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第6話 死 闘 (ⅲ)

 アストラエアは、混濁だった。

 もはや、歩くこともままならない状態であった。フォルトナへと投げた長槍(ピルム)については、なんとか回収できたものの、そのふらつきはどんどん大きくなっていく。

 もし、この魔術が短時間で解けるものならば、どれだけ彼女は安心しただろう。しかしながら、まったく未学習の魔術であるそれは、アストラエアの心をどんどん不安にさせていく。


「……着いた」


 ようやく、通用門らしき場所まで到着する。とはいえ城の内部というのは、熟練の城内番か近衛隊プラエトリアニを除いては、そうそう分かるものではない。彼女も城内番に当たったことはあるが、内部については部分的な理解しかない。アストラエアは、粛々とした様子で手近な階段を登っていった。

 内部についての理解は、なかった。それでも、妙な気分というやつで――自分の目的となる場所がいったいどこなのか、初めから解っているかのような、そんな心持ちが込み上げてくるのだった。

 まるで、自分がこんな生を何千年も過ごしているような、そんな気がしていた。

 もう、4階のあたりまで来たろうか。その内部の中央を目指して歩いていっただけあって、さすがに見覚えのある城内風景が映る。ふと、声を聞いた。断続的な、怒気を孕んだ声。

 窓から外を覗いてみようと思った。吐き気を(こら)えつつ窓に手を当てる。


「……!」


 兵舎の方を見ると、軍団兵(ミリテム)が固まってこちらへと向かっている様子が目に入った。入ったのだが、希望よりも絶望の方が、はるかに上回る結果となった。

 というのも、其処にあった光景というのは、見えない障壁に向かってひたすらな突撃を続ける自軍の姿だったからである。何度も、何度も隊列を組んで攻撃を仕掛けるも、てんで壁に傷を付けることが出来ない。

 そうだ、自分はむしろ運が良かったのだ、と彼女は想念した。と同時に、ここで死ぬことになったとしても――母に顔向けできるだけの勇敢な死に様で在ったなら――と理想を願うのだった。


「さて、いき……ます、か……だ、だめだもう」


 アストラエアは、自分の中の軍団兵(ミリテム)としての意気が消沈していくのを感じた。

 もっと、もっと強く目覚めろ、と心中に願力を発していた。彼女は、当然に理解している。自らの二面性というものを。いずれも自分の中の同一の意思に違いなかった。違いなかったのである。


「あ、ああ……」

「……!」


 (うめ)き声が聞こえる。上の方から。

 アストラエアは、振り絞った最後の気合で5階への階段を登っていった。最後の方は2段飛ばしになりながら、ついに5階入口で転がってしまう。


「だ、大丈夫か!」

「あ、あ……アストラエア隊長っ」


 そこに在ったのは、剣を砕かれ、尻餅を尽きながら軍用資材へと背を預けるかつての部下の姿であった。その周囲には何体かの死体が転がっている。無残にも蹂躙されたそれらを垣間見て、耐え切れずに視線を逸らしてしまう。


「ん、上がって来てたのはやっぱり貴方でしたか。なんて、なんて(わたくし)はツイてるんだろう。あの時、殺戮したい気持ちをグッと堪えて、しこしこと障壁の準備を続けた甲斐があったというもの」


 十使隊長(デクリオン)時代のアストラエアの部下である、ステファを遠目で見下ろしながら呟く男。なかなかに大柄な男で、黄土色と思われる長髪をばさりと棚引かせてみせる。

 その背後には、複数の獣が佇んでいる。その巨躯に跳ね返った返り血を見るに、ここまでに相当の兵らを殺してきたのだろう。暗闇に目を凝らすと、どこかの戦場で見たことのある魔柱(デモヌ)の姿もあった。唸り声を上げつつ、アストラエアを威嚇している。


「……お前、デカラビアか。この薄暗闇でも……お前の油切った前髪、見逃す……はずがない」

「どうしたのですか、元気がないようですね。今日は、私の部下たちも連れて来ているので、おおいに戦いを楽しめるはずなのですが、そんな体調とは残念。ところで、そこに控えている私の部下たちの気持ちを通訳しておきます。『あの時、始末しておかなくて申し訳ない。これから地獄の苦しみを味わわせることになるから』。アストラエア……ほら、彼らがあなたに謝りたいそうですよ」

「謝り体操……? 一体、わたしの前で何を踊るつもりだ……?」

「? ああ、そういうことですか……大方あいつと相討ちになって、私がくれてやった魔術道具(マギアツール)が発動したといったところでしょう。気分はどうですか」

「う、うえええぇっ」


 アストラエアは、嘔吐だった。


「うぅ、最悪……気持ち悪いよお。もうだめぇだよおぉ……」


 アストラエアは、ついに戦意を失ってしまう。度重なる病魔の蓄積に精神が耐えられなくなりつつある。今の彼女は、意識を保っているだけで精一杯だった。


「これはこれは。可愛い声で()けそうですね。そらっ!」


 そう言って、デカラビアの指先が鋭く光る。アストラエアには、形相(エイドス)へと自身の魔力を接続される“魔繋”を行う際に発生する、魔力線と呼ばれる現象を視認できた。その形状において、それが操気魔術であることを解する。

 アストラエアは、無意識だった。

 長槍(ピルム)を構えると、迫り来たる大気の矢を叩き落とした。わずかに触れられただけで、魔術によって無理やりに組成された物質は形を崩してしまう。それが風という不定物ならば、なおさらだった。


「ぐぅ、う~~、げほっげほっ……」

「ほらほら、もう限界ですか。もう倒れそうですよ? それでは、こっちもまたいきま――」


 ここでアストラエアは、瘴気の塊のようになった自分を呪いながら、最後の意識のひとかけらでもって――長槍(ピルム)を投げ飛ばした。このタイミングで咳が出たのは、まさに僥倖(ぎょうこう)だった。敵人を油断させるには十分であった。

 操気魔術による補助力を受けて、それはまっすぐにデカラビアの方まで滑空していくものの、突如現れた獣型の魔柱(デモヌ)によって横から薙ぎ払われてしまう。


「残念でしたね。あなたに恨みがあるという魔柱の者だけを集めて、私たち(・ ・ ・)の御付にしたのです」

「……」


 アストラエアは、限界だった。

 ちらりとステファを見遣り、デカラビアのそれとは比べ物にならぬほどの美しい金髪が無残にも犯されるのを思うと慚愧(ざんき)に耐えない心持ちとなったが、病魔がその感傷を塗り潰して、押し潰した。

 やがて、膝を付いた。彼女の認識が消えていく。


「死ね。忌まわしき神使(アンゼルス)


 デカラビアは、アストラエアへと近付いていく。胸ぐらを掴んで持ち上げ、舐めまわすように彼女を眺めた。


「グルルゥッ!!……」

「ガアア、ガウウウッ!!」


「ずいぶんと焦り気味の声ですね。分かってます、あなたたちにも楽しませてあげますから」


 そう告げて、振り返ったデカラビアの視界に飛び込んできたのは――合計で4体もの獣魔が、数十本もの刀剣類によって串刺しにされる光景であった。

 何が起こったのか分からないでいるデカラビアの背後から、走り寄ってくる影。その影は、ますます鮮明に映るようになり、アストラエアはおぼろげなる視線でその正体を察すると、胸に希望が灯っていく気がした。


「エア、よく聞くんだ! 前に僕があげた、その指輪を叩き壊すんだ!」


 懐かしい声を聞いたような、そんな気がした。優しくて、暖かい。けれども、しっかりと心内へと響いてくる――そんな、トールの高らかな声を胸中に抱きつつ、右腕を振り上げたなら――指輪に付いた宝石のような色合いの結晶を、床面へと叩きつける。

 すると、緑黄色の光沢が大気を包み込むとともに――病状が、これまでの疲労感も、さらには生傷までもが――たちどころにして癒えてしまった。


「……死ね」


 極限までに殺気を高めたアストラエアの必殺の一閃――ヴァインディングエッジが、デカラビアの首筋を捉える。すんでのところで風の障壁を発生させるも、それを砕いて、槍技は――


「ふぐぅっ!!」


 硝子(ガラス)窓が砕けるような障壁の破壊音とともに、デカラビアの首筋から血が溢れる。やったのか? と片目で睨みを効かせるアストラエア。その男は、地面に伏すことなくギリギリのところで踏ん張って耐えた。


「あぶないところでした。勢いを逸らせなければ死ぬところでした」

「……寝言は地獄で吐け」


 アストラエアの連続攻撃が始まると、デカラビアは追い詰められる一方だった。

 重々に網上の防御陣を張るとともに、真後ろへと跳んでいくデカラビアだったが、斜め横から殴りかかるトール――特等兵団(カリウス)として与えられた魔器(アルス・マグナ)である、魔杖アルリドフィリによる殴打を食らってしまい、デカラビアのバックステップは左腕を抱えながらのものとなった。

 さらに、得意の操気魔術による風刃――ウインドダート――を飛ばしまくって追い立てるトール。合計で38枚にも及ぶ大気翼の投射に、城壁(モエニウム)の魔術師と呼ばれる彼が構築する壁にも限界がきていた。

 その翼をすべて打ち終わったと思えば、アストラエアが突進を掛けてくる。鬼の形相でもって、必要とされる筋肉部位だけをしなやかに稼働させる――槍術の名手のみが閃くとされる空中前転の槍技、スピンドルギャロップを叩き込む。


「馬鹿な……!!」


 直に、手の平で障壁を生じさせながらの受けだった。彼の血管は浮き上がり、必死の頬面でもって攻撃を受け止めている。

 計算違いだった。本来ならば安全地帯まで逃げ切った後で、いつもどおりの爆弾による攻撃に切り替えつつ、敵の攻撃を障壁魔術で防ごうという肚積(はらず)もりだった。

 だが、彼らのコンビネーションがあまりにも速すぎたために準備を整えられずにいた。次の攻撃を防ぐことは出来ないし、ましてや爆弾など使用できない。というもの、それは魔術道具(マギアツール)ですらないので自由に発動させることが出来ないのである。

 トールは、間近にまで迫っている。その杖とも槌とも取れるような不気味な物体を振り回して。彼は、考えた。運さえよければ――手はあった。彼は、自らの懐へと魔術の対象をつける。

 次の瞬間だった、なにか硬い物が弾けて飛ぶような――高音とも低音とも取れぬ破裂音が轟いたのは。アストラエアも、トールも、ステファも。その場にいた全員が一時的に聴力を失った。

 アストラエアは吹き飛ばされてしまった。その霧が晴れた直後、彼女が目にしたのは――赤い血だるまと成り果てているデカラビアだった肉と、その全身をズタズタにして流血するトールの姿だった。


「トールッ、死なないで!」

「今は大丈夫、なんとか生きてる……」


 最も流血が多かったのは右肩だった。ちょうど、魔杖アルリドフィリでもってデカラビアを叩こうとしていた場面である。それで殴りつけるとともに、そこら中から武器を招来してメッタ刺しにする作戦であった。

 だが死を悟ったデカラビアは、自分の魔力によって所持する爆弾のひとつに火を付けた。当然、自分までもが巻き込まれると分かっていながら、もっとも強力なものに点火したのである。


「どうして、ここが分かったの」

「エア。実は……これはシグルド隊長の作戦なんだ。特等兵団(カリウス)の中でも全員が知ってるわけじゃない。それくらい秘密にしたい作戦だった。いいかい、執政官のメサラが怪しいんだ。どうも、こちらの戦略を向こうに漏らしてるらしい。それだけじゃない、もっと大きなことも企んでいると隊長は考えている。だから、わざと今日という日を大哨戒に選んで……出掛けて行ったんだ。そうしたら、案の定このざまだよ。僕が、その兆候を突き止めて城内に入ってすぐだったよ、城外に結界が張られたのは。でも……」


 城外より、けたたましい声が響いてくる。さっき覗いた自軍のものであるのは明白だった。その意気は十分に過ぎる。下階に魔柱(デモヌ)がいたとして、登ってくるまでにそう時間はかからないだろう。


「あいつとの戦闘に関して、エアの報告書を読んでいて思ったよ。結果論に過ぎないんだけど……多分、あいつが場外の魔術壁を作ってたんだ。だから、もう大丈夫。あと、城内部の敵はけっこう片付けておいたよ。少しだけどね。たぶん、三十体ぐらいか。まだいるかな……」

「トール……ねえトール……」


 アストラエアは、トールの手を握って涙を流すのだった。


「そんな、死ぬんじゃないんだから」

「嘘だ、そんなに血を流して。自分でも立てないじゃないか! どうして、あの指輪を自分で使わなかった! 貴重なものだったんだろ!」

「だって、それは」


 しばらくの沈黙があった。やがて、トールが口を開く。


「……エア。ごめんよ、ずっと隠れてたんだ。あの男は一筋縄じゃいかなそうだったから、ギリギリまで粘ってた。そこのステファだってそうだし、君だって囮にしようとしてた。あの男は愉しむ(・ ・ ・)だろうから、そこを狙おうと思ってた。でも……」


 かすれ声のトールだったが、アストラエアが掛けられる言葉は少なかった。


「分かった、もういいの。それでよかったんだ、きっと」

「……エア、早く玉座の方に行くんだ。雑魚はもう大丈夫。下階から軍団兵(ミリテム)が登ってくるから。とにかく、セルギウス聖下だけは早く……」


 アストラエアは、優柔だった。

 トールが言うことが正しい。そんなことは分かっているが、それでも同僚であるトールが心配だった。自分にできることは応急措置しかないのだが。


「……トール!」

「う、く……いいかい、エア。もうすぐ、シグルド隊長とヴァイセとヘイムがこちらに合流するはずだ。なんとかして、目的を為すんだ」

「もういいから、喋らないで」

「エア。ずっと、ずっと……」


 アストラエアは、勇断だった。

 すっくと立ち上がると、ステファをここまで呼んできて応急措置を依頼する。


「お願いね」

「分かりました、たいちょ……アストラエア様。逃げません、あたし」


 自分よりも、ひと回りは背が低いアストラエアに尊敬の眼差しを送りつつ、ステファは治療を開始した。開始したものの、それは()ぐに中断された。というのも――今さっきから聞こえてきたのだ、上階より降りてくる何者かの足音が。

 それは次第に速度を上げていき、敵は真上の階にいると思った時には――この階へと一気に飛び降りてきた。


「……お前か。嬉しいぞ。会えて」


 ベリアルだった。デカラビアよりもさらに背丈が高い。筋骨隆々な男を目の前にしているだけではなく、実際の強さまで知っているアストラエアは、思わず跡ずさりしそうになる。


「なにやら爆発音が聞こえたので、急いで援護に駆けつけたのだが……デカラビアは散ったのだな。こちらの兵も、あと50体も残っておらん。城内だけあって、なかなか気骨のある連中が揃っている」


 アストラエアは、天蓋(てんがい)からの月明かりに照らされるベリアルの影絵(シルエット)を眺めていた。

 おかしい。絶対に、おかしい。彼の真後ろには不自然な丸っぽい影があった。その正体に気が付いたのは、すっかりと鋭敏さが戻ったアストラエアの鼻が、臭いの正体を突き止めたからである。


「……女。これの正体が分かったようだな。ほら、くれてやる。土産にするつもりだった」


 大きな、黄ばんだ白色の袋だった。

 具体的な意味での中身は、すぐに判明した。床へと無造作に投げ落とされた袋からは、近衛隊プラエトリアニの面々の生首が転がっているところだ。何名が殺されたのだろうか、とアストラエアは思った。近衛隊プラエトリアニが全滅していないことを祈るしかなかった。


「すべて拳闘を用いる連中のものだ。20以上はいたな」


 アストラエアは、蒼白だった。

 近衛隊プラエトリアニの定数は30名。他でも殺されていることを考えれば、全滅にちかい線もある。


「どうする? 女」

「……アストラエアだ」

「アストラエアよ。俺と真剣勝負をするというなら、そこいらの神使(アンゼルス)は助けよう。ここは武器庫だろう? どれでも自由に使って構わん。俺もさっき拝借したばかりだ」

「……」


 アストラエアは、沈思だった。


「……」

「どうするのだ? 時間はない」


 答えなど、初めからひとつしかない。

 アストラエアは、初めから――戦術を練っていたのだった。特等兵団(カリウス)だろうと近衛隊プラエトリアニだろうと平然とブチ殺してしまう、ベリアルという魔柱(デモヌ)に正面から挑んで勝てるはずがなかったから。


「いいだろう、来い! ベリアル」


 アストラエアは、そこらの立て籠に入っていた投槍(ピラー)を、最大級の勢いでもって投げ付けた。特に予備動作もなく、黙ってそれを掴んで、握りつぶすベリアル。彼女は、アストラエアはずっと――考えた結果、導き出していた。どう足掻いても、こいつには勝てないという結論を。

 ならば、せめてトールやステファの命を守るために――戦場での死を得るしか、残された道はないのだった。

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