その足音が聞こえてきた時――それは、時間稼ぎという大役を任された彼女の面目が立った瞬間であった。


「はあーあ、なんで、肝心なときについてないかなぁッ!!」


 フォルトナは、側にあった樹を蹴っ飛ばした。というのも、駆けてきたのがトールだったから。


「なんだよ、今度はトールか」

「『なんだよ』、じゃない」


 普段こそ温厚なトールだったが、怒気を孕んだ目でフォルトナを睨みつけている。


「あれから周りに聞いてみたんだ、賭けの内容を。いやあ、びっくりしたね。自分でも。まさか、あんなに考え込むとは思わなかった」

「それで、秀才の術師様は謎が解けたんですかね」


 慇懃無礼(いんぎんぶれい)を地で行くような言葉遣いで、フォルトナは尋ねる。


「いいや、分からなかった。あのからくりが。でも」

「でも? この場で証明できなきゃ、アストラエアはもらってくぜ。言っとくが、チクっても状況を悪くするだけだからな。この女、次の日からは俺たちの便器になったことがみんなに知れ渡るんだぜ。それに陰徳罪って言っても、別に牢屋に入れられるような罪じゃねーし。総督(デュクス)は重罪にしたいらしいけどよ」

「シグルド様に直訴する」


 フォルトナの表情が少しだけ歪むのを、アストラエアは見逃さなかった。なにか、やっぱりなにかあるんだ。そんな匂いを、彼女は感じ取っていた。


「僕が分からなかったと言ったのは、命題に確信がもてなかったという意味だ。シグルド様が持ち込んだ数秘学の知識、確率とかいう理論。少しだけど、かじってて本当によかった。いいかい、フォルトナさん。あんたは確かに僕たちの先輩だけど、僕たちの仲間を傷つけるのは許さない。いま言った行動を、僕は必ず取るから――ここで彼女を離さないと、自力で奪い取ることになる。抵抗するなら分かってるな」

「おいおい、争いごとの自力救済は懲罰房だぞ。わかってんのか……」

「正当な理由さえ証明できれば。僕が……シグルド様を説得してみせる」

「……」


 しばしの沈黙が支配する。もうすぐ休憩時間が終了する頃合である。ここで、ロスヴァイセはおもむろに、


「分かったわ」


 チョコパイを、フォルトナに向かって投げた。ロスヴァイセのものである。


「アストラエアに代わって、わたしが弁償したわ。これでいいわね」


 それを空中でキャッチするやいなや、地面に唾を吐きかけつつフォルトナの一味は去っていった。


「ヴァイセ、トール~、怖かったんだから、もうばか」

「バカはあんたよッ!!」


 そう言って、アストラエアを殴り付けるロスヴァイセだった。


「まあまあ、騙されてたんだし」

「ほんと、ありがとうねトール」

「とんでもない」

「ほんと、次から気をつけなさいよ。ああいうタチの悪い輩もいるんだから」


~ ✩ ★ ✩ ★ ✩ ~


 その晩、アストラエアは――ふたりからの誕生日プレゼントをもらった。消費財以外の交換活動は禁じられているのだが、ちょうど20歳を迎える彼女――といっても、とっくに成年しているのであるが――を祝うために、昼の時間はアストラエアなどそっちのけで相談し合っていた、というのがあのふたりの実情だった。

 あまりの嬉しさに、ロスヴァイセからもらったブローチを抽斗(ひきだし)の中に仕舞うと、彼女は物思いに耽った。公務中に着けられるはずもなかったから、今度の非番の日にでも、これを首に巻いて城下へと出かけようと思った。

 ロスヴァイセとは別にトールからもらった指輪は、丹精込めて彼が自作した魔術道具(マギアツール)だという。戦闘時、窮地に陥ったときに叩き割るようアドバイスをもらった。実利的な思考をもつトールらしい贈り物だった。だが、嬉しさもあった。魔術道具(マギアツール)ならば、公務中も装着を許されるからである。

 アストラエアは、眠りに就いた。睡眠というのは、軍団兵(ミリテム)にとっては仕事も同然である。今日という特別な日は、いつもの睡眠時刻よりも、ちょっと早めに寝床に入っていた。


「ん、ん……あ、あん、ぁ……♡」


 ずっと長い間、アストラエアはシーツの中で――(あえ)いでいた。

 隣の部屋に聞こえないよう、必死に声を潜めて。愛しの相手を想って、彼女は床内で行為(・ ・)に及んでいる。今日は、いつもより大胆な想像に(ふけ)っていた。

 愛しの相手が、彼女を後ろ手を取ったなら、強引に柱へと押し付けられる。そして、後ろから、ずっとずっと執拗に責められ続ける。

 次いで、身体を正面に持ち上げられたなら――強引に接吻を迫られる。それを拒否したなら平手打ちを食らわされ、また執拗な口吸いを続ける愛しい者。

 やがて、真上に乗られ、肌同士が密着する奇妙なくすぐったさを感じながら、それよりもはるかに強烈な肉体の結合による感触――そんな上下運動について想いを巡らせつつ、だらしなく舌を(さら)け出して、自らの乳房の先端を吸い続けるアストラエア。

 そんな妄想を助けるのは、長槍(ピルム)だった。彼女は、その槍を股の間へと挟んで自分のモノに押し付けることで、いつも自慰行為を行っている。神聖なる武器を、こんなに陰徳な気分で使用するという悪をアストラエアは感じつつ――今日も、今日も愛しいあの者を想う。

 そして、愛されない親友である自らの――その原因である、肉体を呪う。

 (第3話、終)

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