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第2話 合 戦 (ⅱ)

 ノウス平原は、(なだ)らかな低地と、小高くせり上がった丘陵とで成り立っていた。南北に並行する形で山脈が走っており、敵軍が来襲するとしたら、この大いなる面積の平原から侵入するしかなかった。山岳地帯を超えて侵入しようとする者たちもあったが、強力なる獣魔からの蹂躙を受けるだけだった。特に人間など。

 市街地より数時間ほど進軍して、軍団(レギオン)は周囲よりもやや微高地気味になっている地帯へと陣を構えていた。魔柱(デモヌ)の軍勢は、敵兵の大まかな種類を特定できるほどの距離にある。にらみ合いの状態であったが、敵勢の方からは金切り声がしきりに響いてくる。イーオン教国の軍勢は、こちらに対する悪意を叫ばれて怒るどころか、むしろ大笑いしていた。というのも、敵勢を挑発しているのが完全にこちら側だったから。

 シグルドの策だった。これ見よがしに斥候を放つなり、お遊びの矢を打ち掛けるなり、とにかく挑発行動を取るよう指示を受けている。微高地の先端部分に張り付くようにして敵軍を(いぶ)しかける兵らを、アストラエア達は眺めていた。そこは、彼らの位置から南西の方角に離れた場所であり――今回の戦のなかで最も安全な地帯だった。選ばれし集団たる特等兵団(カリウス)ならば当然、という意識もまだない彼女にとっては、この場所というのは未だに恐縮せざるを得ない空間であった。

 アストラエアは、両軍を見渡す。イーオンの軍は、槍兵、剣兵、術兵、騎兵と、役割ごとに整然たる形状の軍列を形作っているのだが――その一方で、魔柱(デモヌ)の軍というのは、軍隊と言えるかも怪しいような、そんなぞんざい極まりない軍列だった。

 神使から見て、彼らが憎悪の対象になっているのは過去の行いからだが、侮蔑の対象となっている理由は、その知能の低さにある。とはいえ、神使よりも数段、魔術に優れているのは違いなかった。遠隔操作や空間移動といった、神使たちが未だに有していない術系統ですら、彼らは数百年前に開発を完了している。

 朱、碧、黄土色と、様々な色に揺らめくその軍勢を、アストラエアは眺めているのだった。そしてふと、隣へと声を掛ける。


「ねえ、ヴァイセ。わたし、こっち側って初めてなんだけど。特等兵団(カリウス)って、戦場ではどんな役割なの?」


 ずっと彼女の隣にいたロスヴァイセという細身の女は、緊張を前に強ばったような表情を浮かべつつ、口を開く。


「知らないの? エアって、もう7年目でしょ」

「7年目だけど、わたしはずっと一介の軍団兵(ミリテム)だったんだから。忙しくって、こっちの方なんて見てる暇もなかったし。ねえ、噂には聞くけど……本当に単騎駆けとかやったりするの?」

「するわけないでしょ。あっという間に袋叩きになるわ。でも、そこまで嘘ってわけでもない。数名単位で行動するのよ。戦鳥獣(アルヴィオン)やマンティコアに跨って、敵将の首を奪いに行くの」

「え、戦鳥獣(アルヴィオン)に乗れるの!?」


 アルヴィオンというのは、巨大な鳥獣だった。ごわごわとした朱色の翼と、その背中に乗ったときの感触について、アストラエアは夢想している。


「言っとくけど、そんなにいいもんじゃ……ちょっと、エア?」

「ん、なに?」


 ロスヴァイセは、アストラエアの頭髪に視線をやると、それをぐいと引き寄せる。


「最後に湯浴みをした日を答えて」

「1週間前にちゃんと浴びたよ!」

「……くさいわ、アストラエア。はっきり言って、くさい! 身体ぐらいちゃんと洗いなさい!」

「だ、だって水を浴びるの嫌なんだもん……」

「毎日湯浴みをするのは周りに対する礼儀だから! ほら、あんたの髪、ちょっとだけどベタついてる!」

「そ、そんなあ……」


 「こら」、という声が聞こえて、ふたりは後ろを振り返る。さらさらとした淡目の金色に染まる髪と、その激烈な面持ちとのギャップに、ふたりの背筋は凍ったようになってしまう。


嚆矢(こうし)は、そろそろだ。お喋りしてんじゃないッ! あっちの挑発にあたってる兵だって、命懸けなんだぞ!!」

「す、すいません……フレイ様」


 アストラエアは、ますます縮こまって謝罪するのだった。そうだ、今は――戦なのだ。


「ほら、もういいから。黙って見てな。あたしの予感じゃ、嚆矢は敵から撃って来る」


 フレイは、整った顔立ちに釣り合いの取れぬ軍団兵(ミリテム)肉体(ボディー)を張り出すようにして、敵陣を見据える。ふたりも、特等兵団(カリウス)の副官たる彼女に続いた。


「じゃあ、さっき聞いたばかりの隊長の指示。第一隊はあたしと、ユミルと、ヴァルドル。すぐに出るからね。アルヴィオンが帰って来たら、次はあなた達ふたり。まったく、戦術を話そうと思ったら居なくなるんだから」

「はい、フレイ様! ありがとうございます!」

「うん、新人は元気がいい! それに引き換え~~」


 アストラエアの真似をしようとしたロスヴァイセだったが、フレイによる羽交い締めの方がずっと早かった。


「もう4年目だろう、ここは。軍歴だと7年目!」

「う、痛い痛い……痛いです、副官~」

「……これ、受け継ぎたいんだろう?」


 アストラエアには聞こえないように、彼女はロスヴァイセの耳元で告げた。言うまでもなく、熾星剣(しせいけん)リエラムのことだった。精鋭集団の中にあって、11名中の4名までしか所持を許されていない、イーオン教国――いや、このフィーニスという世界に伝わる魔器(アルス・マグナ)だった。


「受け継……げるようになりたいです」


 そんなふたりの空気を垣間見て、微笑ましい気分になるアストラエアだったが――


「全軍、構えッ!!」


 本当に、同じ生き物かというほど高らかに、かつ響く声――特等兵団(カリウス)の隊長としてではなく、軍団(レギオン)総督(デュクス)として、自陣の最奥より発した命令であった。

 アストラエアは敵陣を見遣った。するとその果ての上空に、たったひとつの、しかしながら――何十件もの家屋を積み上げても足りないほどの大きさの火球が、ゆらゆらと膨張を続けている。それは、加速度的に最前衛の居る方へと。

 総督からの指示を待つまでもなく、最前列の術兵が操気魔術を放ち、これを押し返そうとしている。だが、火球の勢いは止まりそうにない。


「第一陣、攻撃開始!! 突っ走れ!」


 シグルドよりも、ずっと前列。前衛よりはだいぶ後ろ。千使隊長(プリオル)は、予め受けていた戦術指示のとおり、軍列を前に出していく。

 あまりの勢いたる火球に、当初は臆していた前衛の兵たちだったが、恐怖にすくみかける心を無理やりに鼓舞することに成功したようだった。初めに、最も勇気ある一番槍の数十名が突撃を開始すると、すぐ後ろの軍列も揃って続く。上空より飛来してくる火球の勢いが、だいぶ弱まっていたせいもある。

 術兵による懸命なる送風の結果――ではなく、特等兵団(カリウス)所属の術兵であるヴァルドルによる、相応に高等な操気魔術によってだった。大気散烈(アリエレショーニス)、という呟きが彼から聞こえた。魔術過程の一部において、それをイメージするために術者が用いる自己暗示のひとつである。

 術者はまず、その魔術について想起し、事物の性質情報が並ぶ形相(エイドス)へとリンクする。そして、彼自身流による性質の記述を行い、認識を整えながら戦陣をにらんで、これを現実へと投写したなら――上空を覆っていた火球は、数多もの飛礫(ひれき)となって戦場に降り注ぐのだった。


~ ✩ ★ ✩ ★ ✩ ~


 えんじ色に染まった小鬼の群れが、槍兵とぶつかるという場面だった。正面衝突するかと思われたが、術兵による援護、大気操作によって生み出された槍が、小鬼らを次々と差し貫いていく。と同時に、槍兵の列も投槍(ピラー)をどんどん打っていき、敵はすぐに後退せざるを得なくなった。

 魔柱(デモヌ)の軍事精神には、自己犠牲という文字はなかった。自分の命が危ぶまれれば退散する。それでいて、自分らが大軍で攻め込むときになると、「まさか自分は死なないだろう」とタカをくくって臨むのだった。イーオン教国の軍団兵(ミリテム)にとって、ほとんどの魔柱(デモヌ)は取るに足らぬ雑兵集団に過ぎなかった。

 槍兵に続いて、剣兵が前陣へと抜き出ていく。ほとんど乱れのない歩みとともに、術兵と入れ替わる手際の良さは、1日に何十回と繰り返される地道な鍛錬の成果であった。事実、今日ここにいる軍団兵(ミリテム)の中には、隊列編成の訓練を数千回という単位でこなしている猛者もいる。

 小鬼らの軍勢は、ほうほうの体で逃げ帰っている。もうすぐ次の敵列へと差し掛かるところ。次の軍勢は多少は気概がありそうだ、とある最前兵が呟いたその時だった。数百平米もの草原部分が一気に破裂して、群生する植物類まで一緒になって地面が跳ねた。軍団兵(ミリテム)らは土遁から身を守ったものの、


「あ、あああっ」

「どうした、おい……っこりゃあ……」


 死そのもの群れが、そこにはあった。はっきり言ってしまうと、そのほとんどは神使のものだった。かつて、この戦場に限らず、散っていった軍団兵(ミリテム)の死体を死霊魔術師(ネクロマンサー)が操っているのだった。当然、神使らにこのような魔法技術は存在せず、そういった耐性の薄い兵らは――その餌食となっていく。

 その数も尋常ではなく、少なくとも数百体はある。今現在、攻勢をかけている神使の軍勢の数割にも及んだ。千使隊長(プリオル)が後退命令を出すべきかと、副官と相談を始めたときだった。激烈な突風が吹き荒れ、風下にあった千使隊は停止を余儀なくされる。すると死体の群れが、その風に乗るように猛烈な突進をかけるのだった。

 突風は、やがて風雨へと変わった。それも、神使の側にだけ降り注ぐ、激烈なる雨粒の投射へと。

 軍団兵(ミリテム)の中には、奇声をあげて逃げ回る者もいた。だが、そんな惰弱な兵など、神聖かつ勇猛たる軍団(レギオン)には必要のない存在である。誰かの投げた槍が、その者の身体を鎧の上から貫いた。戦場において、上官の指示なく敵に背中を見せるということは、すなわち勇猛さに対する罪であった。


「ぎゃああああっつ!!」

「あ、熱、クソがっ!!」

百使隊長(ケントゥリア)、早く撤退命令を!」

「無理だ、こっちの独断じゃあできん……」


 死体や死霊の群れの上から、数百はあろうかという火球が飛来してくる。草原は、次第に燃え盛ってゆく。深々とした美しさを(たた)えるノウス平原の一角が、燎原(りょうげん)の火に包まれるのも時間の問題だった。

 さらに、ここぞとばかり魔柱(デモヌ)の軍勢が、こちらへとまっすぐに攻め込んでくる。いっぱしの魔柱(デモヌ)ならば、体力においてはあちらに分がある。魔柱(デモヌ)からは神使(アンゼルス)と蔑称されるところの彼らが勝るものと言えば、知能と同調のみだった。

 このままでは魔柱(デモヌ)どもに屠られてしまうと判断した千使隊長(プリオル)が、他の千使隊と陣形交代する旨を決意した時である、真後ろに控えるシグルドから突撃命令が出た。前方の軍列ではない。お世辞にも数が多いとは言えぬ総督(デュクス)直属軍への指令であった。さらに、その声は魔術による反響で強化されていた。自身のいる空間の声量を高めることで、伝令の速度を増加させている。

 彼は、神使の中でも謎が多い存在とされていた。十年以上前、ふいにイーオン教国に現れた。初めは土方をやっていたかと思えば、いつの間にやら軍団兵(ミリテム)となり、学問や政治の世界にも活躍の手を広げ、あっという間に国家の要職へと就いてしまった。今の音魔術も、イーオン教国においては彼にしか扱えない希少な術だったが、誰もそのことに気を留めなかった。それが、シグルドという存在への信頼の証明であった。

 たちまち、数千の軍団兵(ミリテム)らがシグルドのために道を開けた。魔柱(デモヌ)の軍勢から見えたのは、真横へと不自然に開いていく神使の軍勢と、その中心から矢のように進軍してくるシグルドの清々しい勇姿であった。その数、およそ百騎。

 矢尻のような陣形は、まるで生きているようで――その長大な瞳によって、敵の軍勢を見据えているかのように思われた。


「おらああああ、敵将だ、狙ええええ!!」

「あいつさえ取れば、一生贅沢し放題だあっ!」


 鳥型、獣型、人型と、魔柱(デモヌ)には様々な風貌の者たちがいる。軍という絆で彼らが結ばれている――わけでは決してないが、その突撃には奇妙な一体感があった。截然(せつぜん)と右左に分かたれた軍団(レギオン)も、その様子を感じと取ってはいたが、誰ひとりとして狼狽(うろた)える者はなかった。

 近づいていく、軍と群。


「かわいそうに」


 シグルドの付近にて馬を駆る、ひとりの兵が呟いた。呟いてしまった。魔柱(デモヌ)に、哀れみを覚えてしまったから。これから血だるまとなって喘ぐであろう彼らの哀れな姿を、想ってしまったのだ。

 いよいよ、軍勢と郡勢とが解をもつ瞬間がやってくるとともに、


「……揺蕩(フルクトゥアト)


 シグルドが呟いて、彼の魔器(アルス・マグナ)である風魔剣アル・サンクトゥスが振るわれたなら――魔柱(デモヌ)の群れの先頭に立っている、タテガミを有する魔柱(デモヌ)と、その後ろ数体が血の竜巻となって宙を舞った。その竜巻は、数秒の間に勢力を拡大していき、敵の郡れを掻き分けて大きくなるごとに、悲鳴と怨嗟の声は指数関数的に増大していく。

 

総督(デュクス)、まだどんどん来ます!」


 シグルドの視線の先には、まだ数千の敵兵が迫っている。まだ遠くではあったが。彼らの視点からするに、自分たちの軍が序盤は押されて、途中で死霊戦術によって盛り返し、さらに攻勢をかけ続けているように映っていることだろう。彼らは、どんどん迫っている。

 だからこその手があった。彼が隊長職を努める特等兵団(カリウス)の本領を発揮すべき時だった。神使としても異常な視力でもって、彼は見た。敵本陣の真上で、自分らの鳥獣(アルヴィオン)が熱閃によって敵を薙ぎ払っている様子を。戦は、まだ中盤を迎えたばかりだった。


「戦場では、二手先まで読めておればよい。だが、必ず読めている必要がある」

「はは、シグルド様。そのとおりですな」


 ()は、(かげ)り始めていた。

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