第4話:引き篭りの入学準備(後)
吉村さんの運転する車は、首都高埼玉線から首都高環状線に入った。おじい様の御邸である『英雄の森公園』も、もう直ぐだ。
東南戦争当時、交戦の度に記録的大勝利を上げ、地位と恩賞と年金額が右肩上がりで駆け上がったおじい様が海軍大将まで昇進した時に、軍部と政府は本気で困ってしまった。
次の交戦で祖父が戦果を上げると、遂に元帥に昇進させる事になる。つまり、軍部の中で独立した指揮権を持つ組織『東郷元帥府』が開府されるのだ。
では、東郷元帥軍と国防軍が仮に戦った場合どうなる?!
その結果は火を見るまでもなく明らかでなのではないか??
戦時中に国防の要である『東郷大将』を排斥するわけにもいかず、『東郷元帥』に昇進させるわけにも行かず、功績に報いないわけにも行かず、八方ふさがりであった。
結局、次の功績には新設した『海軍上級大将』の地位で答え、その次の功績には昇進ではなく多大な恩賞をもって答える事になった。
大学だったか公園だったか飛行場だったか、広大な土地を政府が接収し『東郷 神聖邸』として祖父に下賜したのだ。
こうして祖父は千代田区に、森と湖に囲まれバラ園まであり園遊会も開ける庭や、舞踏会を開ける城の様な邸宅を手に入れた。
祖父は、その広大な敷地を取り囲む高い壁と大きな門を「刑務所みたいでイヤ」と取り払い、森や庭を市民に開放した。その結果、市民の憩いの森となった祖父の庭を誰ともなく「英雄の森」と言い始め、今では最寄り駅が「英雄の森公園駅」に替わる程にその呼び名は定着した。
車は『英雄の森』に入った。
このまま真直ぐ奥の御邸まで行くのかと思っていたら、入ってすぐにハンドルが切られ森の一部を切り開いた平地にある10LDK位の小さな家の前で止まった。
庭の広さもテニスコート2~3面程しかなく、駐車場も車10台も来たらイッパイであろう。
「ここは?」
「今日から私たちが暮らす家よ、御邸からだと歩いて庭の外に出るだけでも何10分も掛かるから大変でしょ」
と月子。
「森の入り口にあるこの家からでしたら、奥の御邸まで行く方より魔宝大学へ行く方が近い位ですので通学に便利なのですよ」
と、美夜。
美夜と月子に促され、家に入る。
1階のリビングのソファーには、おじい様の姿があった。
「いらっしゃい、セイネ君。ご苦労だったね、美夜君、月子君」
「ご苦労だなんて、とんでもないです、おじい様」
「少しでも早くセイネ君にあえてうれしかったです」
美夜と月子が答える。
祖父は絶対エルフとか何かの妖精なんだろうなぁと、会うたびに思う。そろそろ70歳のはずなのに、(大人の年って良く分からないけど)30歳位にしか見えないのだ。
そんな非科学的な事を考えながら、ボクは祖父に尋ねた。
「ご無沙汰しておりました。そしてご招待ありがとう御座います、おじい様。あの、色々と説明は頂けるのでしょうか?」
祖父は答えてくれた。
「うん、まずは座って。美夜君、飲み物お願いしていいかな?」
「はい、おじい様」
ボクと月子は祖父の向かいのソファーに腰を下ろして待つ。
美夜が、茶筒、茶碗、急須、水次ぎをお盆に持って現れ、ボクの隣に腰を下ろす。車の時と同じに、美夜、月子にはさまれる形になる。
美夜が何か高速詠唱すると水次ぎの水温が上がった様だ。急須に茶葉を入れ、湯を注いで蒸らす。
4人に茶が振舞われる。
美夜の入れるお茶は、相変わらずおいしい。温度管理が完璧なんだ。
「お茶ありがとう、美夜君。じゃ、説明を始めるね」
祖父が話し出す。
「この家には原則として私達4人しか入らない。いつも闇属性魔宝で隠しているからね、今日、吉村が君達を連れて車で来られたのも特別に許可をだしたからさ」
「はい」
「ここ、1階のリビングとダイニングは私達4人の集う場所にしたい。だから朝食・夕食は1階でね」
「はい」
「1階の他の部屋は、私のプライベートルーム、ゲストルーム、私用のバスルームやドレッサー等だ」
「はい」
「2階が君達の領域。個室は4部屋、セイネ君、美夜君、月子君、そしてカノン君用だね、部屋割りはもう決っているのかな?まだなら皆で相談して決めてね」
「・・・はい」
「私に聞かせたくない話もあるだろうから、そんな時は2階のリビングを使ってね、狭いけどダイニングキッチンもあるから必要があれば夜食は2階で食べて」
「はい」
「生活時間帯が合わないかも知れないから、お風呂は2階のを使うこと。トイレは原則2階のを使うけど、もちろん通学前等の非常事態なら1階のを使って問題ない」
「はい」
「この家にはお手伝いさんは来ない。掃除の時などに呼ばないと大野さんも井上さんもこない。だから原則2階の掃除は、3人で協力してやってね。1階の掃除は、まぁ私が何とかする」
(掃除だけはお手伝いさん呼ぶんだな・・・)
「ランドリーは有るので洗濯はこの家で自分達でしても良いけど、邸の者に渡せば『きちんと』洗ってもらえる」
「はい」
「だから制服とか魔宝衣類はクリーニングに出さず、邸の者に任せた方がいいと思う」
「はい」
「食事は、年頃の娘が3人もいるんだ、君たちが作って、4人で一緒に食べよう。当面、朝食は美夜君、夕食は月子君にお願いしたい」
「分かりました、おじい様」
「分かりました、おじい様」
と、美夜、月子。
「セイネ君は、行儀見習いの一環として二人から料理教わってね。ある程度出来る様になったら分担を見直そう」
「分かりました、おじい様」
と、ボク。
「昼食は君たちは学食で、私は出先で取る。休日の昼食はそうだなぁ、たまには邸に戻ってソコで食べるか」
「はい、あのおじい様?」
祖父の説明にボクが口を挟む。
「よろしければ、生活ルールの説明ではなく、このような生活を送る事になったワケを説明して頂けるとありがたいのですが」
「まぁ、その通りだよね。全部説明するから最後まで聞いてね。質問があればその後で」
祖父は美夜の入れたお茶を一口飲むと、話を続けた。
「先の東南戦争の最期の交戦から20年、以降目立った交戦はない。講和条約は締結されていないので終戦ではないが、20年と言うとても長い休戦中だ。国防の要である私の魔宝力も、休戦期間が長いと色々言われ出したんだ。私の力が強すぎるのも、国防上よろしくないって。で、私の主力級魔宝石の3分の2を譲渡する事が政治的に決まった。でもあの石『ファーストクラス』ではなく『レジェンドクラス』だったんだよね、石が持ち主を選ぶんだよ。石が求める所有者の資質は、聖と闇を含む6属性以上を完全に使える魔宝師だった。そんなの育成世代を世界中探してもセイネ君とカノン君しか居なかったからね。だから二人に石を譲った」
祖父は美夜と月子を見て、「あの時君達に石を譲れなかったのは、そういうワケだったんだよ」と補足で説明する。
「そして2年前、セイネ君達が『ヤンチャ』をしでかす。あぁ、心配しなくていいよ。魔力の総エネルギー量はどうせ計測不能だし、アレやったの私って事にしてあるからさ。あの事故の反動でカノン君は行方不明、セイネ君は女性化、これが一番目立った変質魔宝の影響だけど、変質はそれだけではなかったんだ。セイネ君、君は聖と闇の魔宝を失い、他の5属性の力もとても小さくなってしまった。美夜君や月子君にも影響がでた。魔宝力が伸び止まり、使える魔宝属性の数も増えなくなってしまった。この状況、あまりよろしくないんだよね。私が退役した瞬間、すわ政界進出か!選挙出馬か!と騒ぐヴァカ共が数多く湧いて五月蝿くから『私』は手で払って全部黙らせたんだ。でも、君たちこのまま行けば、『英雄の孫でとっても強い魔宝師だけど政治の力でコントロールが可能』と言う御輿に担ぎ出すには最高の人材に育ってしまいそうなんだよね。先日も卒業アルバム持ったエージェントがセイネ君に接触を図ったろ?、撃退したけれど。セイネ君の外出時には必ず美夜君か月子君が付き添ったのも、彼女たちが闇属性の使い手だからさ。太陽光だけでなく、エージェントの視界からもセイネ君を遮蔽してたんだ」
祖父が続ける。
「私の力は強すぎて民主政治の敵になり得てしまう。私が右と言ったら、国民全員がいっせいに右を向くように成りかねないからね。だから私は政治屋をやってはいけないんだ。でもその為に、私が君達を政治的に守るには限界が出てくるのさ。私や以前のセイネ君の様な、人外の強さは必要ないんだよ。でも、降り掛かる火の粉を払えるだけの力は必要だ。『私』は手で振り払った。『今の君達』では振り払えない。民主政治の敵になるので、私は君たちを政治的には守りきれない」
祖父がいったん、話を区切る。
「ここまで、わかったかな?」
ボクが質問する。
「え、えーと、2年前のあの事故で、ボクの魔宝は弱くなり、美夜と月子の魔宝の成長も止まってしまった。このままだと、政治的にいいように利用される可能性が高いので魔宝力を伸ばす必要がある、そう言うことですか?おじい様」
祖父が答える。
「理解がはやくていいね。美夜君、月子君もわかったかな?」
二人も黙ってうなずく。
「魔宝力を伸ばすためには二つの事が必要だと思う」
再び祖父が話し始める。
「一つ目、皆の魔宝力の成長が止まったのは、何らかの『刻印の戒め』だね」
少し口元をほころばせて、祖父が続ける。
「その戒めは、君達自身で解くべきだろう、そうすれば魔宝力は伸び出すよ」
「二つ目、魔宝の才能を持ったパートナーを探しなさい。私と陽子さんみたいにね」
精霊様の元に召された祖母の名をあげ、祖父は説明した。
「セイネ君はわかるよね、セイネ君とカノン君は二人で魔宝力を高めあうやり方を知っていた。でも二人がそれを出来たのは魔宝力を持った一卵性双生児という特殊なケースだからだと思う。一般にはそう、恋人とか夫婦とか、体も心も一つに解け合い混じり合えるパートナーによって、お互いの魔宝力を高めあうんだ。高めあう方法はそれぞれのカップルが自分達で見つける。パートナーを見つけお互いが納得できる方法を探す、それにより互いが互いを高め合い、魔宝力は飛躍的に伸びるよ」
祖父はボクを見て言った。
「セイネ君達は体が丈夫でないので、魔大付属(国立魔宝大学付属)と言う競争の激しい学校には入れたくなかったんだ。中学は田舎の公立だったし、出来れば高校もそうしてあげたかった。でもね、背後組織はまだ不明だけど敵性の可能性があるエージェントが公立の教育機関に入り込んでセイネ君を狙った以上、なるべく私の目の届く範囲においておきたい。政治利用の可能性があると話したが、利用しようとする人間が敵性勢力の者では無いとは言い切れないからね」
そして3人を見渡した。
「今の私は魔大(国立魔宝大学)の客員教授だから、同じ敷地内にある高等部や中等部へも目を配れる。自宅を襲撃されても私と同居ならば安全だろう。通学は車を出してもいいし、歩いていけない距離でもない。人通りも多いので誘拐等の危険も少ない」
最期に、祖父がにっこり微笑んだ。
「これが3人を私の家に住まわせる理由、セイネ君を魔大付属に入学させる理由、分かってもらえたかな?」
「はい」
ボク等3人はそう答えた。
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「あ、セイネ君。世間向けには男の君はあのまま埼玉の自宅で療養中、女の君は東郷家の跡取りにするため魔宝の才能のある子を見つけて養女にしたって事になっている、君の相手が婿に来るならその彼は「東郷」の名を継ぐ唯一の男子になる。だからはりきってパートナーを見つけて下さい」
おじい様は退屈が大嫌いだから、今の状況を絶対楽しんでる、とボクが思ったのは余談。
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夕飯の買い物に行こうとする月子に祖父が声を掛けた。
「あんな大きな家貰っちゃって世間では名家みたいに思われてるけど、東郷家なんて大した事はない。私は貧乏人のセガレだったしね。夕飯は暖かなご飯とお味噌汁、葉野菜のおひたし、主菜に魚か脂肪分の少ない肉、副菜に冷奴とか茶碗蒸しとか、そんなのがいいな。セイネ君の体は成長するためのタンパク質が足りてないね、気を付けてあげて」
その日の夕食は、ご飯と野菜たっぷりの味噌汁、ほうれん草の御浸し、卵豆腐、主采に皆は香魚の塩焼き、ボクの分だけ大きめのマスの塩焼きだった。
がんばって、ご飯は半膳、おかずは残さず全部食べた。
デザートのヨーグルトはボクの分だけオイルが一さじ掛けられていた。
「セイネ君、炭水化物あまり食べられないからね」
月子が言う。女らしい体を作るには、今まで以上にタンパク質だけではなく脂肪も摂取しなければならないのだろう。
女らしい体かぁ。
恋人とか夫婦とか言ったパートナーかぁ。
夕飯を終えると、少し考えたくて美夜からボクに割り振られた2階の一番奥の部屋へ行き、備え付けられたベッドに身を投げた。
部屋にはベッドや机、本棚、開封されていないダンボールがいくつも有って、何日も前からこの部屋がボク用に用意されていた事を伺わせた。
ベッドの上で考える。
今のボクの体は女性だ、正確には、今はまだ未熟で大人の女性に成長している最中だ。
ボクは2年前まで男だった。
男だった時も未熟で、大人の男性には成っていなかったが、でも確かに男だった。
今のボクの心はどっちなのだろう?
体と同じに心も女性になったのだろうか?それとも男性のままなのだろうか?
その答えを出せぬまま、ボクは2年間閉じこもってきた。
その間、ボクの体は大人の女性に成長する事を、先に進む事を拒んできた。
でもついに、ボクの体は変わり始めた、大人の女性へ向かって。
ボクの心はどう変わっていくのだろう。
体の成長と共に、心も大人の女性になれるのだろうか?
それとも、心だけ置いてきぼりで男の子のまま、立ち止まってしまうのだろうか?
とりとめも無く考えていると、ドアのノックと共に美夜の声がボクの耳に届いた。
「セイネ様、髪を洗います。一緒にお風呂、入りましょう」