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第14話 決 着 (ⅰ)

 ノウス平原は、火の手に覆われていた。

 圧倒的な兵力によって魔柱(デモヌ)の軍が攻勢に出てから、すでにひと月以上が経過している。

 一糸乱れぬ防御陣を取る神使の軍勢だったが、強烈な魔術を叩き込まれたり、自軍の屍体の群れが大挙して押し寄せたなら隊列が崩れてしまい――以前とは比較にならぬほどの精力に満ち満ちた魔柱(デモヌ)らの餌食となった。


「はああああっ!!」

「ヴァイセ、気をつけろっ!!」


 かつての仲間たちの屍体を無念の想いで切り裂いていたロスヴァイセだったが、側面に隠れていた魔術師(マグム)による操気魔術が襲いつつあった――これを、トールの魔術により追い風へと変換することで一掃に成功したところだった。

 この合戦は、半日にも及んでいた。特等兵団(カリウス)たるふたりでも疲労困憊に近い感がある。


「この辺りもかなり多い!」

「……逃げましょう、トール。ここもそろそろ……」

「なにを言ってるんだヴァイセ、確かに僕たち特等兵団(カリウス)は自律的に動いてもいい。けど他の軍団兵(ミリテム)だって戦ってるんだぞ!」

「そうだけど……」

「……心配はいらない。こっちだ!」

「どうするの? どうやって生き残るの!」

特等兵団(カリウス)は、特等兵団(カリウス)同士。固まって戦う。こっちだ、こっちの方角にはヘイムがいるはず」

「そうね」


 イーオン教国の歴史において、魔柱(デモヌ)との本格的な合戦というのは年に数回あるかないかだった。だが、今では数週間にも渡って本気のぶつかり合いが続いている。

 イーオン教国の軍団兵(ミリテム)には身体を休める暇などなく――ただ、ひたすら戦いにおもむくだけだった。

 損耗は激しかった。すでに全兵力の1割が死に絶え、さらにもう2割は負傷していた。死亡した兵士らは、屍体として再利用されることを防ぐため、その日のうちに火葬された。土葬が一般的であったイーオン教国にとって、慣れない作業は肉体疲労を大きくしたし、精神上の痛みの方がずっと大きかった。


「こっちだ、ヴァイセ! いいか、今日と明日が僕たちにとっての分水嶺なんだからな!」

「……うん、生き残ろうトール。アストラエアのためにも」

「……」


 この難局において、シグルドが下した判断は最終決戦だった。

 投入可能兵力は1万を割っている。このままだと持久戦でもって押し切られ、王都に侵入されるのは時間の問題だった。

 トールは、数週間前の軍略会議でのシグルドの発言を思い返していた。シグルドは、魔柱(デモヌ)が活気を増しつつある原因は食料事情の不安が解消されたことだと宣言していた。末端の国民にもまともな食料が行き渡ったなら、次いで宿敵たるイーオン教国にも攻め入ることで、さらなる国家の安定を図ろうとするだろうという戦略目的を推察していた。

 もっとも、魔柱(デモヌ)には厳密な意味での国家は存在しないのだが。

 次の戦場へと走り続けるふたり。トールのすぐ後ろに付いて、どんなに息が上がろうと離れぬように心掛けるロスヴァイセ。息は切れそうだったが、それでも――いま話しておきたいことがあった。


「ねえ、アストラエアのことだけど……幻魔、幻魔の話!」

「……後にしろ。ロスヴァイセ」

「……うん」


 ロスヴァイセは、不安に心が押し潰されそうだった。

 一昨日、特等兵団(カリウス)の出陣前の会合で聞いてしまったのだ。幻魔が出たという報告を。その幻魔というのが、魔柱(デモヌ)に伝わる伝承の生物であることをロスヴァイセは昨日のうちに知ったが、トールは昔に読んだ書籍に載っていたのを思い出していた。

 報告によれば、禍々しいほどの気迫を保ちつつどんな攻撃にも耐えてみせ、狂おしいほどに殺戮を求める。首尾よく優位に立つことが出来たとしても――その者が愛情を発する対象である者に化け、心を乱しにくるという。そして、その容姿は――


「……ロスヴァイセ。そいつと戦って生き残った者が少なすぎる。待ってみるんだ、もっと、もっと。たとえ……それが、アストラエアにそっくりだったとしも」

「……うん、わかったわトール」

「もうすぐだ、あの山べりの水場!!」


 ノウス草原の端には、山脈へと至る急斜面の入口がある。ここは神使にとっての貴重な水場であるとともに、王都へと抜ける山道(さんどう)のひとつであった。ヘイムヴィーゲが護衛する軍が守る箇所である。

 そこは、戦場とは思えないほど静かな環境だった。煙に覆われてはいたものの、中からは声のひとつもない。トールとロスヴァイセのふたりは、淡々と歩みを進めていった。

 本来であれば、もっと早めにトールが、いやロスヴァイセだって気を回したに違いない。

 ここは、すでに落ちている(・ ・ ・ ・ ・)と。


「……近づきすぎたかもしれない。ごめんよ、ロスヴァイセ」

「いいの。どこまでも戦いましょう」

「ハアッ!!」


 トールが魔杖アルリドフィリをかざしたなら、天空より大粒の水滴を伴った豪雨が降り注ぐ。これは誘水の魔術で作り出した水分ではなく、この水場にあった水分を、変位という種のすでに失われた魔術によって空へと転じた結果であった。

 トール自身ではなく――トールの意思によって、魔器(アルス・マグナ)が発動した魔術であった。神使という、かつてはフィーニス全土において栄華を誇っていた種族において、かつての古代魔術を扱える者は数えるほどしか存在しなくなっている。

 大量の水分が降り注いだことで、あれだけ周囲の視界を隠していた黒煙もほとんど晴れてしまった。そうして、完全に晴れ切るかどうかというところ――

 ここは確かに戦場だった。数多くの軍団兵(ミリテム)の死体がそこかしこに転がっている。あんなに美しかった水場だったが、今ではすっかり惨状と化していた。だが、不思議だった。魔柱(デモヌ)の死体は1匹たりとも存在していないから。


「お前かッ!!」


 ロスヴァイセを庇うように、トールが前に進み出る。

 2本の足で立つところを見るに獣型の魔柱(デモヌ)ではなかった。ただ立ち尽くしているだけでないことをロスヴァイセは察する。


「食べてる。なにか食べてるわ……」

「戦闘開始ッ!!」


 ふたりが其処へと突撃をかける。まだ少し視界が悪いようだったが、敵の姿が(あらわ)になってくると――


「ヘイム……ヘイムヴィーゲッ!!」


 その魔柱(デモヌ)の足元には――血だるまになったヘイムヴィーゲが転がっている。ぐったりと、その腹を上に向けながら悲愴な顔立ちだった。真っ赤に染まった首元がその死因かと思われる。

 溢れ出した涙など気にも留めず、ロスヴァイセは――


「きっさまああああぁああっ!!!」


 その場から、動けなくなった。

 

「な……!?」


 トールとて同じだった。もう少しという地点まで迫ったことで、分かってしまった。

 魔柱(デモヌ)なにか(・ ・ ・)を食しているのは分かっていた。だが、その正体に感づいた途端に、ロスヴァイセが魔柱(デモヌ)の下へと横たわるヘイムヴィーゲを眺めたなら、


「――!」 


 それ以上、言葉を継げなかった。ヘイムヴィーゲの下腹部が(えぐ)り取られていたから。


「なにを食べてるんだっ!? お前、お前……どうしてっ!!」

「やっぱりか。信じたくは……なかったよ……」


 赤児だった。

 ぼりぼりという音を立てながら、赤児の耳のあたりにかぶりついて――真っ赤に染まった繊維のようなものを口でもって引きずり出し、咀嚼(そしゃく)している最中だった。

 子宮から引きずり出された赤児は血に塗れていたろう。その、魔柱(デモヌ)である――アストラエアは、呆然とした面差しでもって児を食べ続けている。


「んあぁ……。赤ちゃんのお耳、軟らかくておいひい。おいひいよぉ……」

「ロスヴァイセ。諦めるんだ、いいね」

「……」


 ロスヴァイセは、慟哭(どうこく)だった。

 なぜ、どうしてこんな運命なんだろう。自分という存在が、まるで――どんなものに生まれ変わったとしてこんな運命が待ち受けているのだと、きっとそう思えてしまうほどの慟哭がロスヴァイセの胸を刺し貫いている。


「下がってろ。今の君には無理だ。逃げろ」

「絶対に、いやっ!!」

「じゃあ、僕ひとりにやらせろ」

「……」

「いいな、ロスヴァイセ」

「……はい」


 アストラエアは、おもむろに赤児を放り捨てた。水べりの岩へとぶつかった赤児だったものは、鈍い音とともに戦場の血で染まった河へと流され――沈んでいった。


「いくぞっ!」

「……こい。お前たちの死体にも興味がある」


 間髪入れずに魔杖アルリドフィリを掲げたなら、剣、槍、矢など、ありとあらゆる武器がアストラエアへと突き降りてくる。それらをろくに見もせずに、かわし切ってみせるアストラエアという存在が、すでにただの生物でないことをふたりは知る。


「はあぁっ!!」

「そんなの、きかない……!」


 トールは、槌型の魔杖を振りかざすとアストラエアへと狙いをつける。彼女は、それを受け止めるようにして――以前とは比べ物にならないほどの禍々しい形状の槍でもって、トールの懐へと――


「……かかったな」


 魔術道具(マギアツール)の作製者として、最高に注力した成果物だった。自分が加えた力と同等の威力でもってアストラエアは吹き飛んでいく。


「だめ、ヘイムヴィーゲのところに飛んでいっちゃう!」

「畜生、ニジェルアルクスかっ!!」


 アストラエアが吹き飛ばされたのは、確かにヘイムヴィーゲの亡骸付近だった。だが――


「おかしい、槍はどこ……? まさか、彼女は天魔槍を装備してない……!?」


 ロスヴァイセの勘は、即座に答えを導き出す。

『ヘイムヴィーゲは、仲間たちに対して妊娠しているという事実を告げていなかった。なのに参加しているんだ、戦争には……。そうだ、天魔槍ニジェルアルクスは重力を扱う魔器(アルス・マグナ)なんだった。あんなに段違いな空中挙動をすることになるなら……』

 ロスヴァイセは、未だに合点がいっていない様子のトールに対し、


「詳しくは後で説明するわ! まずは……」

「……分かってる」


 立ち上がって、また槍を構えるアストラエアだった。トールを見据えたなら、構わず突進をかける。


「しね、しね、しね……!!」


 『まずいな、もう戦闘用の魔術道具(マギアツール)はないぞ』とばかり渋い顔を浮かべつつ、連続的な槍撃を受け止めていくトール。振りかぶって放たれた一撃はこれまでよりもずっと強烈だった。その杖が持っていかれそうになるも――


「ここだっ!」

「あぐうぅっ!!」


 魔杖アルリドフィリにおいて扱われる古代魔術の系統――揺動と変位というふたつのうち、揺動の力。

 物体に働きかけている力の向きを変化させることで、それを自在の方向へと写し取ってしまう。いま、真正面からアストラエアの力を打ち返したことで、その身体は激しい回転とともに岩場へと叩きつけられる格好となった。

 しかしながら、何事もなかったように立ち上がってしまう。


「……効かないよ、そんなの」


 トールには、彼女を亡き者にする覚悟があった。これはもう、アストラエアではなかったから。もし、自分たちと居た頃の彼女が、こんな未来を予見できたなら――自分を殺すように願っただろう、と彼には確信できた。


「アストラエア、いま楽にしてやるっ!」

「……幻魔」

「あぶないっ!!」


 アストラエアは、超速だった。

 トールにも到底見切れぬほどの速度でもって、彼の喉が抉られようとした時――ロスヴァイセだけは、アストラエアの反応速度に匹敵するだけの認識を有していた。

 青白く光る刃、熾星剣(しせいけん)リエラムによる一閃。その刀身から放たれる炎気が、刃の形をまといながら瞬きほどの初速でもってアストラエアの身体を遠距離から切り刻む――ブルーブレイカー、発動。


「ああああ、身体が、わたしの身体があぁっ……!」


 その身体が青の炎に包まれていた。のたうちまわって消そうとするが、たとえ水場に突っ込んだとして消えるものではない。


「ああああ、あつい、あづいぃ、あついよおおぉっ!!」

「エア! 今度こそ、僕が……楽にしてやるからなっ!!」


 トールは、そのまま――疾走っていく。

 魔杖を構え、一撃でアストラエアの脳天を砕く。戦闘衣(アーラ)で身を守られていたから、無防備なのは頭くらいしかない。


「逝け、アストラエア……!」


 その距離は、あまりに間近だった。振り下ろされる魔杖。


「トール、助けてっ!」


 在りし日のアストラエアの叫びは、彼の手元を僅かばかり狂わせた。魔杖アルリドフィリによる一撃は、確かにアストラエアの右肩を破壊した。だが、魔器(アルス・マグナ)を介して接触したがゆえに――


「がああああっ……、あ、アストラエア……君……は……」

「トール、ああ、トール……トールぅ……!!」


 アストラエアは、幻魔だった。

 その肉体からは、禍々しい形状の(ワイヤー)が幾本も突き出している。それらのすべてがトールを差し貫いていた。心臓の位置すらも。


「う、が、あああっ」


 全身全霊でもって、魔杖の力を発動させるトール。彼の身体を刺し貫く1本の棒へと意識を集中させる。すると、その棒のひとつの位相は不自然に消滅する形で、アストラエアの真上へと出現する。


「ぶふ……ぼぁっ……」

「どうだ、死に損ないの攻撃は……ついでに、これで……ダメ押しだっ!!」


 アストラエアの首筋を貫いている棒が、そのまま真円を描くように――

 

「……!」


 ロスヴァイセの視点が捉えたのは、アストラエアの首筋へと突き刺さった棒がグルリと回転したなら、その首が落ちたというものだった。

 実際には、アストラエアの首は皮一枚で繋がっていたのだが、もはやそれは切り離されていると解釈してよい。


「……ぐちゅりっ」

「そんな、エア……君は……」


 自分の首を自分で抱えたなら、そのまま元の位置へと戻した。平然とした表情でトールを睨んでいる。


「……気は済んだか? 神使(アンゼルス)


 青の炎などとっくに燃え尽きている。そんなこといつだって出来たのだ。ただ、それをしなかったというだけで。アストラエアは、すでに神使ですらなかった。


「……」


 ロスヴァイセは、動けなかった。

 ここで死ぬぐらいの覚悟は出来ていた。だが、トールを失った悲しみと――その命を奪ったアストラエアへの憎しみが――


「アストラエアえあああああああああっ!!」


 ロスヴァイセは、激昂(げっこう)だった。

 走り寄ってくるロスヴァイセに対し、アストラエアが取った行動は――トールの身体を投げ捨てることだった。それは、一直線に走ってくる彼女へとまともにぶつかる結果となった。


「あぐぅっ!」

「……」


 アストラエアは、ただ静かに歩いていた。こちらを目指して。ロスヴァイセの心には、ただひたすらに“死”という言葉があった。


「ロス……ヴァイセ……」

「……なに? トール」


 死を目前にして、その声は優しかった。


「生きろ」


 ロスヴァイセの指には、すでに指輪があったのだが、さらにもうひとつ足されることになった。トールが、自分の懐から指輪をひとつ取り出して、彼女へと渡したから。

 また一方で、トールは自分が着けていた魔術道具(マギアツール)としての指輪を空へと放り投げると――ピイィ、という鳥がさえずるような高音が、この一帯を満たしていく。


「これで、特等兵団(カリウス)に待機している兵たちが戦鳥獣(アルヴィオン)に乗ってくる。余裕があればの話だけど」


 もう、すでにアストラエアが間近へと迫っている。


「君に……今渡したゆび……わ……アストラエアに……ごぼっ……」


 それが、トール=カェルレウスの最後の言葉だった。


「アストラエア。わたし、あなたを……」


 アストラエアは立ち止まった。


「わたし、あなたを……?」


 本来とは表情が違うものになってしまったアストラエアを見据えながら、ロスヴァイセは続ける。


「あなたを……憎めない……!」


 そう告げると、頬に伝う涙をアストラエアへと向けながら、


「刺し違えてもらうわ」

「……あなたにできるの? ヴァイセ」

「よく見てなさい」


 アストラエアは、創痍(そうい)だった。

 トールやロスヴァイセ、ヘイムヴィーゲとの戦いで負った傷だけではない。これまでに蓄積されたダメージは、確実に彼女を蝕んでいる。ロスヴァイセには、アストラエアの傷が分かるのだった。というのも、小さい頃からずっと、軍団兵(ミリテム)になってからも、ずっとアストラエアを見続けてきたから。

 事実として、内蔵の一部から喉元へと逆流する血液が止まらず、口から溢れ出し続けている。


「でも、ヴァイセを殺す、くらい……なら……」

「エア、あなた……」


 アストラエアは、流涙(りゅうるい)だった。


「どう、して……」

「……」


 こうして、時間が流れた。それほどにまでに長い時間ではなかったろうが、戦場にとってはあまりに長い時間だった。


「だいじょうぶかっ!?」


 特等兵団(カリウス)の援軍が、4騎。戦鳥獣(アルヴィオン)(またが)って、こちらへと。

 アストラエアは、真後ろを振り向いて純白の翼を拡げる。これまでとは比較にならぬほど力強い飛翔だった。そのまま、飛び立ったなら――戦鳥獣(アルヴィオン)にも劣らぬほどのスピードでもって、山岳へと消えていった。


~ ✩ ★ ✩ ★ ✩ ~


 その日の夜、ロスヴァイセは火場へと腰掛け、揺らめく炎を眺めていた。

 まさか、アストラエアとあんなかたちで再会するなど思ってもみなかった。心がぐちゃぐちゃになりそうでも、彼女は答えを見出さねばならなかった。明日も戦場だった。悩んでいる時間はない。

 それでも――「憎めない……!」という自分の言葉だけが頭の中を反復(リフレイン)する。なぜ、どうして憎めないのだろう。アストラエアに責任がないから? それとも、まさか自分はトールを……。


「どうしたロスヴァイセ。もう寝ろ、夜警番もいるんだから」

「……シグルド隊長」

「分かっているよ。ロスヴァイセ」

「ぐすっ……はい」

「おいおい、アストラエアじゃないんだから。そんなに泣き虫だったか?」

「……」

「トールのことは残念だったな」

「はい」


 ロスヴァイセは、左手に()めている指輪のうちのひとつを見た。それは、あの日にトールから貰った指輪。結婚しようと言ってくれた。清き交際を始めてから1年が経っている。

 伴侶として、自分が認められたことが嬉しかった。だが、なにか心に引っかかるものがあった。彼女自身、分かってはいたが気付かない振りをしていた。


「俺もな、今日家族が死んだ」

「えっ、そうなんですか」

「ああ……私なんかには勿体ないほどの女だった。まったく、毎回そうなんだよなあ」

「えっ?」

「まあいい……ところで明日はどうする? 特等兵団(カリウス)としてじゃあなく、私はロスヴァイセが死ぬのは御免だからな……休んでもいい。真剣に考えて選ぶんだ」

「……休みません」

「そうか。じゃあ君は待機兵とする。そんな状態で第一線なんて死にに行くようなものだ」

「……ありがとうございます」


 ひとりの夜が過ぎていく。

 寝床へと包まると、優しく髪の毛を撫でてくれたトールのことを思い出す。もう、あんなに愛されることはないんだという理解を得て――ロスヴァイセは泣いた。

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