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第4話 回 春 (ⅲ)

 インユリア家の屋敷は、石灰岩を主成分とするコンクリートによる打ち放しである。現当主の後見者としての任にあるパスカリスの部屋も、やや黄色ばった象牙色に覆われていた。天井から垂らされた照明はゴツゴツとした質感をもつ壁を映し出しており、それは彼女にとって、昨日までの日々を過ごした兵舎を彷彿とさせるとともに、不思議な感覚を心内へと投射するのであった。


「まあまあ、私の隣に掛けて」

「あ、は、はいっ」


 彼が座っているのは、角形状の座寝椅子(ソファ)があった。3名が掛けるそれであったが、彼は自分の隣に座れという。

 アストラエアが、おずおずと其処に腰掛けると、しばしの沈黙が支配する。だがやがて、


「まあまあ、飲んで」

「え、これって! すごい高級なやつじゃあ……」

「いいんだよ。君の帰りの知らせを聞いたときから用意していたんだから」


 見たこともないような等級の葡萄酒が、すぐ前にある角卓の端に置いてあった。この種類の葡萄酒に関しては、確かロスヴァイセが一度飲んでみたいと、国家市場(マケット)の商品帳を見ながら呟いていたのを聴いたことがある。当然に断るのだが、それが注がれたグラスはすでに用意されていた。

 葡萄酒を注がれながら、アストラエアはパスカリスの意図について考えていた。インユリア家に、特等兵団(カリウス)へと任用されたことを連絡したのは、ひとえに認めて欲しいからだった。呪われた子であることを帳消しにするには、国家に貢献していると判断されるほどの実績を積み上げるしか道はなかった。

 家族として認められることで、彼女は――最終的には、この家を継ぐつもりだった。もっと、もっと実績を挙げれば、シグルドに相談することで、後継者として認められる可能性を高めることはできるだろう。しかしながら、そうした政治的なやり方ではなく、正面切って、子ども時代に自分を虐めていた叔父からその声を聴きたかったのだ。

 

「嬉しいです。じゃあ早速!」


 それを1杯だけ煽ってから、ふたりは過去についての清算を行っていった。

 初めは、昔のことについての叔父による謝罪から始まって、それからアストラエアの母を介護してきた苦労話で、今現在は子どもたちの将来の話。ダマススは、行政官として任用されるかどうかが怪しいので勉学に励むように言っているが、てんで効き目がないということ。フルウィアについては、もう17歳だというのに婚約者も録に見つからないという、要するに子どもたちについての愚痴だった。

 ちょうど、酒による酩酊(めいてい)気分が持ち上がっていたアストラエアにとっては、心地よい時間であった。


「ふたりとも、賢そうですよ。なんとかなりますよ」

「いやね、将来のことなんて考えてないから」

「考えてますよ。少なくとも、フルウィアさんからは、こう……良い意味で貴族らしくないというか、(たくま)しさを感じます。かなり昔に会ったことがありますが、違った雰囲気になられましたね」

「ん。まあ、そうなんだが。それで……」


 本題に入る前のひと呼吸である、と彼女には思われた。さらに酩酊が深まり、手足の触感に痺れが加わりつつある。彼女の様子を確かめてから、彼は告げるのだった。


「エアを家族として迎え入れたい。意味は分かるね。もう、もう……戦なんて、しなくていいんだよ」

「は、はい」


 ぼうっとした頭で、彼女は答える。その胸が、期待に膨らんでいく。


「だがな、家族として迎え入れるにあたって、やっぱり子ども(・ ・ ・)としては無理なのだ。というのも、この家にはね、母親が必要なんだよ。見ての通り、あの子らは君に比べれば幼い。特に、ダマスス。あれにはしっかりしてもらわないと」

「はい……」


 だいぶ酩酊が進んでいる、と彼女は思った。意識を切り替え、しっかりとパスカリスを見据える。


「エア、君の役割は――母親だ。むろん、戸籍上は娘として扱われる。今の私は、インユリア家の長男でありながら当主である妹の代わりとして居候する後見者に過ぎない。だが、その期限が過ぎて当主を交代することが認められれば、その時には――母親としてアストラエアを迎え入れたい」


 よく、意味が分からなかった。彼女の酩酊(・ ・)はさらに進んで――その腕がぐいと引かれ、アストラエアの肢体が叔父の胸元に納まってしまっても、彼女はぼうっとしていた。


「アストラエア! いや、エア。私の気持ちが分かるだろう……!」


 パスカリスは、彼女の身体を舐め回すようにまさぐった。それは、次第に斥力(せきりょく)を帯びていく。彼女はようやく、その行為の意味を理解するようになった。理性ではなく、本能として。


「い、いや、叔父さん。わたしたち、そういう関係では」

「そういう関係じゃなくても、そうなる必要があるんだ。家族のために」

「ふ、ふぇ?」


 もはや、舌までもが痺れている。アストラエアは酒を煽ったこともあったが、こんな症状は初めてだった。高級酒を飲むとこうなるのか、とぼんやりとした頭で想念するも、もはや頭は働かなかった。

 ますます、その身体を撫で回していく男の腕。輝くように(あで)やかな髪、その耳の上あたりをしきりに撫でている。


「う、ああ、叔父さん。だめ、パスカリス叔父さん!」

「いいかい、これでいいんだよ」

「……え?」

「私たちはね、もちろん親子ではないんだから。倫理上はよくないだけで、別にしてもいいんだよ。我が国の家族法にも、叔父と姪との行為を禁止するという旨はない。そして繰り返すが、うちの家庭には母親という存在が必要なのだ。あの子らは、母親を亡くすには早過ぎた。母という存在からの愛情に恵まれなかったのだ。よって、エア。家族として、君がその役割を果たす。そして……母親であるということは妻であるということ。よって、肉体的にも妻としての役割を果たすべきなんだ」

「え、え、どういうこと……ふ、ふああっ」


 肢体は、その刺激に慣れ始めていた。初めは不快だったまさぐりも、今では――多少の快感になら変換できるほどに。

 アストラエアは、淫靡だった。

 淫靡だったが、かといって弱い存在でもない。


「だ、だめ、です。だめなんです」

「いいか? おい」

「ひっ」


 怒気を孕んだ男の声に、すっかりと萎縮してしまう。顎を掴まれ、強制的にパスカリスの方を向かされる。


「いいか。どのみち俺が当主になるし、今でも事実上の当主なのだ。お前はどのみち、当主である俺の言うことを聞かねばならんのだ。この家の家父長なんだからな。わかったか、俺の言うことを聞くしかお前の道は残されていない……わかったか?」

「……」


 アストラエアは、今にも泣き出しそうな表情でパスカリスを見上げるも、ますます嗜虐心を募らせる結果となった。


「ああ、なんて可憐なのだろう! これで、あんな呪いさえ受けてこなければ……いや、お前は呪いを受けるべきだった! ああ、アストラエア、アストラエア! 俺の眼を見てみろ、いいから見詰めるんだ!!」

「う、あぁ……」


 身体は、あまりに熱かった。腰に手を回され、男の膝の上へと半ば担がれるアストラエア。その肉体は、軍団兵(ミリテム)としては軽量な部類に入る。

 くちづけは、間近だった。


~ ✩ ★ ✩ ★ ✩ ~


 パスカリスは、擾乱(じょうらん)なる男であった。

 適度に常識を嗜み、適度に悪徳を嗜む神使であったが、それらに共通していたのは――狂おしいほどにのめり込んでしまい、どこまでも、どこまでも。思想的なり、物理的なり、自分にとっての到達点まで辿り着かない限りは、決して其の(まま)では置かないのである。

 だから、悲鳴を上げる産婆の声が聴こえて、妹の身を案じて分娩用の部屋へと飛び込んでいったとき――アストラエアの肉体に付いていた呪われた突起を見たときの感情について、どう処理していいか結論するまでは、決してその思惟(しゆい)をやめることはなかった。

 何度も、何度も排斥しようとした。幼かった彼女に、わざと足を引っ掛けて転ばせたり、ダマススを攻撃しているのを見たときなどは、妻に命じてアストラエアに虐待を加えさせた。どんなにひどいことをしても、自分の妹も、その婿養子である男も、特になにも言うことはなかった。悲しげな面差しだったのは違いないが。それは、父母自身で呪われた子であることを受け入れている証拠でもあった。

 しかしながら、どんなに彼女を虐めてもパスカリスの激情は収まらなかった。そのうちに飽きると思っていたのに、飽きなかった。おかしいと思った。当時の彼は、彼を理解していなかった。

 ある日のことだった。9歳になったばかりの彼女を、隙を見て密室へと連れ出して――それを行った。彼が自分についての確信を得るための、危険極まりない苦肉の行為であった。甘い言葉で誘い、アストラエアを裸に剥いた。彼は、ようやく理解したのだった。自分という神使について、あるひとつの確信を得たのである。

 アストラエアの突起物が頭を離れない理由が分かってからは、その悪徳に磨きをかけた。彼は、庶民の格好をしては色街へとおもむき、稚児(ちご)の春を買うようになった。だが、どんなに若気(にやけ)を攻めても、いまいち満足しなかった。彼は、その道にも通暁(つうぎょう)していたから、どんな喘ぎ声を出させることも出来たが――それでも満足はしなかった。

 ここに来て、彼はようやく理解した。アストラエアそのものに心を奪われていたのだ、ということを。だが、叶わぬ想いを振り乱して誤魔化すために幼少の彼女を虐め続けた。それが、当時のパスカリスだった。

 ある日のこと、パスカリスは決意した。数時間前に覗いた、11歳になったばかりのアストラエアが魅せる、愛らしい寝巻き姿。自分のものを責め立てずにはいられない夜のことだった。アストラエアを手に入れてみせる。自分のものにしてみせる。

 だが、妻に売春宿へと通っていたことが分かると、婿養子であった彼はいったんの窮地へと追い込まれた。辛うじて諸々の危険を回避するも、低迷していく日々に焦る一方であった。親族同士の社交の場でアストラエアの父母に逢うと、今度は自分が馬鹿にされているようで、惨めな気分になった。

 そんなときだった、魔柱(デモヌ)による大奇襲が起こったのは。かくして、彼の家族はひとり息子を残しては全員死んだ。アストラエアの家族についても、ほぼ同様だった。

 パスカリスは、幸運だった。

 魔柱(デモヌ)の制圧から半日も経たないうちに、おおよその段取りを固めることができた。まずは、アストラエアの母親――彼の妹である――を精神的に追い込んだ。その時の台詞の端々まで、パスカリスは今でも記憶している。

 こうして、ベアトリクスを自殺未遂に追いやることに成功した。その後、本来は当主となるはずの彼女の兄であり、かつ他に資格のある者が誰もいないという理由によって、行政官は彼をインユリア家の後見者としたのである。ベアトリクスが回復するまでという条件で。一定期間で回復がならなかった場合、彼が当主となる。


『ベアトリクスよ、どうして優先順位を間違えた! 俺は娘を見捨てたのに! これで息子はひとりぼっちだ!!』


 アストラエアを目の前にしながら、パスカリスは当時のことを懐かしんでいた。アストラエアが軍団(レギオン)に入るという計算外さえなければ、もっと早くに彼女を手にしていたのに。そんな運命への怨嗟が、彼を襲っていたのである。


「あ、あぁ………叔父さん、パスカリス叔父さん……!」

「ふたりのときは、パスカリスで構わない」


 その唇を目掛けるために、パスカリスは彼女の頬を左手で包み込んだ。その冷たい掌に、思わず身動ぎをするアストラエア。

 音が鳴った。鈴が鳴るよりは少しだけ低い、小さな音。それは、ロスヴァイセとトールからもらったブローチの仕掛けであった。歩いていると、時折そんな涼やかなる音が発生し、その軽快なるリフレインを風情するという嗜好であった。

 刹那のうちに、ふたりのことが想起される。軍団(レギオン)を辞めれば会えなくなる。愛し者に逢えなくなる。絶対に、絶対に嫌だった。では、それを避けるには?

 本当に、あっという間だった。そのくちづけを、すんでのところで回避するとともに――アストラエアはいま、軍団兵(ミリテム)である。


「うごっ!」

「……お前、なにをやった。さては薬を盛ったな」

「い、いやそれは……」


 その首に掛けられた豪腕は、男の腕力でも切り離せない。そのあまりの豹変ぶりに、パスカリスは狼狽を隠せずにいる。


「おい、パスカリス。お前とは家族でもなんでない。二度とバカなことをするんじゃないぞ」

「お、お前どうした……な、なに言ってる。お前は、お前は俺の……」


 痺れ薬の効果によって認知や動作が鈍っていることを知っていた首謀者(パスカリス)は、強引にアストラエアを押し倒そうとする。その先は、薬物入りの葡萄酒が仕掛けられていた角卓だった。

 そして、押し倒されてしまうアストラエア。葡萄酒のグラスが甲高い衝撃音をともない、その破片を床へと散らしていく。


「お前はなあ、アストラエア。ずっと前から、ずっと前から、俺の……の……? おおおおおっ!!」

「……」


 軍団兵(ミリテム)が薬物への耐性を訓練しているのというのもあったが、特等兵団(カリウス)たる彼女に、並みの男が勝てるはずがないのだった。

 押し倒された際だった。彼女は両手でそれぞれ、パスカリスの前襟と後ろの襟首とを握って、引きつけながら交差(クロス)させることで――袖車(そでぐるま)締めを決めていた。その早業は、さながら死神の鎌である。


「ぶ、ぐあは、はがあッ」

「もう出る。二度と招待するんじゃないぞ、豚が」


 アストラエアは、憤怒だった。

 叔父の懇願など無視し、全身で全身を引きずるような格好で歩き出す。開扉すると、そのまま自室に赴こうとして――床へと倒れ切ってしまう。

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