第15話(最終話) 箱 庭
昏い世界だった、アストラエアはいたのは。
ほとんどが暗闇に覆われていて、一寸先すらも見通せるか怪しいほどの空間。そんなところに、彼女はいた。
表情は暗い。沈んでいる。自分が死んだことを覚えていないわけではなさそうだが、死者というのは概してこんなものだ。私は、ここで彼女の元へと歩み寄ることにした。
……なに? 私、とは誰か? 何を言ってる、初めから諸君に語って聞かせていたではないか、彼女にとっての物語を。今さら忘れるはずがないだろう。私には、あなた方に対して話を続ける義務がある。いや、話というよりは報告にちかいのだが。
とにかく、まだ聞いて欲しい。
「……アストラエアよ」
「……えっ?」
「わかるか」
「わ、わたしは……」
「そうだ、死んでいる」
「じゃあ、どうしてここに……?」
「機会を与えるためだ」
「……機会?」
「ロスヴァイセと、また逢いたいか」
「い、生き返らせてくれるの?」
「違う」
「じゃ、じゃあ」
「次の世界に生まれ変われば、また逢える」
「次の……世界……」
「どうする」
「やります……やりますっ!」
「そうか。決意したんだな。それでは……最後に、君を見守ってきた者たち、私の使徒たちからの品評を聞こう」
「使徒?」
手をかざして闇を振り払うと、お互いの姿だけが暗闇の中にはっきりと映るようになる。其処にあったのは、死んだ時のままの姿で血に塗れたアストラエア=インユリア。そして――
「どうだった、シグルド。今回の評価と意見を」
「ぎりぎり及第点でしょうね。完全な合格点には、ほど遠い。それと」
「それと?」
「私の役回りについてです。もう少しだけ……無機質なものにして欲しいのですが」
「ほお、無機質に! 例えば、どんな」
「こう……もっと、生物との出会いというか……そういうのは、極力やめて頂きたいのです」
「ふん、そうか。まあ、そういうはっきりとものを言うところ、使徒の中では嫌いではない。だが、私が創造主だからな」
「心得ております」
「では次に……エイジア」
「シグルドもそうだけど、その名前やめてくれません?」
「よいではないか、あちらの世界での名前だろう。せっかく私が設定してやったというのに! では、評価と意見を」
「そうですね。シグルドの言うとおり、これまでの中ではもっともいい結果でしたね。シグルドが及第点を付けたってことは、ええ、本当によかったんだと思います。これまでは色々とひどかったですからね。最初の頃なんかデカラビアにも負けて、連れ去られた後で串焼きにされてましたからね。あと、ロスヴァイセともどもベリアルの性奴隷になったり、賭け場面での救出に失敗してフォルトナの肉便器になったり。あと、ロスヴァイセがフォルトナに寝取られるという展開もなかなかでした。でもまあ、あの曹長と完全にくっつく展開というのは勘弁願いたいですね。気持ち悪くってしょうがないです。まあとにかく、要所要所で死ぬってのはけっこうありましたよね。その中にあって、今回は良い結果です。やっぱり魂に経験値が溜まってるんですよ」
「ほお。いい論評だった。アストラエアに対する愛情が現れていたね」
「いやいや、何千周もしてたら愛着なんて嫌でも湧いてきますよ」
「こらこら、アストラエアだって聴いてるんだぞ。エイジア、最近は調子に乗りすぎていかんね」
アストラエアは、困惑だった……ように映った。一体、目の前の者たちが何を言っているのか理解できないといった様子である。まあよい、この先は完全にルーティンだからな。
「こ、これって……どういう……?」
「それでは、次の生を楽しんでもらおうか」
私が手を振ると、アストラエアの身体が闇の下へと消えていく。最後まで抵抗する彼女だったが、無駄なことだった。
今この瞬間の私というのは、彼女という魂の存在が絶望にゆがむ顔を眺めているだけで満足だったが――そのうちに、まるで飼い犬でも犯したいといったような、変な気持ちが目覚めないか自分でも心配である。
だが、これからまた始まる劇場を特等席で観覧できると思うと、私の心は弾んでしまって仕方がない。また、見させてもらおう。アストラエア、おっと、あの世界限定での名前だが。それとロスヴァイセとが織り成す、運命というものを。
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……次の生は、犬だった。
彼は、ペスという名の雄の雑種犬で、とても大切に飼われていた。彼が3歳になる頃に、隣に引っ越してきた家族が飼い始めたのがモモカという名前のゴールデンレトリーバーだった。
両家というのは、正直言って犬猿の仲だったが――犬同士は大変に惹かれあった。彼が5歳になる頃だった、ひょんなことから両家の犬は外に放たれる格好となった。
ペスが脱走した原因は、外に設えてあるリードを繋ぐための装着が甘かったこと。それで脱走が許されてしまった。モモカの原因は、これまた単純で――玄関入口の鍵の閉め忘れである。
2匹は、林の中で交尾をした。それは人間でいうならば激しく求め合う行為――ということになるのだろうが、不運なことに、交尾後の仲睦まじい姿を発見されてしまったのだ。モモカの家の者に。それで、ペスは叩き殺されてしまった。残念なことだ。
おいおい、エイジアと呼ばれていた男よ。なにもそこまで執拗に叩き殺さなくてもよいではないか。
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……次の生は、魚だった。
厳密には、鯉という種類の。鯉として生まれた彼女だったが、愛玩動物ではないゆえ名前などはなかった。
管理された環境で生まれ、月日が経ち、見目麗しい雌の鯉として育った彼女だった。そんな彼女の側を泳いでいるのが、彼女以外のどんな鯉が並ぼうと、決して見劣りすることがないであろう見た目の、雄々しき鯉だった。
ふたつの魚は、もうこうして何年間も一緒に泳ぎ続けている。美しき魚同士、当然であるかのような結び付きだった。こうして、今でも2尾が並んで泳ぐ姿というのは聴衆にとっての癒しである。
次の瞬間、両方ともに網へとすくい上げられた。活け造りにされるために。あっという間にざるに揚げられ、麻酔針を刺された十数秒後には、腹の上が整然とした小庭園のような小奇麗さでもって飾り付けられた。自らの肉によって。こうして、2尾は料亭の皿へと乗ることになった。彼と彼女を買ったのは、シグルドと呼ばれていた男だった。
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……次の生は、鳥だった。
その見てくれからして、燕らしい。これまた、愛玩動物ではないので名はない。
彼女と彼とは、隣同士の巣で同日に生まれた。親からエサを強請るたび、仲間同士でくっつき合うたび、巣の下の人間からちょっかいを受けるたび、2羽はお互いの存在を意識した。
生育の途中にあっては、巣から落下して死ぬ雛、親に間引きされる雛、とにかく犠牲は尽きなかったが――それでも、お互いに成長して一緒に空を飛びたいと願っていた。
やがて、もうすぐ飛べるような月年となった。そこはガレージの外部であって、雛を育てるにあたっての良好なスペースではなかった。ある日のこと、ついにカラスに見つかって巣が攻撃を受けてしまう。
果敢に戦う親鳥だったが、善戦むなしく絶命することとなった。彼と彼女とは、戦いの最中で地面に落下してしまった。幸いにも生き残った彼らは、必死で飛び方を覚えようとしている最中に――猫によって食い殺されてしまった。誰の仕業かは、もう分かっているだろうから話さない。
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……次の生は、人間だった。
高村縣と住野鼎は、同じ高校に通う生徒同士だった。ふたりとも、相応に可愛らしい姿をした女性で、懸がボーイッシュ、鼎は淑やかというのが周囲からの評判だった。家同士は近所、部活も一緒、休日だって共に過ごす。周囲からすれば、まさに理想の親友関係である。
ある日の夕方だった、縣から想いを打ち明けられた鼎は、「少しの間だけなら」と玉虫色の返事をする。ふたりの行為というのは、初めこそ奥ゆかしいキッスだったものの、次第に……。
ある日、鼎は――縣が信頼していた男子生徒から呼び出しを受ける。鼎は、その男子生徒のことが――嫌いではなかった。だから、縣からの告白を受けた時にも迷いがあった。
その場で、男子生徒からふたりが教室内で性行為をしている動画を見せられ、鼎は男たちの奴隷となった。毎日のように続く過剰な性行為に、鼎の心は砕けそうになっていた。
ある日、男子生徒は言った。「縣のことが好きだから、俺と付き合うように仕向けてくれ」と。そうして、鼎の心は砕けてしまった。それから何週間かが経って、縣が――不登校になっていた鼎の部屋に入ると、彼女は首を吊っていた。自分への恨みの言葉を遺して。
縣は、鼎が自殺した原因を知るやいなや、その男子生徒を殺そうとした。だが、男の執念は強すぎた。懸は、鼎と同じく性の奴隷となって男たちに尽くすようになった。だが、やがて鼎の痴態がインターネットにばら蒔かれていることを知ると、鼎と同じく首を吊るのだった。
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そうして、何度も何度も転生を繰り返した。
死ぬ度に、私がいる空間へと出現し――評価と意見を与えられ――それを魂の隅へと記憶しながら、また次の生へと旅立ってゆく。そして――
ノウス平原に群生するススキ野原が山陰より昇ったばかりの太陽に照らされ、散り散りとした光の瞬きを放つ朝のことだった。ある高貴な家系の世継ぎとなる者が、この世に生を受けた。
家の使用人から吉報を受けると、客間に集まっていた者たちはみな、家族を祝福した。だが、分娩用の室内にあっては――産婆の、産婆の様子がおかしいのである。やがて、母親の絶叫とともに、母親の兄がドアを押し破ってくる。肝心なる、その家の主人は貴族であったが、軍役に就くべき期間だった。やがて産婆は、何度か赤子の姿を確認すると逃げ出した。あまりの異常性に逃げ出したのである。
赤子は呪われていた。それにまつわる真実について、この家系に連なる者は、みな知るところとなった。産婆が吹聴したのだろうか。屋敷に住む使用人かもしれない。とにかく、その子の身体は呪われていた。それは噂となって外部に流出しかけた。だが、一族による懸命の努力の結果、それにまつわる真実が外部に漏れ出すことはなかったし――赤子を取り上げた産婆も、その日に勤めていた使用人らも、いつの間にか家から消えていた。世間からも。
赤子が成長して、幼年期が過ぎる頃には迫害を受けるようになった。もちろん、それは親族や姻族に限ってのものだったが。その秘密は、成功裏に隠蔽されていたから。成長した少女は、親戚が集まる行事の度に一同から無視され、時にはわざと足を引っ掛けられ、さらには押し飛ばされた。軽口を叩かれ、平手打ちを受ける。
少なくとも、彼らにとってその子は異常だった。その愛らしい容貌と、身に付いた禍々しいものとの違和感は、少女への愛情を失わせるに十分だった。学校でどんなに良い成績を取ってきても、運動で褒められても、親族らの反応は変わらなかった。家族だけは、父親と母親だけは愛してくれたのだが。
少女が少女として、もう少し大きくなる頃には、人並みに友人ができていた。その生活の中に、自分を理解してくれる親友の姿もあった。彼女がもう少し大人になったなら――親友へと抱いている想いが、薄紅色の温もりであることを知るだろう。
やがて、少女と大人の間と呼ばれる齢となった年は、その都市国家の歴史が変わる年でもあった。
それは突然のことだった、太陽が沈む方角から異形の郡列が大挙してきた。彼女は、我が家のバルコニーに居た。初めのうちは何が何だか分からなかったが、大混戦が始まると、すぐにそれが異常事態であることを分かった。敵味方が入り乱れて乱戦する様子は、彼女の家からもよく見えたが、母親から窓に近づいてはならないと警告を受けた。数刻が過ぎて、乱戦はすぐ前まで迫っていた。彼女は、母親に手を引かれた。
それから半日が経って、家の地下室から出てきた少女が見たのは、惨たらしい遺体が転がる様子だった。背中に羽が生えた者たち、すなわち彼女と同種族の者もいたけれども、その何倍も、異形の者たちの死体は多かった。ぼんやりと佇んでいると、大柄の男が少女の前にやってくる。そして、指を差すのだ。
その先を見ると、そこには異形の者として融合させられた、父親と兄妹たちの変わり果てた姿があった。その骸を眺めながら、「・・・よかったな、最後までお父さんと一緒にいられて」と大柄の男が呟いたが、彼女にはその意味が分からなかった。少女の後ろから出てきた女性――母親であるが――は、それを一目だけ見ると、何処かへと歩き去った。数日後に手首を切った。それは、結果的に呪われた子を最優先で守ったことへの、兄からの詰問が原因だった。
その日は、少女にとっての転換点でもあった。決めたのだ。自分の居場所を探すための戦いへと赴くことを。そして、その神生のゴールについて。だが、決めたのは彼女だけではなかった。親友もまた、同じ道を歩むことを決意していたのだった。それは、大事な家族を失ったためだった。復讐を決意したためだった。かくして、道は始まった。その道程のほとんどすべてが地獄へと繋がる、幻魔へと至る道の始まりだった。
「ははははははっ」
「どうしたのですか、創造主よ」
「なんか面白いことでもあったんですかあ? 神サマ」
「さっき、アストラエアを送り出したばかりだがな。どうだった」
「……いや、まさか貴方があんなことをなさるとは」
「くくく、私の使徒の中でも随一の鬼畜である、エイジア! お前の意見はどうだ!」
「いや、ね、神サマ。さすがの僕でもドン引きっすわ。まさか、一切合財の真実をぜんぶ思い出させたうえで、あなたが直々にアストラエアちゃんをレイプするなんてっ! あの娘、最後の方は自分で唇噛んで血だらけでしたよ? ギリリッ」
「おお、なにか言ったか? エイジア。まあいい、それはなあ、エイジアよ! お前があいつの舌を切断したからだろう! だから、あいつは噛むべきところが見つからなかったのだ!」
「……エイジアに対するお言葉ですが、創造主よ。それは、貴方のご命令です」
「ふむ。まあ、誰の命令でもよい。それにしても愉しめたな。やはり女というのはな、強姦される時の表情のために生きておるのだ!! ファハハハハハハッ!!」
これからも、これからもずっと。私は、アストラエア。お前を犯し続ける。仮想世界の中でも、この現実世界の中でも。アストラエア、アストラエアよ! お前は、私の愛しい人形。永遠に、私のものだ!
(最終話、終)
エピローグがあります(。。)...