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第2話 合 戦 (ⅰ)

 先の魔柱(デモヌ)の襲来より1ヶ月が経っていた。ある正午のことだった。軍団(レギオン)施設へと至るアーチ型の木造りの門を入ってから、棟々(むねむね)の中では最も左方にある大食堂――ゆうに500名は収容できるであろう其処から、3名の男女が歩き(いで)るところだった。黄土色がかった石床道のすぐ側から青々とした緑地が拡がっている。その草むらの中を小虫が跳ねては、小鳥に掠め取られていくという日常があった。

 ひとりは、頭の左部に長々しいポニーを結んでいる女。もうひとりは、黒みがかった栗髪の女で、すらりとした長身に、すっきりとした切れ長の瞳が映えていた。右の瞼の上から横にかけて、くっきりとした細傷が入っている。腰元の2組の鞘には、それぞれの短剣(グラディウス)が収められていた。そのふたりの真ん中を歩いているのが、アストラエアに肩を触られてくすぐったそうにするトールという男であった。

 

「今日のメシ、そこそこじゃなかったかい?」

「え? どこがよトール。塩味が濃すぎて死ぬかと思ったわ。しかもエアにいたっては、さらに辛くしてるし……」

「だ、だって味が薄かったから……」


 軍団兵(ミリテム)にとっての、数少ない癒しの時間が流れていた。それも、ただの癒しではない。ヘタをすると、神生最後の機会となる可能性すらあるのが、今日という日の食事であった。


「まあ、でも干し肉は悪くなかったわ」

「あれ、硬すぎだよお」

「……」


 トールは、苦笑しながらも先ほどまでの食事風景を思い返していた。

 大きな戦の直前のメシであることからして、相応に豪勢ではあった。まず、大麦の粥が何杯かは食べられたし、魚醤だって掛け放題だった。大サイズの卵黄が配され、さらには小サイズの鹿の干し肉まで揃っていた。


「エアは、魚の方がよかったろ?」

「うん、もちろん」

「ぜーたくばっかり、まったく!」

「ま、でも僕たちはしょうがないよ。毎回、けっこうな安全地帯に居ることが多いし。みんなと食事が同じだけよかったってもんさ。シグルド隊長は、ほら。平等、てやつ? を大事にしてるみたいだし」


 トールは、男性としてはそれなりな背丈をひねって、手をパサパサと振ってみせる。彼が言っているところの平等という語彙――いや、概念というのは近年までの()の国にはない言葉だった。


「トール、隊長は……やっぱり慣れない気はするよね。でも」

「トール、あんた賢そうななりして、シグルド隊長が言ってることの……」

「おい、そこ! 総督に向かって!!」


 後ろから軍団兵(ミリテム)が近づいてくる。アストラエアにとっては聞いた声だった。つい先日まで、彼女が所属していた十使隊(コントゥベルニウム)の隣の十使隊長(デクリオン)である。


「君たち、もう出発の時間だぞ! 気を……」


 抜くな、と言いかけて彼の声は止まった。アストラエアの姿を確かめた。特徴的な後ろ髪は、嫌がうえにも彼女の証明であった。その男は残りのふたりを見て、自身の軽率な失敗を恥じることになった。


「御免被った」

「いいのよ。わたしはともかく、トールのことは後ろ姿でも分かるようになりなさいね」


 男が去っていく。普段ならば、起こりえないであろう失敗だった。軍団(レギオン)の総督たる立場でありながら、特等兵団(カリウス)の隊長職を努めるシグルド。隊長、と呼んでいる者があれば、すぐに特等兵団(カリウス)の者かと鑑みるべきだった。

 それが出来なかったのは、やはり正午からの出陣式――そして、その数時間後には真っ最中であろう魔柱(デモヌ)との合戦のことが彼の頭をもたげていたからだった。


「ロスヴァイセ、そうかりかりしなくっても」

「トール。分かってる。早く出陣式に行きましょう」


~ ✩ ★ ✩ ★ ✩ ~


 軍施設棟の正面から見て、ふたつ隣り――といっても、歩いてけっこう掛かるのだが――にある荘厳な宮殿。聖アンジェロ宮殿内にある大聖堂より、この国家を治める教皇が、皇女を伴って出陣式を盛り立てているところであった。

 この会場は、さっきアストラエアらが居た食堂から少し離れた地点にある。神事の間として用いられることもあれば、宴会を供するために使用されることもある、多目的広場のようなものだった。

 最奥の講演台の上から、激しい演説をぶっている教皇。無理もなかった、最近ようやく収まってきた魔柱(デモヌ)の進行が、再び開始されたから。さかのぼること3ヶ月前、シグルドが敵軍の攻略役を討ったものの、束の間の平和となってしまった。1ヶ月前に降ってきた、敵軍の新たな攻略役の就任の報は国中に暗がりを落としていた。

 大柄な教皇であった。ハリのある声で軍団兵(ミリテム)らを鼓舞し、彼らもそれに応えるのだが――いかんせん、心の内での反応は鈍げであった。これから、死にに行くかもしれないのだから。


「よいか軍団兵(ミリテム)よ、イーオン教国の礎たちよ! これまでの二千数百年間にわたり、この流れは連続している! 魔柱(デモヌ)というのは、どこまでも、しつこうやってくる。我らが休戦を欲しても、決して諦めはしないのだ!」


 アストラエアは、静寂だった。

 黙って、とにかく黙って、出陣の儀を最前列で見守っていた。先日までは、彼女が十使隊(コントゥベルニウム)を率いていたときは、もっと、ずっと後ろの配置だった。だが、今はこんなに近くで皇族に視線を送っている。ぼんやりとして彼女は、高貴な血筋――とはいえ、彼女も決して凡百の生まれではないのだが――をじっと仰ぎ見ていた。


「だが、負けてはならぬ。諸君らが敗北することで、さらに多くの血が流れる。諸君らの家族や友が息絶えるということは、国家が息絶えるということ。どうか、どうか。6年前の悲劇だけは繰り返さぬよう。我らが神、イーオンとともに――」


 目が合った。確かに、やんごとなき血筋の者と、目が合ったのだった。それは、ひと月前の凱旋式でもそうだった。しがない十使隊長(デクリオン)である彼女に対し、イーオン教国の第一皇翼(こうよく)たるクラウディア=アエテルニタスは、手を振ってくれたのだった。

 そして、今。アストラエアが、瞳が交錯したままで佇んでいると、あちらの方から斜め下方向へと視線を逸らされる。微妙な面持ちとなって彼女は、


「……福音を述べ伝えよ!!」


 その演説における最後の口上と軍礼に、自身の声帯を震わせた。戦は、目前に迫っている。教皇による演説が終わると、瞬く間にノウス平原へと進軍するべく陣形が形成されていくのだった。

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