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もう一人の主人公の第一話です。
彼の話とフィンブルの話を一章ずつ交互に書いていこうと思います。
今にも左肩に突き立てられようとしていた唾液に濡れる牙を、俺は草を蹴って後ろに回避し、後退しながら左手を電光のように閃かせた。
そこから飛び出したライトブルーに光る戦輪が、相手の前面を覆う鬼を模した装甲をくぐって脇腹を切り裂く。血液は出ない代わりに、深紅のライトエフェクトが飛び散る。投剣スキル単発攻撃、《ワンショットスリング》。
防御の手薄な部分に攻撃が当たったからか、重さの無い切断系投擲武器にも関わらず相手が大きく仰け反る。いつもならここで猛然と打ちかかるところだが、生憎敵は一体ではない。
技後硬直中の俺を狙って、後ろから鉄のような爪が襲いかかってきた。ギリギリで硬直から回復した俺は限界近くまで身体を右に捻ってかわす。ブォン、という空気の振動が俺を鼻先を駆け抜けた。
この体勢から反撃のラッシュを始めるのは不可能。そう判断した俺は、慌てずに両足を地面に着いてから《ステップ》で二体の敵から距離を取って空の両手を握り直した。
好き放題草木の茂った山道の中で俺に襲いかかってきたのは、同種二体の獣型モンスターだった。分厚い骨のような組織で出来た鬼の面を被り、同様の装甲で前足の先まで守りを固めた獅子と見紛うばかりの大狐。レベル21モンスター、《オーガフォックス》。確かに前面からは攻撃が通りにくいが、それ以外の部分は平均を下回り、むしろ脆弱ですらある。俺の構成はある種のネタとも言えるようなものなのだが、それでも手の内が判っている雑魚など容易く制圧可能だ。
時間差を付けて飛び出して来た二体のうち最初の一体を、裏拳で思い切りブッ叩いて軌道を変えさせる。手に得物は無いが、ナックルを装備しているお陰で、こちらが逆にダメージを受けるといった馬鹿なことは起こらない。俺は反動を使って、噛み付き攻撃を繰り出そうとする二体目の横に密着した。ここで牙を食らう訳にはいかない。狐であるが故にアゴの力は大したことはないが、狐の癖に牙に毒があるので当たると厄介なのだ。
間髪入れずに軽く引き絞られた俺の右拳が、イエローの光を纏って撃ち出された。がら空きの右後ろ足付け根部分にナックルがめり込み、衝撃でオーガフォックスの身体が硬直する。狙い通りだ。
一度立ち上がったASのアシストは、そのまま尋常ではない速さで俺の左腕を動かす。同部位への集中攻撃の威力が敵の肉を歪ませ、さらにもう一度、腰の捻転力を乗せた右拳の威力が骨まで到達する。俺は慣性を無視した動きで腕を引き戻し、連続技の最後の一撃――左足による蹴りをオーガフォックスに突き刺した。集約した三本の光条の中心に蹴撃が命中し、黄金の槍を形成して散る。くぐもった断末魔。一瞬遅れて、オーガフォックスの巨体が爆発する。体術スキル四連撃、《クアッドスラスター》。
《体術》は剣や槍などの武器スキルに匹敵するような威力は出しずらいが、予備動作も技後硬直も各種武器に比べてベラボーに短い。体勢を立て直して背後攻撃を食らわせようとしていた残りの一体に反応する時間は十分にあった。
ウルガッ! という雄叫びとともに肉薄してきた巨大な爪を、俺は右腕を強振して弾いた。革服の下に装備した金属プレートのお陰で、腕を切り裂かれることはないが、HPゲージがちりっと音を立てて削れた。
攻撃モーションをブレイクされてガードが浮き気味の大狐に、左肩からのタックルを打ち込む。俺の身体はほぼ自動的に動いて、衝撃で後退したターゲットに密着する。鮮紅色のエフェクトに身を包みながら、俺はこの世界ならではの凄まじい速さで拳打を四発叩き入れた。
「ガルルグッ!!」
仰け反りながらも鬼面の奥の双眼を怒りに燃やして、オーガフォックスが俺の喉元を喰い裂こうとする。毒牙攻撃のファーストモーションだ。
だが俺のASは終わっていない。ナックルの攻撃は他の武器より遅延効果が短いが、それを補って余りある攻撃速度(ASPD)を持っている。反撃などさせるものか。
足を一歩踏み出し、血の色に染まった右腕を、風の渦を纏って打ち出す。体中の筋肉が連動して伸縮を行い、拳に凶悪なまでのエネルギーが集約されていく。
「うおおおおおお!」
裂帛の気勢とと共に放たれた渾身の正拳突きは、オーガフォックスの最後の抵抗を置き去りにして、その無防備な下腹部に吸い込まれた。ターゲットの身体の中に赤い閃光にも似た渾身の正拳突きは、鬼面狐の最後の抵抗を置き去りにして、その無防備な下腹部に突き込まれた。相手の体の中に赤い閃光にも似たエネルギーが吹き荒れ、HPを喰らい尽くす。六連続技《レイジング・ファング》。
俺が攻撃の手数の割に短い硬直から復帰するのと、オーガフォックスがその生命を全損して、空中で不自然に停止したのが同時だった。次の瞬間、オーガフォックスはその体を幾百の薄青い欠片にかえて、存在した痕跡も残さずに消え去った。
俺は大きく息をついて、取得アイテムと獲得経験値を一瞥した。現実世界で遊んだ幾つかのゲームには解体作業というものがあったが、エヴォルヴァースにそのシステムがなくて良かったと心の底から思う。
ふと上を見ると、午後の太陽のきらめきが枝葉を透かして鮮やかに通り抜けてくる。葉擦れの音が陽光を運んでくるような不思議な錯覚を感じながら、俺は「ブラウズ」と唱えた。
ステータスにはエヴォルヴァースの内部時刻とこのマップの名前が表示されている。
【Time 15:37 Location:デルフ低山】
朝8時に街を出て、狩りを始めたのが9時。騎乗系モンスターを飼っていない俺は、そろそろ帰らないとやることを全て終わらせることが出来ない。ちなみに、この世界には瞬間移動アイテムがあり俺も一応持っているものの、かなり値が張るのでよほどのとき以外使えない。
一般にフィールドに出てくるMobはそのマップ付近のダンジョンにより弱いことが多いのだが、代わりに日が沈むと手強い夜行性Mobが出現することもあり、早く帰るに越したことは無い。
必要素材アイテムが目標量に達していることを確認し、俺は木々の間を抜けて街への道を走り始めた。
帰り道に数体のモンスターを見かけたが、一回のバトルに割と時間がかかる俺は相手にするのも大概にひた走った。街との高低差が五百メートルを切ると思われるデルフの山を駆け下り、麓に広がる小さな森を出た俺の目の前に、エヴォルヴァースの基準に照らして最大級に大きい街が広がった。
街の中心部にある一際巨大な建物を中心として、整然とした地区と雑然とした地区とが絡み合い、結局のところ広大なカオスが高く、高くそびえ立っている。実際、中心から外門壁に至るまでの実に巨大な城塞都市なのだ。都市の機能自体は住み分けがされており、商業街、工業街、芸術街に分かれている。
背の高い建物の陰には生半可なダンジョンよりも複雑な路地が入り組み、初めて来た者が大通りから一歩外れてしまえば迷子確定である。街の心臓である城からは引っ切り無しに、一部の特殊なスキルを持つ者たちが工場区で作り出す飛行ユニットが発着する。
ここが俺のホームタウンである《ハトルグリームス》の街だ。その中核が、《機公城ハトルグリームス》。
陸路の玄関口《鋼岩の門》を通り抜けて商業街に入ると、まず最初に、耳に飛び込んでくる圧倒的な情報量が街とフィールドを完全に切り離す。
芸術街から出張してきたNPC楽団が奏でる賑やかなBGM、上空を渡る機械のエンジン音、どんな食材なのか見当も付かない怪しいメシを売る屋台の売り子、そして何よりも通りを行き交う人々の声。
ようやく張り詰めさせていた警戒と緊張の糸を緩めてから、俺はほっとため息をついた。立ち並ぶ屋台から漂う、肉の焼ける香ばしい匂いに引き寄せられかけながらも、俺は大通りを逸れて入り組んだ裏道を辿り始めた。
右、左、また左、右、四叉路の一番右、直進――何度も通った道なのに、立ち止まったら確実に迷いそうな気がして早足になる。フィールドよりHP保護圏内の方が不安になるとは可笑しな話だ。NPCの家もプレイヤーホームも入り乱れているこの街を何もかも知り尽くしている奴など恐らく3人もいないだろう。俺がこの街を拠点にしてから内部時間で数週間になるが、まだ大通りとねぐらを結ぶ道と、幾つかの店しか分からない。ヘタに探検すると命が危ない。
この街の隅から隅まで精査した攻略本を誰か発売してくれないものか――などという思考を巡らせながら、俺は目的地に辿り着いた。