義姉の言葉に乱される件。
内容一部変更いたしました。
かなりシリアスですので、ご注意を。
……やっぱり姉には敵わない。
「お話って、何ですか?」
「ん? それよりまず、そこに座るといい」
話をしようと連れられたのが応接間なんかでもなくセレス子爵の私室だったことには少し驚いたが、そんなのは今からの話には関係のないことだろう。
勧められた椅子に腰掛ける。
セレス子爵の表情は柔らかいが、それが逆に怖くて、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
「そう、緊張するな。ただ、昔話をしたいだけだ」
「昔話、ですか」
「ああ。と言ってもほんの数年前の話だが」
セレス子爵は、試すような笑みを僕に向けた。
「隣国、エウトゥーゼの話だ」
この国ユーロイアと隣国エウトゥーゼは、昔から関わりが深かった。
そう、深かった——数年前までは。
エウトゥーゼには、素晴らしいと呼ばれる政治を行った王がいた。
王はユーロイアから正妃を娶り、その仲はとても良かったという。
2人の間には、優秀な王子がいた。
そして同時に、王には欲深き王弟がいた。
しかし、王は流行病で年若くして崩御された。
残されたのはまだ幼い王子のみ。
臣下達はその王子が王位を継ぐことを期待したが、流石に優秀といえど幼く、代理として王弟が継ぐこととなった。
王弟……新王の暮らしは絢爛を極めた。
そのあまりの酷さに、王宮はそれを隠蔽し、王子の成長を待った。
しかし、新王の王妃は狡賢く、また強欲な女だった。
前王の正妃は未だ存命であったために、現王妃はそれが疎ましくてならなかった。
そして、現王妃はある時とんでもないことを思いつき、それを実行したのだ。
それが、かの大事件——前王妃フェノーリアによる国家反逆。
現王妃は自分と現王が浪費した国税を、全てフェノーリアのしたことと捏造したのだ。
その上、未だ権威にしがみつき、政治を縦にしていると。
証拠は全て作り上げられ、すぐに王妃は囚えられた。
国軍の上層部も皆、これが嘘であることを知っていた。
国民も、まさかと思った。
けれど、王権と王妃の父たる者の権力に、逆らうことは出来なかった。
王妃は処刑され、王子は国境にある魔物住まう森へと逃げたが、生きているはずもないと言われた。
そして、かつての前王の間に強国となったエウトゥーゼは、他国からの干渉すら跳ね除けるほどになっていた。
エウトゥーゼは、まずユーロイアとの国交を絶った。
そうして、ユーロイアの姫を処刑したことへの誹りを免れようとした。
エウトゥーゼは、今も緩やかに滅びへと向かう。
それはもはや、誰の目から見ても明らかなほどに。
「お主は、かの国の前王の実子——王子、ゼシュアシエル・ヴィネ・クライセンなのだろう?」
それは問いかけでなく、既に確認だった。
それでも、否定する。
「僕は、そんな人間じゃありません。ジョシュア・レオンハイトです」
「未だ、否定するか」
否定しますよ、と僕はセレス子爵を見上げて……そして息を飲む。
その顔からは笑みなど消えていた。
「レオンハイトに、ガイストに聞いたぞ。屋敷に来た時、ダンスも乗馬もすぐにできたそうだな。まるで知っていたかのように」
「そ、れは……」
何と言えばいい?
相手は確信を持っている。
それをどうしたら覆せる?
「少し、お主のことを調べさせてもらった。年齢、容貌、その魔力にしても——全て王子と一致した。それでも、違うと」
「……」
僕はその鋭い眼光に怯んだ。
それは、鷹のようで、そして——
「いい加減にしろッ!」
「っ!」
胴間声に、思わず身がすくむ。
「自分の運命の重さが何故分からぬ!?
それでも、一人で背負うなら良いが、違うのだろう!
姉を守ると誓ったのだろう!……アリスの主となったのだろう?」
再び目が僕を貫いて、僕はやっと分かった。
——これは、父の瞳だ。
アリスを心配している、ただ純粋な父の瞳だ。
そして、僕は今更になって自分が姉も、アリスをも巻き込んでいることに気がついた。
いや、あるいはもっと多くの人を。
「あれの望みは知っていた、主たる人物を探すことだと。
そして見つけたと、そう聞いた。
……それがお主なのだろう?」
「はい」
ふっ、とセレス子爵は自分の中にある猛りを抑えるように息を吐いた。
「すまぬな。本来なら私が言うようなことでもない」
「……いえ。今の言葉は、アリスの父親としての言葉でしょう」
そう言えば、子爵は少し瞠目し、それからわずかに顔を綻ばせた。
「ならば、ここから語るのは、未来を憂う一人の男の言葉と思ってくれ」
「え?」
「メリアーゼだったか。あのレオンハイトの娘御も、生まれながらにして背負うものがある。それもまた、国の闇であり、けして軽くはないぞ」
そんなことは知っている。
僕はセレス子爵の言いたいことが分からなかった。
「お主がそれをも代わりに負うと言うなら——お主は自らの運命すら利用することを覚えねばなるまい」
「り、利用?」
おう、と子爵は頷いた。
運命を利用する。
そればどういう意味だ?
「その血統は、重さであると同時に手札であり、切り札だ。
利用しない手はない」
「で、でも、既に国家反逆犯の息子というものになっている! 罪人の、息子だと!」
「……それが嘘だということは、誰よりもお前が知っておるだろうに」
否定する気は失せていたが、ただ苦しかった。
怒りのような、悲しみのような感情が渦巻く。
「それでも……っ!」
「それでも、何だ?
どれだけ残酷なことを言っているかは分かっているつもりだ。だからこそ言おう。
——運命から逃れても、その先には真の幸福はない。
より運命に呑まれるだけだ」
「……」
僕は逃げている?
……そうだ。逃げている。
でも、仕方ないじゃないか。
だってそうしなければ死んでいた。
僕は、キッとセレス子爵を睨みつけた。
「あなたに、何が分かる!」
「——何も分からぬ。非道な、しかし大切なことを言うだけだ」
セレス子爵は僕の視線を真っ向より受け止めた。
僕は言葉につまる。
「お主に選択して欲しい」
何を、と小さく声をあげて、僕はその顔を見た。
目線ははるか遠くを向いていた。
「このまま行けば、あの国は滅ぶだろう。
お主の父の国が、この世界より失せることになるのだ。
……お主はどうする?」
「どうするって、それは」
どうするもなにもない。
僕になんの選択肢があるというのか。
……国民に呼びかけ、反乱軍でも起こせと言っているのか。
セレス子爵の表情を伺ったが、そこからは何も読み取れなかった。
「僕には、もう——」
関係ない、と言いたかった。
あれは確かに昔は父の国だった。
けれど、今はあの男と、その妻である女の国。
滅びようとかまわないと、——そう言えたなら、どれだけ良かっただろう。
「うっ、くっ……!」
セレス子爵の瞳を見て思い出してしまった。
本当の父の、もう一人の父たるレオンハイト伯爵のものとはまた違った、覚悟を秘めた父の目を。
「……すまない、本当に。お主を苦しませようというわけでもないのだ。
だが、決めねば後悔する。それは、分かっておるのだろう?」
僕は何も言えなかった。
セレス子爵は気づいていたのだろう。
僕が、ここに来た時点で彼は見抜いていたのかもしれない。
僕が、何を選ぶか。
「……あなたは、残酷な人ですね」
「人は誰しも残酷だ。
選択を誤ったとき、人は人の残酷さと、現実の厳しさを思い知る。
人の命を左右する選択は、特にな」
その顔に浮かぶ苦渋に、僕はふとセレス子爵にまつわる話を思い出した。
二十年ほど前に起こった戦争。
セレス子爵は当時、まだ年若いながら優秀だったために指揮権を与えられていたという。
彼はその戦争中最も重要、そして最も過酷と言われた戦場に向かい——そして、彼の隊は彼を残して全滅した。
応援が駆けつけたとき、立っていたのは彼と、他の隊のわずか数名。
敵兵と味方の兵士の死体が入り混じり、それは凄惨な光景だったそうだ。
セレス子爵は、そんな状態で生還した。
故に、その時為した功績をたたえられると同時に——あまりの死者の多さに、彼はひどく非難されたという。
しかしその非難を覆すように、その時以来戦争の間でさえ、彼の隊でたった一人の死人も出ていない。
たとえどんな窮状にあっても、怪我を負ったものであっても、彼は誰一人諦めず、見捨てない。
「もしも誰かを犠牲しなければ得られぬ功があるのなら、私はそんなものは要らぬ」
そう言ったという。
それが、アンドリュー・セレスという男だと。
ああ、なるほど。
初めて聞いた時には、ただすごいとしか思わなかった。
それが今、僕の中ではっきり分かった。
彼もまた選んでいたのだ——見捨てないことを。
なら、僕も選ぼう。
子爵の視線にも、もう怯みはしない。
「僕は、僕の真の家族である人全てを——姉も、かつての父も今の父も、見捨てられません。
そして、そんな僕について来てくれる貴方の娘のアリスも」
「……そうか」
「はい」
全部、守りたい。
甘いということは分かっている。
それでも、これは覚悟で、決意だ。
僕の一番はやはり姉で、それだけは変わりそうにないけれど……僕の大事なものを守ることは同時に姉を守ることにもなる、はずだ。
——僕は姉を守るために、何をも見捨てない。
セレス子爵はようやく最初の笑みを戻した。
「一度口にした言葉は守らねばならないぞ。男ならな」
「はいっ!」
とまあ、姉の元へと戻ったのだけど……。
姉の言葉一つで転んでしまう僕は、本当にどうしようもないな、と思った。
やっと国名が出た!
というわけで、セレス子爵がちゃんと父親してる回でした。
4月9日、内容一部変更いたしました!
ジョシュアにこんな風に迫った理由を、少しでも分かっていただけたらな、と思います。
……これで物壊さなきゃ、かっこいい人のはずなのに……。
感想など、お待ちしております。




