第2話 合 戦 (ⅳ)
フレイの絶命と同時だった。
「きさまああああああああっ!!」
ロスヴァイセは、なにやら球状の物体を上方へと投げ出す。と同時に、その男へと走り寄っていく。今ならば裸だ、という狙いがあるのは明白だった。が、アストラエアに首根っこを引っ掴まれ、その場へと伏す。
直後だった。アストラエアの投げた投槍が、ロスヴァイセが罠に掛かっていたことを証明するのだった。そこには大気の障壁があった。槍は弾かれ、そこいらに跳ね飛んだ。アストラエアには、初めから匂いで分かっていた。
ここで、頭上に光が照った。いや、それは光ではなく炎だった。いま、ロスヴァイセが放り投げたのは、炎熱の魔術が詰め込まれた魔術道具である。
ところで、天井にて燃え盛る業炎に晒されるのは、雄と彼女らのみではなかった。
「なかなかやりますね。こんなに早く、やり合えるなんて」
デカラビアだった。この男ほどではないものの、アストラエアより頭ひとつ分は大きい。その右腕には、特等兵団であるユミルの首が握られている。
「この脳味噌まで筋肉になっている奴、私が仕掛けた切断障壁にも気が付かなくてね。このザマだよ。まったく、神使というのは自惚れが強すぎる」
「……痛い意見だ」
ロスヴァイセは、双刀を構える。
アストラエアは、確かに見た。その視線の動きは、なにか確信があるときの仕草であった。逃げるつもりだろうか、いやそれは無理だと彼女は直感する。
「逃げてもいいんですよ、栗色髪の美女さん?」
「障壁魔術とやらが得意だそうだな、逃がしてもらえるなんて思ってないさ。ならば、答えはひとつ」
「うん、これは美味しい串焼きが食べられそうだ♪ ベリアル、こいつは私が食ってもいいですよね、色々な意味で」
「うむ。お前は栗色の方にしておけ」
ベリアルと呼ばれた金毛赤眼の男は、寡黙に答えるのだった。答え終わった瞬間に、ロスヴァイセは疾駆していた。だが、それは――デカラビアとは、てんで異なる方向だった。
「エア、そいつをお願い! 以前戦ったんなら――大丈夫よ、あなたなら!」
「……」
アストラエアは、黙ってデカラビアに投槍を投げ付ける。
「舐められたものです」
彼もまた、先の戦いのように懐から爆発物を取り出し、投槍へとぶつけていく。
「……モエニア!」
そう呟くと、彼の前に垂直方向の波紋障壁が拡がる。それと同時だった、互いのマギアツールの接触による爆発が発生したのは。爆風を余裕たっぷりに耐えるデカラビアだったが――アストラエアを相手に、余裕ぶった笑みはそう永くはもたないようだった。
2本のピラーが降ってきたかと思うと、彼がそれを避けた方向に、ちょうどアストラエアが着地していた。大丈夫、読んでいたとばかりにデカラビアが彼女へと延ばした腕の先を――器用に振るわれた長槍の切っ先が払い飛ばして、かくして3本もの指と別れを告げることになった哀れなる障壁魔術師の姿が、そこにはあった――ヴァインディングエッジ、炸裂。
「げえあああああっ、なぜだ、くそ、お前、どうし」
「どうして、私の心を読めたのか」
「!?」
アストラエアには、特殊な能力があった。相手の匂いを嗅ぐことで、感じていること、考えていることが、なんとなくではあるが理解できるのだった。それが十分に機能するための条件は、相手のそれに慣れること。
もう、すでに3戦目だった。条件は満たされている。
「なぜ、なぜだ……」
彼にとって、予測の埒外であった。次の手について、必死で頭を巡らせるデカラビア。
アストラエアは、冷静だった。
~ ✩ ★ ✩ ★ ✩ ~
ロスヴァイセは、走り出していた。フレイの死体の側で、半裸の状態で彼女を見据える長身巨躯なる美丈夫。男には、いつでも迎え撃つ用意があるようだった。
その紅色の戦闘衣は、アストラエアのものとさしたる違いはなかった。亜寒帯気候ゆえに、軍服の厚みは相応で長い袖に覆われているのであるが、スコート型の下衣から延びる燕尾のような防寒布が、ひらりと宙に舞いつつ――その意図どおりの役割として、ベリアルの視線を一瞬間だけ彼女の太腿へとやった。
ロスヴァイセは、ベリアルの間近へと迫っている。
「……うん?」
彼女は、斬りかからずに真横を通り抜けた。さっきまでのほの暗い空間が、まるで嘘のように燃え盛る天井に照らされるテント内部を、探し物でもするかのように疾走している。
「そういうことか。賢明やもしれぬ。では、こちらも用意をしようか」
ベリアルは着衣をただすと、さっきまで物していた女には目もくれず、さっきフレイを破ったばかりの無骨なる愛剣を手に取った。その途端、真後ろに殺気を感じると――剣を振りかぶるようにして、その襲者を振り払う。
「見つかったようだな。だが、扱いはまだまだのようだ」
「余裕ぶってられるのも、いまのうちだ!」
ロスヴァイセは、熾星剣リエラムを探していた。フレイの愛剣であり、教国より託されている魔器。それぞれが意思を有しているかのように、使用者の魔力を魔術へと自動変換するという。
フレイというのは、特等兵団でも上位の実力者だった。少なくとも、団内の手試合においては。その彼女が無残に敗北している以上、ただの短剣で太刀打ちできないのは明白だった。
「さあ、来てみろ」
リエラムは、ロスヴァイセの感覚にぴったり沿う重量だった。それがリエラムに秘められた自動調整機能のひとつであることを彼女は知らない。いける、と念じて彼女は、ベリアルへと一閃を振るう。難なく受け止められるが、それは彼の有する剣があまりに長大で重かったからである。
彼女の身長に準ずる尺をもつ其れは、ただの黒灰色の塊のように思われた。刀身には錆すらあった。装飾もなにもなく、ただ、剣の形に鋳造されたというだけの鉄の塊に過ぎないような、そんなものだった。神使の基準においては、最低位に位置するほどの。
しかしながら、リエラムの性能とロスヴァイセの剣技の才を掛け合わせても、一歩たりとも、その男を動かすには至らない。
「ぐ、ぐうぅ……」
「おお」
ベリアルは、頭二つ分は高い位置から彼女を見下ろしている。体格差は圧倒的だった。そして、苦戦ゆえに嗚咽を漏らすような声色となった彼女に、剣同士を擦らせる姿勢のままでベリアルが呟いた。
「……ほう、その体つき。お前、男か。そこの可憐な娘には及ばぬが、こんな期待は久しぶりだ」
それは、ロスヴァイセの余りにスレンダーな、慎み深すぎる肢体に対して述べられた賛辞のようでもあったが、
「黙れレええええええええッ!!」
その言葉に激昂した彼女は、一気に跳び上がり、リエラムの剣技を放とうとする。右腕で振りかぶりつつ、切っ先を敵人へと向ける。そして、左手をそこに添えるのだった。
「……!」
「焔の矢」とロスヴァイセは呟いていた。ベリアルには聞き取れなかったが。
剣技や魔術には、言霊を吹き込むという行為が必要な場合がある。心中で言霊を発するだけでも、ただイメージするだけでも、それらは発動するのだが――あまりにも切羽詰まったときや、その系統の主たる存在が呼称の発露を願うようなときなどは、直接に言霊を生ずる必要がある。
音速の焔撃が射出され、ベリアルには回避するだけの余裕もなかった。その胸板へと、斬撃の跡がめり込んだことを示す黒い血が噴き出した。
「もらったッ!!」
着地後、一気に飛びかかるロスヴァイセだった。リエラムを振りかざし、最速かつ最短の回転斬りを打ち込む。回転中の彼女は、あたかも自分が風の精霊になる如くイメージを、自らに課している。表象と動作を一致させるという、あらゆる武芸の基本となる理念である。
違和感があった。ほんの少しだけ。剣の差し込みが、ずれている気がした。いや、ずれた。違う、ずれ続けている!
自分の右腕が奪われて、ひとり回転しているだけなのだという直知と――宙に浮かされた状態でベリアルと向き合い、彼の右腕がロスヴァイセの両頬を握るのとは同時であった。
「ふごぉ……」
手のひらは、完全にロスヴァイセの顔を掴んでいた。左手で、彼女の腰に手を添えて体勢を固定したベリアル。かくして、彼女は身動きを取れなくなる。
「その技は、あの大女がやっていた」
「そん……な……でも、傷ひとつないじゃない……!」
「勝手に再生するのだ、ある程度はな。さあ、それではどうするか」
「……」
ベリアルは、ロスヴァイセの瞳を睨んだ。テントの上部は灼けており、少しばかりの陽光が差し込んでいたが、未だに暗い色調を帯びた雰囲気である。
「お前を犯したい。男でも……まあ、たまにはいいとしよう」
「いや、いやぁ……」
「温いな」
「温い」と言ったのは、指先へと落ちてきたロスヴァイセの涙粒に対するコメントだった。イーオン教国の紋章が入った腹部の布地をぐしゃりと握り込む。ロスヴァイセの腹筋にまとわりつく、ぽっこりとした脂肪の形状がゆがんだ。
「やめて、やめ、や……」
その時、彼女の意識が暗闇へと吸い込まれそうになったのは、戦闘衣を裂かれたからではなかった。彼女の身体が投げ捨てられたからである――アストラエアの投槍が、危うくベリアルに命中しかけていた。
回避後から姿勢を取り戻した彼が、その槍が飛んできた方向を睨み付ける。
「デカラビアよ。おい、どうしたそんなところで」
見れば、障壁魔術を張り巡らしているデカラビアの姿があった。高位の魔柱は障壁魔術を視認できるのだが、それはもはやボロボロの壁であった。あと数回ほどアストラエアの槍で突かれたならば、崩れ去ってしまうことだろう。
「き、凶悪な攻撃だった。このままでは、私の敗けだったことを認める」
「相も変わらず慇懃なやつ。バクダン、とかいったか? 近頃輸入されてきたのは。あれはもうないのか」
「使い切った。あるにはあるが、このテントごと吹っ飛ぶ」
「そうか。ご苦労だった、休んでろ」
そう言ってベリアルは、アストラエアへと視線を戻した。
「この女は、もう戦意を失っている。可憐で豊満な女。お前が相手だ」
「言うまでもないっ」
壮絶なる斬り合いだった。連続的に突きを繰り返すアストラエアだったが、巨躯に見合わぬ機敏さでもって、すべてかわされる。均整の取れたバランスの良い体型であったことから、その運動能力は不自然ではなかった。
攻撃回数こそアストラエアの方が多いのだが、時折振り下ろされる鉄塊は、彼女の神経をより一層、過敏にさせた。あんなものを正面から喰らえば即死は免れないし、槍で受け止めようものなら間違いなく破壊されてしまう。だから、彼女が取れる戦法というのは、ただ多くの攻撃を繰り出しつつ、必殺の一手へと連絡していくことだった。
だが、肝心の機会を発見することが出来ずにいる。およそ十度目だろうか、ベリアルの剣撃が脳天を捉えかける。
その判断はあまりに疾かった、愛用の武器である長槍を投げ捨てながら、前転回転するように敵人の股下へと潜り込んでいくアストラエア。そこを通り抜け、右肩背部に用意された最後の投槍による回転斬りを試みる。
「……」
無骨な表情を保っていたベリアルの表情が歪む。彼女の攻撃は、一応はヒットしていた。敵人は、脇腹より流血しているようだが、それを確認していられるほどに戦闘は悠長ではない。アストラエアは、飛翔した。空中で体勢を整えつつ、視線の先は――敵の、心臓まわり。
「おおおおおおおッ!!」
投槍に想いを込めて、放つ。これが効かなかった時の手までは閃いていなかった。いっぱしの兵士というものは、いくつもの構築されたパターンの中から最適だと思われるものを感知しつつ、戦闘を行う。だが、ここまで危険な敵というのは、一般兵として働いていた彼女にとっては未体験のこと。
そんな彼女に、次の手が舞い降りた途端だった。ベリアルが投槍をはっしと掴み、握り潰すのが分かった。数瞬後、着地したアストラエアは腰元に装備していた小刀を投げ付けるとともに、自分の長槍を拾いに走る。滑り込むようにして槍を取り戻した彼女は、改めて敵人へと向き直る――
「遅いと言ってる」
暴風のような回し蹴りを受け、彼女は吹っ飛んだ。何秒間にも感じられる滞空だった。何度も咳を吐きながら、敵を見据えるアストラエア。
「ふむ、間近で見るとやはり可憐な娘だ」
「げ、げふ、げほおっ」
肺にキレイな一撃をもらったようだった、呼吸が困難になりながらも立ち上がろうとするが、身体が言うことを聞いてくれない。彼女は、久方ぶりの恐怖を感じていた。十使隊長とはいえ、その戦技には自信があった。相手が百使隊長だろうと何だろうと、1対1の戦いなら負ける気がしなかった。事実、十使隊クラスの模擬戦大会ならば、優勝するのはいつも彼女であった。
だが、今回は相手が悪すぎる。敵の将を相手にして、アストラエアは自身の自惚れを知ることになった。いったい、どうすればこの難局を乗り切れるだろうか? 頭をフル回転させても、難局を打破する術は浮かんでこない。
アストラエアは、意地だった。
絶対に負けたくなかった。どんな手を使っても生き残りたかった。「可憐な娘」という相手からの評価が脳裏に浮かんだのは、ベリアルがあと数歩という距離まで迫ったときだった。
「し、指揮官のあなたが、どうしてこんなところに、い、いるの」
“少なくとも、こいつはわたしに興味をもっている。下卑た興味であるのは違いないが”。それが、彼女の答えだった。色仕掛けまではとうてい使う気になれなかったが、それが必要な局面になればやるかもしれない。
「指揮だったら他の奴がやってる。俺の名義でな。別に、指揮官が指揮をせねばならないという理由はない。誰が指揮でもいいのだ。それに、お前の軍とは構造が違う。俺は総督ではない。攻略役に過ぎない。規則的な上下関係というのは、我が軍にはないのだぞ。力こそが規則。それが、我らが魔柱の軍よ」
「無法者め、お前たちには理性がないのだろう。だから同族で殺し合ったり、食糧難だか知らないが、神使の領内を汚したりするんだろう!」
アストラエアは激怒していたわけではない。妙案を思いつくまでの、とにかく時間稼ぎだった。
「理性だと? いいか、神使だろうが、魔柱だろうが、第一原理は弱肉強食だ。理性というのは便利なものではあるが、あくまで第二原理に過ぎん。お前たちは誤魔化しているのだ、感情や感性というものを。自由に生きればよいのだ、どうして他者が決めたルールを正しいと思う? 相対的なものに過ぎぬではないか。生き物が勝手に決めたルールであって、自然の世界そのものではない。俺たちの思想は、そう、自然だ。自然に従って生きる。それこそが我等の思想。どう足掻いたって、お前たちの決めたルールというものは自然の生き方に反するのだ。お互いに助け合うという名目のもとで、支配者のみがその恩恵に預かっている。下層にいる者どもにしても、倫理に従っている自分たちを、自分たちによって慰めているに過ぎん。それに利他行為といっても、しょせんは将来の自分のためにやっているだけではないか。欲しいままに振舞うのと、どう違うというんだ? 自分たちに嘘をついているというだけで、我等の――」
作戦が、こうも上手くいくとは思わなかった。
アストラエアは、途中までは彼による雑音を聴いていたのだが、妙案を思いついてからは、彼の論説が終わるのを只管に待ちながらイメージを重ねていくだけだった。
「……とまあ、俺はそう思うのだがな。生き物とは、混沌の中を自分の意思で進んでいく。意思同士がぶつかり合って、それを調整していくのが自然なのだ」
「お前の考えは分かったよ、なんとなくだけどっ!」
アストラエアは、回復した身体で立ち上がる。そして一歩、また一歩と、彼に近付いていくのだった。両者の視線が合うのは時間の問題だった。
「分かっていない様子だな、やはり。神使には高尚過ぎたか」
「いいや、聞いていたぞ。半分くらいはなッ!!」
アストラエアは、疾駆だった。
全力の踏む込みでもって、取りに行くは――熾星剣リエラム。ロスヴァイセの傍らに落ちている。させるまいと追いすがるベリアルだったが、追いつくには初速があまりに遅すぎた。
「せええええええいッ!!」
「エア、だめよエアっ!」
ロスヴァイセの言葉など聞く耳もなく、アストラエアは熾星剣を掲げる。青銀色のくねった形状の魔剣は、アストラエアの魔力を吸収して、より青々とした不気味な輝きを放っている。
「だめ、それだけは絶対にだめよ、エア、そいつと剣で戦っちゃ――だめーーーーっ!!」
「面白い。決着をつけようか」
アストラエアの妖艶な肉体が――あたかも、その内々にさざ波を湛えるように震えている。リエラムに限らず、魔器というものは、使用者から吸い取った魔力によって自身が魔術を発動するという、究極にちかい魔術道具である。
当然、使用者によっても使用可能な魔術は異なり、また、その戦い方も――
「エア、お願いよ。それを収めて逃げるのよ、あなただけでもっ」
「……いくぞ」
アストラエアは、敵人を睨み付けた。いよいよ本格的に火が回り、崩れ落ちかける巨大テントの内部で――彼女は、勝利だけを熾星剣リエラムに託していた。極限に集中していたためか、その均衡の崩壊を察するのも、この空間内においてはもっとも遅かった。
「救援か……我が軍が突破されているではないか」
そう呟いたベリアルだったが、その敵影の正体を察したなら、
「しかもあれは……おい、勝負はまただ。遊び過ぎてしまった。撤退するぞ、デカラビア!」
シグルドの軍勢が、すぐ其処まで迫っていた。アストラエアたちとの距離はまだずっとあったが、敗戦を察したベリアルは、デカラビアにの元へと駆け寄ると――移動魔術によって、あっという間に青白い光の中へと消えてしまった。
(第2話、終)