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第1話 卑 密

 イーオン教国が建国されてより数百周年を祝う式典は、果てしなく続く大通り――石畳によって紡がれたその道の中央を、教皇と、そのひとり娘である皇女とが、共に豪奢かつ巨大なる馬車に乗ってそそり出でるという演出によって締められる場面であった。

 賑やかな雰囲気だった。市街に住む住民の大半が、窓から、街路から、それを眺めている。みな、お世辞にも優雅とは言えなかった。簡素なチュニックを羽織っただけの、そんな装いだった。だが、これから聖アンジェロ宮殿へと馬車が登るにつれて、次第に奢侈(しゃし)的、かつ公的な装いを身にまとった集団へと移り変わってゆくのだろう。

 大いなる式典のなかで、大通りからは数本はずれた、馬車2台がようやく離合できるかどうかという通りを――アストラエアは、疾駆していた。

 群青色の戦闘衣(アーラ)、それは簡素な装いに見えるも、戦での実用に耐えうるだけの性能はもっている。ジャンパースカート状に編まれた上着の下には、これまた薄い藍色のキュロットスカートが覗いている。彼女は、とにかく疾駆していた。敵を追っていたから。


「……ステファ、右に行け! パレードが貴族連中の郡列に差し掛かる前に、このことを本隊に連絡するんだ!」

「はい! しかし、隊長は?」

「いいかステファ。さっき連絡を受けた、ゴロツキどもが市民を襲っていうという通報は罠だ! わたしたちの十使隊(コントゥベルニウム)だけじゃない! 他の隊も別の通報で出かけて行った……わたしは、単騎であいつらを追いたいと思う」

「ひとりでですか!? か、確証はないんでしょう? それに実際、あいつらは市民を襲ってましたよ!」

「そうだ、確証はない! だが、十使隊(コントゥベルニウム)の半数が本来の持ち場から離れていることは確かだ。それに、あいつらゴロツキなんて雰囲気じゃなかった。とにかく、みんな戻れ。本隊の列に合流せよ!」

「分かりました……」


 アストラエアの部下たちは、右の脇道に逸れた。パレードの列を警護する百使隊(ケントゥリア)へと合流するために。ところで、彼女には隊長として単独行動をせねばならない理由が他にもあったし、さらに悪い予感もあった。


「おい、子どもを返せ!」


 アストラエアは、叫んでいた。さっきから追っているゴロツキどもは、どさくさに紛れて子どもをひとりさらっている。それは偶然にも、アストラエアの学校(スコラ)時代の旧友の子どもだった。幼子ゆえに、成年ならば軽々しく持てるほどの重さである。

 それにしても異常な体力だ、と彼女は思っていた。軍団(レギオン)の兵に何分も追われて息が切れないところを見るに――その予感は的中しているようだった。

 もうすぐ、もうすぐだ! と心に息巻いてアストラエアは、外套(がいとう)姿の3名のうちの最後者へと迫る。すでに、彼女の|射程距離|《・ ・ ・ ・》に入っていた。

 ここで、目の前の者の挙動がおかしいことを察する。逃走の真っ最中にしては、不自然な動きだった。また、真後ろからも何者かの影が――


「隊長! 間に合いました」

「ステファ、どうして?」

「あたし足が速いんですよ。だったら役に立て――」

「ステファ伏せろっ!」


 さえぎる声が出始めるのと同時だった。目の前の地面が突き出るように爆発したなら、土々の鋭い破片がふたりを飲み込もうとしている。

 ステファを抱えながら真横に跳んだアストラエアだったが、先を走っていたステファは、その破片を少なからず浴びたようである。肩を抱えてうずくまる彼女を抱っこするようにして、(かたわ)らへと寝かす。


「馬鹿! もう少しで重傷だったぞ!」

「ご、ごめんなさい、だって、だって、ひとりじゃ……」

「……もういいよ、ありがとうステファ」


 にっこりと笑ってから、すぐにまた走り出す彼女だった。敵の正体について、ますます確証が深まってゆく。

 走り出した彼女は、速度を上げて、上げて。何十秒かが経って、ようやくまた追いついた。もうすぐ射程だった。だが、近づきすぎてもさっきの削土魔術の餌食になってしまう。


「ちょっと遠いけど……槍の神よ、どうか……」


 アストラエアは、背中に(つが)えていた矢筒――といっても、入っているのは投槍(ピラー)であるが――を右腕に持ち、身体全体で振りかぶった。左右の快い足運びと、完全に弛緩された右肩の筋肉だった。左足が接地しておよそ1秒後、その一閃が――ゴロツキのひとりを刺し貫く。


「げああああっ!!」

「そのダミ声っ!」


 さらに、走る。アストラエアは走る。二番目を前を走っていた者が、一瞬だけこちらを向いた。そして腕を振ったかと思うと、軒に並ぶ商店の木製の屋根が、けたたましい破壊音とともに飛び去った。そのまま、アストラエアの頭上へと向かって――


「その、歪んだ魔力の使い方っ!」


 彼女は、飛翔した。空中で姿勢を整えつつ、正確な角度でもって屋根を踏み潰しながら投槍(ピラー)を構える。その後は、さらに上へと跳んだ。

 その者は、手のひらをアストラエアへとかざし、再び操気魔術を放つという考えだったが――屋根の上で放たれた投槍(ピラー)の一撃で、その身体は貫かれた。


「う、うそだ、どうして投げ槍なんかで、俺のかrd……」


 着地の際、その靴底で踏み潰されるのが魔術師の最後だった。


「お前らはああああぁっ!!」


 最後のひとりへと追いすがる。敵は、当然ながら必死で逃げていた。延々と続く石畳だったが、もうすぐ市外へと続く門がある広場が迫っている。普段は固く閉ざされているが、盛大な祝い事である今日だけは、他国からの入国検査のために開かれている。が、ここも血の海と化してしまう恐れがあった。

 それは、あまりに急だった。最後の敵がこちらを振り向いたのだ。アストラエアは知覚した。その男の脇に抱えられている幼子と、右腕に構えられている片手弓を。この瞬間に、それまでの推測は確信へと変わったが、それはまた、電光石火で弓矢が放たれた瞬間でもある。

 彼女は、背中に仕舞っていた長槍(ピルム)を構えた。先ほどまでのピラーとは異なり、これは長柄(ながえ)の槍だった。アストラエアの手首の先がくるりと反転しただけで――


魔柱(デモヌ)よ、散れッ!!」

「馬鹿な……」


 弓矢を折り飛ばし、(はた)から見れば異常な速度でもって、アストラエアの槍が魔柱(デモヌ)のひとりへと迫る。その地点は、石畳と広場入口との境界であった。

 突如、耳をつんざくような破裂音が聞こえた。いや、まず衝撃が到来してから破裂音が聞こえたような気もした。とにかく、アストラエアは吹っ飛ばされていた。民家の壁に激突し、目を回しそうになっている。どうやら、首根っこからぶつかったらしい。


「なんだ、いったい? 敵は……敵はっ!?」

「やってくれましたね」


 アストラエアは、混乱だった。

 目の前の敵をどうにか認識したいものの、よく分からない状況だった。だが、敵は近づいてくる。アストラエアの約十歩ほど手前で、その男は止まった。


~ ✩ ★ ✩ ★ ✩ ~


 アストラエアは、ぶんぶんと(かぶり)を振って、その男を見据えるのだった。それは真っ青な外套(ローブ)だった。イーオン教国の市民が着ているものとは明らかに系統が異なる。異国のものであるのは間違いない。

 それに、さっきの爆発は――直接に起動を見てはいないものの、それが魔術だという確信が芽生える。男は、(たたず)んでいた。彼女には、それが不思議でならなかった。


「どうして? どうしてさっさと攻撃しないの?」

「失礼。なかなか綺麗でしたので」


 魔柱(デモヌ)の軍勢には、不思議な行動を取る者がいるという。戦場の真っ只中でこのような戯言を吐く者など、軍団(レギオン)にはいない。だが、チャンスはチャンスだった。


「どうやって入った?」

(わたくし)、障壁に関する魔術が得意でして。ほら、神使(アンゼルス)って原始的な魔法が得意でしょう。それで、こういうわけです。さて……」

「で、デカラビ、あ、様……」


 さっきの魔柱(デモヌ)だった。ローブは破け、張り出した肌が焼けただれている。その下腹部には幼子が倒れていた。不幸中の幸いだった、この男が陰になったおかげで助かったらしい。


「なかなかの活躍でした……ご苦労様です」


 聞こえてきたのは、デカラビアというらしい魔柱(デモヌ)の魔術師が、男の頚椎(けいつい)を踏み砕いた音だった。


「……!」

「戦場ならば当然でしょう、それに永くもなかったし。むしろ、楽に死なせてやったのです」

「それで……」

「?」

「それで、わたしなんぞに構っている理由は? お前が将なんだろう?」

「あなたが、美しいから」

「……」

「食したくなったのです。美味そうな女だ。犯した後に、串焼きにしてやろう。ワタ抜きの瞬間が楽しみになってきたぞ」

「……お前」

「うん?」

「わたしを食べる算段になったとして、死体は捨てる気になるだろうな。間違いなく」

「試してみましょうかッ」


 その声とともに、アストラエアは振り返って走り出す。幼子のことを考えながら。再びの疾駆だった。

 敵軍は、恐らく本気だと思った。このままだと教皇と皇女の身が危ない。催されている式典パレードの長い、長い行列の前後には特等兵団(カリウス)が付いているから心配ないと思われたが、6年前のように奇襲的に大軍で攻められる可能性もあった。


「遅いですよ、神使(アンゼルス)

「馬鹿な、あんな服装で……」


 長ったらしいローブを身にまとってなお、アストラエアに追いすがるこの男。さっきの印象だと、背丈は彼女より頭一つ分は高い。体格で完全に負けているせいもあるが、体力でもあちらに優位があった。もうすぐ追いつかれてしまう。

 アストラエアは、デカラビアの対角線上の位置にある。そして、両者の距離はやがて……。


「ほら、逃げろ逃げろ。そらっ」


 それが魔術だということを直感して、アストラエアは振り向いた。これは、とっさに思いついた作戦だった。幼子を助けるための。一気に飛翔して屋根の上へと登り、全力ダッシュで幼子の位置へと戻る算段だったが――


「え……」


 それは、魔術ではなかった。ただの布で巻かれた円形の球が、彼女へと放り投げられている。これは――

 アストラエアは、直知だった。


「させるかあああぁっ!!」


 長槍(ピルム)の柄部分で、その球を弾き返した。と同時に、屋根へと跳ぶ。デカラビアへと打ち返されたそれは、彼が回避のポーズを取ると同時に炸裂した。


「急げっ!」


 アストラエアは、低層な家々を屋根伝いに戻っていく。やがて、幼子の居る位置へ。死体をどかし、子どもを抱える。幸いにも気を失っているだけだった。


「よかったね……」


 その子を愛しげに抱きしめながら、安心するのはまだだ、と直感したときだった。斜め上から、獣のような影が飛び出してきた。それは、アストラエアが反応するよりも早く――体当たりを浴びせられた彼女は、石畳へと叩きつけられる。子どもは放り出してしまった。


「く、くそ!」


 鳥型の魔柱(デモヌ)だった。禍々しい形状の毛むくじゃらの肉体に、背中からは翼が生えている。アストラエアを一瞥すると、ひと声だけ吠え立てた。よたよたと歩いて、幼子をむんずと捕まえる。


「はははは、こいつらは飛べるんですよ。お前たち神使(アンゼルス)の羽とは違ってね」


 そこには、デカラビアの姿があった。無傷だった。余裕たっぷりの笑顔でもって、彼女へと近づいてくる。アストラエアは危険を感じ取ったのだろうか、じわりと真後ろへと退く。


「本来ならば、格好よく魔術で決めるところですが。私、この爆弾というものが好きでして」

「……なんだ、それは」

「火薬を詰めた入れ物……そう、これは魔術道具(マギアツール)です。魔術を補助するのです」

「そんなことはどうでもいい、その子を返してもらうぞ」

「状況を考えて下さい。どうやって? あなたを捕まえるのにも時間がかかりそうですし、ここは退散することにします。それでは……おっと、あなたの名前は?」

「外道に名乗る名はない」

「残念です。それでは、この子は良い奴隷に育つよう教育してあげますので」


 デカラビアの真下に魔法陣が現れたかと思うと、そのまま青白い光に包まれ消えていった。鳥人も、幼子を抱えたまま飛び去っていく。彼女には、それを眺めることしかできない。やがて、敵中にある幼子が目を覚まし、泣き喚く音が聞こえてくる。

 アストラエアは、無念だった。

 どうにかして、どうにかして助けたい。だが、神使のもつ羽というのは宙を舞うことができなかった。滑空なら出来るのだが。

 色々と頭を振り絞って考える。彼女は、周りを見渡した。大通りの方向からは火の手が上がっている。その上では、数多くの鳥人らしき影が散り散りに逃げ惑っていた。攻撃は失敗したようである。そう思ったのと、閃きは同時だった。

 アストラエアは、この区画で最も高い教会(エクリシア)へと、疾走を始めるのだった。




 ロスヴァイセは、たったふたりの孤独の中、剣を振るっていた。

 いま、彼女の脳裏には数分前のことがありありと思い出されているのだが、戦いには邪魔なものでしかなく、かぶりを振りつつ、目の前の鳥人に対して集中を高めた。クチバシを受け流しつつ、二刀流の短剣(グラディウス)でもって、ヴァリアルな回転撃を決めてみせる。首元を斬られ、のたうつ魔柱(デモヌ)の喉元に、一閃。

 建国式典におけるパレードの護衛は、百使隊(ケントゥリオン)と特等兵団の4名のみで行われていた。そんな中、市街の辺々で事件が起こっている模様で、いくつかの十使隊(コントゥベルニウム)がゴロツキ共の狼藉を収めるべく駆り出されていった。

 賑やかな行事だから出動も多いのだろう、と油断してしまったのは、普段のロスヴァイセならば珍しい出来事だった。さっき、ちらりと見かけたアストラエアの十使隊(コントゥベルニウム)のことを思い出し、いい加減に帰ってくる頃だろうかと思っていたところ、一気に火の手が上がったのである。

 あまりに目に付く、真っ青な出で立ちの男が空中から飛来してきた。行列の最後尾を守っている百使隊長(ケントゥリオン)の真上に位置しているのを視認したときには、もう遅かった。男は、削土魔法を放った。イーオン教国においては地裂撃と称される、地面への加重をもたらす魔術だった。

 ぐしゃりと潰れた百使隊長(ケントゥリオン)の死体と、そこに立った不気味な出で立ちの男。その男が、何やら球状のものを軍団兵(ミリテム)に向かって投げ込んだなら、耳をつんざくような破裂音とともに、一斉に集団が狼狽を始めたのだった。

 それを確認すると、男は光に包まれて消えた。青いような、白いような、とにかくロスヴァイセにとっては不気味な光だった。その後、こうして大挙する鳥人らとの死闘を展開している。残りの軍団兵(ミリテム)は、ほぼ全滅していた。


「ヘイム、大丈夫!?」

「……問題ないわ。ヴァイセ」


 あれだけ多かった鳥人も、残りは数十体まで減っている。ロスヴァイセが斬ったのはせいぜい30体といったところ。だが、ヘイムヴィーゲはその3倍以上もの敵を(ほふ)っていた。背中合わせにも、ヘイムヴィーゲの放つ闘気が伝わってくるようだった。


「さすがね、あなたの槍。シグルド様から託されただけある」

「……」


 恥ずかしげに(うつむ)くヘイムヴィーゲだった。その彼女から小突かれて、真上に敵人が迫っていることを察した。グラディウスを交差させるとともに、その刃にまとう、風という名の研磨材をイメージする。

 ロスヴァイセは、飛翔した。剣兵である彼女だったが、ある程度は実用的な魔術が使用できる。操気の魔術を用いて、真下から一直線に敵の懐へと。避ける余裕はなかったようで、胸元からクロス状に裂かれた鳥人の傷口から血が噴き出した。返り血を浴びつつ、鳥人の身体をクッションにするようにして地面へと着地する。


「……そうやって、戦士でありながら実用的な魔法が使えるんでしょ? わたしにはできない。わたしより、ずっと才能がある」


 そう言い終わって彼女は、一般兵士のものよりは若干短めであろう、その槍――天魔槍、ニジェルアルクスを構える。

 そうして、軍団兵(ミリテム)としては極端に小柄な肢体でくるりと舞った。天魔槍を番える。己の魔力を魔術的な武器へと抽送するには、独特の姿勢やリズムを要することが多い。

 その斬撃は、重力だった。このふたりを恐れ、高く空にあった鳥人らの肉体は、無残に街道へと落下していった。

 特等兵団(カリウス)にも、当然に序列というものがある。合計で11名いる兵団の中で、そうした魔性の武器、魔器(アルス・マグナ)を与えられているのは4名だった。そのうちの3名が、今日この場で特別の護衛にあたっている。


「残りは飛び去ったわ! ヘイム、これから馬に乗って巡回しようと思うんだけど。あの青いローブの男も気になる」

「……あいつらが飛び去った方向を追いましょう。概ね、一方向に逃げてた。例外も何匹かいるけど。はやく終わらせたい」

「ヘイム、珍しく喋るわね。もしかして、こんなことになったの怒ってる? はやく、シグルド様に逢いたいんだぁ~」


 ――ヘイムヴィーゲは、想った。

 特等兵団(カリウス)の将たるシグルドは、行列の先頭に立って避難誘導をしているはずだった。それに、剣を振るっているに違いなかった。その側には、フレイが居るだろう。ヘイムヴィーゲと同じく、魔器(アルス・マグナ)のひとつである――熾星剣リエラムを託されている。隊の中ではシグルドに次ぐ存在で、そんなふたりが息を合わせて戦っている光景を想像すると、ヘイムヴィーゲの小さな心臓は切なく震えだす。

 栗色の、湿気を含んだような色合いの髪をブンブンと振り回すヘイムヴィーゲ。打ち捨てられた軍馬を目掛けて、まっすぐに走っていった。ロスヴァイセは、「早く結ばれたらいいね」と冗談を言いかけるも、思い留まった。

 状況を再認識したのもそうだが、アストラエアという存在が気になっていた。1年に何度か見かける程度ではあったが、一応は幼馴染という事情もある。すっかりと階級も離れてしまったが、今でも夢に見る。ロスヴァイセにとって、彼女は――そんな存在だった。


「……ヴァイセ、早く」

「あ、ご、ごめん」


 幸いにも、ロスヴァイセが乗っていた馬は目と鼻の先にうずくまって怯えていた。何度も頬をさすって、気持ちを落ち着かせてやる。柔らかい茶色の獣毛だった。幾度となく軍馬の身体を撫でて、ようやく走れる心持ちになってくれた。見るに、鳥人の群れは北東の山陰(やまかげ)に向かっているようだった。

 走り出してから何分が経ったろうか。時間が経つのはあまりに早かった。急がなければ敵が逃げてしまう、そんな時だった。空中に、あの鳥型の魔柱(デモヌ)の姿があった。ふたりよりも、だいぶ先の方にそれは飛行している。


「ヘイム! あれ、撃ち落としとこう!」

「ま、待って。すぐには使えないの。槍に送り込む魔力を用意しないと……できた」


 ヘイムヴィーゲは、いつもの呟くような口調でもって、ニジェルアルクスを構える。槍の穂先に魔力が集まっていく――


「待って!」


 ロスヴァイセは、その敵影の不自然さを察した。あまりに、よろよろと飛びすぎている。怪我でもしているのだろうか、いや、そうではないとロスヴァイセは直感した。よくよく観察してみると、その背中には――何かが乗っている。 


「誘拐……されてるの? 山陰までは距離はある。じっくりと、観察するのよ……」

「ヴァイセ、あれ。乗ってる誰かが、鳥を蹴ってる……」

「な、なんですって!?」


 どんどんと、高度を落としていく鳥人だった。荷物を運搬するための鳥獣というのも、このフィーニスという世界には存在しているのだが、亜人型のそれに、神使を長時間に渡って運ぶ役割など期待できない。どんどんと高度は落ちていくが、最後のひと踏ん張りとばかり山陰へと至る大橋のたもとを乗り越えて、それは落ちたのだった。

 ふたりは、走った。あと1,2分もあれば到着だった。やがて、大橋を越えて山陰の真下にある湿地帯まで辿り着いたなら、戦闘音が聞こえてくる。なにかで、なにかを殴っているような音だった。

 そして、森林の陰に入ったふたりが垣間見たのは、サイドポニーに結ばれた輝髪を振り乱しながら――現在進行中で、敵陣に突っ込んでいるアストラエアの勇姿だった。さっきの鳥人は、息も絶え絶えに寝転がっている。

 橋を渡ってすぐの其処は、少しばかり開けた場所だった。その奥は、完全に湿地帯であり、どこまでも池沼(ちしょう)が広がっているばかり。アストラエアの視線の先は――あの男だった。真っ青な魔道衣を着ていて、百使隊(ケントゥリア)を葬ったあの男だった。すぐ側の地面では、さっきの子どもが今にも泣き出してしまいそうに震えている。

 アストラエアを目掛けて、ロスヴァイセとヘイムヴィーゲは走り続けた。もうすぐだ、もうすぐとでも言わんばかりに。


「なかなかやりますね。どうやって、ここまで来たんですか?」

「鳥どもが逃げてきてるのを見て……教会(エクリシア)の屋根によじ登って……滑空して……その1匹を捕らえたッ!」

「ハハハハハハハハッ、どんなお転婆さんだ、まったく面白い! どうして、そこまで追う? いったい、何があなたをここまで来させたんですか? 作用因じゃなくて、目的因の方です」

「お前のせいで亡くなった者たちの想いが、わたしをここまで導いたのだッ!」

「あ~、そうですか。ちなみに、私の方はもういいんですよ。今日はね、攻略じゃなくてその前準備なのです」


 あいつらは囮に過ぎない、とついうっかり口走りそうになり、デカラビアは沈黙を保つのだった。

 敵対者同士の距離が、どんどん短くなっていく。アストラエアへと群がっていた鳥人たちはすっかりと後ずさりして、戦意を無くしていた。アストラエアが、長槍(ピルム)を構える。デカラビアは、障壁を発生させるとともに、魔術道具(マギアツール)たる――爆弾を取り出すのだった。それは、長細い円柱状のものだった。


「今度のは、威力が高いですよ」

「受けてたとうじゃないか。行くぞぉッ!!」

「こおのボンクラがああああああッ!!」


 アストラエアは、浮遊だった。

 追いついてきたロスヴァイセの鉄拳を食らったためである。


「あんたは、馬鹿なの!? なにかあったら、自分で行動するんじゃなくて、まずは本陣に合流しなさい! さっきのだって、あの鳥があんたを振り落としてたらどうするの、このバカバカバカバカバカバカバカバカ!! それに」


 ロスヴァイセは、デカラビアを睨んだ。その巨躯の男は、にやりとした笑みを(たた)えている。


「3対1になるけど、いいのよね」

「てっきり、サシでやらせてくれると思っていたのですが」

「そんなわけないでしょ。来る途中にヘイムが教えてくれたわ。城壁(モエニウム)の魔術師、デカラビア。うちの軍団兵(ミリテム)を千単位で殺してる」

「知られていては油断させることもできない。しかも、恐らくは特等兵団(カリウス)の複数名が相手。負けるでしょうね」

「……」

「今回の目的は宣戦布告です。先日、うちの攻略役があなたのところの兵団に打倒されたでしょう。シグルドでしたっけ、あのゴツイ奴。こちらとしては、大将が倒されてもまだ代わりはいますから。今日の式典というのは、あなた方の凱旋式の意味合いも含んでいるのでしょう。まったく、気分が悪い。だからこうやってお伝えに来たのです。6年前みたいに」

「黙れッ!!」


 アストラエアとロスヴァイセが激昂するのと同時だった、周囲で休んでいた鳥人らが一気に飛び上がる。バサバサ、と単体ならば五月蝿いだけの音でも、これだけの数があると一瞬だけ気が逸れてしまう。


「さようなら。あ、この子はもらっていきます。雌の神使(アンゼルス)なんですね、じゃあ長生き(・ ・ ・)するでしょう。2、30年くらいは」


 そのまま振りかぶって、デカラビアは一直線に爆弾を投げ切った。その軌道は、まさに一直線で――アストラエアを狙っている。魔法陣とともに、消えかけるデカラビア。


「があ、うごご……」


 ヘイムヴィーゲの槍が、デカラビアの右脚を押し潰している。魔器(アルス・マグナ)の力を受け、加速するヘイムヴィーゲ。デカラビアが幼子を手をかけるより前に、その子を抱えてデカラビアの脇を通り去った。

 同時に、衝撃音が響く。アストラエアの投槍(ピラー)と、ロスヴァイセの短剣(グラディウス)の投擲とで――目標に届くことなく、爆発物が四散したのだ。


「ぐ、くそお、覚えてろ……」


 デカラビアが逃げ去った跡で、三者は立ち尽くしていた。そこには1匹たりとも敵は残っていなかったし、功績といえばヘイムヴィーゲが取り返した赤子ぐらいだった。


「……アストラエア」

「……はい」


 彼女は、急にしおらしくなってしまって、


「久しぶり」

「うん、久しぶり」


 会話をしたのも、およそ3年ぶりだった。それほどまでにふたりの距離は離れていた。


「ぶ、ふふっ」

「なにがおかしいの、アストラエア」

「顔、ひどいよ。黒焦げ」

「うるさい、あんたもでしょっ」


 久方ぶりの、心理的な意味での再会を喜ぶふたり。その様子を、湿地帯まですべり込んだことで泥だらけとなったヘイムヴィーゲが、微笑ましい佇まいでもって眺めていた。


~ ✩ ★ ✩ ★ ✩ ~


 アストラエアは、羞恥だった。

 任用式は、それから1ヶ月後に行われた。十使隊長(デクリオン)から、特等兵団カリウスへの編入が決定したアストラエア。今日は、その晴れやかなる任用式である。

 幼子は、確かにアストラエアの幼少期の友だちの子であった。しかしながら、その嫁ぎ先というのが執政官にも連なる有力な貴族であり、その功績を讃えられてのことだった。無論、式の前には、特等兵団(カリウス)の隊長であると同時に軍団(レギオン)総督(デュクス)であるシグルドからの内示があった。

 こうして、恥ずかしさに震えながら――アストラエアは入団を決意した。それは、神生の目的を果たすためであると同時に、たったひとり残された家族のための選択であった。

 聖アンジェロ宮殿から、ふたつ隣にある軍団(レギオン)の兵舎。その中央広間において任用式は執り行われている。整列した軍団兵(ミリテム)の中から、アストラエアの名が呼ばれた。今回は異動に際しての式なのでアストラエア以外の任用者も当然にいるのだが、特等兵団たるからには、その名前は最後に呼ばれるのが伝統であった。

 演台の前へと、歩み出るアストラエア。そこにはシグルドの姿があった。戦場と同じく鈍色(にびいろ)の鎧を身に付けており、背丈は彼女より大分大きい。そんな彼が、特等兵団(カリウス)であることを示すメダルを授与しようとしている。


「アストラエア=インユリア」

「は、はびっ」


 会場内に、どよめくような笑いが起こった。普段、緊張ぐせのある彼女ならば当然であった。シグルドは、「気にするな」というポーズを送った。


「この度の活躍は、イーオン教国の軍団兵(ミリテム)として模範となるべき行動であるからして、この度の実績に係る評価により、貴君を特等兵団へ任用します。俸給表(ぼうきゅうひょう)、6級の4号を与える……おめでとう」


 特等兵団(カリウス)の証明たるメダルを授与され、カチコチのままで自分の列へと戻ったアストラエア。明日からは、ここが自分の列ではなくなる。もっと、ずっと向こう。特等兵団(カリウス)の列へと移動することになる。

 シグルドが、宣戦布告に対して新たに決まった戦略方針について述べている間に、アストラエアの脇をつつく者があった。


「エア隊長♪」

「もう、やめてよステファ。隊長じゃないからっ」

「いやいや、明日になるまでは隊長ですって。おめでとうございます。また、一緒にご飯食べましょうね」

「う、うん。でも……ほんとに……」

「……ほんとに?」

「ステファ、今まで本当にありがとう。また遊ぼうね!」


 うるうるとした瞳に、上目遣いで訴えかけてくるアストラエアに、ステファの心は射抜かれてしまう。いや、とっくの昔に射抜かれていた。だから、あのように危険だと分かっている場面においても、彼女を心配して付き添った。


「それでは解散。各自、自分の職務に就いて下さい」


 アストラエアは、憂鬱だった。

 あんな戦闘のエリート揃いの中で、果たしてやっていけるだろうか。その不安が、彼女を支配していた。やがて振り向いて、自分の兵宿所に向かおうとすると――ロスヴァイセが立ち尽くしている。視線が合った。逸らした。


「ねえ、エア」

「なに? ヴァイセ……」


 エア。そう呼ばれるのは本当に久しぶりだった。


「ちょっと、こっちきて」


 そう言われて、兵宿所の池側の暗がりへと案内される。


「ねえ、エア。前から思ってたけど、あなたって……戦闘の時だけ、なんか違うよね」

「一緒だよぉ、一緒だから!」

「エア、お願いだから。こっちに来たら、もうちょっとだけ()らしくしてよね」

「え、え、どういうこと……あ、いや。分かるんだけど、分かるよ。言ってること」

「どういうこと?」

「ええと、それは。わたしの、わたしの……とにかく、わたし明日からは、しっかりす……んああああぁぁぁっ!!」

「しっかり、するのよね?」


 ロスヴァイセが握っていたのは――アストラエアの股間だった。


「う、うぎゅうう、うああ、やめてえ、やめてよヴァイセ……」

「言葉と行動が一致してないんだけど」


 アストラエアの股間は、膨れ上がっていた。それは次第に明らかな棒状となって、キュロットスカートの上からでも分かる程度の、鮮明なシルエットになっていた。


「明日から……頑張るのよ、エア」

「は、はいぃ……男らしく、頑張りますぅ……」


 彼女(・ ・)の下腹部から延びている慎しげではない膨らみは、今にも弾けてしまいそうだった。

 (第1話、終)

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