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第5話 背 信 (ⅱ)

 まずいことになってしまった、と思いつつアストラエアは、庭園の柵をよじ登ったという事実を真っ向から受け入れるべく、


「こ、こんばんは。皇女」

「こんばんは」


 どうやら、賊であるとは認識されていないようだった。


「アストラエア=インユリアと申します。いや、ちょっと迷っちゃいまして」

「……」


 夜の闇に染まった皇女は、さっぱりとその表情が読めないものの、なんとか目を凝らして読み取ろうとする。そうしているうちに、闇の中で視線が交錯してしまって、お互いにさっと目を逸らした。会話をするのは初めてではなかったが、それでもまごまごしさを隠し切れないアストラエアだった。


「どうぞ。ええと、アストラエア……さん」

「呼び捨てで結構です、クラウディア皇女」

「では、アストラエア。こちらへ」


 そちらの方まで歩いていくと、此処がまさに高貴な身分な者のための施設であることを知るのだった。

 庭園の中央には、アーチ状に削られた幾本もの柱による丸天井(ドーム)が在った。柱には(つた)の葉が無数に絡み付いており、それらの白色一辺倒に彩を添えているのだが、素人目にみても計算し尽くされた紋様であった。この建築物の周囲には、幾本もの月桂樹(ローリエ)が植えられている。

 そして、それとほぼ同じ高さの皇女が隣に並んで、こちらを向いたとき――アストラエアは、想像してしまった。春の陽を浴びて白黄の愛らしい花弁を付けた木々と、クラウディアが並んでいるという画だった。それは、ちょうど彼女が忘れかけていた記憶を呼び覚ましてくれた。


「アストラエア。こちらに掛けて下さい」

「ご記憶に値するほどの名家ではございませんが……(それがし)は、こちらに座らせて頂きます」


 アストラエアは、建築物の外周に身を隠すようにして座った。皇女の庭に侵入なんてことがバレたら、まず間違いなく特等兵団(カリウス)から除名される。そうなれば、神生の目的であるインユリア家を継承するという責務も遠のいてしまう。

 先日、普通の方法ではそれが絶対に為らないと判明したばかりだった。アストラエアは家系を継ぐために、なんとしても権力を手に入れる必要があった。こんなところで捕まっている場合ではない。

 かといって、皇女の要請を無下にするなど出来ようはずもない。

 しばらくは、会話もなかった。クラウディアは丸卓の周りに4つほど設えてある、大理石かと思われるあぐら椅子に腰掛けている。アストラエアは、クラウディアに対して後ろを向くように外柱へと腰を降ろしていた。


「アストラエア。ねえ」

「はい、なんでしょうか。なんなりと」


 アストラエアは、自分という存在が、段々と雄々しさに覆われていくような気がした。愛らしい、といった単純な語彙では表現できないほどに愛嬌のある顔つきをしている皇女だった。


「あの時は守ってくれてありがとう。少しだけですけど、見えました」


 あの時……? と想念した直後だった、凱旋パレードのことだと分かったのは。もう、数ヵ月も前のことだった。


「見てらしたんですか?」

「はい、遠くからですが。あなたが敵兵を乗りこなして、敵の陣へと迫っていくのが見えました」

「……」


 アストラエアは、羞恥だった。

 今にして思えば、自分でも無茶な試みだったと思う。鳥人を捕まえることが出来なければ家屋に激突していたかもしれない。そんな無茶な挑戦だった。


「はは、皇女。なかなか恥ずかしい。あれはですね、」

「もういいのよ、アストラエア。クラウディアって、あの時みたいに呼んで」


 アストラエアは、心臓を打ち抜かれたような気がした。こんなにも無垢で切ない声色ができる女性を目の前にして――彼女の心は、むしろ反対に沈みかけている。


「あの時のあなた、とても凛々しかった。10年前のままだった。わたくしを饗宴から連れ出してくれて、よくそこの小川で遊んだわ」


 もう、だいぶ昔のことだった。貴族の格としては中の上たるインユリア家だったが、何度かだけ、皇女が参列する饗宴に招待されたことがある。インユリア家が上流貴族たるに相応しいかが選別される機会でもあったのだが、小さき日のアストラエアが彼女を連れ出していることが分かると、もう饗宴には呼ばれなくなってしまった。

 そのことで、親族からのさらなる虐待へと繋がっていったのだが、当時のアストラエアに知る余地はなかった。


「覚えていますよ。懐かしい」

「よかった。わたくし嫌われたのかと。あなたが軍団(レギオン)に居ることが分かって驚いたの……よく、見てたわ。進軍の儀の時なんか」

「……恐縮です」


 アストラエアは、懐古だった。

 まだ10才程度の齢に過ぎなかったが、紛れもなくクラウディアに出会えた感動があった。初めて会ったときは、遠目にしか眺めることができなかったが、アストラエアの心には、まるで積み木が崩れる際に木材同士がぶつかるような小気味の良い音をともなって――この子がかわいい、という感情が芽生えてしまった。

 恋、という感情にいたる前段階について初めて知った彼女が取るべき行動は、ひとつしかなかった。だが、それも昔の話。今では苦笑しながら思い出せる。


「本当に、恥ずかしいことです」

「恥ずかしくなんてない。わたくし、あれから多くの殿方に会いましたが、あなたほどに勇気ある方はいらっしゃらなかった」

「わたし、一応は女の身です。ですが、今でもボンクラ男みたいな行動を取ることがよくあります」

「あなたのそういうところ、とても魅力的だと思います。わたくしったら、嫌になってしまうんです。勇気がないから。臆病なの。こうやって明るい口調を保とうとするんだけど、すぐに臆病な口調になってしまう」

「いいのですよ。クラウディア様のそれだって魅力的に映る方はたくさんいます。それぞれの者は、自分にないものが羨ましくって仕方がないのです」


 「本当!」と呟いて、クラウディアは立ち上がった。


「ねえ、アストラエア。あなたにこの花を贈りますわ。地面になんて座ってないで、こちらに来たらよいのです」


 そう告げたなら、自分の背丈よりも少しだけ高い月桂樹から枝付きの1弁をもぎ取って、アストラエアが座る地面まで歩いてくる。


「そ、そんな。畏れ多いです。それに、花が……」

「いいのよ、どうせわたくしの背丈を越えれば剪定されてしまうのですから。アストラエア。わたくしは、あなたともっとお話したいと思います。また……来て欲しいんです。1ヶ月、いいえ半年でも構いません」


 いくつかの意味で、とんでもないことだった。アストラエアには、自分の欲しいものが何でも手に入るであろう生活を送ってきた、クラウディアの考え方への羨望があった。


「改めて、あなたに月桂樹を送ります」

「……お受け取りします」


 皇族、としては爛漫(らんまん)な性格であるとアストラエアは思惑していた。もちろん、あくまで自分の考えに過ぎないのだが、それでも這般な皇族と比較しての相違というものを認識せざるを得なかった。

 それだけでなく、自分を気に掛けてくれているというのもあるが、しきりに菓子を勧めたり、お尻が痛くないかとひざ掛けを折りたたんで座布団にしてはと持ってきてくれたり、他にも――とにかく、気遣いを学んでいる印象があった。それが、やんごと無き立場から偉そうに振舞う男女どもを眺めてきた、アストラエアが抱えた心象であった。

 それから、ふたりはずっと話し込んでいた。クラウディアの、アストラエアへの感情は本物だったから、会話が尽きることはなかった。だが、やがて深夜とも言える時間となり、


「では、クラウディアさま。ここいらで。明日は、わたしの哨戒当番な――!」

「そう、残念です。また来てね、本当に! アストラエア、またね」


 気分が高揚していない状態の彼女であれば聞き取れていたかもしれない。だが、今確かに――不穏な音が聞こえてきた。その正体を確かめに行こうという考えと、それが聖アンジェロ宮殿内での事態である可能性が高いという事実とを天秤にかけて――アストラエアは、さっき来た道を引き返すべく立ち上がろうとする。

 だが、今一度だけ。最後に宮殿内へと視線を遣るのだった。上層階から延びる監視用の照明がいくつか消えているような印象を抱くものの、殿仕えでない彼女にはあずかり知らぬこと。

 それは、十数秒間の感慨だった。未だに隠れるように座ったままの姿勢のアストラエアは、


「では、また」

「はい、また逢いましょう……アストラエア」


 去り際に、握手をしようと思っていたアストラエア。座ったままの姿勢では礼を失するものの、どうしても監視光に当てられるわけにはいかなかった。

 クラウディアが、「ねえ、最後に」と言いかける須臾(しゅゆ)。アストラエアは、感じたことのある波長を捉えるとともに――双手刈りのような姿勢でもって、クラウディアへと体当たりをぶつける。

 そのまま、彼女の体勢を上にしつつ大理石の床をすべり込んだ瞬間であった、建築物のアーチ柱が轟音とともに基礎部分から根こそぎ叩き上げられてしまう。

 凄まじい衝撃音だったが、アストラエアは動じなかった。激しく床を転がることになったが、どんな痛みからもクラウディアを守ってみせるという(はら)を、一瞬のうちに決めていたから。ドームの壁面だったものに背中から激突しても、気概は緩まなかった。

 ――どうやら倒壊は免れたようだった。アーチが傾いている先へと彼女の身体を持ち上げ、移動させようとする。驚くほどに軽かったので、するりと持ち上げることができた。一番大きな月桂樹のたもとへと、恐怖への震えが伝わってくる身体を抱きかかえて移動していく。


「クラウディアさま、クラウディアさま……」

「……」


 反応できないようだった。意識はあるようだが。無理もない、ここまで死が目前に迫っている状況など――神生のうちでは、これが初めてだろうから。


「いいですか、クラウディア皇女」


 耳元で囁くと、(うなず)きを返すクラウディア。


「死んだふりをして下さい。少なくとも、意識があるとは悟られないで」

「……信じてます」


 袖を握られると、心が締め付けられるとともに闘志が満ち満ちてくる。顔を上げて、粉塵が舞い散る前面を見据えた。

 敵は、こちらには気が付いていない……はず。というのも、削土魔法が飛んできた方向からは彼女自身の位置が死角になっていたから。

 自らの認識を、歓談モードから戦場モードへと切り替えるべく暗示をかけつつ、身を潜めて敵人の反応を待つ。

 粉塵の先から、影が現れた。恐らくは、暗色系の外套(ローブ)を身にまとっているであろう三者であった。視界は悪いが、それぞれに異なる特徴のそれであった。それに、ここまで見事な削土魔法ともなれば、敵は上級の魔術師(マグム)に違いなかった。

 アストラエアは、歓談中にあっても肌身離さずもち抱えていた長槍(ピルム)を手に取るとともに――懐中(かいちゅう)に隠していた、たった1本の投槍(ピラー)(つが)えたなら――それらの感触に全神経をやりつつ、敵影を見据えるのだった。

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