出会い。
少年は駅前のバッティングセンターに来ていた。
彼にとって、高校こそやらなかったが、中学は野球部だったこともあり、野球は数少ない気晴らしの一つだ。
守備が下手だったためにレギュラーにはなれなかった彼。しかし、打撃はチームでも一二を争うほどの実力があった。高校に入り、野球は続けなかったものの、素振りは続け、毎週のようにバッティングセンターに通いつめていた。ゆえに彼の唯一の誇りといってもいい。
「今日も打つねぇ、陸也くん」
打ち慣れた120キロのマシンをいつものように打ち終えたところにかけられた顔馴染みの従業員の言葉。彼ははいつも打ってるから当たり前だろと、いう気持ちを微塵も見せずに、偽りの謙遜の笑顔を浮かべた。
「陸也……」
両親は出張中、学校では名字しか呼ばれない。1週間ぶりに聞いた自分の名前を小さくつぶやきながら、自分がこんな存在だったと思い出す。
上野陸也、それが彼の存在を示す名前。
――正直本当に存在すべきかわからない名前。存在しないほうがこの世界の秩序にはいいのかもしれない。
考えを深め始めようとする彼――陸也の目の前で、130キロのケージが空いたので、深めるのを止め、入った。
何球か打って、時折少しフォームに僅かな変化をつけて、また打つ。いつも通りのルーティーンを行う。ただひたすらに、黙々と。
他にも何人か近くで打っているはずの空間の中で、陸也がいるケージだけが静寂に満ちている。
その静寂を打ち破ったのは、陸也も打つたびに聞いているであろう音。
カキーン
隣のケージから聞こえてきた音。普段なら、陸也には聞こえていないであろう。しかし、今回に限っては、わずかに引っかかりを覚えていた。
陸也は隣を見る。そこに入っていたのは女の子だった。陸也からは後ろ姿しか見えない。
ボールが放たれる。ほんのわずかな時間の後、バットと接触したボールが向かった先は、赤く丸いパネルだった。彼女はそのボールをホームランにしたのだ。
陸也のケージよりも確実に早いボールを。
――ありえない。
先ほどまで集中しすぎて陸也の記憶の中から消え去っていた事実を思い出し、違和感が驚愕に変わった。
隣のケージ、それは、140キロと、5種類の変化球を持ち、このあたりで最強と言われるマシンのゲージ。
さらに、このバッティングセンターのマシンはマシンにしては重く鋭い球を投げる。ゆえに全てのマシンが表記より1〜3キロほど速く体感され、このマシン特有の癖も存在する。並の人はまず返り討ちにあい、プロレベルでも、初見では苦戦を強いられる。
その球を軽々と打ち返す。それがどれだけすごいことか、言うまでもない。
驚きのあまり、彼は自分のケージの残りの球を打つのも忘れ、たまたま近くにいたさっきの従業員を見つけて、あの子よくここに来るのか、と尋ねた。
しかし、帰ってきた答えは、
「いや、人の顔を覚えるのは得意な方だが、あんな子は記憶にないよ」
初見。恐るべき能力に彼は驚きを通り越して、畏敬の念すら感じ始めていた。
もう彼にとって、自分のケージのことなどどうでもよかった。
――その信じられない光景をを観察したい。
陸也の中にあったバッティングへの向上心、高校生になって、野球はやらないがバットは振る、という矛盾をを作り出すほどに大きかったそれは、彼のすべてをその信じられない光景に向けさせた。
しかし、その向上心が、その光景に一点の曇りを生じさせた。基本的にバットの真芯に当て続けている彼女。が、たった一球だけバットの真芯に吸い込まれるようにボールの軌道がほんのわずか上昇したのだ。他の人は気づかないほどにどわずか。けれども陸也の目にははっきりと見えていた。
――ライズボール?
しかし、野球において、それが人間の手で実現されたことはない。ましてや、マシンなど。それがありえないことは明らかだ。
陸也は考える。しかし答えは出ない。
普段の陸也ならここで考えるのをやめる。
しかし今日の彼はちがった。
――わからないなら聞けばいい。答えなければその時は・・・
人間を嫌い、世界を嫌うがゆえに、以前からあった向上心にすべてが向けられ、果てしなく成長を遂げた。がしかし、その向上心は、嫌いなはずの人間に接触するきっかけとなっていた。
彼女が出てきた時、陸也は真っ先に駆け寄った。彼女は陸也の顔を見て驚いた様子だったが、そんなことは今はどうでもいいと思う陸也。
「お前、何をしたんだ。あれはゲームのチートレベルでおかしいぞ」
彼女も言った瞬間に何のことか理解していたようだった。しかし、少し考えた後、彼女が発した言葉は答えではなかった。
「ねえ、私と勝負しない?」