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第8話 拘 束 (ⅲ)

 戦場は、不気味な有様だった。

 小規模な戦闘だとは聞いていたが、まさにその通りだった。そこは丘陵地帯だったが、今回の戦闘範囲はアストラエアが見渡す限りでしかなかった。戦鳥獣(アルヴィオン)に乗って浮遊するだけで、戦場の大半を支配できるほどの。

 だが、不気味だった。というのも、神使の軍が大敗を喫した後だったから。哨戒の最中に敵軍に襲われたのは間違いないが、不自然な点があった。たったいま、追い払ったばかりの小鬼らは確かに魔柱(デモヌ)側の存在なのだが、彼らがよって(たか)って襲撃しようと、それを跳ね返すだけの力を――大敗を喫したはずの軍勢は有していたから。

 なにしろ、およそ千名規模の兵団を率いる上級中隊長の部隊である。小鬼などに制されるはずがない。敵軍が雑魚だけを置き去りにしていった線もあったが、そうした証拠も見当たらない。

 アストラエアも、彼女が護衛を務めることになった百使隊長(ケントゥリア)の構成兵も、不思議に思いながら周りを探索していた。自軍の兵らの屍を見るに、何かで貫かれたような跡が見つかっている。それも、ひとつやふたつではない。何十径とも見える穴々が――身体中に空いていた。

 このような死体は、アストラエアも見たことがなかった。


「僕も初めてですな、こんなに気持ち悪いのは。部下の指揮にも及びます」

「やはりそうですか。わたしにも経験ありません」

特等兵団(カリウス)の方でも?」

「こちらの台詞です、あなたほどの経験ある方が」


 ふたりは、こうして一体一体の死体を眺めていった。若輩の兵ならば気絶しそうなほど見てくれの悪い死体だったが、かといって、死の原因を突き止めるまでは帰れない。


「隊長どの。もしかして、魔柱(デモヌ)の仕業ではないとか? こいつらは、あくまで誤魔化しとしての駒であって」

「アストラエアさん。それは有りうるかもしれない。よもや、人間では……山脈の向こうに住まう連中、あれでもけっこうな王国を築き始めているとか」

「まさか。山脈を越えて侵攻してくるなんて、さすがに例外過ぎます。本国から逃亡してくる連中ならいますが……」

「そうですな。では、そろそろ夕げにしましょうか。いいものが揃ってますぞ、特等兵団(カリウス)殿。いや、別に恩を売るとか、そういった意図ではないのです」


 アストラエアは、少しだけ彼に近寄った。自分の位置が風下であることを悟ると、鼻の中に意識をやる。


「……はい、一緒にいただきましょう」


 アストラエアが匂いから得た勘によると、この隊長には下心がないという判定だった。料理に毒を盛られるとまではいかなくても、軍団(レギオン)には、女性兵にそうした嫌がらせをする輩も相応にいる。


「……」


 そして、その鼻が――捉えたのだった。ここから戦鳥獣(アルヴィオン)に乗り換えて、全力飛行で数十秒の位置である。


「隊長殿。参りましょう、臭うんです」

「分かりました。ぜひ、ご同行します」


 アストラエアは、隊長の馬に乗った。

 戦場においては、あっさりと殺されてしまいそうな小馬だった。もっと大きな馬を生産できるようになれば、魔柱(デモヌ)等との戦闘でも使用できるのだが。

 そんなことを思いつつ、彼女は口笛を吹いた。すると、戦鳥獣(アルヴィオン)が真後ろから付いてくる。ゆらり、ゆらりと羽ばたきながら。アストラエアが乗ってきた巨鳥だったが、これからは護衛である。


「いやあ、すいません。僕の腕では、あの巨鳥はちょっと……」

「気にしないで下さい。どうしても乗れる者が限られてくるんです。さあ、隊長の馬で参りましょう」


 アストラエアは、隊長の真後ろへと座りつつ、ずっと前を見ていた。もうすぐだった、奇妙な臭いを感じた地点は。


「アストラエア殿」

「はい、なんですか?」

「こうしていると、小さい頃の娘を思い出します。こうして、よく馬に乗せてやりました」

「そうなんですか? どんな子です?」

「昔から、背丈が大きいのを気にしてますな。ですが、それ以外はまあ……凡庸な子です」

「可愛らしい感じがしますね、今後見てみたいです」

「買いかぶりですよ。男でひとつで育てたもんだから、どうもガサツで……」

「いえいえ、ぜひ見てみたい♪」


 アストラエアは、隊長の肩に両手を置きながら答えた。


「ステファですよ。うちの娘は。どうも、お世話になっております」

「え……」

「うちの娘を救っていただいて、どうもありがとうございます」

「たまたまです。今だから言えるけど、あの時は見捨てていた公算の方がずっと強い……」

「でも、助けてくれたわけでしょう。感謝しています」

「いえ、こちらも彼女にはよく働いてもらってました。ありがとうございます」

「今度ね、結婚するんです」

「……え?」


 ふたつの意味があった。

 かつての部下である、ステファの結婚。それと――


「敵が来ます」


 見れば、さっきの小鬼に代表される魔柱(デモヌ)の雑兵どもだった。


戦鳥獣(アルヴィオン)!!」

「アエオオオオッ!!」


 一気に、アストラエアの前まで躍り出た巨鳥。その口嘴(こうかく)の先に、曲線状に火焔が集約されていく。戦鳥獣(アルヴィオン)というのは、動物ながらに魔術を使用できるという実戦上の意味でも、輸送能力という補助的な意味においても、軍団(レギオン)には欠かせない軍用獣であった。

 瞬く間に燃え尽き、蹴散らされていく雑兵の群れ。こことは異なる世界、上位次元の性質情報が書き換えられることで出現した火焔は、あっという間に脆く崩れ去った。そんな様子を見ながら、


「隊長どの。気を付けて下さい。敵将があそこにいます」

「分かりました」


 鞘から剣を抜いた隊長。指揮官としての活躍が長いということで、その戦闘能力には疑問をもっていたアストラエアだったが、その鞘から取り出すという作業のみで――彼が、いまだに現役であることを察するのだった。

 これから、敵の将を屠りにいく。


「敵影は……1体のみ!」


 アストラエアは、馬から飛び降りつつ戦鳥獣(アルヴィオン)に乗った。空中から敵の姿を確認するために。

 それは、細身の体型の男で、奇妙な黒い服装を(まと)っていた。少なくとも、イーオン教国の風俗にあのような服装は存在していない。

 彼女が目を凝らしていると、隊長が男へと斬りかかっていく。その男は身軽だった。徒手空拳のままで斬撃を避け続けていく。アストラエアの眼力からしても、生半可な太刀筋ではないのだが。

 何十秒かが過ぎたところで、男が反撃に出た。剣撃を交わした拍子に隊長の真横へと付けると、回転するように蹴りを放った。

 すっかりと草原に転がってしまった隊長が起き上がろうとする瞬間を狙い、異常な素早さでもって追撃をかける男。それが命中しそうな射程まで到達したところで、戦鳥獣(アルヴィオン)が攻撃をカットするように体当たりを決めてみせる。


「……っと」

「させるかあっ!」


 だが、それもかわされてしまう。彼女の動体視力が捉えたところによると、男は身体を翼の真下へと滑り込ませることで体当たりを回避したのだった。


「覚悟ッ!!」


 アストラエアは、ダメ押しとばかりに飛び降りた。ムーンサルトのような空中回転を決めつつ、奇妙なる賊へと槍撃をぶつけていく。


「おお、危ないねっ」


 だが、これも駄目だった。すんでのところで槍の一撃は大気を滑っていく。


「これでどうだっ!!」


 アストラエアは、執念だった。

 槍を捨てつつ、その男へと組み付いていったところで、ようやくその姿を捕えることが出来た。不思議な触感の服だった。ざらりとしているようで、なおかつ繊細な縫製を感じさせる手触りを得たところで――男の姿が、真下へと消えたことを認識する。

 次の瞬間には、彼女の身体は宙を一回転していた。


「んぐっ」


 右腕が極められかけている。アストラエアも体術の心得は十分にあるが、こんな投げは見たことがなかった。仰向けに転がり切ったところで左腕を振り回して、鉄拳を男の方へと。またも素早い動きで回避されるとともに、彼女は立ち上がる。


「畜生……」


 柄にもなく、思い切った恨み言が口から出てきた。それほどに異質な敵であった。

 アストラエアと男は、正対していた。すでに夕陽が山の淵へと沈み掛け、僅かなる残滓としての散光を瞬かせるばかりであったが、それでも姿を見て取ることはできる。

 細身の男だった。その身なりは、見たことがない黒っぽい外套のような上着の下に、真っ白な衣類を着用しているようだった。下の服装についても、そのスラリとした体型を誇張するかのような、漆黒のすべすべとした触感を思わせる繊維を身に纏っていた。やはり、イーオン教国では普及していないタイプの服装である。


「なかなか、やるじゃない」

「黙れ、賊。必ず捕まえて、色々と吐かせてやる」

「ひどいね。そうならないようにするよ、アストラエア。僕にも名前があるんだぜ。エイジアっていう」

「……なぜ、私の名前を知っている」

「まあいいじゃないか」

「隊長どの、下がっていて!」


 アストラエアは、さっき投げ捨てた槍を拾って槍撃を加えていったが、エイジアという、まったく聞いたことのない男にはてんで届くことはなかった。

 一直線に振り下ろされた槍を回避しつつ真横を抜けていくという早業をやってのけた後、緊張感に満ちた顔で振り向くアストラエアに対し、


「やっぱり、可愛いね。特に、そのキュロットスカート。可愛い」

「キュロ……?」


 聞いたことのない響きだった。彼女が履いている戦闘衣(アーラ)のうち、股下から太ももあたりまでを覆う下袴かと思われたが、どうにも分からない。ただ、このエイジアという男が異邦人であるのは間違いなかった。

 アストラエアは、長槍(ピルム)を構えた。が、攻撃はしない。おもむくままに攻撃しても、どうせ(かわ)されるだけなのだから。まっすぐにエイジアという男を見据え、今日のトールとのことを思い出す。

 アストラエアは、先々までの考えが及ばないばかりに戦術的なことが苦手であった。戦闘センスは抜群なのだが。仮に将官として出世することを考えれば、より長期的な視野で闘う能力を身に付けるべきだというのが彼女の考えであった。今日になって、トールから改めてそのことを教えられた。


「……チッチッチ」


 アストラエアは、なにやら合図のような口ずさみを始めると、隊長の方を向いた。その視線の先は、彼が背負う矢筒である。目での合図には限界があったが、今はこうせざるを得ない。何度かの瞬きの後――一直線上に投槍(ピラー)を放った。

 当然のように横っ飛びで回避されるのだが、もう一度投げる。今度は、斜め後ろ方向へと跳んだ。すかさず追撃をかける。真一文字に振り下ろされた槍先は、エイジアを掠めることなく――空を切った。

 そして、さらに――その槍を投げるッ!


「おおっと、危ない!」


 今度は、右方向へと跳んでかわす。特等兵団(カリウス)たるアストラエアからしても、その回避能力は異常であった。


「逃がさん!」


 百使隊長(ケントゥリア)の放った矢が、地面に着くか着かないかのエイジアを目掛けて飛んでいく。それは、音もなく男の懐へと迫っていき、そして――


「もうちょっとだったね」


 アストラエアは、絶句だった。

 エイジアという男は、真っ白い手袋のようなものを付けていたが――打たれた矢を、その手でもって受け止めていた。


「今だああああああああッ!!」

「クエエエエエエッ!!」

「なんだッ!?」


 はるか上空より、戦鳥獣(アルヴィオン)が――それこそ轟音を響かせながら空中下降している。エイジアの斜め後ろの方角から飛んでくる閃光たる一撃、槍や弓などよりもはるかに素早く、そして無慈悲な翼擊が地面へと突き刺さる。

 エイジアは跳ばざるを得なかった。もちろん、そこにはアストラエアが首を長くして待ち構えている。


「終わりだッ!!」

「おおっと!?」

「なん……で……」


 それでも、エイジアは致命傷を避けていた。(たい)を全力で反らせた結果、槍撃は――額から鼻にかけてを擦らせるだけの結果となった。その後、草原を転がるように安全地帯へと逃げ込むエイジア。


「よくも」

「……なんだ、賊」

「よくもやってくれたなぁ……!?」

「……!」


 アストラエアは、エイジアの瞳に不気味さを感じざるを得なかった。その左眼は、緑黄色に輝いて彼女の方を見据えている。怒りの色がありありと浮かんだ形相。


「遊びは無駄じゃあなかった。まさか、こんなに楽しませてくれるなんて」

「負け惜しみは地獄でほざけ」


 アストラエアは、長槍(ピルム)を向けた。真後ろには隊長と戦鳥獣(アルヴィオン)も付いている。正直、これで退散して欲しいと彼女は思っていた。一旦帰って、シグルドに報告をして対策を立て直す必要がある。


「お前、まさか帰れるなんて思ってないよな? 僕が退散するなんて天晴(あっぱれ)なことでも考えてるんじゃないだろうな?」

「不利なのはお前の方だ、エイジア」

「おお、名前を呼んでくれた」

「気持ち悪いんだよ、ゴミが」


 アストラエアは、そのままエイジアを睨み続けた。睨み続けたが、やがてエイジアの方が堰を切ったように吹き出す。


「はは、ははは。分かった、分かった」

「……」

「じゃあ、そろそろ行こうか。さようなら」


 エイジアが右腕を振り上げると――前方に、輝く碧色の光の模様が映った。眩し過ぎて見えなかったものの、すぐにその形を認識せねばならなかった。どんな魔術が出てくるか分からないというのは危険極まりないから。

 それは、魔術陣だった。アストラエアにも見たことがない紋様で、黒灰色の煙を外縁から放出させている。

 地面が、揺れた。それほど継続的なものではなかったが、それが魔術陣より現れるはずのものと連動しているのは明らかだった。アストラエアの瞳がさらに揺れて、その真ん前を見据える。


「なんだ、これは……」


 それは、アストラエアはおろか、このイーオン教国、いやフィーニスに暮らすあらゆる種族ですら見たことのない兵器であった。

 眩いばかりの黒い光沢を帯びたそれは、巨大な円柱状の塊のようだった。その曲面はゴツゴツとした一様な形状を保っており、平面からは十本程度の筒のようなものが突き出ている。

 それを支える台のようなものは、これまた頑丈そうな金属だった。四角柱状のそれは、やはり黒光りしている。

 これは機械か? とアストラエアは認識することができた。だが、イーオン教国にある歯車式の風車や時計といったものとは比べ物にならないほど精密なものであるのは間違いない。

 その機械の背部へと繋がっている巨大な箱のような部品を眺めていると、一気に恐怖が増してきた。未知の存在に対する恐怖だった。いや、遅すぎたと彼女は思っていた。自分の判断の遅さを呪った。そうだ、未知の者に遭遇した際の、シグルドの教えは――


「逃げて!!」

「遅えよッ!!」


 アストラエアは、悔恨だった。

 あまりにも、そのあまりにも耳をつんざくようなバラバラとした破裂音に、鼓膜が破けてしまいそうな感覚に陥っている。


「ああががあがああっ!!」

「ギュイエエエエッ!!」


 いま、自分たちは何をされているのだろう。戦わねば、前を見ねばと思っているのだが、その巨銃の発砲音は――彼女という存在を矮小にした。

 アストラエアは、その場へとへたりこんでしまった。頭を屈めて、もはや動けない。大口径のガトリング砲による連射は1分ほどで止んだのであるが、彼女にはそれが数分のことにも感じられた。


「あ、あ……? ど、どうなっ、ひぃっ」


 アストラエアは、恐怖だった。

 その真後ろには――穴だらけになり、その穴という穴から血飛沫を飛ばしている戦鳥獣(アルヴィオン)の姿があった。息をしていないことなど、すでに絶命していることなど見て明らか。


「そ、そんな……」


 すぐ脇には隊長の姿があった。アストラエアを庇うように、敵方向に背を向ける格好で立ち竦んでいる。彼は、凄絶なる顔つきで彼女を守っていた。苦悶を浮かべる顔は、とめどなく流血に染まっていて――


「いやああぁっ!!」

「君がやったんだろ。早く逃げろって言わないから。まあ、それでも死んでたけど」

「や、やめてえ……」

「アストラエア、だったよな。戦意を失うとこんなにも変わるなんて。面白い」

「いや、いやだよお……」

「来い。生かしてやったんだから」

「嫌だああっ、離して!!」


 エイジアの張り手が彼女の頬を打った。トールに打たれた時よりもずっと痛かった。『ああ、そうか。やっぱり手加減してくれてたんだ』と彼女は思念していた。


「来い。返事は」

「は……はい」


 アストラエアの心は、完全に折れていた。

 そのまま、エイジアに命じられるまま――魔術陣の内部へと歩いていくと、その上にあった物影はすべて消えてなくなった。

 (第8話、終)

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