義姉を“……”と呼んだ件。
軽くシリアスです。
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叔母さま——エルゼ様の出立の日は快晴だった。
「……これでさよならね、メリアーゼ、ジョシュア」
「はい……」
姉は唇を噛み締めて、涙を堪えているようだ。
その姿が痛ましげで、思わずその肩に手をおこうとしたら、ズザザッと後ずさった。
え、こんな時でも駄目なの?
姉は随分とシャイなようだ。
肩まで震えている。
僕が安心させようとニッコリ笑って手を伸ばせば下がる距離が伸びた。
どうしてさ。
口を尖らせていると、うっ、と声がした。
そちらに目をやる。
「お、叔母さま——じゃなくてエルゼ様、どうされました?」
「その、うっうぅっ」
おばさまは顔を覆って声を堪えていた。
ん? と僕はそこで思った。
泣いているようにも聞こえるけど……笑ってないか?
「あの、私もお別れは悲しいですけど、でも、一緒に過ごした時間は忘れませんわ」
「! ……ぶふっうっ、くっふふっ、うっ、わ、わた、ふっ! 私も忘れない、わ、メリアーゼ。ふぅっ、くくっ」
これ間違いなく笑ってるだろう!
何が面白かったのかしらないが、随分な笑いようだ。
そしてそれになんで姉は気づかないんだろう……鈍感なのか?
いつか騙されそうで心配だ。
はぁと聞こえないようにため息をつく。
「姉様、エルゼ様と二人で話したいから、水でも汲んで来てくれない?」
「え? あ! ……うん」
屋敷に来た時の嫌がらせのことだと思ったのか、姉は少し慌てた様子で「じゃあ、汲んでくるわ」と去って行った。
いや、実際僕は何かされた覚えはないんだけどなぁ。姉は僕が嫌がらせされていたと思っているようだった。
「くくっあははっ、はっははっ、……ふうう。ああ、やっと落ち着いたわ。もう、貴方達のやりとり面白いんだもの」
「そうですか?」
目の端に浮かんだ涙をぬぐうその顔は確かに姉に似ていたが、姉の方が薄くて綺麗な目だし、姉の方が……いや、比べたらきりがない。
うん、ともかく姉の方が美人だ。
「——で、何かしら? 屋敷に来た時のことなら、私の作戦だから謝らないわよ?」
「作戦?」
「そうよ! 貴方とメリアーゼを仲良くする作戦!」
意地悪して仲良くさせようって?
なんか、随分と……
「子供っぽいですね?」
「え?」
言ってしまってハッとした。
結構失礼な言葉だ。
「あ、いや、その……」
「ふふっ、くくくっ、あ、あは、あははっ! 久しぶりにそれ言われたわ! そうね、子供っぽいわね!」
「……」
なんで笑ってるんだこの人?
僕は首を傾げるが、それ見てさらにおばさまは笑い声を大きくした。
ひとしきり笑うと、急に真面目な顔になる。
「そのことじゃないなら、何の話?」
「昨日のことです」
「昨日の? ……ああ」
昨日、おばさまが耳元で囁いた言葉。
「メリアーゼは魔法が使えるのでしょう? なら学院に——王都に行かなきゃならない。その時、あなたが彼女を守ってくれる?」
僕は、勿論と頷いた。
だって、姉は僕の……。
おばさまは思案するように顎に指を当て、ふっと意気込むような小さな息をついた。
「貴方、私が子供っぽいって言ったわよね?」
「え、はい」
突然変わった話に目をまばたく。
けれどおばさまが酷く辛そうな顔をしているものだから、何も言えなかった。
「幼児退行、情緒不安定——私のこの笑い上戸がそうね。あげればもっとあるのだけど……ともかくそれらが、私が“あの男”にされたことの副作用よ」
「あの男……?」
おばさまは目を伏せて、自分の腕を抱いた。
少し震えていた。
「私と姉さんの父親、つまり、メリアーゼの祖父。そして、人道に外れた研究者」
そこで、おばさまは少しの間黙り込んだ。
僕は何も言わずに、ただ話し始めるのを待つ。
おばさまは顔を上げることなく、ポツポツと話した。
「私は、不老不死の魔法の実験体だった……だから、私は18の時からほぼ歳を取ってない。でも、ある時を過ぎれば急激に老化するし、きっと死ぬでしょうね。
それに、傷が治らないの。少しの切り傷でさえ、作れば大変なことになりうる。——ようは失敗作よ。姉さんは、そんな私を連れて学園に逃げ込んだ」
研究。実の娘を研究する親。
それは、孤児である僕でさえ分かる、おぞましさ。
「そこで姉はレオンハイト伯爵——あの時は伯爵子息だったわね——と出会い、私は彼と出会った。彼は、私が18の時、やっと10になったばかりの子供だった。なのに、今や同い年くらいにしか見えないのよ。……彼は、それでもいいと言ってくれたけれど」
「——あなたの、」
痛ましげな表情のおばさまに、僕は残酷なことを言う。
「あなたの過去に興味はありません。僕にとって大事なのは、それがどう姉に関わってくるか、それだけです」
ひどいことを言っている自覚はある。
最低なことだとも思う。
でも、僕は何より姉が大切だ。
おばさまは気分を害すどころか、どこかハッとした顔をした。
「そうね。その通りだわ。過去なんて語ることに意味はない。
——単刀直入に言いましょう。その男が、私と姉を実験体にするような男が、メリアーゼを狙ってるかもしれない」
息が止まるかと思った。
予測はしていた。予想の範囲内ではあった。
だけど、聞くと背筋が震えた。
「なんで、姉まで⁉︎」
それは、とおばさまは言いよどんだ。
「私や姉のように生き残ったのは稀で……特に、姉さんは極めて成功に近かった。その子供で、魔力過多に陥るだけの力があって、その上で魔法が使えるようになった希少な例。——あの男が、見逃すはずがない」
おばさまは指をほぐすように動かして、目線を一度もあげなかった。
僕は拳を握る。爪が食い込んだ痛みも気にならない。
「……姉様は、そのことを知っているんですか?」
「そのことって、何を?」
「貴女や貴女の姉のこと、そして、その男のことを」
「……知らないわ、全て、彼女は知らない。今日、伝えていくの。いつかは教えなきゃいけないことよ」
そう言ってふぅっ、とため息のような音を立てた。
表情を伺えば、苦しそうというより、悔しそうに見える。
「……伝えなくていい」
「え?」
「姉様には、言わないで」
自分の声には懇願するような響きがあったことに、僕は少なからずびっくりした。
おばさまは顔を上げる。
驚いているような、納得しているような奇妙な顔をしていた。
「僕が姉様を守るから。だから、お願いだから伝えないで」
「そうは言っても……」
「姉様は、僕のたった一人の家族で、僕の“……”なんだ。傷つけたくないんだよ」
おばさまは思案するように目線を彷徨わせる。
僕と目が合うと、分かったわ、と諦めたように頷いた。
「でも、代わりに私からもお願いよ。貴方の家族がメリアーゼだけだなんて、そんなこと言わないで頂戴——少なくとも、ガイスト、貴方の義父の前では」
「何で? あの人は僕にも、姉様にも興味も関心もない」
違うわ、とおばさまは首を振った。
「ガイストは貴方たちに興味もあるし関心もある。ただ、接し方が分からないだけなの。彼の前でだけで良いのよ。家族だと思って、接してあげて。……そうしたら、私はあの子に何も言わずに、ここを去るわ」
「——ああ。分かった」
そこで僕たちが頷きあったその時、
「水汲んで来たよ〜!」
聞き間違いかと思えるほどに能天気な声が聞こえた。
……姉だ。
いや、水を汲んでくるとかお茶を飲んでくるっていうのは席を離れる時の常套句であって、別に本当にしろと言ってるわけじゃないんだが。
ズレている。やっぱり姉はズレている。
「……うっ」
「……くっ」
顔を見合わせた僕とおばさまは、同時に吹き出した。
笑われてほおを膨らませていた姉は、馬車が来るなり機嫌を直した。
楽しそうにペタペタと触っているのを見て、ようやく姉が馬車を初めて見たのだと気づく。
街にいれば必ず見るだろう辻馬車すら、姉は見たことがないのだ。
「じゃあ、私は行くわ。メリアーゼ、元気でね。ジョシュア、……お願いよ」
それは交換条件のことか、それとも姉のことかは分からなかったが、そのどちらだとしても僕は頷いた。
姉が少し首を傾げる。
僕と姉は馬車が見えなくなるまでその姿を見送った。
「姉様」
僕は昨日と同じように姉様を後ろから抱きしめる。
ひゃっ、という声が聞こえた気がする。気のせいだろう。
しばらく騒いでいたけれど、僕がずっと黙っていると、「……どうしたの?」と心配そうに聞いた。
「姉様は、どこにも行かないよね」
「え、うん、病気も治ったし、別に……」
「どこにも行かないでね」
姉様が戸惑いながらも頷くのがわかって、ギュッと力を強くする。
「姉様、一緒に行こうね」
学院に、と言うより早く、
「え、逝く⁉︎ いやいや、心中はやだよ!」
「……心中なんてしないよ」
唐突に何を言っているんだろうこの姉は。
僕の言葉にホッと安心の息を吐いた姉に、僕のイメージは一体どうなっているのかと思う。
僕は少し腕の力を強めた。
変な音がした。どこかでカエルでも潰れたのだろうか。
×××
エルゼは馬車の中で二人のことを思い浮かべて、ほんのり口の端を上げた。
「ジョシュアは、随分とロマンチックなことを言うのね」
エルゼには一つ、隠していたことがあった。
「不老不死の魔法の、副作用ならぬ作用には——五感の強化っていうのもあるのだけど」
だから、昨日のジョシュアの言葉もエルゼは聞こえていた。
今日、また彼はメリアーゼをそう呼んだ。
『姉様は僕の“双花”だもん』
『姉様は僕のたった一人の家族で、僕の“双花”なんだ』
双花。
その名の通り、二つの花をつけて咲く花だ。
片方が枯れてしまえば、もう一つの花も枯れてしまうことから、花言葉は、
「“貴方なしでは生きられない”……ね。ふふ、やっぱり仲良しじゃないの」
馬車はレオンハイト伯爵領から離れ、エルゼの愛する人の元へと向かっていた。
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