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第2話 合 戦 (ⅲ)

「さあ、行こう! わたし達の番だ!」


 アストラエアは、狼狽(ろうばい)だった。

 

「見てなさいよ、目にもの見せてやるんだから。エア、特等兵団(カリウス)としての初陣だね。ずっと、わたしといなよ」


 その言葉を聴いて、アストラエアの心が、わずかではあるが楽になった。先輩らを乗せて出陣し、帰ってきたばかりの戦鳥獣(アルヴィオン)を率いて、同じく敵本陣へと攻勢をかける予定であった。

 そのための敵軍の引き付けは、すでに総大将たるシグルドが行っていた。魔柱(デモヌ)というのは軍制なるものが未発達のため、細かい階級制度はなかった。いざ戦争になると、最低限の規則の元で各位が思い思いに戦闘へと参加するのだった。だから、陽動なども比較的容易に行うことができる。

 先ほどから、いや、開戦前の戦場を眺めていた時から不安でいっぱいだった。戦の始まりから今まで、およそ一進一退といったところ。シグルド直属の軍が押してはいたが、それが他の戦列と交代したのが、たったの今。接近戦になると、敵の獣性と体躯に押されざるを得ない自軍を見ていると、心が痛んだ。それは、自分が戦えないことへの苛立ちでもある。

 数ヵ月前までは、自分のあの中にいた。たったの10名にも満たない兵数ではあるが、十使隊(コントゥベルニウム)を率いて、戦場を突き進んでいた。彼女は、かつての自隊の姿を認めた。副長だったステファが、抜けた自分の代わりを務めていた。まだ指揮には慣れていない様子だったが、その果敢な戦姿は今後に期待を寄せられるものだった。


「エア、早く!」

「う、うん。ごめん……」


 ふたりが戦鳥獣(アルヴィオン)へと跨ると、斜め上方向へと、あっという間に飛び立ってしまう。手綱を離したなら、そこで終わりだった。凄まじい空気抵抗を感じつつアストラエアは、ロスヴァイセの方を見た。さすが、この鳥獣の操作には手馴れたものがある。


「撃ち落とせええええっ、これ以上は行かせるな、大将にぶち殺されるぞっ!!」


 そう言って、真下に米粒のように蠢く魔柱(デモヌ)は、なりふり構わず魔術を放ってくる。水、炎、大気と、様々な自然現象を操る彼らであったが、戦鳥獣(アルヴィオン)の速度を前に命中など期待できない。

 まだ、敵本陣には距離がある。アストラエアには狙いがあった。これらの敵を、自軍の展開のために粉砕しようと思っていた。敵影に近づいていくにつれて魔術はどんどん雑になり、もはや魔力(アニマ)を適当に形相(エイドス)に流し込んで顕現(けんげん)させるだけの、ただの魔力の吐露へと成り下がっていた。

 この鳥に跨ったあたりから、アストラエアの面差しが、少しずつ――少しずつ、変化を刻んでいた。敵人らを、睨み付ける。


「……死ね」


 すっかりと精神が高揚したなら、彼女は戦のための存在と成ってしまう。

 彼女を乗せた戦鳥獣(アルヴィオン)は、急降下していく。その距離が十分に迫ったところで、鳥獣の首毛を掴んで囁くのだった。


「……ストラトムト・イグニス」


 使役するのが戦用の鳥獣であるからには、その扱いが肝心であった。日々、地道に訓練された戦鳥獣(アルヴィオン)は言葉についての最低限の理解がある。

 その喉の下が膨れたかと思うと、嗚咽するような低音を響かせていく喉笛。そうして、思いっ切り首元を振ったかと思うと――紅い熱閃が、雑多な種族から成る敵陣を薙ぎ散らすべく降り注いだ。耳をつんざくような地裂音とともに、魔柱(デモヌ)らは紅き燎原の灰となって無残な姿で散りゆく――レイヤープロミネンス、発動。

 一部の魔獣は、魔術を扱うことができる。戦鳥獣(アルヴィオン)が吐き出したのは肺に溜まった空気の塊であるが、心中においては層状に連なる炎熱をイメージしているのだろう、その魔術は雑兵を蹴散らす、いや殺戮するに有り余る威力であった。


「エア、何してるの! 早く、副官たちを援護するの!」

「……分かった!」


 アストラエアが、右足で巨鳥の横っ腹を軽く蹴ると、それはあっという間に高度を上げて、敵軍の最奥領空を侵犯してしまった。ぐるぐると、敵本営の目印たる大テントを舞っている戦鳥獣(アルヴィオン)


「行くぞヴァイセッ!!」

「エア。指示もしてないのに……やっぱりあんたって」


 アストラエアとロスヴァイセは、同時に軍鳥から飛び降りた。それを合図に、空中から飛び去っていく戦鳥獣(アルヴィオン)

 彼女たちは、滑空していた。定義的には繊細な問題ではあるが、確かに空を飛んでいるのだった。自分たちの祖先のように自由に空を飛べたら、と――いかなる神使であっても、青春期においては、そんな夢想を思い描くという。

 神使の背中には、羽が生えている。大いなる翼、などという語彙では表現するのが(はばか)られるほどに退化した羽ではあるが、空中を滑空することなら出来た。非常に敏感な器官であるため、敵からの攻撃を受けないよう、普段は軍服の中に仕舞ってある。

 羽、といっても様々な個性があるのだが、それは美醜にかかわらず衆目には見せないというのが、神使において熟化された慣習であった。

 アストラエアが教会(エクリシア)からダイブしたことについて、ロスヴァイセは回想していた。あのとき、彼女はアストラエアに感嘆を覚えたが、それは女の神使にとっての、衆目において羽を見せるという行いが――戦場での使用を除けば、自身の裸を曝け出すに準ずる行為だったからである。


「エア、交戦準備!」

「おうッ!!」


 ロスヴァイセは、彼女の豹変ぶりに青春時代真っ盛りの頃に切れてしまった縁を想うのだった。自分が特等兵団(カリウス)に選抜されてから、いや、それよりも前から、幼馴染である彼女とは口を利いていなかった。もちろん嫌いだったわけではないが、軍団(レギオン)という環境がそうさせてしまったのだろうか。

 真上から見ると、そのテントは円周状のようだった。薄汚れた帆布に覆われている。内部へと侵入するまでもなく、僅かばかりの疾走では片道分にもならないことが分かる。その入口の辺りには、雑兵らの死体が転がっていた。フレイ、ユミル、ヴァルドルが殺ったのは確実だった。

 そして、その時には持ち場を離れていたであろう――二足歩行の巨獣が、ふたりを地上から迎え撃つ。その獣は、徐々にこちらへと落下してくるロスヴァイセに、的を絞った。それを察した彼女は、グラディウスを両手(もろて)に構えると、その敵を目掛けて翼を畳み込んだ。


「ぬるいっ!」

「グオオオオオッ!!」


 振りかぶった右腕の腱を切られたのだろうか、その魔柱(デモヌ)は大声を上げて、だが、さらに左腕による攻撃を試みるも――その直前、真後ろに着地したアストラエアによる投槍(ピラー)の餌食となった。その勢いたるや、敵の懐に潜り込むところだったロスヴァイセに、貫いた槍が危うく命中しそうになったほどである。


「やるじゃない。でも無駄打ちには気を付けて。その投槍、高いんだから」

「残り、4本」


 矢筒の中の本数を数えるまでもなく、常に持ち歩ける数は軍の規則で決まっているのだった。操気魔術の力を込められた魔術道具(マギアツール)たるそれは、しかるに相応の軍備に違いなかった。

 ロスヴァイセは、テントに耳を当てている。中の様子を探っているようだった。この中には、間違いなくフレイたちがいる。だが不思議なことに、膠着でもしているのだろうか、内部から漏れてくる音はなかった。


「……エア」

「……ああ」


 アストラエアは、長槍(ピルム)を構えると――並みの軍団兵(ミリテム)には目にも止まらぬ速度によって、左右斜めにテントの帆布を切り裂いた。即座にロスヴァイセが入り込んだが、内部は明るくなかった。外敵向けのちゃちな罠のつもりだろうか。だが、奥には松明(たいまつ)らしきものも映っていたため、目が慣れるのも()ぐかと思われた。

 アストラエアを招き入れるロスヴァイセ。ぼんやりとだが、周りの景色が見えてくる。そこまで変わった構造ではない、いやむしろ普通のテントだった。ただ、凄まじく大きいだけの。


「……エア!」

「……ああ、聞こえてくる。なにか」


 誰かの、断続的な声が届いてくる。怒気を孕んでいるようで、それでいて甘ったるさを伴うような。不思議な調べだった。テント内部の作りが、そうした響きを作り出しているのだろうか。

 ふたりは、一気に走り出した。その声がする方へと。


「うあっ!」

「エア!? どうしたの」

「いや、(つまず)いただけだ。これ……」


 アストラエアは、言葉を失った。というのも、すぐに分かったからである。たった今、踏んづけたのは――ヴァルドルの、食い千切られたような形状の上半身であった。


「え……そんな、ちょっと……?」


 狼狽(ろうばい)を隠し切れぬ様子で、ロスヴァイセは目を凝らす。

 ……彼女らが薄暗闇の中に垣間見たのは、2匹の動物であった。彼女らよりもひと回りは大きい動物の雌が、それよりもさらに大きな動物の雄――両者ともに、二足歩行なのだが――に対し、正面から密着するように抱きかかえられている。ここにいる神使たちの目には、汗の匂いすら伝わってきそうなほど肉々しい雌の背中が映っている。

 小刻みながらも相応の激しさでもって、動物たちは揺れ動いていた。


「あ゛あーー、あ゛、あああぁッ!」


 苦しみと快楽とが混ざり合ったようなその声の正体は――本当は、ずっと分かっていた。ロスヴァイセには分かっていた。金色の短髪を闇へと燃やす動物の正体を、認めたくはなかった。


「フレイ、副官……?」


 その言葉を聴いて、アストラエアは絶句する。

 ここで、律動は止んだ。いまロスヴァイセが口を開いた刹那であった。


「もう来たのか……いい退屈しのぎだった」


 それは、まさに雄だった。それも、かなりの背丈である。ロスヴァイセに向かって斜めに向き直ると、密着しているフレイに向かって舌を突き出した。さっきまで、彼女らに魔柱(デモヌ)の雌だと思われていた、その女は――僅かに顔を揺らして、その舌に食いつくのだった。

 その先端を、なぞるように舐め上げていく。何度も何度も、舌で舌を愛撫した。


「ふ、フレイさま、フレ……な、な、なにをっ!」


 アストラエアは、狼狽だった。

 異常な光景であった。勘の鋭い彼女には分かっていた。その匂いにおいて、理解していた。その雄もフレイも、ずっと前から彼女らに気が付いていた。にもかかわらず、フレイの行動は隷従(れいじゅう)であった。


「あ、あは、はあぁ、あ、あ、あぁ……」


 ロスヴァイセは、怒気と悲嘆とを孕んだ面付きで、


「なにをしているのですか、副官ッ」


 フレイは、ようやくこちらを振り向いた。男の顔が離れ、必然たる液体が――だらりと、2匹の肉体をじわり汚すように垂れていく。


「だ、だって、こうしないと、こうしないとぉ……ダメだって、いうからあ……あ、あたしはぁ……」

「どうするのだ、雌の神使(アンゼルス)


 雄は、雌の背中に生える焦げ茶色の羽を片方の手でいじくった。さらなる甘い叫びを漏らす雌。

 そうして雌は、再び男に向き直ると、今度は唇へと狙いをつけて口吸いを行おうとする。わざとらしく回避する雄に、まどろむような表情を浮かべつつ、その雄の情欲を刺激するべく口吻を突き出そうとする。だが、それを必死でやめようとする理性もまた、そこからは感じ取れた。


「そんな、フレイ副官。どうして……?」

「今度はなかなか……面白そうなのが来た。この3匹の神使(アンゼルス)よりも、ずっと面白い匂いだ。おい、もういいぞ」


 唇を噛み締めながら、目の前の雄、いや魔柱(デモヌ)を睨み付けるフレイの姿があった。が、視線には迷いの色も見える。また再び、愛欲の視線を送るようになるのも時間の問題であった。

 ここで、魔柱(デモヌ)の雄は――手のひらをフレイの首元へとあてがう。


「あ、はあぁ、ぁ……ぎゅううぐぅっ!!」

「お前たちの相手をしてやる。いや、相手をする」


 その雄が、フレイの頚動脈のあたりを掴んだなら――ぐでりとしたヒキガエルが潰れるような音声が、フレイの最後の言葉となった。

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