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第14話 決 着 (ⅱ)

 ロスヴァイセは、待機所から遠くの戦場を見渡していた。

 ここは、ノウス平原の南方にある草原である。暖気が終わりかけており、そろそろ色が滲み始めた草々を眺めつつ、ロスヴァイセは物思いに耽っている。

 昨日のように危機に陥っている味方があれば、戦鳥獣(アルヴィオン)に乗ってそこへと至る必要がある。自分たち待機兵というのは、極めて少数だった。特等兵団(カリウス)所属の者もいれば、軍団兵(ミリテム)から抜擢された者もいる。

 とにかく、ロスヴァイセはなにも考えないようにしていた。していたのだが、トールのことを少しでも考えてしまうと――落涙を禁じえずにいる。


「はあ……」


 こんな調子では話にならないというのは自分でも分かっている。分かっているのだが、心は言うことを聞いてくれない。時刻は、正午だった。朝からなにも食べていないし、水も一切飲んでもいない。そろそろ水でも飲みに行こうと立ち上がった。

 ふいに戦場の先を見ると、なにやら小さな煙が上がっているのが見える。小丘に隠れて見えなかったが、確かあの辺りは――


「連絡! 監視所のひとつがやられてる……」

「なんだって、軍勢の報告なんてないぞ!!」

「違う、違うって! あのやぐらから覗いて、俺には確かに見えた! あれは……幻魔だ」


 待機所全体に、戦慄が走った。

 

「噂通りだ、ぜんぶ殺していきやがったっ」


 逃亡は許されない。この場にいる全員が死を覚悟せざるを得なかった。


「戦闘準備っ!!」


 やられた監視所というのは、この山岳の麓付近にある。ここからは馬で十数分という距離だった。

 急いでリエラムを取り出すと、その他必要なひと包みを揃えて陣の後ろにある山陰(やまかげ)に向かった。ここからは安易な水分補給ができない。特に喉が乾いていたから、飲めるうちに飲んでおく必要がある。

 その帰り道、ロスヴァイセは少しばかり疑問について考え始める。それは、つまり――さっき、あの箇所が燃えて煙が上がっていたならば――彼女がこちらに到着するのは、果たして? という見積りに関するものだった。

 考え始めてすぐ、ロスヴァイセは硬直した。そうだ。今のアストラエアには――幻魔には、自由のための翼がある。


「ぎゃああああっ!!」

「奇襲だ、意気を揃えて戦えっ!!」


 大声が響くものの、いまのロスヴァイセには小さく感じた。ここからだと全力で走っても1分はかかってしまう。剣戟(けんげき)の音、断末魔の声。早く、早く、早く!

 ロスヴァイセの心臓は、今にも張り裂けそうだった。普段ならば息など切らすはずのない距離だったにも関わらず、その身体は震えていた。


「あ……あぁっ!!」

「……ロスヴァイセ、そんなところにいたの」

「……み、みんな……みんな殺したの……!?」


 アストラエアの足元には、おびただしい数の骸が転がっていた。一般兵ならまだしも、かつてアストラエアと談笑していた特等兵団(カリウス)の同僚までもが、首を切断されて転がっている。


「簡単だったよ。まず先に特等兵団(カリウス)から殺していったの。あとは勝手に死んでくれたようなもの。一匹目は奇襲したから秒殺で、二匹目もなり立てだったから秒殺で、三匹目は……」

「もういい」


 リエラムを構えるロスヴァイセ。この場には、もはやふたりしか居ない。この陣には敵前逃亡を行う軍団兵(ミリテム)などいなかったし、実際に、この場にいた者たちの数と死体の数とは一致している。


「昨日、わたし考えたの。アストラエア、決着を……つけましょう」

「奇遇だね。わたしもそれが目的で来たんだ」


~ ✩ ★ ✩ ★ ✩ ~


「うおおおおおおっ!!」

「ロスヴァイセ、あなたこんなに弱かったの?」

「ぐうぅっ!!」


 心には、迷いがあった。

 決着をつけると大見得を切ったものの、それは理性上の話であった。“アストラエアを殺す”という情念を湧き起こそうとするも、その決意の炎は判断に迷う心を断ち切ってしまえるほどのものではなかった。

 体の傷を数えてみる。さっき跳ね飛ばされたばかりの左肩、槍撃の回避に失敗した際の二の腕、初撃のフェイントから槍の柄で打たれた腹部。


「もっと、もっと強いと思ってたのにな。トールの方がずっと楽しめたよ」

「どうして、どうしてこんなことをするのっ!?」

「……」


 アストラエアの思考が、いったん止まったような気がした。


「……そんなの、軍団(レギオン)に復讐したいからに決まってる」

「復讐?」

「わたしがどんなひどい目に遭ってきたか教えてあげようか。あれからね、拷問を受けたの。膝の上に石の塊の載っけられて、鞭で打たれて。何度も気絶しちゃった」

「……」

「それからね……強姦されたの」

「……! アストラエア……」

「今更、同情したって遅いよ! こうなったのも、お前らが魔柱(デモヌ)なんかとやりあってるから!! とっとに食料でも渡しとけばよかったのに……わたしは、ずっと、ずっとそう思ってた!! あんたたちのおかげで……ねえ、わたし、もう処女じゃないんだよ? わたしのあそこ、見てみる……? ロスヴァイセが、ロスヴァイセがぁっ! あの時、笑って認めてくれたモノだって辱めを受けたっ!! ねえ、見せてあげようか!?」

「エア。ねえ、エア聞いて……」

「でも、でもね。おかげで好きな人ができたの。強姦されたおかげで」

「……え?」

「その人、ものすごく(たくま)しくって。わたし、もう……」

「もう、いいのよ……アストラエア」

「それにぃ、わたしのことお世話してくれる人がいてね……」

「あなた、泣いてるじゃないっ! 辛かったんでしょ!?」


 アストラエアは、自棄だった。

 心奥に在るエイジアから受ける、「殺せ」という指示。アストラエアにとっては、本心として認識されている。


「どうしてそんなことになったの!?」

「……お、覚えて、な……気が付……あ、あ゛あぁ、ああっ」

「アストラエアっ!」


 もう長くはもたない。またすぐに襲いかかってくるだろうという確信があった。

 ただ、さっきのやり取りを通じて、ロスヴァイセにはトールの気持ちが理解できた気がした。彼女が彼女でないことは、少なくともトールには理解できていたのだろう。魔術によってあんな状態になった以上は、もはや救う手立てなどない。トールは、理性で分かっていたことを感情という次元でも実行に移そうとしていた。


「トール、わたし……やるわ。最後まで」

「……ロスヴァイセ。お前だけは殺す前に犯してやるよ。あぁ! 愉しみだなぁ、お前の喘ぎ声」

「……エアから」


 ロスヴァイセは、アストラエアの心に邪悪な意思が入り込んでいることを確信する。

 熾星剣(しせいけん)リエラムは天頂の太陽を浴びて、(おの)ずから輝かんばかりの光を反射させている。ロスヴァイセは、初めて自分から踏み込んでいった。


「アストラエアから離れろおおおおおおおっ!!」


 剣と槍が交差して、激しい打ち合いが続いた。

 もはや、迷いはなかった。全力によってアストラエアを滅する――ロスヴァイセに迷いはなかった。

 さっきからというもの、アストラエアの槍術には切れ味がなくなった。ただ力任せに槍を振り回しているだけだった。それは、ひとえに武具の神が離れたことの証左だった。本心とも言える部分が書き換えられつつあるいま、武具の神々にとってアストラエアは居心地のいい環境ではなかったから。

 ロスヴァイセは、粘った。とにかく粘った。その腕力による槍撃は彼女のあらゆるところに触れたが、致命傷さえ受けなければ、特等兵団(カリウス)たるロスヴァイセは本気を出し続けることができる。

 

「があぁっ!」


 強引に、槍を持ち上げて振り下ろす。以前のアストラエアならば決して用いないであろう悪手だった。槍撃の合間を縫って、ロスヴァイセの剣がアストラエアの右腕を貫いていく。


「あがあぁっ!」

「ついでにいっ!」


 その場で剣を引き抜くよりも前に、ロスヴァイセの上段蹴りがアストラエアの顎に命中する。真後ろへと倒れ伏すアストラエアを、リエラムを引き抜くことで揺り戻した。


「もらったっ!!」


 自身の体勢は安定していないが、それ以上にアストラエアの身体は崩れていた。上段蹴りに使ったばかりの右足を地面へと着きながらの――真一文字の太刀筋が炸裂する。とともに、アストラエアの身体は、今度こそ永久に消えぬであろう青焔(せいえん)へと包まれる。

 ロスヴァイセは、勝利だった――相手が神使であれば。


「死ぬのはお前だっ……!」

「……!?」


 ロスヴァイセは、死を覚悟していた。

 熾星剣でもって直接に斬ったならば――そこいらの魔術師(マグム)などでは解除できない、敵を消し去るまで永久に燃え続ける(ほのお)顕現(けんげん)するはずだった。

 これで倒せなければ、まさしく詰みである。

 禍々しい形状の(ワイヤー)がロスヴァイセの肉体を貫こうとしている。ロスヴァイセには、自分が死ぬ寸前の瞬間を認識することができた。だから、自分の身体が貫かれる際に、トールからもらった指輪が――きらめき出して、その効力である魔力の雲散霧消を発揮する瞬間を垣間見ることができた。


「があああああぁっ!!」

「あ、アストラエア……!? いったい、どうなったっていうの……?」


 そのうちの2本が、ロスヴァイセの腹部に浅く突き刺さっている。突かれた臓器によっては命に関わるだろうと認識してはいたが、なんとか意識を保てているからして、さほど重症ではないという自己判断を下した。下すしかなかった。

 指輪の効力によって、リエラムの焔も雲散霧消している。倒れ伏すアストラエアに駆け寄ると、抱え上げるロスヴァイセ。


「ろ、ロスヴァイセ……」

「エア、エアなの!?」

「早く……わたしの魔力が奪われているうちに、早く!」

「エア……」

「いざ、その時が来ると……悲しい……んだね。やっぱり……でも、ごめんねヴァイセ。どこを刺していいか、わ、分から……ああぁっ!!」

「ごめんね、アストラエア。苦しいよね……だから……い……いま……!」


 打ち震える身体と、湧き出した涙を堪えきれずにいるロスヴァイセが――熾星剣リエラムをかざす。


「ロスヴァイセ。後ろを向くね、前からじゃ怖いから」


 これから、何度もアストラエアを刺すことになるのだろう。再生能力があるということは、その機能の中心がどこかにあるはずだった。時間内になんとしても探り当ててみせる。ロスヴァイセに思い付たのはそれだけだった。


「あ、もう、魔力が戻り始めて……る……」


 ロスヴァイセは、黙考だった。

 『頭。そうだ、頭を打ち砕いたうえで熾星剣で焼けば。でも、それで終わるんだろうか。終わらない公算の方がずっと強い。でも……やらないよりは増しだっ!』

 過ぎゆく時間。ロスヴァイセは、最後に制限時間を決めてから――虚心坦懐(きょしんたんかい)に思索へと(ふけ)る。


「アストラエア……いくわよ……」

「……ロスヴァイセ、ありがとう……えっ」


 ロスヴァイセは、アストラエアを後ろから抱きしめていた。


「ありがとう。わたし、あなたと出会えてよかった」

「ロス……ヴァイセ……」


 その瞳から今にもこぼれ落ちそうな水滴について、ロスヴァイセは知る由もない。


「ねえ、アストラエア。もう諦めましょう?」


 アストラエアは、絶句だった。


「どこを斬っても再生するわ。だってあの時、首と胴体とが完全に離れてたじゃない。それなのに、腕を動かすことで頭を戻した。少なくとも、機能の中心は頭じゃないの。だったら、もうどこを斬っても同じよ。でも、あなただけは生きて。わたしの本当の願いよ」

「ねえ待ってよロスヴァイセ、諦めないで!」

「諦めるわ。だって、希望なんてもうないもの」

「だ……めえ、だめっ!! ロスヴァイセ、お願い。早く、早くどこでもいいから……もう嫌だよ、こんなの! 最初っから、ずっと覚えてる! もう、もう嫌なの!! わたし、殺したくない!!」

「アストラエア、諦めが肝心よ」

「も、もう、魔力がぁ……戻っちゃう……!」


 ロスヴァイセは、アストラエアの前側へと移り込んだ。その左の乳房へと顔の側面を(うず)める。


「なんて冗談。知ってる? リエラムにはね、自爆機能がついてるの。これで、わたしと貴方は一緒に――粉みじんになるの」


 アストラエアの心臓が高鳴る。異常な動悸だった、恋の感触とも違う。

 ロスヴァイセにとって、その高鳴りというのは推測に過ぎなかったが、当のアストラエアにとっては――


「ありがとう、ロスヴァイセ……やっぱり頼りになるね……いい? 敵はここだよ。わたしの心臓の、ヴァイセから見てかなり右寄りの部分。そこに核がある」


 アストラエアは、笑顔だった。ロスヴァイセも、笑顔だった。

 熾星剣リエラムによって心臓が刺し貫かれたなら、その内部に存在していた小さな宝石――エイジアの精神体である――が砕け散っていく感触が感じられた。

 そしていま、座り込んだままの姿勢で――アストラエアは、ロスヴァイセに抱えられている。


「あ、あ、ありがとう。わ、わたしね、言いたかったことが……」

「……言わなくていいの。わたしもね、あなたに言いたかったことがあって後悔してるんだけど……言わないでおくわ」

「そ、そっか。あ、ぁ……それじゃ……わたし。自分のこと……男でも、女でもいいんだって、わかったの。その前に、ひとつのイキモノなんだって、わかったの。それで……」

「もう、喋らないでアス――」


 アストラエアが、最後の力を振り絞ってロスヴァイセにくちづけた時。ロスヴァイセは、ただ黙って瞳を閉じるだけだった。やがて、アストラエアの意識が途切れ、死がふたりを分かつまで――ふたりはずっとそうしていた。

 (第14話、終)

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