義姉と義弟と波乱の夜の件。3
ちょっと長めです。
「これは、セシリウス第三王子ではないか。
そちらが……ジョシュア・レオンハイト、だな」
「ええ、私の友人ですよ。
……お久しぶりですね、ゼルガ宰相、
まさか、こんなところでお会いするとは、思いもしませんでしたけど」
セシルが普段とはまるで違う、どこか緊張のにじんだ口調で言えば、宰相はひどく低い声でクククと笑いを漏らした。
僕は、思わず唾を飲んでいた。
なんだ、この威圧は。
押されそう、どころか——押し潰されそうだ。
禍々しく、重々しく、息苦しいほどの。
足が下がりそうになるのを必死で押しとどめて、ぐっと歯を食いしばる。
引くな。一歩たりとも引くな。
キッと睨むほどに強い瞳で見上げれば、宰相はどこか面白げにそれを受け止めた。
「……お初にお目にかかります。ジョシュア・レオンハイトでございます」
「ふん、そんなことは知っている。
私が知りたいのは、お前がなぜここに来たか、だ」
握る拳に力がこもる。
何と言えばいい?
セシルに助けを求める視線を向けそうになったが、堪えた。
ここは、僕が越えねばならない最初の壁にして、最大かもしれない壁。
自分でやらないで、人の手を借りて、どうする。
「貴方と、お話ししたいことがあって、きました」
「……ふむ」
宰相が、その目をすぅと細めるだけで、僕は体が震えるのを感じた。
駄目だ、隙を見せるな。
そんな僕の葛藤すら見通して、宰相ゼルガは口を開いた。
「どれのことだ? お前が話したいというのは」
「どれ……?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
しかし、それが人間のことを指しているのに気づいた時、僕は怒りにも似た激情を覚えた。
「貴方は……どうして人間をそんな風に、ものみたいに扱えるんですか……!」
宰相は殆ど何の感情も表さなかった。
冷たい、凍った瞳。
身が竦む。
けれど僕はそれをものともしないほどに、激昂していた。
「なんで、そんなに変然としていられるんですか!自分の家族さえも手にかけ——」
「おい、ジョシュアくん、言い過ぎや」
セシルに小声でたしなめられてやっと、僕は自分が思いのほか大きな声を出していたことを知った。
そして、危うく失言するところだった。
名誉を著しく傷つけたとして、罰せられたかもしれない。
宰相は、どこか不機嫌そうにふん、と鼻を鳴らした。
「例えば……ただ愛しい人を蘇らせたかったのだと、そう言ったならどうだ?」
「なっ……!」
「遥か昔に失った我が妻を、今だ求めていると、そう言ったなら」
言葉に詰まる。
今のは本当、なのか……?
セシルを見れば、彼も分からないのか、ただじっと宰相を凝視していた。
表情からは、何も伺うことができない。
しかし、宰相はいきなり、クククと笑い声を上げた。
「その程度の気持ちで、私に挑むつもりか?
何か理由があってのことなら、許せるとでも言うのか。
甘い男だ、笑わせる」
嘘だった、のだ。
試された。そして、馬鹿にされた。
「お、まえはっ!」
頭に血が上るのを感じた。
鋭く視線を向ければ、宰相はまたふん、と鼻を鳴らした。
「……一国の宰相に向かって、お前だと?
口の聞き方を知れ。竜殺しの養い子め」
憎々しげとも言える口調で、宰相は吐き捨てる。
「理由が知りたいだと?
ふん。そんなのは所詮、興味に過ぎぬだろうよ。ただの好奇心だ」
「罪を、認めるのですか」
「認める? 何を認めると言うのだ?」
僕は、クッと奥歯を噛んだ。
認めされるには、何をしたのか言わねばならない。
しかし、言えば名誉毀損と罰せられる。
——方法がない。
今の僕では、全くもってこの男に勝つことは不可能だ。
それが悔しくて、何も言えなくなってしまうのはもっと悔しいからと、僕は口を開いた。
「……じゃあ、他に一つだけお聞かせ願います。
貴方は、何故ここに来たんですか?」
その質問に、宰相は——笑った。
愉快でたまらないという顔で嗤った。
ぞっとする。
セシルさえ、思わず後ずさったほどに。
「……花を、見に来たのだ」
「は、はな?」
「ああ」
くつくつと、喉の奥から響くような嗤いがその口からもれる。
「親の胎にいる時に種を蒔いてやった。
もうすぐ咲くだろう、巫女と竜殺しが水をやったその花は」
そんな。
この男は……。
「その花を——散らせに来たのだ」
自らを囮にしたのだ!
注意を引きつけ、逃がして、そして……。
「姉さん!」
姉を、殺そうと。
×××
「……ふう」
アリスはやっとひと気のないところに出られて、ほっと一息ついた。
急いで来たせいだろう、メリアーゼの息が上がっている。
「メリアーゼ様、大丈夫で——」
「アリスちゃん、一体何が起こってるの?
教えて」
荒い息のまま、メリアーゼは強い瞳でアリスを見つめた。
思わず、言葉に詰まる。
「そうやで、アリス嬢。流石にこないに連れ回しといて、説明もないのはヒドイわ」
しかし、何と言えばいいのか、アリスにはわからなかった。
ジョシュアは、姉に何も知らせないことを選んだ。
ならば、アリスもそれに従わなければならない。
けれどそれは、こうして質問して来たメリアーゼを蔑ろにすることではないのか?
アリスはどうも、そんな風に思えてならなかった。
メリアーゼの視線が痛くて、アリスはさっとそらして顔を伏せた。
「……っ! 取り敢えず、今から空間を張りますから、話はその中で——」
「逃がさないよ」
少年の声が聞こえた。
アリスはバッと顔を上げる。
誰だ、今のは一体誰だ。
アリスはまた、さっきまでは存在しなかった気配があることを感じた。
「ど、どうなっているんですの?!」
シシシッと耳につく笑いが暗闇の中から聞こえる。
メリアーゼの体がビクンと跳ねた。
「君さぁ、自分のこと特別だとか思ってなぁい?
駄目だよぉ、自分ができることは他の人もできると思わなきゃ。
それどころか、自分よりもずっと上手い人がいるなんて、想像もしなかったわけ?」
怯えたようなメリアーゼを背に庇って、声と気配のする方へと身構える。
後の二人の方を向けば、二人はむしろ前に出た。
「——っ!」
事情も話していないのに、二人は……。
思わず、唇を噛み締めた。
(恩に着ますわ、お二方)
アリスは袖にしまっていた暗器を取り出し、腿の小刀に手をかけた。
大丈夫だ、敵は一人——
じゃ、ない!
アリスの優秀な探知は、確かなその数字をはじき出していく。
(十人、三十人、いや、もっと……!)
それも、自分の正面と後ろから同時に。
リリアーヌが反対側に回るのを確認し、アリスは小刀でなく、発光球を正面に投げつけた。
「目を閉じて!」
周りのものだけに聞こえる声で言うのとほぼ同時に、閃光が敵の目を灼いた。
「うわっ」
「なんだ!?」
声のざわめきから、アリスは自分の探知が間違っていなかったことを確認する。
そして即効性の痺れ薬を塗ったナイフを数本、気配の方へと投擲した。
幾つかのうめき声は聞こえたものの、あの少年には軽々と避けられてしまったようだった。
「ちっ!」
アリスには珍しく、思わず舌打ちが出た。
しかし、それも仕方が無い。
アリスは、混乱していたのだ。
この人数が一体どこにいた?
たとえ探知し損ねたとしても、この人数をまるきり見逃すはずがない。
確かにあの声がする瞬間まで、ここには誰もいなかったはずなのだ。
どうしたら、こんなことが……!?
と、あの少年らしい声が言った内容を思い出してハッとした。
「空間魔法……!」
「シシシッ、大正解!」
空間に隠したのか、それとも空間魔法を使い、移動したのか……。
(後者ならば、確かに私以上、ですわ)
アリスには未だ、正確な座標への他人の移動は不可能だ。
そして何れにせよ、ここで待たれていたということは——。
「つまり、私は罠にはめられましたのね」
「そのとぉりだよ! シシシッ!」
悔しい。悔しい悔しい。
最強の隠密だなんてジョシュアに行っておきながら、実戦不足がこうも裏目に出る。
駄目だ。なんとかして、メリアーゼ様だけでも……。
そう、アリスが思った瞬間だった。
後ろが不意に明るくなって、パチパチと爆ぜる音。
振り返れば、人の頭ほどある雷球を敵が撃とうとしていた。
マズイ、あちらにはリリアーヌ一人だ。
彼女は医療魔法学部。
勝てるはずがない!
アリスは慌てて投擲のナイフを取り出そうとしたが、すでに遅かった。
雷球は、敵の手を離れた。
シシシッ、と再び闇の中で笑う声。
「ほぅら、攻撃開始——」
「ぎぃやぁ!」
「——え?」
聞こえたのは、野太い男の悲鳴だった。
雷を飲み込み、そして敵に攻撃しているのは、水でできた、これは……。
「竜……!」
帯電し、黄金の輝きを中に取り込んだ竜は、敵に襲いかかる。
ただただ、蹂躙という言葉が相応しい。
姿だけでなく力も、竜そのものだった。
それを放った少女は、ふうと、雷光に照らされた顔に笑みを浮かべた。
「なあクレア、今、向こうから打ってきおったよなぁ? それも、明らかに私らを殺す気で」
「そうです……そうだね」
反対側のクレアは、リリアーヌを見もしなかった。
「ならこれは、あれやろ、正当防衛、やろ?」
「うん、まさしく」
ビィン、と空気が震える音がして、クレアの体が僅かに発光する。
それと同時に、彼女の濃紺の髪と、それに合わせて仕立てた黒と青のドレスが、ふわりと吹いた風にはためいた。
なんの魔法かは知らないが、そんな風にしてしまえば集中攻撃を受けてしまう。
けれど、アリスが注意するより早く、クレアは自分に近づいてきていた敵の顎を蹴り上げ、そして脳天を蹴り落とした。
「なっ——!」
瞬く暇すらない。
足が地面に降りるより早く、次は拳が放たれる。
「なんなんだよ、こいつらっ!」
敵が叫ぶが、その気持ちもよく分かる。
何が、負けないだ。
何が、一対一なら勝ってくれるだ。
彼女たちはこの大人数を前にしてなお——圧倒的に強かった。
「メリアーゼ様!」
「は、はい!」
クレアの声に、メリアーゼは思わず敬語で答えた。
話す間も、クレアは殴り蹴り、投げ飛ばし抑え込み、攻撃の手を緩めない。
「私にかけた防御の結界って、どんなものでしたっけ?!」
「え、あらゆる害意と傷から守るっていう……」
「じゃあ、それをリリアーヌ嬢にも!
かけ次第、メリアーゼ様はアリス様とドーム状結界を作ってその中に!」
「あ、うん、分かった!」
言われたとおりに、メリアーゼはすぐさまリリアーヌに結界の膜を張り、ドームを作った。
「アリスちゃん、入って!」
「……はい」
アリスは小さく、その拳を握った。
(これでは、一番の役立たずは——私ではありませんの)
しかし、そんな風に顔を曇らせるアリスと対照的に、リリアーヌとクレアは楽しくてたまらないという笑みを浮かべてみせた。
「攻撃開始って、さっき言っとったけど、それならこっちは——」
「反撃開始だ!」
戦闘シーンって難しいです…。
外チームは交戦真っ只中です。
アリスはあんまり活躍できませんでしたね。
会場チームは一体これからどうするのでしょうか。
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