第5話 背 信 (ⅲ)
アストラエアは、陰影だった。
倒壊させられた柱の陰に隠れ、敵が出てくるまで待ち続けた。右手には、1本だけの投槍が握られている。やがて、粉塵が消えゆくなか、さっきまでアーチ状の建築物として存在していた瓦礫を乗り越えて外套姿の三者が現れた。姿かたちについてはアストラエアの予想通りだった。
完全に砂埃が晴れると、彼らはクラウディアが倒れている姿を発見する。左端のひとりが、小剣を取り出して――
「待て、俺がやる。手柄を取るのは俺だ。俺が、ここまで案内したんだからな。ここいらは俺のルートなんだ。いつもあの小路を使って、色々とやってた」
小剣を振りかざす男を制して、真ん中にいる男が鼻高々にそう告げるのだった。
「いいのか、お前の国の皇女だ」
「これは、俺たちなりの配慮なんだぞ」
「配慮? 魔柱が?」
「確かに、お前たちに比べれば無軌道だろう。だが、俺たちにも当然に情愛がある。いや、むしろお前たちの方が情愛に不足しているのではないか」
「違えねえ。認めるぜ」
「裏切るだけのことはあるな」
「黙っててくれ。ここでの責任者は一応俺だぜ。じゃあ」
その声色はくぐもっていた。真ん中の男は渡された小剣を軽く振って、死んだふりを続ける皇女の側へと近付いていく。それに伴って、今まで小剣を持っていた男も――
「死んでるか? どうなんだ、魔柱さんよ」
「まともに魔術効果を受けているならその可能性もある。だが、暗すぎて外傷が見えぬ。宮殿から漏れる光量もどんどん少なくなっている」
「身体を傷つけるな、という命令があるぞ……」
右端の男が言を挟んだ。対する反応はすぐだった。
「それは死霊として扱うためだ。生きているかのように見せかけ、食料などの資源を取引材料とするため。ならば、別に死んでいても構わない。それがベリアル様の意図であろう」
「いや、それだけではない気がするぞ。他にも意図がある。分かるだろう? ベリアル様だぞ……」
しばしの沈黙が支配するも、ここでフォルトナが口を挟む。
「まあまあ、そう争うなって……いいか、責任者は俺だ。いいか、俺が殺すというからには殺すんだ。こいつ、前々から嫌いだったんだよ。お高く止まってない振りしやがって、その癖、他者を見下してやがる。せっかく俺がこっそり声をかけてやったってのに。無碍にしやがった」
男は、小剣をヒュンヒュンと振ふるやいなや、皇女との距離を一気に詰める。ちょうど、左端にいた男と一直線に並ぶような形となったのを認めるのと、アストラエアの心音の鼓動が最高潮に達するのとは、同時だった。アストラエアの策の起りは、今この時をもってしかない。
小剣の切っ先が、クラウディアの喉へと突き刺されるための挙動が散見されたとき――必殺の投槍撃が、両者を刺し貫くべく投げられる。アストラエアが、それを投げ切ってから敵方を見遣るに――小剣を持った男のしゃがんでいる姿が目に映った。明らかに回避している。「失敗した」という恐怖感が最高潮に達する。
しかしながら、しゃがみこんだ男の手の震えを観察すると――それが杞憂だったことが分かる。小剣を持った男は、投槍という魔術道具に刺し貫かれて吹っ飛んだ仲間を察するとともに、気を取り直そうと顔をこわばらせていた。
「やあああぁッ!!」
長槍に持ち替えて柱の陰から飛び出した彼女は、地面を踏みしめながら敵人へと突撃していく。リーダー格の男を仕留めることで、あわよくば退散する――はずだった。
小円状の槍撃が当たるかと思われた刹那、男は小剣を盾として使った。それは槍に弾かれるとともに、敵へと退避の時間を与える結果となった。
彼女の指先には、確かに男の身体と自分の長槍とが、ひとつ以上の解をもった感触が残っている。
「……へえ、なんでお前がここに。まあいい。聞かずにおこう」
アストラエアが出した結果というのは、ぎりぎり落第点といったところだった。だが、最悪の失敗というわけでもない。皇女をおとりにして敵を殺るというのは、この状況が許す限りほとんど唯一の戦術であった。
少なくとも、皇女を抱えて地理不案内の区域を走り回るというのは無謀過ぎるし、正面切って当たりにいっても、1対3で止められるものではない。ならば、まずは1体でも敵数を減らすべきであった。
失敗すれば、第一皇翼が討たれる。クラウディア以外に直系たる世継ぎのいないイーオン教国において、一介の兵士が取る策ではなかったが――この場に彼女しか軍団兵が居ないことを考えれば、決裁権者が自分しか居ないのもまた事実である。
「くそ、脇腹が裂かれちまってる。俺は傷を治す。何分かだけ頼めるか?」
「強いのか、この娘は……」
「強い。はっきりいって、お前じゃ勝てない」
「よく分かっているな、わたしの性質を。そんなことを言われると燃えてくるではないか。お前、魔柱として生まれた方がよかったんじゃないか……」
右端にいた魔柱が、そのまま腕を天に掲げると、
「なにっ」
突如として、大雨が降り注いでくる。それは、彼女が見たことのある魔術でもあった。非常に局所的な雨を降らせ、そして――
「すぐに終わらせる……」
槍状となった雨粒の集合が、魔術師が重ね掛けした操気魔術に乗りながら、アストラエア目掛けて大量に投射されてゆく。それは闇の中にも水晶のような反射を帯びる、残酷なる冷雨であった――ライオットストーム、発動。
アストラエアは、退避だった。
まともに受けきれるはずがなかったし、なによりも水に濡れるのが嫌だった。とにかく木陰へと隠れてやり過ごそうとする。敵の魔力にも当然ながら限界はある。なんとか避け切ろうと試みるも、水流のカッターはそこいらの樹木など簡単に切断してしまう。
「せいッ!」
槍刃で水流を弾くと、勢いは加速度的に弱まってはいくものの、その数はあまりに多かった。敵の様子を見るに、いまだ疲れている様子もない。魔柱が、神使に比べて優位している面のひとつが魔術力だった。一般に、魔法産出量というのは、当名による魔力の放出を基礎変数とした、魔繋、魔操、魔現などの魔術能力についての関数だとされている。
魔柱というのは、このうちの、特に魔操が優れていた。神使にとっては、炎熱、誘水、削土、操気という4つの系統が一般的であるが、魔柱の一般的な魔術の分類は7種類であり、神使を超えた水準に達している。しかも、複数の魔術系統を扱う者まで存在しているという。
兵科の講義で聞きなぞった内容を思い返しつつ、アストラエアは戦闘を練っていた。このままでは、遅かれ早かれ一発もらってしまう。そういうしているうちに、敵は治療を終えて皇女を殺しに行くだろう。
このままでは勝ち目などあろうはずもない。この敵だって、そんじょそこらの雑兵でないことは明らか。
「……!」
敵人は、怒気を孕んだ魔力を放っている。大半の神使は実用レベルの魔術を使用することはできないが、魔術を認識することならできる。特に、戦に熟練した軍団兵であれば。
アストラエアが感じ取った、その魔力の様子は……。
「魔力を……いったん使い尽くすのか?」
直感だった。何分かが経っているし、奥に引っ込んだ敵もそろそろ復活する。目的達成が近いならば、いったん魔力を使い尽くすという策も、ありといえばありである。というのも、魔力というのは自然豊かな環境、例えばこの庭園などでもすぐに抽出して自分のものにできるから。
雨足が、緩くなった。アストラエアは、初めて自分がずぶ濡れであることを認めた。
「……黒い血の星」
なんと呟いたのだろうか。あらゆる感覚に優れる彼女でも聞き取ることはできなかった。ただ、分かったのは、敵が膨大な魔力を使用したということ。圧倒的なサイズの水球が上空から降り注ぐとともに――彼女の目の前に、焦熱が発生した。
形相という上位次元の性質情報を操作できれば大概のことは出来るのだが、さすがに2系統以上の魔術を同時使用する魔術師というのは、噂でしか聞いたことがない。
その熱というのは、弧状の焔ではなく――白熱する球形だった。アストラエアは、こいつこそが――あの時の戦場で、大火球を何発も打ち込んでくれた魔術師だと察した。
だが、もう遅いかもしれなかった。「両球が接触する」と感じたアストラエアは、これからどんなに恐ろしいことが起こるか考える暇もなく――
「おおおおおおおおおおっ!!」
長槍を携えて、突進。水球へと体当たりをぶちかます。
あっという間に性質情報を失い、大気へと四散していく水分。そして――真下から吹き上げてくる炎が雲散しつつある水分とぶつかったことで爆発を起こし、周囲を霧に包んだ。
特等兵団の戦闘衣のおかげで、身を灼かれる思いだけで済んだ彼女は――しかも雨に濡れていた自分の身体を幸運に思いつつ、同時に「もう、ダメかもしれない」という諦念をも忘れなかった。
すぐ付近では、魔術師がその様子を伺っている。すっかりと魔力を使い切ってはいたが、すぐにまた充填できると分かっているためか、霧を晴らすのに必要な魔力が溜まってもチャージを続けている。彼の勝負運が尽きた瞬間だった。
軍団の中でも最上級の脚力と走力でもって突進する勇姿が、水蒸気の霧を振り払って現れる。魔術師である彼にしてみれば、それはわずか1秒――いや、兵士にとっては1秒もの猶予があったということになるが――にも満たない猶予であった。
真っ直ぐに腹部を刺し貫かれた魔術師は、後悔の念を抱き始めるまでの間に絶命することとなった。
「クラウディアッ!!」
アストラエアは背後を振り返る。嫌な予感があったから。
「はは、たまらんなぁ」
男は、皇女の身体を抱き上げるとともに――それをまさぐっていた。
きっともう、とっくに回復していたのだ。皇女を殺すことも出来た。だが、やらなかった。
「お、倒したか。俺はちょっと気が変わってな。ベリアルに持っていくことにするよ、この雌」
「……きっさまああああああああッ!!」
走り出すアストラエア、だが複数もの炎熱の鞭に阻まれてしまう。
自分の身体を灼かれるのも、お構いなしだった。戦闘衣が機能している以上は大丈夫のはずだった。燃え盛る痛みを体感しつつ、ようやく――
「ほおら、次でお仕舞い――ああアっ!?」
特大サイズの炎熱を放とうとした彼だったが――アストラエアは、読んでいた。自らの長槍を、投槍として用いることで速度を前借りしたのである。アストラエアの腕前において、この距離ならば皇女に当たる可能性は無いに等しい。
「させるかッ!!」
外套を脱ぎ捨てて、即席の障壁を作る。
魔術によって編まれた衣類だからこそ可能な技術である。だが、それも貫かれてしまった。もう防ぐものはない。彼女も槍を失っていたが、初めに倒した魔柱の体から投槍を抜き取ることで確保した。
敵を見据えてすぐ、どうやら彼女の瞳孔は拡大しきったらしい。それほどの衝撃がアストラエアを襲っていた。
「どうして……?」
そこにあったのは、フォルトナの姿だった。
(第5話、終)